毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 弐拾参
各々が自身よりも強大な敵を相手に奮闘している。
それは俺も同じ。今、目の前には黒い大杖と分厚く白い魔導書を携えた【ウェネーウム】の姿がある。
辺りは喧噪に包まれていた。
焔が吹き上がる音。鈍く響き渡る金属の音。一帯を包囲する砂を踏み潰す音。
数え始めたらきりがない程に溢れかえる音を遮断する。
今必要なのは視線の先で悠然と構える【ウェネーウム】の音だけ。
本来は周囲にも気を配らなければならない。でも、今は他の脅威を仲間が退けてくれている。
「ふぅ……」
息を大きく吐く。
呼吸を落ち着かせ、【ウェネーウム】にのみ、集中を向けた。
地面を蹴りぬく思いで地を駆ける。
姿勢を低く、体を前傾させ空気抵抗を減らし、一気に距離を詰めていく。左右に【ウェネーウム】の視線を切るように動きながら刀の間合いに入った瞬間、鞘から一気に刀を抜き放つ。
「『一断』」
居合の要領で放たれた自分でも驚くほどに洗練された一太刀は、【ウェネーウム】の右手に持たれた大杖によって防がれる。
これまでに大量の血を啜り、これ以上ない程に切れ味の高まった『狂い桜』ですら大杖を断つことは出来ず、それどころか弾き返される。
「くっ……!」
刀が弾かれたことで後退し体勢の崩れた体を無理矢理に空中で立て直し、地に足が着くのと同時に前に跳ぶ。
単純な攻撃が防がれるなら……!
「『ソードダンス・序曲』」
ステップを踏み、舞うように軽快な動きを止めず、流れに沿って刀を振るう。
しかし、刀が【ウェネーウム】に触れるか、という所で全て躱されてしまう。
攻撃が避けられたことによる焦りか、徐々に俺の斬撃が大振りになり、隙が増えていく。そうなれば反撃が飛んでくるのは必然的だ。
俺が見せた隙をつき、大杖の鋭く尖った先端が俺の腹部を貫かんと伸びる。
それを見て思わず口端がニヤリとつり上がった。
発動中のスキルを途中で中断、そして隙を作らず連続的に次のスキルへと繋げる。
「『二艘跳び』」
石畳を蹴って跳び上がり、こちらへ伸びてきた大杖を土台にさらに高く跳び上がる。
体を捻り、スキルの効果で空を蹴ると【ウェネーウム】の背後へと着地。
がら空きとなったその三本の尾を、纏めて断ち切る思いで斜めに斬り下ろす。
「『二月』ッ!」
とった。完全にそう感じた瞬間、俺の背後にぞくりと悪寒が走る。
【ウェネーウム】の音に何の変化も見られなかったから。
普通なら背後をとられ、自身の体の一部であり、武器でもある器官を攻撃されそうになっているのなら防ごうとする。でもコイツにはそんな気配、微塵も感じられない。
おかしい。間違いなくこれは罠だっ……
振りかぶっていた『狂い桜』も、発動しようとしていたスキルも止め、バックステップすることで距離を取る。直後――
「……ッ!」
鋭く空を駆けるような音が聞こえた瞬間、視界が光に包まれる。
轟轟たる爆発音による耳鳴りが止まぬ中、薄っすらと瞼を持ち上げ、見えた光景に思わず目を見開く。俺が【ウェネーウム】に斬りかかろうと踏み込んでいた地点、そこがクレータのように陥没していたのだ。
薄っすらとだが見えたあの光……
恐らく今のは雷の精霊魔法。ともすればあの音が聞こえてから届くまでの速度やあの威力にも納得がいく。
やはり俺の悪寒に従ったのは正しい判断だったようだ。
もしあのまま目先の弱点に気を取られて『二月』を放っていれば俺は跡形もなく爆砕されていたことだろう。
視線の先、【ウェネーウム】は妖美に笑う。
その笑みはこちらを慈しむように、愛しい者に向けるような情の籠った。
それがかえって不気味さを演出する。
こちらが迂闊に手を出せば、またあの魔法を使われてしまう可能性がある。
それを考えてしまうと迂闊に手を出せなくなってしまった。奴の動きはもうほぼ完全と言ってもいいほどに掴んでいる。それだというのに……
もどかしさに思わず歯嚙みしていると、戦況が動き出した。
この膠着状態を破ったのは俺ではなく【ウェネーウム】。今度はこちらの番だとでも言わんばかりに大杖を振りかざす。
呟き、その先端から放たれたのは黒炎。ホースが水を撒くように黒い炎を辺りに撒き散らす。黒炎が触れた石畳は溶け崩れ、その後も石畳の上に残り続け、足場が無くなっていく。
それと並行して、三本の接尾はそれぞれが別の魔法陣を描き、各々の魔法陣から異なる魔法が射出される。
「っち……!」
黒炎の不規則な音に苦戦している中、多方向から襲来したのは雨のように降り注ぐ弾丸。赤、緑、青。色とりどりの弾丸の雨はそれぞれが違う音を奏で、一層音による判別が難化する。
赤の弾丸は他二つに比べて圧倒的なまでに速度に優れており、とげとげしく、鋭利な音で飛来してくる。
回避した赤の弾丸が石畳に当たった様子から考えるに威力は一撃で俺の体力を削り取る程度にはあると考えられる。
緑の弾丸は赤の弾丸のように速度は無い。その代わり、その弾丸は延々と俺の事を追尾してくる。緩やかで重く低い音を鳴らしながら迫ってくる。
青の弾丸も勿論どちらの二つとも違った特徴を持つ。速度、威力、追尾の有無。黒炎を避けながらそれらに気をつけながら青の弾丸を目で追っていると、地面に触れた瞬間、その変化が起きた。
青の弾丸が反射したのだ。そして弾丸の速度が目測だがそれまでの二倍に跳ね上がっているように見えた。
それぞれが別々の特徴を持つ三色の雨。
それに加えて黒炎による移動の制限と回避の余技無き魔法攻撃。
確かに厄介な相手だ。
でも、もう動きは掴んだ。
飛来する雨の僅かに生まれる隙間を縫い、駆け抜ける。
分かる。色とりどりの雨が奏でる音が。次に飛来する場所、タイミング、全てを音が教えてくれる。
前方から飛来する黒煙を地を滑ることで避け、そのまま【ウェネーウム】の元まで一直線に走り抜ける。
クロエがフランスへ旅立っていた間に攻略したDSM2の三大難曲『山頂』。その中でもDSM2プレイヤー達からラスボスの名で知られている異常難易度楽曲『Dance Step Moving』。
毎回譜面が変わるという鬼仕様の楽曲との苦闘を制し、俺が会得したのは多様なリズムに対応する柔軟力。
それが今、ここに来て活きてきたことが実感できる。
「ふっ……っ!」
【ウェネーウム】が大杖を振りかぶるが時すでに遅し、俺の刀はもうお前へと届いている!
