毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 参拾肆
止まっていた時が動き出すように【ウェネーウム】の魔法による束縛から解き放たれたクロエ達は、一斉にGENZIの元へと駆け寄る。
「やったな! これで二つ目、お前にとっては三つ目のユニーククエストクリアじゃないか!」
明るくGENZIに声をかけたのは麒麟だ。
ああ、と素っ気なく返された言葉に違和感を覚えた麒麟は、俯いたまま顔をあげないGENZIの正面に立つと、しゃがみ込み、視線を合わせた。
「……どうしたんだ?」
「……なんでもない」
「何でもないことないだろ、お前がそういう顔するときは決まって何かを抱え込んで、思い詰めてる時だ。親友舐めんなよ」
陽気に笑う麒麟とようやく顔を合わせたGENZIは今にも潰れてしまいそうな程に弱り切った表情を見せていた。覗き見をするわけでは無かったが、麒麟の後からやってきたクロエとぽてとさらーだもGENZIの様子を見て目を剥く。
「どうしたんですか!? 無理しないでください、GENZI君……」
「GENZIっち大丈夫か?」
慌てて駆け寄ってくる二人から顔を背けようとするのを麒麟は両手で抑え、止めた。
「GENZI、そんなに俺達は頼りないか?」
いつもは陽気で気さくで、どこかおちゃらけた雰囲気を出す麒麟がこの時ばかりは怖いくらいに真剣な顔つきでGENZIを見つめていた。
その声音は包み込むように優しく、何よりもGENZIに対する思いやりが感じ取れた。
「っ……そういうことじゃない。ただ、これは俺の問題だ。お前たちには関係無い」
「……そうか。言いたくなったらいつでも言えよ? 俺達は仲間なんだから」
「…………ああ」
最後にGENZIの頭を乱暴に撫でると、ふっと麒麟の相好が崩れ、いつも通りに戻った。
麒麟以外の二人は未だにGENZIの方を心配そうに見つめていたが、麒麟が二人に耳打ちでGENZIのことはそっとしてやってくれ、と伝えたため、渋々といった様子で声を掛けるのを憚った。
「じゃあGENZI、今日はもう夜も遅いし俺達は落ちるわ。お前も程ほどにしてちゃんと寝ろよ~」
GENZIに対して背を向けたままひらひらと手を振り、麒麟はログアウトする。
それに続くようにぽてとさらーだもログアウトし、その場にはGENZIとクロエの二人が残された。
「……GENZI君、それじゃあ私も落ちますね。おやすみなさい」
「……うん、おやすみ、クロエ」
ログアウトをする最後の瞬間までクロエはGENZIの背中を心配そうに見つめていたが、最後までGENZIが気付くことは無かった。こうして他三人の仲間達がログアウトし、GENZIは一人、無人の街の中央で座り込み呆然と大きな満月を眺めていた。
アラクネも、ピュトンも死んでしまった。
それはきっと、俺が力不足だったからだ。俺にもっと力が……仲間を守れるだけの力があったのなら、未来は変わっていたのかもしれない。
胸にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感と、後悔の念がとめどなく溢れてくる。クエストをクリアしても決して拭えないその感情をGENZIは一人、噛み締めていた。
すると、じゃり、と砂を何かが踏みつけたような音が背後から鳴る。
GENZIはその音の響き方から、それがモンスターによるものだと気付いた。
音は一つではなく二つ聞こえ、一つは蜘蛛型の、もう一つは蛇型のモンスターであることを推測する。モンスターが近づいてきているというのにGENZIは一切動じていなければ、動く気配すら見せない。
それは【アラクネ】と【ピュトン】の加護、今は戦友へと変わった称号の効果で、蜘蛛型のモンスターと蛇型のモンスターがGENZIのことを襲ってこないためである。
背後から近づくモンスター達に目もくれずに蒼い満月を眺めていると、ついにモンスター達はGENZIの隣にまで迫っていた。やはり襲ってくることは無く、しかし二匹のモンスターはGENZIに寄り添うように張り付き、離れようともしない。
流石に疑問を持ったGENZIを挟むようにして左右に佇む二匹のモンスターを見て、これまで変化の無かったGENZIの表情が大きく崩れ、泣き笑いにも似た表情に変わった。
二匹の頭上に表示されているのは種族名ではなく固体名。
それは二匹のモンスターがユニークモンスターであることの証明に他ならなかった。
二匹の上に表示されている文字は【アラクネ】と【ピュトン】。その二つの名前をGENZIはよく知っている。
『……すまない、主には嫌な役回りをさせてしまった……』
