毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 参拾壱
GENZIの戦闘スタイルは相手の動きを掴み、それに合わせて両手に持った刀を振るう二刀流が基本的だ。だが、今回に限ってはそれは出来ない。
【アスモデウス】の甲殻を切り裂き、断つことが出来るのは『蜘蛛神』の血を啜り他の追随を許さぬほどに鋭利さを増した【血狂い】が進化した姿、【餓血】しかないからだ。
そのためGENZIは両手で【餓血】を握り、右肩の上で切っ先を【アスモデウス】へと向け構えをとる。これまでの戦闘スタイルとは異なる一刀による闘い。いつもとは勝手の異なるこの闘いは厳しいものになると、GENZIは確信していた。
視線の先、【アスモデウス】はGENZIに目もくれず『蛇神』から湧き上がる白い煙のような何かを吸い取っている。衰弱していく『蛇神』とは相反的に【アスモデウス】は活力に満ち溢れているように見えた。
理由は無い。だが、何となくGENZIは嫌な予感がしてならなかった。
そんな余念は必要ないと頭を振って掻き消すと、体を張って時間を稼いでくれていた『蛇神』を救出すべく、地面を蹴った。
「『疾風』」
空を斬る風の刃が【アスモデウス】の腕を僅かに切り裂く。それによって後退したためか『蛇神』から漏れ出ていた白い煙のような何かはあるべき場所に戻るようにして『蛇神』の中へと戻っていった。
【アスモデウス】は皮膚を僅かに切り裂かれた自分の腕と『蛇神』の方を交互に見やると憎々し気にGENZIの方へと視線を送る。
「余計な邪魔をしてくれたわね……あともう少しで完全にこの子の力を吸収できたのに。まあいいわ、もう九割がたの力は返してもらったもの。それにアラクネの方も貴方が止めを刺してくれたおかげで半分の力は私の体に戻ってきたしね」
「どういうことだ……?」
心底意味が分からないと警戒を解かぬままGENZIが首を傾げる。
「まだ分からないかしら?このピュトンとアラクネは元々私の力の一部だったもの、というのはもうこの子達から聞いているでしょう? だから私は今、この子達から力を返してもらっていたのよ。それも今、あらかた終わったけど」
ふふ、と怪しく笑みを浮かべる【アスモデウス】に対してGENZIはその体が現実のものであったのだとしたら冷や汗を掻いていただろう。
GENZIは【餓血】を手にし、その能力を確認して勝てると考えた。だが、それは【アスモデウス】が力を『蛇神』達から回収する前の強さを鑑みて勝算があるというもの。
今の【アスモデウス】の力がどれほどのものなのか分からない現状では勝算があるのか分からない。
こんなことで弱気になっていては駄目だ、と余念を振り払おうとするが一度感じてしまった不安は頭の片隅から離れず、払拭することが出来ない。
そんなGENZIの心情など知らず【アスモデウス】は妖美な笑みを浮かべる。
「それじゃあまた、二人で闘いましょう? そのためには少し外野には控えててほしいわね」
かつんと大杖の柄の先で地面を一度叩くと、大気を震わせるような痺れがその場にいる全員を襲う。GENZIは何事も無かったように立ち上がると、不意に視界へと入ったその情報に口を大きく開いた。
それは見たこともない状態異常のマークだった。それらは右上に映るGENZIを除いた三人のパーティーメンバーたちのHPゲージの下部に表示されている。
「これは私の魔法よ。名前は……そうね、『不動』と言ったところかしら。効果は魔法にかかった者の一切の動きを停止させるというもの。持続時間は私が解除するか、私が倒れるまで永続よ」
それは……あまりにも反則的じゃないか?
もしその魔法を俺に使えば俺は成す術無く地に倒れたまま一方的に蹂躙される。
相手が魔法を無効化する術を持っていなかった場合使用した瞬間に勝利が確定する魔法なんてものがあり得ていいのか?
「ふふ、今、貴方はこう考えたのでしょう? その魔法を使われたらそれだけで終わりだと」
どきりと心臓が跳ね上がるのが分かった。全くもって【アスモデウス】の言う通り、GENZIはつい先程そう考えていた。
【アスモデウス】は唇に大杖を持った方の人差し指を押し当てると笑みを深める。
「安心してちょうだい。そんなつまらないことはしないわ。邪魔な外野も黙らせたことだし、それじゃあ始めましょうか」
ようやく、か。GENZIは頭を切り替えると、目の前の蠍の下半身と人の上半身を持つ化け物に視線を向ける。心の中は、不安や緊張という思いもある。だが、それ以上に胸中を支配するのは【アスモデウス】に対する怒りだった。
心は熱く燃え滾ぎり、体も火照っている。だがGENZIの頭は驚くほどに冷静だった。
心は熱く、頭は冷静に。GENZIが師匠から教わったことは、今尚GENZIの中に脈々と受け継がれていた。
向かい合うGENZIと【アスモデウス】。二人の間に緊張と沈黙を孕んだ間が流れる。
その空気を先に破ったのはGENZIだった。
一気に距離を詰めると、地面を擦るようにすれすれの位置を刃が通る。
「『撃竜巻』ッ!」
下段からのすくい上げるような切り上げが大気を巻き込み、渦を纏うようにして【アスモデウス】に迫る。迫る刀を【アスモデウス】は大杖の柄で受け止めようとして、刀の刃と大杖の柄が触れた瞬間、【アスモデウス】は後ろへ跳び退り、大杖を引き戻した。
その顔には焦燥の色が見受けられるがGENZIにはそんなことは関係が無かった。
【アスモデウス】のリズムが崩れた。間違いない、今がチャンスだ……!
