毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 弐拾伍
ハムサの街に着いた。
家々から、店店から、光が漏れ、活気ある声が辺りに木霊している。
喧騒に安心感を覚えながら街の大門を潜り抜け、眼前に広がる光景を見て言葉を失った。
街行く人々は皆顔を蕩けさせ、皆一様に焦点の合わない瞳で揺ら揺らと覚束ない足取りで辺りを闊歩している。そして、誰とも知らぬ人であろうと、近づいてきたNPC、プレイヤー関係なく接吻をしている。
「何……ですか……この光景は……」
思わず言葉を失った、という様子でクロエは辛うじて言葉を口にする。
それもそのはずだ。目の前に広がる光景は……酷過ぎる。
人としての尊厳を無くし、欲望だけを具現化した――これではまるで獣の群れと変わらないじゃないか。一様に平静を保っていない集団の中を怯えたような顔で走る男性プレイヤーの姿が目に入った。
「おい! アンタ! 速くこっちに来い!!」
「分かった!」
俺の声に気付いた男はこちらへ向けて走ってくる。
だが、感染者の群れは、それを許さなかった。誰も人がいないと思われた通りを走っていた男は、突然伸びてきた手によって、路地裏へと引きずり込まれる。
「うわぁぁぁぁ!!?――」
男の悲鳴が路地を木霊し、こちらまで届いてくる。しかし、その悲鳴も徐々に弱まっていき、男が次に姿を現した時にはもう既に、他と同じように焦点の合っていない目で周囲を徘徊し始めていた。
「……気分が悪くなる光景だな」
「ああ。【ピュトン】から聞いたことだけど、どうやら【ウェネーウム】を討伐して、その中に眠る『色欲』さえ倒せれば、このパンデミックは収まるらしい」
「成程ぉ……因みに【ピュトン】って誰さ?」
「あのデカい蛇のこと。因みにデカい蜘蛛の方は【アラクネ】な」
「OK、OK」
さて、速い所【ウェネーウム】を討伐しに行きたいところではあるんだが……
目の前に広がる人の群れを見て溜息をつく。
恐らくこの通りだけでこれだけの人だ。他の通りも含めれば感染者の数は尋常じゃない数がいることは確か。
【ウェネーウム】と戦うにせよ、これだけの人が敵に回って、一斉に襲い掛かってくるとなれば【ウェネーウム】との闘いに集中しようにも出来ない。
となれば、まずはこの感染者達をどうにかしなくてはいけないな。
「すぐにでも【ウェネーウム】の討伐に向かいたい気持ちは山々なんだが、その前にこのプレイヤーやNPCのことをどうにかしよう」
「ふむふむ。何か作戦でもあるの?」
麒麟の問いかけは最もだ。策もなしに行動は起こせない。
ふと先程の戦闘痕の中にあった白い粘着性に長けた粘糸の事を思い出した。
あの量、あの粘着性。どれをとっても今の状況であれがあれば最高だ。
というか粘糸ってことは――
後ろを振り返り、聳える【アラクネ】の体を眺める。
するとその視線に気が付いたのか、【アラクネ】が話しかけてくる。
「……どうかしたか……?」
「いやさ、【アラクネ】って糸だせるよね?」
「……ああ、それで……?」
「OK~それじゃあちょっと頼みたいことがあるんだけど――」
俺が【アラクネ】にやって欲しい事を伝えると、その程度なら簡単だ、と軽く了承してくれた。そうとなれば、後は俺達の仕事だ。
「皆、今回の作戦は――」
♦
現在、俺達はそれぞれが個別で行動している。
ハムサの街は、中央のオアシスを中心とし、その広場から東西南北に四つの通りが存在する。
俺達が初めに居たのは東通り。東通りでの様子を見るに他ももう駄目だろうと考えて四人で分担したがどうやら正解だったようだ。
俺が今いるのは西通り。ここでの様子も東通りのそれと大差ない。
虚ろな瞳でプレイヤー、NPC関係なく、通りを徘徊している。俺がそこへ近付くと、感染者の集団は新しい獲物を見つけたとでも言わんばかりの勢いで、こちらへと走り寄ってくる。
それとは逆方向に走り、逃げる。ちらりと視線を後ろにやり、感染者の群れが付いてきていることを確認すると、着かず離れずの速度を落とさずに感染者の集団を連れて東通り目指して走る。
東通りにやってくると、ぽてさらの姿と、【アラクネ】の巨躯が見えてくる。
「こっちこっち~! もうちょいこっち来てー!!」
ぽてさらの叫びが俺に届く。
全くもって注文の多い奴だ……仕方ないのでその通りにすると、ぽてさらは満面の笑みでこちらにサムズアップを送ってくる。
