毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 弐拾肆
不安な思いが胸中を支配する中、石畳を大きく震わせながら、『蜘蛛神』がその巨躯を揺らしながらこちらへ近づいてくる。
すると『蜘蛛神』は、『マザー・スパイダー』を見逃した時のように、その体を地面に擦りつけるようにして話しかけてきた。
「……すまない……我々は主らの手助けをするどころか、障害となってしまった……これでは守り神など名乗れぬ……」
「確かにお前たちには手を焼かされたよ……でも、もう過ぎたことだ。気にしないでくれよ。それよりも、『蜘蛛神』はこの川が干上がった現象に何か心当たりは無いか?」
「……!!……今、何と言った……滝が干上がった……まさかそう言ったのか……?」
実際には違うが、『蜘蛛神』は息を飲むような素振りを見せ再度聞き返してくる。
「ああ、滝が干上がっているんだ」
すると『蜘蛛神』は自身の背後に身を置いている『蛇神』の方を向いた。
二匹は何か知っているのか、頷き合うと、『蜘蛛神』が再びこちらへ向き直る。
「……急がねばハムサが……バルバロスが滅びる……」
「な……」
俺が一人驚き、その驚愕が表情から読み取れたためか、横から麒麟が話しかけてくる。
「なぁ、今はどんな話をしてるんだ?」
「俺もよく分からないけど、このままだとハムサや、バルバロスが滅びるらしい」
「「はあ!?」」
「それってどういう……」
三人の言葉を手でちょっと待ってて、と遮ると『蜘蛛神』の話に耳を傾ける。
「……一先ずは移動が先だ……今、ハムサが【ウェネーウム】によって脅威に晒されていることは確か……詳しい話は道すがら話す……」
こくりと頷くと、他三人にもとりあえず『蜘蛛神』の背中に乗ってくれるよう頼む。
全員が乗り込んだのを確認すると、『蜘蛛神』は行きよりも速く、その八本の脚を動かして砂漠を横断し始めた。
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「それで……?バルバロスが滅びるとか言ってたけど、どういうことなんだ」
「それは――」
「――あの、すいません。そんな一大事なら転移で戻ればいいんじゃないでしょうか?」
「「「……確かに」」」
『蜘蛛神』の発言―クロエには聞こえていないが―を遮ったクロエの提案に俺達は一同頷く。確かにその通りだ。でも、『蜘蛛神』の話というのはかなり重要な気がする。
「……なら、『蜘蛛神』と『蛇神』の言葉を理解できる俺はこっちに残るよ。多分だけどこの話は聞いておかないと困る……そんな気がするから」
「分かりました。それじゃあ、GENZI君以外の私達は一足先にハムサに向かっています」
一時的にパーティーを抜けると、俺がパーティーから抜けたのを確認したクロエは手早く取り出した『転移のスクロール』を広げる。
「転移!ハムサ!」
クロエ達の姿は光に包まれ、ポリゴンの欠片となって霧散――することはなかった。
その現象に俺とクロエを除く二人は頭に疑問符を浮かべている。
「……まあ、何となくそんな気はしてたよ」
「……ですね」
「えぇ?どゆこと?」
「あー実はさ――」
今現在のユニーククエストの前身である『迫れ!唆毒の正体』で起きた出来事を説明する。あの時も今と同じように『転移のスクロール』による移動が制限されていた。
前回は歩きでこの砂漠を横断したが、今は頼もしいタクシーが運んでくれているので安心できる。
『転移のスクロール』を使う場合、パーティーメンバーは全員同じ場所に一緒に転移されるという面倒な仕様のため一度パーティーを抜けたが、意味なく終わってしまった。
溜息をつきながら再度パーティーに入り直すと、心なしか拗ねているように見える『蜘蛛神』を見て話しの最中だったことを思い出す。
「あ……悪い。それでバルバロスが滅びるっていうのは?」
「……【ウェネーウム】……某達の主様は自身が化け物に姿を転じる前、自分のことを導き手と共に殺せと某達に命じたという話はしたな……」
話を一度区切ると、再度再会する。
