毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 参拾参
眩い光の中、土煙と共に立ち上がる一人の姿があった。
「っふぅ……何とかなったな……」
安堵の息を突くのはGENZIだった。
視線を地面の方へと下げると、GENZIが刀を突き立てたまま落下した位置はクレーターのように陥没しその中央には横たわるモンスターがいる。
落下の最後、GENZIの突き立てた刀が【アスモデウス】を貫くのが先か、それとも【アスモデウス】の唱えた魔法がGENZIを虜にするのが先か。結論から言えばGENZIの刀が【アスモデウス】を貫く方が僅かに早く、【アスモデウス】の魔法陣は崩れ落ちるように消失した。
「『色欲』の悪魔【アスモデウス】を討伐しました」
GENZIや、その仲間達。ひいてはこのゲームを遊ぶ全てのプレイヤーへと【アスモデウス】が討伐されたことを伝えるアナウンスが鳴り響く。
だが、GENZIにはそのアナウンスを聞き素直に喜ぶことが出来なかった。
それには『蜘蛛神』こと【アラクネ】の死も関係している。だが、それ以上にGENZIの心の中を支配していたのは疑心感だった。
俺は今、確かに【アスモデウス】を討伐した。
それはアナウンスもされたから確かなことのはずだ。
なのに。なのにどうして、ユニーククエストのクリアアナウンスがされない……?
そしてクリアアナウンスが流れないということはつまり……。
まだ、クエストが終わっていないということだ。
じゃり、と音を立てクレーターの中心に刀によって地面と縫い付けられた【アスモデウス】がもがく。その音を聞き逃さなかったGENZIは、砂煙が立ち昇る中、音を頼りに近づき突き刺さっていた【餓血】を止めをさすためにさらに押し込もうとした。
その瞬間だった。
「そこにいるのは……リン君、いえ、五輪之介君ですか……?」
「五輪……之介……?」
このような場所で聞くはずも無いと思っていた名前に、GENZIは思わず動きを止めた。
辺りに充満していた砂煙が次第に晴れていき、GENZIと【アスモデウス】の姿が月明かりによって照らし出される。
「貴方はどなた……でしょうか?」
首を傾げ、まるで何も覚えていないとでも言いたげな表情にGENZIの胸中に募っていた思いが限界を迎えた。
「……っ! 何とぼけたことを言っている! お前が俺にやったことをまるで覚えていないとでも言いたげな顔でッ!!」
激情のままにGENZIから飛び出す苛烈な言葉とその形相を見て【アスモデウス】はぎょっと目を見開くと、申し訳なさそうに目を伏せた。
「すいません……私は貴方の事を存じあげませんし、貴方に何をしたのかも分かりません……」
「ふざけろっ! アスモデウス、お前が俺にやらせたことを……俺に俺の戦友を殺させたことを忘れたとは言わせないぞッ!!」
「アスモデウス……そうですか……それは何とお詫びを言ってよいのか分かりません……貴方の怒りがすむように私の事をどうしてくださっても構いません。ですが、言わせてください。アスモデウスは私であって私ではない」
これまでの威勢も、勘に触るような態度も無い。それに雰囲気も先程までとは異なり、挙句の果てにGENZIの怒りに対して誠意を籠めて謝罪をした。
その豹変ぶりにGENZIも戸惑い、同時にその言葉に妙な違和感を覚えた。
「アスモデウスは私であって私ではない……? どういう意味だ」
「私はウェネーウム。五輪之介君と同じかつて英雄と呼ばれたものです。そしてアスモデウスは、私が自分自身の手で己の中に封印した『色欲』の罪を冠する悪魔の名です」
「英雄? 封印? 内容の無いホラ話を俺に聞かせて時間を稼ぐつもりか?」
挑発的ともとれるGENZIの言い草に対し、ウェネーウムは眉を下げ伏目がちになる。
「そのようなことは致しません。私は、ただ貴方に、【導き手】にこの世界のことを伝えたいだけです……」
「……俺がいつお前に対して【導き手】だと言った……?」
「いえ、貴方は言っていません。その刀を見て判断しました。形状は僅かに違えど忘れるはずもありません、それは五輪之介君の【血狂い】ではないですか?」
その通りだった。GENZIが持つ刀、今は【餓血】へと進化したが元々は【五輪之介】より受け取った刀【血狂い】だ。それを【ウェネーウム】は見破ってのけた。
「一先ず話は聞く。だけど、もしお前が嘘をついていると判断した瞬間にこの【餓血】でお前に止めを刺す」
「それで結構です」
優しく微笑むと、ボロボロの上半身を起き上がらせ、クレーターの斜面に背中を預け語り出した。
「その指輪を装備している所を見ると、貴方は既にナインテール君とも対峙したようですね」
「……ああ」
「ナインテール君はもう逝ったのですね……五輪之介君も、ですか?」
「いや、五輪之介には見逃された。よくわからない森の奥にある湖に浮かぶ浮島で戦って、最後に見逃されたんだよ」
「では五輪之介君はまだ生きているんですか……」
無意識なのか、【ウェネーウム】の頬は緩み、その声は僅かに喜色を孕んでいる。
自分の様子に気が付いたのか、佇まいを直すと僅かに頬を紅潮させ、咳ばらいをする。
「その二人ということは、貴方はまだ【導き手】というのがどういうものなのかさえ、把握していないのでしょう?」
GENZIが頷くのを見ると深く息を吐き、全くあの二人はいい加減ですね、と呟くと語り始めた。
「【導き手】というのは、この世界ユートピアを崩壊させる危機である#$%%%¥*#&%&からこの世界を防衛するためにこの世界の##$*と&¥*、【知性在りし者】を纏め上げる道しるべとなる者のことです」
「お前舐めてるのか? 何を言っているのか全く聞き取れなかったぞ」
「え? まさか……すいません。私ではこれ以上のことは教えられないようです。これは第二条の極秘情報の漏洩防止に抵触するようで、私の権限レベルではお話しすることができません……」
第二条の極秘情報の漏洩防止。権限レベル。
まるでSFの漫画に出てきそうな単語に不信感を抱きつつも、先程から【ウェネーウム】が嘘をついているようにGENZIには思えなかった。
だが、だれだけにその話の異常さが際立つ。
「【導き手】となった貴方はこれからも私達かつての英雄と戦うことになるでしょう。それは避けては通れぬ道です。私達は【導き手】の試練の役割も果たしているのだから……」
「……話は終わりか……? ならお前にはもう死んでもらう」
「ええ……悔いはありません。ああ、そうでした、最後に貴方にお願いがあります。どうか聞くだけでもいいので聞いてください」
GENZIが【餓血】の柄に両手をかけたまま、動きを静止するとにこやかに【ウェネーウム】は微笑んだ。
「出来ることなら、五輪之介君のこともどうか憤怒の焔から解放してあげてください……」
「出来る限り善処する……」
GENZIが両手に力を少し籠めると抵抗なく刃が飲みこまれていき、ほんの僅かに残っていた【ウェネーウム】の体力が消え去る。
それと並行して【ウェネーウム】の体はポリゴンの欠片となって霧散し、消えていった。
「ユニーククエスト【毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ】をGENZI、麒麟、クロエ、ぽてとさらーだの四名がクリアしました」
頭に鳴り響くファンファーレとクエストクリアのアナウンス。
楽し気な雰囲気の音楽とは裏腹に、GENZIの顔には苦虫を嚙み潰したかの表情が浮かんでいた。