毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 拾玖
空を舞う鮮血にも似たポリゴンは自分のものではなく、【ウェネーウム】のものだった。
体を貫かれたと考えた瞬間、迫りくる接尾は何かによって切断された。
左から伸びてきたのは蒼い燐光を散らせる長剣。
それを握るのは白銀の鎧を身に纏い、同色の長髪を背に伸ばした少女、クロエだった。
無理な体勢から剣を届かせようとしたためだろうか、彼女はこちらに跳び込んでくる。
「わっ!?」
「うおっ……!」
勢いに流され、そのまま後方へと押し倒される。
俺のことを押し倒したままのクロエの顔は、月光に照らされ蒼く輝いている。
前髪に隠れていて見えにくいが、何も書かれていないキャンパスのように白いその頬が僅かに上気し、桜色に染まっている。
「す……すいません! あの、GENZI君……」
「えっと……何だ?」
この状況と息が触れるほど近い距離に緊張し、思わず視線を逸らす。
するとクロエは意を決したようにこちらを真っ直ぐと見据えた。
桜色の唇を僅かに開いた瞬間、背後から怒号のような、それでいて悲痛な叫びが辺りを埋め尽くす。あまりの爆音に自然と両手は耳を抑えていた。
「な、なんだ!?」
叫びの発生源はクロエの背後にぺたりと座り込んだ半人半蠍の女性。
三本の接尾を失い、二本の足を斬り落とされた蠍はそれでも尚、その顔に妖美な笑みを張り付けている。その光景はいっそ不気味に見えるものだ。
叫びをあげた【ウェネーウム】の接尾と足は、ずちゃりと不快な音を立てながら再生する。これまでと何ら遜色のないそれらを目の前に持ってくると、笑みを一層深める。
「……また再生、か」
「……でも見てください。【ウェネーウム】のHPは回復したとはいえ、一割は削れています。このまま攻撃をし続ければ倒せるということです!」
無理に笑みを作っているのは俺ですら分かった。
だが、クロエの言う通りでもある。
部位を欠損したとしても再生し、HPをも回復する厄介な敵であることに変わりはない。しかし回復するとはいえHPは微量ながら減少している。
ならば勝機が無いわけでもない。
これまで戦ってきた【五輪之介】や【ナインテール】だってそうだった。
圧倒的な強さ。どう考えても超えられない高い壁。絶望的な状況。
それらを覆し、その先に勝利はあったんだ。
そう、所詮は――
「――音ゲーと同じだ」
「……? ――ッ!! GENZI君! 【ウェネーウム】が動きました!!」
俺とクロエは飛び起きると、得物を構える。
思考を切り替え、目の前の蠍へと集中を注ぎ込んでいく。それでいて周りへの集中も切らさないように心がける。
すると、石畳の上に靴音を響かせながら後ろから麒麟がいつの間にか近づいてきていることに気が付く。
「お二人さんの邪魔をするのは申し訳ないんだけどさぁ、俺達パーティーだから、ね?」
「うっせえ――」
麒麟の軽口に対抗して俺も言い返そうとした瞬間、空気を吸い込む音を耳が捉えた。
「――来るぞ!!」
俺の合図に二人はポジションにつく。
今回、俺達が採用したのは基本的とは言えないが、攻撃的な編成だ。
前衛にメレー兼タンク、後衛にレンジとキャスター。
レンジとキャスターには麒麟とぽてさらが、メレー兼タンクは俺とクロエが請け負う。
そのため現在位置取りとしては、クロエが先行し、それに並ぶように俺、麒麟と後に続いている。
それを向かい打つように前方で【ウェネーウム】が精霊魔法を唱えている。
音のリズムからしてこれは炎の精霊魔法。
「前方から炎の精霊魔法が来る!」
「了解しました!『清流の繭』」
クロエは事前に炎の精霊魔法の対処魔法をセットしているようだ。
ただ、やっぱりユニークってやつは手強い。
【ウェネーウム】はこれまでには見せなかった魔法を使用している。
口で詠唱する精霊魔法。そして、同時に両手で別々の魔法陣を描いている。