直進の勢いを全て刀の先端部、切っ先へと集中させ、一心に貫き、『狂い桜』の柄を両手で握ると力の限り深く押し込む。
だが、刀が【ウェネーウム】に届くことは無かった。
【ウェネーウム】の笑みがこれまでにない程歪み、深まる。
『狂い桜』の切っ先は【ウェネーウム】へと届く寸前の所で薄い膜のようなものに阻まれている。勝ち誇ったように妖美な笑みを深め、大杖を高く振りかぶり、俺の脳天目掛けて振り下ろす。
「…………」
大杖が俺の脳天を砕くよりも先に、空中より飛来した燃え盛る『不知火』が【ウェネーウム】の左手に収まっていた分厚い本に突き刺さり、ごう、と音を立てて瞬時に燃やし尽くす。
それと同時に【ウェネーウム】に纏わりつくようにしていた膜が割れ、破片となって砕け散る。
「これで攻略完了だっ!」
刀に力を籠め、深々とその体を貫き、止めを刺す。
「『修羅の解斬』」
不快な音を立て、刀が完全に【ウェネーウム】を貫いた。
軽くピクリと体を震わせたあと、【ウェネーウム】はこちらに体を預けるようにもたれかかってくる。頭上に表示されるHPゲージは何故か全損していた。
どうやら今日の俺はツイているらしい。
先程俺は、三色の雨を回避しながら視界を広げ、【ウェネーウム】にも意識を向けているとおかしな点に気が付いた。
赤の弾丸によって砕かれた石畳の破片が【ウェネーウム】へと飛び、突き刺さろうとした時のことだ。破片は【ウェネーウム】の直前で何かに弾かれその場で静止し、そのまま落下した。
回避している中で何度もその光景を目にしていく中、俺は毎回決まって【ウェネーウム】の左手に持たれた本のページが捲れていることに気が付いた。
ただ風に靡かれただけかもしれない。それでも、直感に賭けることにしたのだ。
そこからは色とりどりの雨を縫うようにして駆け抜けたどさくさに紛れて、左手に持った『不知火』を抜刀。丁度【ウェネーウム】の本を貫くように調整し、高く上に放り投げた。
それも見事に成功し、何とか勝利を収めた、というわけだ。
こちらへと凭れ掛かる【ウェネーウム】の体を石畳の上に寝かせると、俺もその場で座り込む。【ウェネーウム】だけに集中させていた意識を戻すと、辺りに先程までの喧騒は無く、嘘のように静まり返っていた。
その沈黙を破り、こちらへと駆け寄ってくるブーツの足音が一つ。
「GENZI君っ!!」
「あー、クロ……エっ!?」
音の方向に目を向けると、かなり距離が近くなっても勢いを止める様子は見えず、そのままこちらへと飛び込んでくる。
ガシャン、と金属音を鳴らせ、盛大にぶつかった俺は、HPが減ったのではないかというほどの衝撃を受ける。
「やりましたっ!やりましたよ!私達【ウェネーウム】に勝ちましたよ!!」
「え、あ、うん。嬉しいのは分かるけど、その……離してほしいなぁ……何て……」
「え……?あ……」
自分の今の状態を見てようやくどういう状況だったのかを理解すると、クロエはばっと後ろへ跳び退った。
出来ることなら防具を着けてないときにやって欲しかったなあ……
いかんいかん、と首を横に振ると、後から続々と他のメンバーがやってくる。
クロエとは違い跳び込んでくることは無く、二人共爽やかな笑みを浮かべて拳を突き出してきたのでそれに倣い、俺も拳を突きつけた。
「お疲れ。なあ、気になってたんだけどさ、ここって確か滝が流れてたはず……だよな?」
「え?はい。確かそうだったと思いますが……」
「じゃあさ……何で水一滴流れてないんだ……?」
その奇妙な現象が勝利の余韻に浸っていた俺達の心に不安の念を抱かせた。