毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 参拾弐
戦っているとき、例え相手がどれだけ強大な敵だったとしてもGENZIは心の奥底ではその闘争を、その闘いを楽しんでいた。
五輪之介との死戦も、ナインテールとの激戦も。
極限まで追い詰められ、己を進化させ、勝利を掴み取ってきた。
だが、今のGENZIの胸中に楽しむなどという、そんな感情は一ミリたりとも存在していない。
そこにあるのは戦友を自らの手で殺した罪の意識と、そうせざる終えない状況を作り出し、あまつさえその光景を見て歪んだ笑みを浮かべた【アスモデウス】への純粋な怒りだった。
今のGENZIには目の前の相手を倒し、この闘いに勝利するということしか頭になく。
だからこそ、今のGENZIは誰よりも強く、それでいて誰よりもつまらない。
「はぁっ……!」
正眼に捉えた【アスモデウス】の頭上に風切り音を鳴らし、刀が迫る。振り下ろす際、GENZIは意識を【餓血】へと向ける。
加速ッ……!
【餓血】は刀身から血を噴出し、斬撃を加速させる。その爆発的な加速力に対し、【アスモデウス】はついてくることが出来ない。
反応に遅れた隙を見逃すはずもなく、【アスモデウス】が生んだ隙に滑り込ませるように刀が振るわれ、【アスモデウス】の右腕を断ち切った。
「くぅぅっ……!」
切り落とされた右腕と共に、その手に握られていた大杖が音を鳴らしながら零れ落ちる。切断された右腕から溢れる血液を【餓血】が啜り、【餓血】を伝ってGENZIの中に力が流れ込んでくる。
切り落とされた右腕をちらと見やった後、きつくGENZIの事を睨みつけると、左手に支えられた魔導書がひとりでに動き出し、いつの間にか【アスモデウス】の右腕の周りを小さな魔法陣が複雑怪奇に取り巻いていた。
それを見たGENZIはその魔法陣を回復用のものと一瞬の内に思考を巡らせ、使用する隙を与えまいと一気に【アスモデウス】との距離を駆け抜ける。
【餓血】の特殊効果、“血の渇望”の効果でステータスを大幅に強化したGENZIの速度は、圧倒的とも思えていた【アスモデウス】のそれを軽く凌駕していた。
「『二月』」
斜めに斬り下ろされた刀が【アスモデウス】の肩口を深く抉り、逆手に持ち替えV字に切り返す。一刀にして二撃。
一秒に満たない刹那の内に【アスモデウス】はそのHPを大きく削り取られ、GENZIが切り返した刀を構えの位置まで戻した時、ようやく【アスモデウス】は自身が攻撃されていたことに気付く。
「嘘っ!?」
「現実だ」
呼吸の隙も無くGENZIは既に次の行動を起こしていた。
「『三慧』」
混乱と驚愕のあまりがら空きとなった脇腹を刀が裂く。勢いのまま【アスモデウス】の背後まで駆け抜けたGENZIは、その場で体に回転を加えながら隙だらけの背中目掛けて刀を振り下ろし、最中に刃を横にし、横一文字に切り結ぶ。
怒涛の連続攻撃。正に息つく暇も与えない猛攻に【アスモデウス】はペースを完全にGENZIにもっていかれ、先程から成す術もなくサンドバックと化していた。
「舐めるなよっ!! 人間風情がぁぁぁぁ!!!」
「ようやく本性を現したか、クソッたれ悪魔」
突如出現した空間の裂け目のようなものの中へと姿を消した【アスモデウス】は、どこからともなく声を響かせた。
「精霊よっ! 私、精霊の愛娘、ウェネーウムが命ずる! 私を取り巻く精霊たちよ、私と同化し、私に力を貸したまえッッ!!!!」
「……っ!」
ぞくり、と背筋を触手が這いまわすような不快でおぞましい感覚を感じ取ったGENZIはすぐさまその場を離れる。そして数秒後、その判断が正解だったと実感することになる。
【アスモデウス】を中心に、何か見えないものが渦巻き、犇めき踊りまわっている。その精霊たちの舞踊は激しさを一層増し、辺りを包み込むようにドーム状の結界が発生する。それは丁度、先程までGENZIが立っていた場所だった。
ドーム状の結界の中、大気中に存在する湿気すらも燃やし尽くす劫火と、それと対をなすように何もかも溺れさせてしまいそうな程に荒れ狂った海を連想させる水流。大地の躍動によって生まれたのだと言われても納得してしまいそうな巨大な鋭岩、大気を震わせ、何よりも速く動き、何よりも鋭く降り注ぐ白雷。そして、その中心に鎮座する【アスモデウス】を中心に荒れ狂う暴風。
それらは全てこれまでGENZIが目にしたことのある魔法が幼子のままごとだと考えられるほどに信じられない程の威力と魔力を内包している。
だが、それほどの魔法を目にしてもGENZIは顔色一つ変えずに眼前に広がる魔法の暴嵐をじっと見つめていた。
そうかと思うと、よし、と呟き結界に近づくと結界をいとも容易く切り裂き、天災とも思える空間に足を踏み入れる。GENZIの表情に迷いの色は無い。そこには確固たる意志を持つ、羅刹の姿があった。
