毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 弐拾捌
迫りくるGENZI。その目はどこか虚ろで、ここではないどこかに囚われているようだ。
仲間だからという油断がクロエ達の判断を僅かに鈍らせる。
だが、流石というべきか。クロエとぽてとさらーだはクランランキングで不動の一位を獲得し続ける名実ともに最強クランの精鋭。
すぐに心のスイッチを切り替えると、目の前に立ちはだかるGENZIに目をやった。
それは麒麟も同じ。ジャンルが違うとは言えプロゲーマーだ。
同様にすぐさま気持ちを落ち着かせると状況を見極め、その場で最も必要とされることを一瞬の内に判断し、声を張り上げる。
「クロエちゃんはGENZIの攻撃を受け止めてっ! ぽてと氏は状態異常回復の魔法を片っ端から試してっ!」
「「了解っ!!」」
バラバラに散開していた陣形が一瞬で整い、麒麟とぽてとさらーだが後ろへ後退、同時にクロエが一歩前に歩を進め、両手に持った片手剣と中盾を構え、これまでの経験からおおよその接敵時間を割り出す。
GENZI君のことはこれまでに何度も見てきた。
大丈夫。きっと何とかなる。
このままこの場でGENZI君の接近を待てば多分二秒から三秒で交戦。私も前に出れば一秒ちょっとでGENZI君と私の間合いが交差するはず。
GENZIとクロエの距離が接近、クロエの読み通りおよそ数秒の出来事だ。
地面を舐めるように、下方から振り上げられる二振りの刀をクロエはその目にしかと捉えている。
「ふっ……!」
腰を落とし、刀が弧を描きながら迫るのにタイミングを合わせる。
短く息を吐くと、盾を構えた。
「っく……」
強い衝撃が盾から腕へ、肩へと伝わり全身を衝撃が電撃の様に走り抜ける。
あまりにも重く、衝撃の強い一撃に盾を持つ手には痺れが残っている。だが、攻撃はまだ終わっていない。先行していた刀がクロエの盾を強く打ち付け、それに追随する二本目の刀が迫る。
ぎり、と歯を食いしばり、強く地面を踏ん張るように踏みつけると二度目の衝撃に備えた。ぐん、と加速した刀が盾を斬りつける。
あまりの衝撃に盾を上方へと吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、目の前のGENZIへと目をやる。
既にGENZIは次の攻撃のモーションへと移行していた。
このままいけばクロエが盾を自身の前へと戻すよりも先に刀に一刀のもとに伏せられ、その場に崩れ落ちることになるのは明白。
その時だった。
それまでクロエに向けていたその虚ろの眼差しを、さらにその後方へと一瞬向けたかと思うと、その場を跳び退る。
今なら私の事を倒せたのに何故?そう思うクロエの疑問は、鋭く耳を劈く金属音と、目の前に着弾した弾丸を見て解決した。
「うっわぁ……それ避けるのかよ。やっぱりお前の耳は化け物じみてるなぁ、GENZI」
背後から間の抜けた、明朗な声が聞こえてくる。
GENZIの親友にして、最も彼の事を理解している人物。
「麒麟さんっ! どうしますか、このまま前線が私一人だと厳しいかもしれません。前にイベントの大会で戦ったっきりで最近は心強いパーティーメンバーでしたけど……。まさか敵にするとここまで手強いとは……」
「確かにGENZIは手強いなぁ……ぶっちゃけ俺達がタイマンしたところでGENZIに勝つってほぼ無理だと思うし。アイツの耳はマジでチートだよ」
「耳……ですか……?」
そのクロエの仕草に、ああと頷くと銃弾で牽制しながら口早に語り始めた。
「GENZIのゲームのルーツってRPGじゃないんだよ。アイツの専門はリズムゲーム。いわゆる音ゲーっていうやつだよ」
「音ゲー……ですか」
「そんでもって俺の知ってる中だとアイツ以上に音ゲーに愛を注いでいる奴は知らないかなぁ。GENZIが音ゲーを通して磨いたスキルは主に三つ」
片手に持った銃を構え、弾幕をばら撒く。後方からのぽてとさらーだの支援も相まって、GENZIが攻めあぐねている内にと空いている片手の指を三本立てた。
一つ、と薬指を折る。
「超速譜面に対応するために身に着けた常人離れしたとんでもない反応速度」
二つ、と中指を折る。
「全方位から音符が迫ってくるとかいう鬼仕様の譜面をクリアするために身に着けた、音で位置や動作を把握するとかいう聴力」
三つ、と最後に人差し指を折る。
「どうやって覚えたのかは知らないけど、相手の動きをリズムとして捉え、完全に相手の動きを読み切る最早反則といってもいい技術」
その話を聞いて確かに一人でそんな相手に勝とうと考えても無理な話だなとクロエも考える。話を聞いている中でふと単純だが効果的と思える解決策を思いついた。
今麒麟さんが言ったGENZI君自身の能力の内二つは聴力を必要とするものだ。
それならもし、GENZI君のその聴力を一時的にでも止めることが出来るなら?