休む暇もなく追撃を加えんとするGENZI。それを阻むため【アスモデウス】は魔導書を無造作に開き、無詠唱で魔法を行使する。
「……っ!」
瞬間、五つの電撃が迸り不規則に折れ曲がりながらGENZIを襲う。
雷、それは光の速度で移動する。つまり、視覚に捉えてからの反応では回避が間に合わないと考えるのが普通。
それが五つだ。常識的に考えれば最低一つは必中。
だが、GENZIにはそれを回避する術がある。
何かが俺の方に向かって放たれた……!
速過ぎて目では追えない。だけど――
「『舞踏』」
ほぼ同時に放たれた電撃が次々に向かってくる。
右後方、左、左斜め前方、右上空、そして正面。GENZIのことを貫かんとする電撃をまるでどこに飛んでくるのかが分かっているように易々と回避してのけた。
「うそっ!?」
狼狽する【アスモデウス】、その目前には既に刀を振りかぶるGENZIの姿があった。
「『修羅の解斬』ッ!」
振り下ろされる刀。いきなりのことで呆然と迫りくるのを見ていることしか出来ない【アスモデウス】の顔に浮かんでいたのは驚愕の念でも、諦念の念でもない。
笑顔だ。それも飛び切り歪んでいて、それでいてどこか神秘的な雰囲気を醸し出した。まるで獲物が罠にかかったとでも言わんばかりの笑顔。
次第に二人の間に流れていた時間の流れが酷く遅くなったように錯覚する。ゆっくりと【アスモデウス】の体を斜めに切り裂こうと迫る刀。美しも怪しく月光を反射する刃が【アスモデウス】の白磁の肌を切り裂くよりも先に、刃が何かによって止められる。
その時、GENZIの脳裏の奥底にある潜在的な意識が、無意識のうちに先刻起きたばかりの酷似した出来事をGENZIへと伝える。それによって過去の轍を思い出したGENZIは、何か行動を変える……わけでは無かった。
つい先程【アスモデウス】と戦った際に今と全く同じ状況に陥った。
その時は反応が遅れ【アスモデウス】の毒針で肩口を刺されて倒れてしまった。だが、今は違う。
「渇きを満たせ【餓血】ッ!」
GENZIはいつの間にかその手に持った【不知火】の切っ先で己の腕を切り裂く。赤く深い色合いのポリゴンが右腕を滴り【餓血】に吸い込まれていく。
【餓血】の特殊効果発動の詠唱を完了し、それと並行して自身のHPが減少していることを確認するとGENZIは再び吠える。
「塗れろ【餓血】ッ!!」
次の瞬間、【餓血】の刀身が血を纏った。桜色だった刃は深紅に変わり、刀からは妖気を漂わせている。その変貌ぶりに【アスモデウス】も異変を感じ取ったようだが、気にせずGENZIの背後へと回した尾の先端から生える毒針をGENZIの首元目掛けて突き刺した。
ダメージエフェクトが宙に浮かぶ。一つではなく、複数の。
それはGENZIのものではなく【アスモデウス】が受けたダメージによるのものだ。
「くっ……! 貴方、いったいどうやって……」
「アラクネの力さッ!」
まだまだこんなものでは終わらないと怒涛の連撃。アラクネとピュトンの力を吸収した【アスモデウス】ですらそれらの斬撃を避けることも、防ぐことすら出来ずに全てをその身に受ける。
【狂い桜】は進化し、【餓血】となることで特殊効果が三つ追加された。
一つは“血の渇望”これは【餓血】に血を与えることによって一時的に使用者のステータスを大幅に上昇させ、【餓血】を溢血状態にする。この際に使用者自身の血を【餓血】へ与えた場合、さらに追加でステータス上昇。この効果は重複する。
二つ、“血繰”これは【餓血】が溢血状態の時のみ使用可能な特殊効果だ。使い方は使用者次第。俺は今、刀身から血を噴出させることで推進力とし、刀速を加速させた。
三つ“進化”だ。この特殊効果は【不知火】にも付与されていた。詳しい効果は不明。でも今回の一件で武器が進化するということが判明した。恐らくこの特殊効果は武器の進化に関する何かだとは思うけど、まだ分からない。
「まだまだ始まったばかりだ。潰れるなよ……!」
血に濡れた刀を構え、GENZIは静かな怒りの焔を胸の中で猛らせた。