『儂からも謝らせてくれ、儂らが力不足なばかりに人の子に手間をかけさせてしまった。本当に申し訳ない……』
「そんなことはない! お前らには何度も助けられたさ……そんなことよりも俺は二匹共無事で本当にに……」
それまで我慢していたが、GENZIの瞳は限界だった。
これまでため込んでいた感情と共に、瞳から思いがこみ上げ、溢れ出す。
その様子を見てか、二匹は顔を見合わせ、ふっと笑うような仕草を見せるとGENZIに寄り添う。そこには、いつの間にか加わっていたマーガレットも加わり、傍から見ると歪な光景を作り上げた。
一人の人間の周りを小型の蜘蛛のモンスターと小型の蛇のモンスター、そして白い羽で人間包み込むようにする鳥のモンスターが囲んでいる歪な光景。
それをプレイヤーが見たのなら襲われていると勘違いされたかもしれない。
だが、GENZIはそのモンスター達の、例え仮想だとしても、温もりに包まれていた。
♦
「……ありがとな、お前ら。もう落ち着いた」
『そうか』
【ピュトン】の声を皮切りに、寄り添っていたモンスター達がGENZIから離れる。
GENZIは改めて【アラクネ】と【ピュトン】に視線を送り、違和感を覚えた。
「お前ら小さくなってないか? というか、本当に何で生きてるんだよ。アラクネは俺の手で、ピュトンはアスモデウスに殺されたはずだよな」
『……それにはしっかりと理由がある……某達【知性在りし者】は私にもよく分からないのだが、本当の意味での死が無いのだ……』
その言葉にGENZIは再び違和感を覚える。
「本当の意味での死ってのは?」
『言葉通りの意味だ。儂らが死んだとしても、同じ個体に儂らという意識が宿り、蘇るのだよ。つまり、儂らは死んだとしても再び蘇ることが出来る』
その言葉に、流石のGENZIも絶句せざる終えなかった。
GENZIはそのような話を聞いたことも無かった。それは単に知らなかっただけかもしれない。だが、もしこれが知られていない事実なのだとすればこの情報がどれだけ大きいものかはRPG初心者のGENZIにも理解できた。
『……だが、勿論欠点が無いわけでは無い……見ての通り某達は今のままでは子供達にすら劣る程の力しか持ち合わせていない……例え蘇ったとしても弱ければ再び死んでしまう……』
『そして弱ければ、来るべき決戦の時に戦力となることが出来なくなる』
「待ってくれ。ピュトン、お前は来るべき決戦というのが何か知っているか?」
『すまぬが知らぬ。儂らがその情報を知ったのは、知性を宿し、【知性在りし者】となった時のことよ。儂らとて初めからこのような力や知識を持ち合わせていたわけでは無い。徐々に力を蓄え、気付いた時には今の儂らとなっており、その時には既に儂らが決戦にて戦わねばならないということを知っていた』
熱心に語る【ピュトン】に対して眉尻を下げ、申し訳なさそうにGENZIは呟く。
「悪いんだが全く分からなかった……」
『……別に分からなくても問題は無い……主達はこれからどうするのだ……?……かつての英雄達の元を訪れ、その身に背負った罪から解放してやるのか……?』
GENZIは頬杖を突き、少し考え込んだ後、口を開く。
「正直に言えば、まだ次のことは全く考えてなかった。だけど、さっきウェネーウムが言ってたことが気になるんだよな。俺が何とかと何とかと【知性在りし者】を纏め、道しるべとなる……みたいなことを言ってたんだ」
『むぅ……皆目見当もつかないな。儂らは既に予定は決まっている。なあ蜘蛛よ』
『……ああ、蛇よ。某達は再びこの地で力を蓄え、元の力を取り戻すことにした……』
「そっか……それじゃあお別れだな。またここに来たときはよろしく頼む」
『……ああ、待っているぞ……』
『儂が糸で巻き取った人々はそろそろ糸が解けた頃だろう。あの糸には儂と蜘蛛の特殊な魔法が込められていたから糸に巻き取られていた人々はその前後の記憶を失っているはずだ』
「なら、安心……だな。それじゃあ、また」
GENZIは手を高く伸ばし、僅かに手を振ると、二匹もそれぞれの方法で手を振り返した。
それを満足気な笑みで受け取ったGENZIは、手慣れた動作でウィンドウを操作しログアウトした。
この日はどういう訳かエアリスの待つあの空間に飛ばされることなく、気が付いた時にはベッドの上に仰向けになっており、白い天上が視界に入っていた。
今日は本当に色々あった。
まるで長い夢を見てたみたいに。
でも良かった。あいつらが生きててくれて。
ああ、麒麟たちには心配かけちゃったか。
明日会ったら……謝ろ……う――
悪いことは全て忘れ、気持ちよく眠りについたGENZIをベッドが優しく包み込み、深い深い夢の世界へと誘った。