毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 弐拾
視線の先、尾を高く振り上げて構えた【ウェネーウム】が体を震わせ威嚇する。
そんなことはお構いなしとクロエと俺は地面を蹴りぬき疾駆する。
眼前にまで迫った【ウェネーウム】は、俺達よりもワンアクション早く行動を起こす。
こちらへと的確に迫る三本の尾。いつもならばこれを回避し、そのまま反撃へと転じるのが俺の戦闘スタイルだ。【ウェネーウム】の動きはこれまでの戦闘で体に覚え込ませたから避けることは容易だ。
だけど今回はそうはしない。
俺は刀の切っ先を地面に向けたまま加速し、目前の標的へと近づいていく。
接尾の先端に取り付けられた鋭利な毒針が俺の肩を貫く直前、俺は加速を止め、スピードを落とす。
突然の緩急の差に追いつけず、そのままこちらへ放り出された尾を、俺と入れ替わるようにして前に出たクロエが盾で思い切り弾く。
「今です!」
ナイス!
心の中で称賛の言葉を叫びながら、俺は前に出る。
スイッチ。
UEOではよく見られ技術の一つだ。相手の攻撃をタイミングよくパリィすることで、相手に隙を作り、その間に他のプレイヤーが攻撃を加える。
非常に有用な技ではあるが、最低でも二人以上の前衛職プレイヤーが必要となり、これまでは使う機会が無かった。
密かに練習していた甲斐があって良かったぁ。
がら空きとなった【ウェネーウム】の絹糸のような肌目掛けて刀を振りぬく。
「『撃竜巻』」
旋風を巻き起こす風の如き勢いで跳び上がりながら斬りつける。
『狂い桜』の切っ先は【ウェネーウム】の肌を易々と裂き、赤いポリゴンが鮮血のように撒き散り『狂い桜』へと吸い込まれていく。
「まだだ……!」
そのまま空中で体を極限まで捻り、引き絞った体が元に戻ろうとする力を利用して体を回転させながらさらなる追撃を加える。
だがそう簡単にはいかない。
俺の耳は高速で精霊魔法を詠唱する【ウェネーウム】の声を聞き逃さなかった。
地面の石畳が膨れ上がり、隆起するのと同時に石畳を貫通して鋭利な岩が飛び出す。
岩の鋭利な先端は俺の喉元へと迫りくる。
だが、それも予測済みだ。
「『ダブルファイア』ッ!」
鈍い金属音が連続で辺りに木霊し、それと同時に岩を砕く破砕音が辺りを埋め尽くす。
背後からの援護射撃により、脅威は去った。
このまま一気に片を付ける……!
「『修羅の解斬』!!」
斜めから振り下ろした『狂い桜』が深々と肩を抉る。
すぐに刀を引くと、肩口からはまたしても赤いポリゴンが噴き出し、それらを全て『狂い桜』は吸収していく。
次第に赤い妖気を纏った『狂い桜』を持つ右手に、妖気が伸びてくるのが分かる。
『狂い桜』から、力が流れてくるのを感じる……
今ならいけるッ!
瞬間、地を覆っていた漆黒と、天を埋め尽くした純白が消え去った。
その代わりに【ウェネーウム】の両手には再び魔法陣が出現し、口頭では更なる詠唱が始まる。
このままみすみす逃してたまるかっ!
