音ゲーマニアが世界大会に出場するようですよ
昼間は喧噪飛び交う街も眠る頃、静まり返った家の中の一室で部屋の明かりも点けずに不気味な笑い声をあげる男が居た。
「くっくく……くく……はははははっ!」
時刻は午前三時を少し過ぎた程。世間一般では深夜と呼ばれる時間だということも関係が無いのか、男の一日は始まっていた。薄暗い部屋の中を歩き回り、あれやこれやとキャリーケースの中に詰め込んでいき、あっという間にキャリーケースの中は埋め尽くされる。
最後にベッドの上に乗ったヘルメットタイプのVRマシンを今にも溢れかえりそうなキャリーケースの中に無理矢理詰め込み蓋を占めた。
寝静まった家の中で音を立てないようにと慎重に一歩一歩踏み出しながらキッチンまで降りていく。
冷蔵庫の中を漁り、牛乳と袋に詰められたドライフルーツたっぷりのシリアルを器の中に注ぐと、落ち着きなく食いつき、あっという間に平らげてしまった。
「……ごちそうさまでした……」
さて、と一息つくと男は玄関に向かい、夜逃げするが如き動きで家を後にした。
男無き家には再び静寂が帳を下ろした。
♦
今は午前三時五十分、電車が来るのは四時半頃だからまだ時間に余裕はあるっぽいな。
「ふわぁ……」
寝不足による欠伸を垂らしながらキャリーケースを牽く。正直に言えばこの時間に起きるのは俺にとっては非常に辛い。
それはもう辛い。
もう一度ベッドで眠りたい欲求に従ってしまいそうになるくらいには。
だが今日の俺はその睡眠欲に耐えた。何故なら眠れないくらいに心が滾っているから。
今日は七月二十七日、待ちに待った―とは言っても僅か一日―『BSD』の世界大会の開催日。
場所は千葉の幕張メッセ、俺がこんなにも朝早くに起きたのは行くまでに時間がかかるからだ。
予定では始発の電車に乗り込んで、乗り継いで行き向こうに着くのは六時半くらいになる。会場が開くのは八時だが大会に出場するプレイヤーは早めに会場に入ることが出来るらしい。
お、来たな。
停車した電車の目の前のドアが開く。車内は閑散としておりこの車両には俺一人しか乗り合わせていなかった。誰も見ていないことを確認してから普段は出来ないシート席に寝転がる。
一回やってみたかったんだよなあ。
でも次の駅で誰か乗ってくるかもしれないしもう止めておこう。
がたんがたんと車両が僅かに揺れる。シート席の一番端に座った俺は左に凭れ掛かりながら揺られていると次第に瞼が重くなってきた。
瞬きを何度も繰り返すが瞼の重さは取れるばかりか一層増す。静かな車内と僅かな揺れが眠気に拍車をかける。
……ちょっと……寝ていこう……。
完全に意識が落ちる寸前、自分の降りないといけない駅を確認しようとしたがそれすらも憚られ、起き上がろうとした体は再び背もたれへと吸い込まれていった。
「……さま……お客様?」
「うぁ?」
「もう終点ですよ。随分と気持ちよさそうに寝ていらっしゃいましたが」
体を揺さぶられ、眠り足りない瞼を擦り上げながら視線を上に向けると、柔和な笑みを浮かべる運転手さんらしき人物の姿が目に映る。
「ここ終着ですか……?」
「はい、そうです」
「…………」
ひとまずホームに降りてみると、駅の名前は全く知らない物だった。
少なくとも事前に調べた中にこんな駅は出てこなかったはずだ。
やっべぇ……完全に寝過ごした……。
ただ、不幸中の幸いと言うべきか、今検索してみたところ今から電車に乗り直しても時間までに間に合うようだ。何があるか分からないから家を早く出たのは結果だけ見れば正解だったと言えるのかもしれない。
いや、そもそももう少し寝てたら寝過ごすことも無かったか……?