「あのっ! それならGENZI君の耳をどうにかして一時的に聞こえなくするというのはどうでしょう?」
麒麟とクロエの話を背後から聞いていたのか、ぽてとさらーだが会話に混ざる。
胸を張って、自慢げに。こんな状況で何をしているんだ、と半ば呆れ気味な二人の視線など気にも留めていないのかぽてとさらーだは声を張る。
「俺の魔法でそれは出来るぞーっ!!」
距離が離れているとはいえそこまで大声を出す必要も無いのだが、必要以上に大声で吠えるのと同時に、銃弾と魔法の暴嵐の中を、これまで攻めあぐねていたGENZIが駆け抜けてくる。
「っち! もう掴みやがったっ!! 迷ってる暇はない、俺も試したことないから分かんないけどクロエちゃんの作戦でいこう!」
「「了解っ!」」
♦
麒麟さんが前線に上がってきたことによって私の負担は減り、前線が安定し始めた。それでも油断は出来ない。
GENZI君の刀速は突然変化するし、何よりも私達の動きを段々先回りされるようになってきた。
今も。
私は盾で刀をパリィした後、間髪入れずに開いた隙を片手剣の切っ先で貫こうと考えていた。でも、私のそれよりも速く、GENZI君は既に私の剣が貫く軌道の僅かに右側にズレていた。
自身の間合いへと入り込んだGENZI君は刀で私を斬りつけようとして、空中で何故か止めたかと思うと右から飛んできた弾丸を全てその刀で両断する。
その間に体勢を立て直して武器を構え直したけど、三対一だというのに、このままじゃ私達が押し負ける気がしてならない。
私の気持ちが悪い方向へと流されかけたとき、後ろから怒号にも似たそれでいて喜色を含んだ声が響く。
「魔法の詠唱が九割がた完成したっ!!二人共、耳を塞げぇぇぇぇぇぇっっ!!」
本来なら戦闘中に武器を投げ出すなんてもってのほかだろう。
でも、私は今、迷いなく武器も盾も放り投げ、両手で耳を塞いでいた。
ぽての方を向けば何と言っているかは分からないけど何かを叫ぶ。
それと同時にぽての大杖の先が僅かに震えたかと思うと、辺り一面に衝撃波が飛び散る。その影響は私達の方にも飛散し、体が吹き飛ばされ、転がりながら何かにぶつかって静止する。
咄嗟に閉じていた瞳をあけると、乾燥によって割れていた地面はさらに破壊され、GENZI君と、GENZI君の背後で笑みを浮かべている【アスモデウス】以外の私達は遠く吹き飛ばされている。
GENZI君はその場から一歩も動かず、ただその場に立ち尽くしている。
僅かに減少したHPには目もくれず、立ち尽くすGENZI君の元へ歩みを進める。
私が立案した作戦だ。恐らく、今、GENZI君に私の声は届かないのだろう。
それでも……。
光の灯っていない、どこか焦点の合わない混濁したGENZI君の瞳を見つめ、私の口はひとりでに動いていた。
「GENZI君、目を……覚ましてくれませんか? 約束したじゃないですか……一緒にユニーククエストをクリアしようって。このままじゃ……っ……GENZI君っ! 戻ってきてくださいッ!!」
その叫びは、私の想いは果たして届いたのだろうか。
届いていなくたって良い。ただ、GENZI君の意識が戻ってくれれば、私はそれで……
思考の渦の中、ぼうっとしていると、体を何かが優しく包み込んだ。
「えっ?」
それは、GENZI君の腕だった。
しっかりと背中まで回されたそれは、間違いなく。恐る恐る顔を覗くと、そこには困ったように眉を寄せ、苦笑を浮かべるGENZI君の表情が見える。
「えっと……ただいま。迷惑かけてごめん……」
子供をあやすように私の背中をさするまま、GENZI君は私に語り掛けた。
そこで私は初めて、自分が一粒の涙を流していること。そして。
笑顔を浮かべていることに気が付いた。
「遅刻ですよ、GENZI君」