毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 拾陸
月明かりに照らされ、蒼白く光る石畳を蹴り、【ウェネーウム】の懐へ跳び込む。
肉薄し、刀の間合いに入った瞬間、無防備に曝け出された白磁の肌へ狙いを定めた。
「……ッ!」
声にならぬ咆哮をあげ、左手に持つ『不知火』が火の粉を散らしながら【ウェネーウム】の肌を掠める。僅かに白磁の肌を裂き、赤い線が脇腹に入った。
しかし、あくまでもその程度。
しかもそれは己が身を顧みずに突貫した捨て身の一撃で、だ。
技の直後、案の定隙を見せることになった俺目掛けて三本の尾が一斉に毒針で俺の体を刺し貫こうと迫るのが視界の端に入る。
普段ならこんな風に無茶なことはしない。でも、今は出来る。
「『ダブルファイア』」
「『ファイア・アロー・シェイプ』」
背後から重い金属的な二度の衝撃音と、ごう、という空気を焦がす音が俺の頭上を通過し、【ウェネーウム】の三本の尾へ命中。
その衝撃で【ウェネーウム】の尾は弾かれ、逆に新たに隙が生まれた。
そこで目を鋭く輝かせたクロエが俺の横を通り過ぎ、【ウェネーウム】へと接近。流石に危険だと思ったのか【ウェネーウム】が距離を取った隙に、俺も体勢を立て直し、背後へ下がる。
「助かった!」
「気にすんな、とりあえず作戦通りに動くぞ!」
「「「了解!」」」
麒麟の声に俺達は了承の意を唱えると、その場で散開。
前衛に俺とクロエ、後衛にぽてさら、その間に麒麟という陣形をとる。
陣形の完成を確認すると、俺とクロエは視線を交差させ、タイミングを合わせて【ウェネーウム】へ向けて駆けだした。
僅かにクロエが先行する形で距離を詰めていき、俺とクロエの接近に対し、【ウェネーウム】はその場で対応するという選択をとった。
かかった……!
その選択に薄っすらと笑みが浮かんできた。
先に己の間合いへと詰め寄ったクロエが、右手に持った長剣を斜めに振り下ろす。
――かと思いきや、その動作を途中でキャンセル、中盾を前に突き出し防御の体勢へ素早く移行。その変化に対応しきれなかった【ウェネーウム】はクロエに向けて尾を伸ばす。
案の定盾を構えていたクロエの体を毒に濡れた尾が触れることは無く、思い切りパリィされ、【ウェネーウム】は僅かによろめいた。
「GENZI君っ!」
「はぁッ!」
居合の要領で刀を抜き放ち、最速の二太刀を【ウェネーウム】へと振るう。
しかし、流石はユニークモンスター。よろめいたその体勢でも俺の攻撃を見切り、残った二本の尾を使って的確に自身の体を防護している。
二振りの刀が鋼鉄の如き硬さを誇る節尾の殻に触れ、金属音を散らす。
ダメージは一切与えられていない。俺は――
「『ザ・キャノン』ッ!」
「……!?」
突如姿を現した麒麟は【ウェネーウム】の背後から大砲のような爆音を轟かせ、黒く鈍い光を纏う弾丸を射出。見事に【ウェネーウム】の体を捉えたかと思ったが、どうやら直前の所で尾を犠牲に防いだらしい。
一本の尾が抉れ、先端が石畳の上に落下した。
麒麟の得意技である相手の死角に潜り込む技を利用した作戦はひとまず成功だ。
【ウェネーウム】は怒り心頭、といった具合で節尾を激しくうねらせている。
だからこそ、気が付けなかった。俺達が【ウェネーウム】の傍を離れていることに。
長々と詠唱を続けていたぽてさらの魔法が完成する。ニヤリと笑みを浮かべると、腕を【ウェネーウム】に向けて振り下ろした。
「……?」
そこで自身の傍に誰もいないことに気が付いた【ウェネーウム】が疑念を抱いたように辺りを見回すが遅い。
遥か上空から巨大な炎の塊が飛来し、【ウェネーウム】の元へと降り注ぐ。
徐々に体感温度が上昇、それに加えて空が明るくなったことで気が付いた【ウェネーウム】は空を仰いだ。
それを見てぽてさらは【ウェネーウム】へ向けて伸ばしていた手を握り締める。
その瞬間、炎の塊が炸裂した。
煉瓦程度の大きさに分裂した炎の塊が【ウェネーウム】目掛けて飛来する。爆発音と強い光を発しながら炎でその体を呑み込んだ。
「……思っていたよりもタイミングが早かったからダメージが出てないかも」
自信無さげぽてさらは言うが、俺にはどう見ても成功だった。
次第に炎の勢いは揺らめく蝋燭のようになっていき、次第に視界が晴れていく。
その場にはHPゲージを大して減少させていない【ウェネーウム】の姿があった。
「嘘……」
「マジ……?」
クロエとぽてさらは驚いているようだったが、ユニークモンスターとの戦闘経験がある俺と麒麟に関しては驚いていない。
この程度のこと想定内だから。
「ま、そうだろうなぁ」
「ああ」
俺達の落ち着ききった様子が奇怪に見えたのかクロエは恐る恐るといった様子で話しかけてきた。
「GENZI君と麒麟さんはどうしてそんなに落ち着いているんですか……」
その問いに俺と麒麟は顔を見合わせ苦笑した。
「「もっとヤバいのを見たことあるから」」
すると【ウェネーウム】が動き出した。
「ほら、来るぞ。構えてないと――」
石畳の上に落ちていた自身の節尾をウェネーウムはその細腕で投げつけてきた。
高速で風を切る音をさせながら迫るそれを、縦に両断する。
「――死ぬぞ」
俺の言葉が響いたのか、武器を構え、再び臨戦態勢に入ったクロエとぽてさらを横目に見ると、【ウェネーウム】へと視線を戻す。
まあ、何となく予想はしていたけど……まさか本当にやってくるとは………
視線の先、【ウェネーウム】は切れたはずの節尾が再び生えてきていた。
完全に修復したそれをぐるぐると回すと、こちらへ向けて妖美な笑みを零し、その小振りな唇を動かした。
「――ッ! 全員散開っ!!」
あらん限りの声量で吠えた俺は自身も即座にその場を離れる。
あの唇の動き、間違いない。あれは昨夜見せた瞬間移動の前触れだ。
その場から転げるようにして離れ、距離を取りながら周囲への警戒を最大に。
視覚と聴覚に全神経を集中させるイメージで辺りを見渡すと、クロエが避けた方向に向かう影のようなものが一瞬視界に入り込む。それに続くようにして高速で風を切る音も聞こえてきた。
奴の狙いはクロエか!