着地するのと同時に地面を蹴り、思い切り【ウェネーウム】との距離を縮め、鬼気迫る程に方向をあげる。
「うおぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
距離を詰めようとする俺とは裏腹に奴は俺を遠ざけようと尾を巧みに用いる。
縦横無尽に振り回される接尾を最小限の動きで回避し、もの怖気もせず、ひたすらに突き進む。
既にもう、【ウェネーウム】の動きは掴んだ。それなら討伐は目前。
「『修羅の解斬』ッ!!」
振るう。全力で振るう。だが、今度は一本の接尾によって防がれた。
だが、俺の『狂い桜』はこれまでに幾重にも血を啜った妖刀。
これしきの殻を破ることなど容易い。
「はあっ!」
短い吠声と共に僅かに跳び上がり、空中で縦回転しながら接尾を両断。その勢いのまま【ウェネーウム】の足を一本切り落とす。
俺が【ウェネーウム】の足と尾を切り落とすのと同時に精霊魔法の詠唱が終了。
即座に打ち返してくるかと思い、構えをとったが【ウェネーウム】は背後を勢いよく振り返った。
「相手はGENZI君だけじゃありませんよッ!」
そして――
「……ッ」
――【ウェネーウム】の体を剣が貫通し、背中から飛び出ていた。
一瞬その光景に目を見張った。【ウェネーウム】の体に深々と突き刺さり、背中まで貫通した長剣は見覚えのあるものだった。
蒼い燐光を散らせる片手剣。
【ウェネーウム】の体がどさりと背後へ倒れることで、向こう側に立っていた人物の姿が分かる。
「クロエ……!!」
【ウェネーウム】を挟んで向こう側にいたのは純白の翼を開いたクロエだった。
これだけの攻防を通して【ウェネーウム】の体力は残りを五割というところまで減少させていた。
だが、このままいけば本当に勝利がある。そう、浮かれた瞬間だった。
「なっ……」
ほんの一瞬、目を離したすきに【ウェネーウム】は音もなく姿を消していた。
僅かな音さえしなかった。文字通り音もなく姿を消した【ウェネーウム】を探し辺りを見回す。
そうすることで、【ウェネーウム】が石畳の中央、丁度初めに陣取っていた場所へと移動していることに気が付く。
また同じように距離を詰めようとした。
駆け出そうと、地面を蹴ろうと体を動かそうとした時、体の自由が突然失われ、その場に力無く倒れ伏せる。
これは……
昨日と同じだ。昨日の夜、アイツと戦っていた時に体の自由を奪われたのと。
何故かは分からないが昨日よりは麻痺が酷くない。
何とか動かせる頭で周りを見渡すと、俺以外の三人も同様に地面へ体を伏している。
そして俺達をこの状態へと追いやった元凶は、中央で体を再生させ、魔法を唱える。
現れたのは先端に琥珀色の結晶をあしらった黒い大きな杖と、背表紙が骨片を散らしたように白い分厚い本。
それらを両手に持つと、大杖で石畳をコン、と打ち付ける。
その音が鳴るのと同時に俺達は束縛解放される。
束縛からは確かに解放された。
だが、俺はその場を動くことが出来なかった。目の前のそれに目を奪われて。
俺には魔法の何たるかなどひと欠片とて理解できない。
それでも、それが、目の前に広がるそれこそが魔法なのだと思ってしまう。
三本の尾と、二本の腕。そして言葉による、魔法の発動。
六つの魔法陣が重なり合い、複雑な模様を空中に浮かび上がらせながら光が強まっていく。
右の方から、必死な、焦燥の念をありありと表に出した叫び声が届く。
「今すぐその場から離れろッ!!」
これまで倒れていたぽてさらの叫び。
それでようやく現実へと呼び戻された俺は訳も分からないまま、未だボーっと空を見つめるクロエと麒麟を両脇に抱え、全力でぽてさらの方へと駆けだす。
「急げっ!早くしないと間に合わなくなるッ!!」
あらんかぎりの力を振り絞り、駆ける。
その間も背後では着々と魔法陣が完成の形へと向かって光の文字を重ねていく。
「クソっ!!間に合わない!GENZIっち、今すぐこっちに二人を投げろッ!!」
ぽてさらの鬼気迫る表情に俺も焦りを感じ、二人を順番に放り投げる。
申し訳ないが状況も状況だ。
俺が二人を放り投げたのを確認すると、ぽてさらは吠える。
「GENZIっちもこっちに跳び込め!!速くッ!!」
背後から白い光が迫る。光に追いつかれる前に、何としてでもぽてさらの元まで走らなくては……ッ
全力の加速、そしてその勢いを殺さずにヘッドスライディングの要領でぽてさらの構える後ろへと跳び込んだ。
直後、辺りが完全に白い光で塗りつぶされる。
数秒の間を包み込む光が覆ったあと、徐々に光が収まり、辺りにこれまでの静けさが戻ってくる。
ぽてさらは未だに必死の形相で何かの魔法を俺達の周りに張っていた。
それはまるで結界のようなもので、張り巡らされた幕を触るとかんかん、と音がした。
「ぽてさら、いったい今のは……」
「まだ絶対に外に出ないでくれよ。あと少しの辛抱だ……」
全くこちらの話が耳に届いていないのか、ぽてさらは俺の質問の答えになっていない答えを返す。俺達の体には何の変化もない。ましてや視線の先に構える【ウェネーウム】にも。
不思議に、思っていると俺はあることに気が付いた。
これまで不気味なほど静かだった辺りに音が伝わってきた。
まるで巨大な生物がその場でのたうち回っているような、そんな音が。
そして、その答えが目の前に現れた。
地震かと疑うほどに大きな振動と共に現れたのは、砂塵を食い止めると外に残っていたはずの『蜘蛛神』と『蛇神』だった。