「……イラーフ飛泉に主様を封印するように言ったのも他ならぬ主様なのだ……某達には教えてくださらなかったが、それは主様が自身の弱点が水であることを知っていたためなのだろう……そして、その主様の弱点である滝に囲まれたイラーフ飛泉の水が全て枯れた……そう言えばあとはどうなるか想像がつくだろう……」
なるほど、確かにそれならイラーフ飛泉を抜け出すのは理解できる。
「……だとしても、何でそれが直接的にハムサの……バルバロスの滅亡に関係してくるんだ?」
「それは【ウェネーウム】様の中に潜む、【原初の罪】……『色欲』をその体内に宿していることが関係しているのだ」
これまで沈黙を貫いていた『蛇神』が『蜘蛛神』に変わり、続きを話す。
「【原初の罪】? 『色欲』? 何のことだかさっぱり分からん……」
「人の子よ。お前も既に対峙したのではないか?」
俺が戦ったユニークモンスターと言えば、【五輪之介】と【ナインテール】だが……
【五輪之介】に至っては決着がついていないから何とも言えない。
【ナインテール】は……そういえば確か、巨大な狐の姿をした悪魔がいた。名前は確か――
「マモン……?」
「人の子が戦ったのはあいつか……そうだ。『強欲』も【原初の罪】の一つ。それで今、【ウェネーウム】様は体内に宿した『色欲』によって体を操られているのだ。『色欲』は性格から考えてまず間違いなく街に行くだろうと【ウェネーウム】様はおっしゃられておった。イラーフ飛泉の最寄りの街、それは――」
「「……ハムサ」」
声に出した俺の呟きと『蛇神』の声が重なる。
「そうだ。それで奴の目的、それは自身の名でもある色欲を満たすことだ。そして、奴の厄介な所は奴と粘膜接触を行った者は、誘惑状態となり、奴の命令通りに動くようになってしまうということ。そして、誘惑状態となった者が他者へと粘膜接触を行うことで、その者がさらに誘惑状態となり、【ウェネーウム】様の管理下に置かれてしまうのだ」
「待てよ……そんなこと、もし街で起こってみろ。感染者が倍となって増えていき、ついには街の人間全員が【ウェネーウム】の下僕状態になるってことじゃないか……!!」
「その通りだ。そうなってしまえば時間の問題。街中の人々を感染させれば次は近隣の街へ【ウェネーウム】様の唆毒に侵された人々が行き、そこでも感染を拡大する。後は被害が増え続け、バルバロスは終わりだ」
それは確かに急がないと不味いことになる。
ハムサやその近隣の街。特にバルバロスなどと言えば、物流の中心地だ。
無論NPCもそこで取引される商品を目当てにしたプレイヤーもやってきており、人口は途轍もない。その中には腕の立つプレイヤーだって居る。【ウェネーウム】の能力はそれら全てを敵に回すというものなのだ。
「マジで急いだほうがよさそうだな……」
「ああ……それと忘れていたが、儂らの名前を教えておこう」
お前ら名前あったのかよ、というツッコミを抑え、耳を傾ける。
「儂の名前は【ピュトン】」
続けて『蜘蛛神』も名乗る。
「某の名前は【アラクネ】」
「儂らは人の子のことを戦友と認めよう!」
「……某らは主のことを戦友と認めよう……!」
【称号『蛇神の加護』が『蛇神の戦友』に、『蜘蛛神の加護』が『蜘蛛神の戦友』に変化しました】
システムメッセージが称号に新たな変化を与えたことを告げる。
俺と『蛇神』と『蜘蛛神』。三人?の会話に痺れを切らしたぽてさらが横から話しかけてくる。
「それで? 話は終わったか?」
「かいつまんで話すと――」
俺の話に餌を求めてやってきた金魚のように食いついた三人は、俺のかなり端折った説明を聞き、納得していた。
今、およそイラーフ飛泉を出てから十分ほどが経過した。
遠目にようやくハムサの街並みが見えてくる。
街灯が煌々と光り、出店や屋台の明かりが灯っている。その明かりを眺めていると、以前見た中央通りを闊歩する活気ある人々の姿が目に浮かんでくる。
そうであってほしい、という思いを胸の中にそっとしまい、視線の先、手を伸ばせば届くのではないかと錯覚するハムサの街をぼうっと眺めた。
夜の帳が完全に落ちきった空の中、巨大な蜘蛛の背中で揺られ、俺達はハムサの街を目指して極寒の砂漠を横断した。