「クロエっ!!」
それまで何もなかったはずのクロエの目前の空間がブレるように揺らぎ、【ウェネーウム】がその姿を現した。その手には風の刃が握られており、曲線を描くようにしてクロエ目掛けて振り下ろされる。
予め俺の声を聞き、盾を構えていたクロエは咄嗟に盾を前に出すことで、風の刃を受け止めたが、HPはごっそりと減少し、クロエは後方へと吹き飛ばされた。
【ウェネーウム】はクロエが吹き飛ぶのを確認すると、右手に持った風の刃にふっと息を吹きかける。すると風の刃は跡形もなく消え去った。
攻撃が終わったのかと思われたが、【ウェネーウム】の唇は再び動き出す。
今度は今までの動きとは違う。別の何かを仕掛けてくる気がする。
「…………」
音として外気に晒される前に口内で掻き消えた声は、確かに何かを唱えた。
すると――
「あれは……!?」
驚きの声をあげたのはぽてさらだった。一体全体何にそんなにも驚いているんだろうか?
確かに俺も驚いた。何故なら、【ウェネーウム】の手には炎の玉が優しく握られていたから。でもそれだけだ、別に大して変わった様子もない。
その炎の玉を穴が空くほど睨みつけるように凝視したぽてさらは何かをごもごもと言っていたが、今はそんなことを気にしているほど余裕がある状況じゃない。
【ウェネーウム】はクロエに狙いを定めると、その手に優しく握った火球を指先で弾く。
火球は指先で弾かれただけだとは思えない速度でクロエへと迫っている。
俺は吹き飛ばされ、未だに立ち上がらず体勢を立て直さないクロエの援護に向かうべく疾駆する。
早く、もっと速く――
「おおぉぉぉぉ……ッ!!」
間に合え……!
♦
ごう、という轟音と共に巨大な火柱が天高く伸びる。
強烈な光と共に、クロエとGENZIは火柱に呑み込まれた。
「GENZIっ!!」
麒麟の声が響き、そして炎の中へと消えていく。
虚しくもその声がGENZI達に届くことは無い。
そう、思われた。
麒麟は、火柱の中央、激しく音を上げながら燃え盛る中で炎の流れに異変が生じていることに気が付いた。
天に昇る勢いで伸びる火柱の流れは不変的に直線のはずだ。しかし、渦を巻いていたのだ。
まるで何かに吸い込まれるようにして、炎が渦巻きながら流れに変化が起こる。
そして――
スッと、鋭い音と共に火柱が横に切り裂かれ、行き場を失った炎はその場で露散し、消えた。
火柱を切り裂き、隙間から見えたのはクロエを片手に抱きかかえ、こちらへと駆けてくるGENZIの姿だった。
もう片方の手には刀身を埋め尽くすほどに炎を纏わせた『不知火』を持ち、こちらへ駆け寄りながらぽてとさらーだに向けて吠える。
「ぽてさらっ! 今すぐお前の使える最上級の状態異常回復魔法か、デバフ効果を打ち消す魔法をクロエに使ってくれ! 今すぐにッ!!」
GENZIの鬼気迫るその様子にぽてとさらーだも意を決したような面持ちで頷くと、両手で別々の魔法陣を書き始める。
恐ろしく速いその手指の動きに唖然としていた麒麟だが、その視界に入った情報により体を反射的に動かした。
麒麟の視界に入ったのは魔法を唱えようとするぽてとさらーだを狙った【ウェネーウム】の姿。
察知した瞬間に西部劇に出てくるガンマンの如く早撃ちを決めると、【ウェネーウム】の腕に命中。
【ウェネーウム】の唇の動きが止まり、ぽてとさらーだを防衛することに成功した。
両手で描いた別々の魔法陣に僅かに視線を巡らせると、ぽてとさらーだは高らかに声をあげる。
「『不死鳥の癒し』ッ!『時間逆行』ッ!!」
クロエにかかったデバフが消え、減少したHPが全回復した。
虚ろな目には光が戻り、意識を取り戻したように起き上がると、自身の状況に気が付き慌てふためく。
完全回復を果たしたクロエとは対照的に、ぽてとさらーだの顔には疲労の色が見え、今にも倒れそうな程にふらついている。
眉尻を下げ、ぽてとさらーだの口から弱弱しく言葉が漏れる。
「これがユニークモンスターかよ……マジでしんどいわ」
心底辛そうな表情を浮かべるぽてとさらーだのことを、GENZIは鼻を鳴らしては笑い、皮肉げに、自分に言い聞かせるように吐き捨てた。
「まだ始まったばかり……いや、本当のユニークモンスターの実力なんてこれっぽっちも出てない。ここからが本番だ」