過ぎたことは考えても仕方ない。次に同じ失敗を繰り返さなければいいだけだしな。
自分で言うのは何だけど、物事をポジティブに考えるのは得意な方だ。
再び電車に乗り込むと、またしても電車は人が少なかったが今度は席に座らないことにした。流石に座っていなければ寝ることは無いだろう。
眠気との闘いが始まった。
危なかった……。
車内から転げ出るようにホームへ降りると自身の頬を思い切りつねった。
何度睡魔に負けて安眠の世界へ走ろうとしたことか……。何とか悪魔の誘惑に打ち勝ち、俺は目的の海浜幕張駅で降りることが出来た。
後は【パンタシア】のナビゲートシステムで視界に表示される矢印に従って歩いていれば幕張メッセに着くことが出来るはずだ。家を出たのは三時五十分だったというのに結局今は七時四十分、周りでは幕張メッセへと向かう人々が波を作っている。
人波に飲みこまれ、歩くこと十数分。ようやく幕張メッセの中に入ることが出来た。
このまま人波に流されてると観客席の方に行っちゃうから俺は出場者の控え室に行かないといけないんだけど……どこにあるのかが全く書かれてない。
近くに居た警備員の方にチケットを見せた後に聞いてみると、すんなりと場所を教えてくれた。どうやらこの人波の反対方向らしい。
「すいませーん! 通ります!!」
流れに逆らい鯉が滝を登るように控え室へ向かって歩き続けようやく控え室に辿り着くことが出来た。ここに来るまでの出来事で既に疲れてしまった。
せめて出番までゆっくり休んでよ……。
テーブルの上に用意されたお茶と御茶菓子を頬張っていると、ドアが二回軽くノックされた。口の中に詰め込まれた御茶菓子をお茶で流し込むとぱたぱたと小走りでドアを開きに行く。
「はい、」
「あ、GENZI様でお間違いありませんか?」
「大丈夫です」
「それでは出番ですのでこちらへ付いてきてください」
「分かりました」
想像以上に早い出番を知らせに来てくれたのは若い帽子を被った男性スタッフの人だった。
それにしても出番って何するんだ……?
そんな疑問を抱えながら案内された先には俺以外に十数人が扉の前で待機していた。
どうやら彼らが俺の対戦相手ってことなんだろうな。
隅の方には師匠の姿も見受けられるし。
俺が到着すると同時にスタッフの人が、それでは入場してください、と合図を送ってきた。
それを受け取ると続々と光の先へと突き進んでいく。最後尾に着いた俺は最後にドアをくぐり抜けると、これまでに感じたことがない程の歓声と熱気を感じ取った。
UEOの中で感じたものとは質がまるで違う。これがリアルの歓声、興奮や滾る思いというものが一心に伝わってくるようだ。
イベントホールの中央に位置する円形のステージに俺達が上がると、ばっ、とライトがこちらへ向けられライトアップされる。
「皆様お待たせいたしました! それではこれより、第三回Beat Sword Dancer Arenaを開催致します!! 司会は私、Tがお送りさせていただきます。先ずは出場する猛者たちを紹介しましょう!」
その言葉にわっと会場が盛り上がりを見せる。
「まずは――」
十何人もの紹介をよくもまぁこれだけのテンションで聞いていられるな、と若干冷め気味なことを考えながら待っていると、ついに俺の番がやってきた。
「――そして! 最後はこの男です! 彼はゲーム内でとある条件を達成したためにこの世界大会に初出場したプレイヤーです! 彼は……何とっ!? 彼は他のプレイヤー達とは異なりプロゲーマーではないようです! 遅れましたがGENZI選手です!!」
その言葉に会場は再び盛り上がり、何やらそこかしこから話声が聞こえてくる。
「これまで出てこなかったラスボス来たコレ!」
「GENZI様ー!」
「応援してるぜー! 精度お化けー!!」
全て声援なのだがどうにも引っかかる。
「ところで質問なのですがよろしいでしょうか、GENZI選手?」
「あ、俺? 大丈夫ですよ」
いつの間にか俺の目の前まで移動していた司会者のTさんはマイクで俺の声を拾いながら話す。
「GENZI選手は以前から世界ランクで一位を独占し続けていましたが、他の二位から二十位近い選手たちが世界大会に出場する中、一人だけトップランカーなのにも関わらず出場していませんでしたがどうしてなのでしょうか?」
「あー、それは普通に面倒だったからですね。時間も場所もあまり合いませんでしたし」
「成程……それではもう一つだけ質問を。何故ベネチアンマスクを着けているのでしょうか?」
そっと右手でベネチアンマスクに触れると、ふっと笑う。
「趣味です」