毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 弐拾漆
目の前で風の精霊と戯れ、もういいわと【アスモデウス】は精霊に微笑みかける。
それを受けて精霊は姿を隠し、視界から消え去った。
俺の視線は【アスモデウス】から離れない。
それが慄いているからなのだと、自分でも簡単に理解できてしまう。
「……っっ! GENZIっ! ボケっとするな、来るぞ!!」
「ッ……!」
その麒麟の吠声で俺の意識は現実へと引き戻される。
僅かに遅れた俺の行動は、既に致命的な痛手となっていた。
足下から炎が吹き上がる。
天にも昇る勢いで吹き上がるそれは、先程見た火柱の何倍も巨大で、近づくだけで肌が焼けるのではないかと思う程の熱量を帯びている。
「GENZI君っ!」
「クロ――!」
ごう、と炎が燃え盛り、俺の言葉は遮られる。
辺りを見渡すと、いつの間にか俺が火柱の壁によって包囲されていることに気付く。
仲間と分断され、孤立した。パーティーとして最もやってはならないことの一つ。
この状況は、強大な敵を前に少しでも戦闘中に余計な雑念を挟んだ俺が生んだものだ。
「ふふ、ようやく二人きりになれたわね?」
「……ッ! っく……!?」
地面から飛び出した岩の蔓によって四肢が固定される。
別になんて事の無い魔法だった。いつもならば事前に察知し、避けることが出来ただろう。
でも、心の乱れた今、俺にはそれが出来なかった。
徐々にこちらへ近付く【アスモデウス】は、俺の前に立つとその手をこちらへ伸ばした。
抜けるなら今か……!
「ふんっ……!!」
思い切り両手足に力を籠めると、無理矢理に岩の蔓を砕き、その場を離れる。
俺のステータスは紙装甲の代わり、STRは馬鹿高いんだ。
まさかこんな所で役に立つとは思わなかったけど。
「ピーっ!」
「マーガレット?」
これまで一切の動きを見せていなかったマーガレットが肩から飛び上がると空中で、その白い翼を大きく広げる。
まるで俺の事を鼓舞するように、その姿はチアリーディングを想起させる。
体が軽い?それに不思議と力が湧いてくるような感覚がある……
僅かに視線を上へ、HPゲージの元へ移動させると見慣れないマークが二つ付いている。
はたと思い出したが、マーガレットはバフスキルを持っていたはずだ。だとすればこれはその効果……? 何にせよありがたい。
刀をぐっと握り直すと、単身【アスモデウス】の元へと突撃する。
「『疾風』ッ!」
刀を交差するように虚空を切り結び、生まれた斬撃の風が【アスモデウス】へ迫る。
それを一瞥すると、余裕の笑みを浮かべたまま【アスモデウス】は大杖を構える。
「――――」
聞き取れない言葉で紡がれた言葉と共に、大杖の先端が光り出す。先端から展開されたのは半透明の硝子板のような障壁。直後『疾風』と障壁は衝突し、障壁によって『疾風』は掻き消される。
やはり【五輪之介】のようには『疾風』をまだ使いこなせていない。
それなら……!
「『修羅の解斬』ッ!」
刃を当てれば割合ダメージを与えられるこの技は、間違いなく【ナインテール】との闘いで一役を買った。それはきっと今も変わらないはず……。
斜めに斬り上げる刀が【アスモデウス】の肩口を僅かに裂く。
そこで動作は止まらない。上へ放り出された刀を逆手に持ち替え、さらに追撃を加える。
「『修羅の解斬』ッ!」
切り返した刃は当たることは無かった。
だが、この刀を避けるために後退した【アスモデウス】の上半身は僅かに体勢を崩している。
その隙を逃すことなく、もう一方の刀、『狂い桜』を最短距離で【アスモデウス】の喉元目掛けて突き伸ばす。
「はああぁぁぁッ!!」
気合と共に、一閃。
切っ先が喉元を貫いた。そう、確信した瞬間だった。
【アスモデウス】の細く伸びる二本の指によって切っ先を挟まれていることに気が付いた。ぞくりと背筋が寒気立つ。
「ふふ……」
急いで刀を引き抜こうにも挟まれた刀は一向に抜けない。
刀を諦め、すぐにその場を離れようと考えたが、既に遅かった。
空気を裂く音が背後から伸びてくる。気が付いたのとほぼ同時に俺の肩口に深々と何かが突き刺さる。