合図を確認すると、一気に加速し、壁を走りながら大門近くのぽてさらの元へ向かう。
俺が移動したのを確認した後、ぽてさらはその大杖を構えた。
「『ウインドウェーブ』」
ぽてさらの魔法によって強風がオアシスの方から大門の方へと吹き流れる。
風に乗り、猛スピードで吹き飛ばされた感染者達は、立ち上がろうとするが誰一人立ち上がることは叶わない。
まあそれもそうだろう。彼らの足元には鳥黐のように敷き詰められた、【アラクネ】の強力な白い粘糸が張り巡らされているのだから。
足をとられて身動きの取れない感染者達を【アラクネ】は次々にその粘糸で簀巻きにすると、あっという間に全ての感染者達を無力化した。
簀巻きにした感染者達を【アラクネ】は引っ張り上げると、一か所に纏めて整然と並べている。
その光景はモンスターが人間をコレクションにしているようで気味が悪いが、俺の作戦通りに動いてくれているので口が裂けてもそんなことは言えない。
「ありがとう、【アラクネ】」
「……このぐらい大したことない。蛇の方が頑張っている……」
その発言を盗み聞きしていたのか、ぐるりと【ピュトン】の首が伸びてきた。
「いや、儂こそ何もしていない。儂はただたんにハムサの街を体で巻いて、大門から誰一人出れない様にしているだけだからな」
これが俺の考えた作戦。
その名もゴキブリホイホイ作戦だ。ネーミングセンスが無いとか言った麒麟とぽてさらには拳骨をお見舞いしてやったが。
この作戦、単純だがどうやら効果はあるようだ。
東通りの感染者達で試してみた時はどうなることかと思ったが心配なさそうだな。
今回俺は立案した作戦は単純明快。
ぽてさらを残す三人でそれぞれ、北通り、南通り、西通りに散り、そこを跋扈する感染者達を引き連れて東通りまで走る。
最後にぽてさらの魔法で鳥黐状に広げた【アラクネ】の粘糸まで誘導して、鳥黐にかかったところを【アラクネ】の粘糸でさらに上から簀巻きにし、無力化する。というものだ。
そろそろ俺以外の二人も来る頃合いか。
考えていると実現するのだろうか、目の前を全力で走る麒麟の姿が目に飛び込んでくる。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
そして鳥黐の直前で飛ぼうとしたのだろう、だが、見事に自分自身が鳥黐にかかった麒麟はそのままの勢いで全身が鳥黐にとられる。
「ぎゃぁぁぁ! ちょ! GENZI助けてぇ~!」
「何やってんだあのプロゲーマー(笑)は……」
仕方がないので麒麟についた鳥黐を『狂い桜』で切り取ると、空いている左手で大門目掛けて麒麟を投げる。
痛ってぇ!という叫び声が聞こえた気もしたが、気にせず自分も大門の方へ戻る。
先程と同じようにぽてさらは魔法を唱え、鳥黐の場所まで敵を誘導。
鳥黐にかかった感染者達を【アラクネ】が素早く巻き取り簀巻きにする。
「残りはクロエだけか」
「……そうだな」
背後から恨みの念を抱いた視線をぶつけられている気がしたが、気にせずクロエの帰りを待つ。一番遅くやってきたクロエが現れたのはそれから三分程してのことだった。
どこぞの麒麟とかいう俺の親友とは違い、華麗な身のこなしで鳥黐を跳び越え、見事に任務を達成した。
「ちょっと遅かったけど、どうしたんだ?」
「ああ、実は路地裏の感染者の方々も探していたんです。GENZI君は路地裏にいる感染者達ならそこまで問題にならないって言ってましたけど、一応念のために……」
恥ずかしそうにあはは、と頬を桜色に染めその頬を掻くクロエに対してドキリとする。
突然見せるそういう笑顔が一番ドキリとさせられる。
早まる鼓動を抑えつけるように、胸元をきゅっと握っていると、背後から二つの視線を感じた。どちらも好奇の色を孕んだニヤニヤとした視線。
振り返って見てみれば案の定麒麟とぽてさらはニヤニヤとこちらを見ていた。
「……何だよ」
「「べっつにぃー?」」
あー……こいつらこのユニーククエストをクリアしたら絶対殴ってやろう。
俺はそう、固く心に誓うのだった。
これで準備は終わり。
ここからは本当に【ウェネーウム】との、ユニークモンスターとの闘いが待ち受けている。
頬を両手でぱん、と軽く叩くと、気持ちを切り替える。
「じゃあ、フルコンAP目指して頑張りますか」
「はいっ!」
「おう」
「はーい!」
俺達はオアシスの広がる中央広場へと向かい、歩みを進めた。