片方は土褐色、片方は翡翠に。それぞれが輝きを放ち、魔法が発動した。
音が届くよりも先に視界に情報が飛び込んできた。
空中に巨大な岩の雨が出現し、その巨岩を巻き込むように暴風が渦を巻く。
洗濯機の中ってこんな感じなのだろうか。
余計な思考に流れそうになるのを自制し、視線の先に立つ蠍へ集中する。
「クロエ!」
「はいっ!」
【ウェネーウム】の詠唱が終了した瞬間、飛び出した火球は唸りを上げながら急接近する。それに対し予め唱えていた魔法をクロエが発動させた。
「はぁあ……!」
水の繭が迫る炎を包み込み、炎は水の繭の中で大きく爆発を起こす。
その衝撃を完全に吸収するのを確認すると、水の繭は形状を保てなくなり、水となって石畳の上にぴしゃりと音を立てて落下した。
これでひとまず、炎の精霊魔法に関しては何とかなった。
だが、目前には巨岩の舞う竜巻が五本の天高く昇っている。
これをどうにかしなくては【ウェネーウム】へ近付くことさえ出来ない。
俺が考えあぐねていると、それを察知してかは分からないが、竜巻が同時に動き出した。
「な……!?」
爆音をあげながら不規則に移動し、徐々に迫りくる暴風。
ざっと見ても空を舞う巨岩の数は数百を軽く超えている。
これをどうしたものか……だが、ゆっくりと考えている時間もない。
【ウェネーウム】のリズムは今も着々と変化している。それは次の動作を開始している証拠だ。
こうなれば……
「麒麟」
名前を呼び、その目を見つめると、麒麟は何も言わずにいつの間にか回収していた『ライフ&デス』を両手に構えた。
「ま・か・せ・と・け♪」
おちゃらけた態度で、麒麟は応じる。
だがその目には一切の侮りも油断も感じられず、それは獲物を狙う狩猟者のように鋭さを増した。
息を大きく吐くと、その分深く吸い込み、息を止める。
「『クレイジーバレット』」
その呟きと共に、幾重にも金属音が重なった。
そして、遅れて衝撃波が訪れる。
ごう、と爆風と共に届いた衝撃波に掻き消されて気が付かなくなりそうだったが麒麟はやってくれた。
「え……? あんなにたくさんあったはずの大岩が……ない……?」
そう、麒麟は数え切れないほど宙を舞っていたアレを。巨岩の群を全て一瞬で粉砕した。
あまりにも一瞬の出来事で頼んだ俺ですら息を飲んでしまったが、麒麟は最高の結果を出してくれた。それに応える義務が俺にはある。
「行くぞ、クロエ!!」
「……ッ!」
連れだって突貫したのは俺とクロエ。
俺は先頭を切り、巨岩が無くなっても舞い続ける暴風に刀を突き立てる。
「邪魔だ……!」
竜巻を刀で切り裂き、最短ルートで【ウェネーウム】の元へ駆ける。
見えてきた奴は、既に別の魔法の詠唱に取り掛かっていた。
奴が唱えるそのリズムは、またしてもまだ一度も耳にしたことのないもの。
そして奴が描いた二つの魔法陣。それらは純白と漆黒の対をなす光芒を発する。
魔法陣が弾け、硝子の割れるような音と共に目の前で魔法が展開される。
地面は漆黒に覆われ、天は純白で埋め尽くされる。
石畳を黒く染め上げた漆黒は、最も暗い中心点へと引きずり込まれるように体が引っ張られる。そして空を埋め尽くす純白の光芒が触れた石畳はドロドロに溶けだしている。
「クロエ、このままこの光の雨を突っ切るぞ」
「……ッ!……分かりました!」
足を引っ張られ、足元をすくわれながらもその歩みを止めることはしない。
俺の体力から考えれば一度でも触れた瞬間にデスする光の雨の中を縫うようにして駆け抜ける。
「援護射撃は任せとけ!」
背後から頼もしい声を受けながら、俺達の速度は上がっていく。
そして――
――その魔法の元凶、【ウェネーウム】の元まで辿り着いた。
蠍は笑う、その笑みが一体何を示すのか、何を思って放たれたものなのかも俺には分からない。
俺はただ、斬るのみだ。
刀の切っ先を【ウェネーウム】へと突きつけると、隣を共に歩むクロエに視線を送り、第二の戦いが幕を開けた。