首を後ろへと回転させ、肩越しに振り向くと、俺の背に突き刺さっていたのが【アスモデウス】の接尾の先に備えられた毒針であることに気付いた。
徐々になどと甘いことは無く、一瞬して全身の力が抜け落ち、体を支えられなくなる。そうして前に倒れ込んだ俺の体を【アスモデウス】は優しく抱き留めた。
「おあずけ……それなら、続きが必要よね」
そう言うと、【アスモデウス】の美しい顔が近づいてくる。
徐々に迫り、そして、その唇が俺の唇と重なり合う。
「……ッ!?」
瞼を持ち上げるのがやっとというほどに前身の力が抜けた俺はそれを拒む術がない。
止めろ、今すぐに止めてくれ……
思いとは裏腹に、口内を満たす熱と鼻孔を擽る甘い香り、その誘惑で体は喜びを感じている。
駄目だと分かっているのに抗えない。
【アスモデウス】から注ぎ込まれる甘い蜜。それは俺の体を蝕み、侵し、唆す。
長い、とても長いそのキスは、【アスモデウス】が顔を僅かに離したことで終わりを迎えた。
「ふふ……こんなものじゃまだまだ足りないでしょう……? 貴方を骨の髄まで蕩けさせてあげる……」
再び俺の唇を【アスモデウス】の唇が覆ったのと同時に、火柱が一層音を立てて激しく燃え上がった。
♦
「GENZI君っ!!」
「よせっ! この炎の中跳び込むのはただの自殺行為だぞ!」
「でもっ……!」
クロエはぽてとさらーだによって制止される。
それでも食って掛かるクロエに対して、諭すようにぽてとさらーだは話す。
「大丈夫だ。GENZIっちがこんなことでやられるはずがないだろ? それはクロだって分かってるはずだ」
「…………」
「とはいえ、俺達も何もしないっていうわけにはいかないよな」
「……! ぽて……!!」
あー、と二人の会話に申し訳なさそうで麒麟が混ざる。
その声音はいつもの彼からは想像できない程に沈んでいる。
「さっきのGENZIの様子を二人共見た? アイツ、いつもと様子が違かったんだ。これでも俺はGENZIと付き合いが長いからさ、ああいうGENZIも見たことがある。それでああいう表情を見せた時、大抵アイツは何か思い詰めてる」
その時、ごう、と火柱が勢いを増した。
理由は分からない。でも、何故か全員が一様にその様子を見て不安を募らせた。
まるでそれが、何かの叫び声のようで。
沈んでいた麒麟はその表情をぱっと変えた。
そこには既に沈みこんだ暗い様子は微塵も感じられず、何時もの通りの彼の姿がそこにはあった。
「ま、今回がそうとは限らないし、大丈夫でしょ! 俺達はまず、どうやってあの火柱を突破するか考えないと」
「そうだね……じゃあ、俺が魔法で道を作るから、それで一気に突破するってのはどう?」
「確かにそれは良いと思いますけど――!?」
「……? どうしたのクロエちゃん。 そんなに目を見開いて……」
麒麟の問いかけに応えることは無く、ただ、前方で猛々しく燃え盛る炎の方向を指差した。その指が指し示す方向を、ぽてとさらーだと麒麟は目で追う。
その先には、まるで何かに切り取られたかのように、一部分だけ炎の燃え上がらない部分と、そこを歩く人の姿があった。
炎の中を悠然と、両手に刀を握り締めて歩く様は見慣れたものだ。
「GENZI君っ……!」
すぐさま駆け寄ろうとしたクロエの動作を制止したのは今度はぽてとさらーだではなく、麒麟だった。その顔は怪訝そうに、GENZIを窺っている。
「麒麟さん……? 一体どうしたんですか?」
「アイツ、本当にGENZIか……?」
火柱を完全に抜けたGENZIは、こちらへと歩み寄ってくる。
一歩一歩を踏みしめながら。
その左手に持つ刀を軽く振り、炎を纏わせて。腕を伝わせ、体に炎を纏わせる。
その右手に持つ刀を軽く振り、血を思わせる濃い紅色の妖気を刀に纏わせて。
まるで、これから敵と戦うとでも言わんばかりの状態でこちらへと歩み寄ってくる。
慌てたようなぽてとさらーだの声が二人の耳を突いた。
「麒麟っちの直感、あながち間違って無さそうだ……! GENZIっち、誘惑にかかってやがるっ!!」
ぽてとさらーだの叫びと共に、GENZIは仲間への元へと駆けだす。
刀を構え、射殺さんばかりに睨みつけながら。