荒れ狂う魔法の嵐の中を迷いなき動きで【アスモデウス】の元へ駆ける。途轍もない速度で後方から飛来する白雷を体を僅かにズラすことで回避し、立て続けに訪れる劫火の波に向かって【餓血】を振るう。刃からは血が噴き出し、それが刃の形となって吹き飛び、劫火に焼かれることなく切り裂いた。
「アスモデウス、お前の動きはもう掴んだ。もう、お前の攻撃が俺に当たることは無い」
独り言のように呟くGENZIの声は魔法の嵐の中心で何かを詠唱しながら両手で別々の魔法陣を器用に描く【アスモデウス】には届かない。
宙を舞い、GENZIを飲みこもうとする水流を躱し、その体を貫かんとする鋭岩を砕き、ついには【アスモデウス】の元へと辿り着いた。
最後に立ちはだかったのは【アスモデウス】のことを死守せんとする暴風の壁。刀を握る両手に意識を集中させ、呼吸を深く吐くと、脱力していた全身に一気に力を入れ、刀を振り下ろす。
「『一断』」
天にも昇る勢いで空へと伸びていた嵐の塔が真っ二つに分たれ、中から蠍が姿を現す。ただ、その姿はGENZIの知っているものと部分的に異なっていた。
背中には妖精の羽を生やし、右腕は炎を、左腕は水を思い起こさせる色の装飾具をつけている。さらに布一つ羽織ってすらいなかった人の形をした上半身は、角ばった岩石のような形状と、稲妻を模ったようなデザインの軽装を身に着けている。
「私の力ヲ使ッて五大精霊王ヲこの身ニ取り込ンだ。私は、一方的な愛ハ嫌いなのヨ?」
雑音のような不快な声音はGENZIに語り掛ける。
そんなことなど知らんと吐き捨てると、GENZIが動くよりも早く、【アスモデウス】が動いた。
速い……だが、全く危険を感じないな。
GENZIの思いは慢心ではなく、単なる事実だった。その証拠に、今も【アスモデウス】が振るう近接魔法攻撃を全て躱している。
当たらないことに業を煮やした【アスモデウス】は力を込めたかと思うと、背中に生えた羽から腕に似た何かを生み出し、その腕のような何かが空中に魔法陣を描き始める。それに加えて口頭による詠唱魔法、脳内でイメージを思い描く無詠唱魔法、そして左手に持たれた魔導書による自動無詠唱魔法。
三本の接尾の内、二つを近接戦闘に回し、残りの一本で一際大きな魔法陣を描く。激しい近接戦闘。流石に精霊王を五体取り込んだというだけあって、GENZIも迫る攻撃の動きが分かっていても対処するので手一杯で反撃する隙が無い。
その間にも着々と完成していく魔法陣。魔法陣というのは一つ一つが違う音を奏でている。だが、そんなことを気にしているのはGENZIくらいなものだろう。GENZIはその魔法陣の発する音に聞き覚えがあった。その殆どが広範囲殲滅型の大型魔法だ。
そして一際大きなあの魔法陣、あれは恐らく広範囲魅了魔法。あれを使われれば、魅了耐性を持たないGENZIはひとたまりもない。
……うん。もう、慣れた。今の【アスモデウス】の動きも掴んだ。多分、やるなら今、か。
近接攻撃用に振るわれる大杖がGENZIに迫り、タイミングが重なる瞬間。GENZIは大杖の中央の柄を両断する。真っ二つに分たれた大杖ではどうすることも出来ないかと思われたが、魔法陣を描いていた疑似手の内の一つを魔法陣を高速で描き終わらせ、GENZIを眼前に捉えた状態で魔法を放つ。
爆発。結界に覆われていたことも相まって、結界内を轟音と爆風がかき乱す。
視界が上手くとれない中、跳び込んだのはGENZIだ。上空からの奇襲攻撃、しかしそれは【アスモデウス】の探知魔法によって位置が判明していた。
GENZIが飛び込んだ先には大量に展開された魔法陣が魔法を射出し始めている所だった。
だが、先読みをしていたのはGENZIも同じこと。
「『二艘跳び』」
空中を蹴り、空中を飛ぶ。それでも魔法の斉射網から抜け出たわけではない。万事休す、だが、GENZIは慌てる様子無く刀を大きく引き絞ると思い切り斬り下ろす。
「『疾風』ッ!」
斬撃の先から放たれる風の竜巻。UEOでは自身の攻撃でダメージを負うことは基本的には無い。そのため、GENZIは竜巻によって結界を突き破り、空高く舞う。
大きな青い月によって照らされる程に上昇した高度の中、下から煌めく何かが接近してくる。
それはGENZIを追うように結界を破壊し、多種様々な魔法。重力に抗い飛んでくる魔法を、重力に従い自由落下しながら回避する。
およそ時速百二十マイルにも及ぶ速度で落下していき、制御の効かない空中で、音で魔法の位置を探り、回避しながら急速に地面へと近づいていく。
地面が見えた。このままいけばおよそあと数秒で接地。
落下位置は言わずもがな。
「アスモデウスの真上ッ!」
【餓血】の柄を両手で握りしめ、ついに結界を破り、視界に【アスモデウス】の姿を捉える。
視界に捉えたと思った次の瞬間にはもう眼前に迫っていた。【アスモデウス】が構えていた特大の魔法陣を完成させ俺の目の前にかざす。
魔法陣が発光し初め、辺りを光に包んでいく中、GENZIは確信を持って口端を僅かに上げた。
「討伐完了」