毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 拾肆
最後の辺り、ちょっと刺激的かも……?
台座より飛び出した三本の尾はぴくりとも動かず、じっとしている。
まるで得物を待つアンコウだ。
物は試し。
俺は近くに落ちていた石を手に取ると、台座の中央を狙って投げる。
それは狙い通りに台座の中央、蠍の尾の目前に落下する。
その瞬間、石を蠍の三本の尾が三方向から迫り、突き刺した。
投げ込まれた石は粉々に砕かれ、尾の先端、毒針のようなものが触れた箇所はドロドロに溶けだしている。
「……アレどうやって戦うの……?」
思わず口からは愚痴が零れた。
それもそうだろう、あんなものを目の前で見せられれば誰でもやる気を失う筈だ。
返答を求めて出た言葉ではなかったが言葉が返ってきた。
「あのイラーフ飛泉の魔物、【ウェネーウム】と戦おうと考えておるならば、夜に戦う以外に手は無い。昼間は確かに奴は弱っておるが、あの調子で外に出でこんからな。弱ってはいても実質無敵だ」
「……逆に夜になると奴は凶暴化して、強くなる……だが、夜でなければ奴にダメージを与えることすら出来ない」
「うわぁ……何それ卑怯……」
とはいえ、それもありがたい情報だ。
今は、少しでもコイツの情報が欲しい。
今分かっているのはコイツが蠍型のモンスターで毒を持っていること。尾が三本生えており、その名前が【ウェネーウム】ということ。それと夜じゃないと戦いにすらならないこと、だろうか。
「他にあのモンスターについて知っていることはあるか? 何でもいい、今は少しでも情報が欲しいんだ、頼む」
しばしの沈黙。
そしてそれを破ったのは【エンシェント・スパイダー】、『蜘蛛神』だった。
「……ウェネーウムは元々は主と同じ人間だった……だが、突然その身を化け物へと転じてしまった……三本の尾を生やした蠍の下半身と人間の頃のままの上半身を持った……モンスターへと……」
『蜘蛛神』に続けて、思い出すような、懐かしむような、そんな声音で『蛇神』は語り出した。
「儂らはな、元々はウェネーウムの召喚獣だったのだよ。小さく、貧弱だった儂らを拾うてくれたあの方には感謝をしてもしきれぬ。ウェネーウムは最後の瞬間、儂らにこう言うた。導き手を見つけ、その者と共に私を殺して、私は導き手の試練として最後の瞬間を全うするから、とな。そう最後の最後まで笑顔を絶やさずに儂らに言ったのだ」
「……初めの内、百年程の間は某たちもご主人の事を殺めるなどしたくも無かった……だが、某と蛇は話し合い、某たちでご主人の最後の願いを叶えることこそご主人の望んでいることだと気が付いたのだ……それからは導き手となり得る者を探し続けた……だが、長い間待ち続けたが、ついぞ某たちの前に導き手が現れることは無かった……」
「そうしたらどうしたことか、今頃になってあっさりと現れたではないか。儂らはこれが最初で最後の機会だと思うておる。儂らは長く生き過ぎた、あと数百年生きれば生涯の幕を閉じるだろう」
いや、数百年って……
モンスターの寿命の感覚何てものまで設定しているとか、流石だな運営。
いい話をしてくれたところで二匹には悪いがもっと実践の話が聞きたい。
俺は話を切り出した。
「アイツがどんな攻撃をしてくるかは分からないのか?」
「分からん、長い間砂塵でイラーフ飛泉を覆って封じ込めておったからな」
「そうか……ありがとう、また夜に来るよ」
「……了解した……」
そこで別れると、俺はバルバロスへと戻ってきた。
やはり情報が心もとない、このまま明日を迎えるのは不安過ぎる。
そうなれば実際に戦ってみるしかないか……
よし、今日の夜、行ってみるとするか、何事も経験が必要だ。
夜、俺は単独で【ウェネーウム】に挑む。そのためには準備が必要だ。
今の内に出来ることは全てやっておこう。
♦
空は紺碧色の緞帳に包まれ、日は完全に落ちた。ついに夜を迎えた。
装備、ステータス、スキル。全てのチェックは完了している。
「よし、行くか!」
自分自身に喝を入れるため、頬を軽く叩くと、立ち上がり『転移のスクロール』を用意する。イラーフ飛泉には先程既に出向いたので、転移が使えるからだ。
スクロールを構えると、声をあげる。
「転移!イラーフ飛泉!」
♦
一瞬で周囲の景色が変わり、辺りは月光に照らされた砂漠へと転じる。
先程まで居たバルバロスの中央通りは、暖かみのある人工灯があったがここにそれは無い。そのために星光と月光、自然の二つの光が照らしだしている。
そして、四方を滝に囲まれた滝壺の水位は昼間よりも下がり、円形の台座の面積が広くなっている。その原因は明らかに弱まっている滝の流れだろうか。
月光と星光、二つの光に照らされた円形の台座の中央部には一匹の蠍がいる。
下半身は三本の尾が生えた蠍、上半身は服を着ていない人間の女性だ。
『蜘蛛神』の言っていた通りの外見だな。
ただ、少しばかり目のやり場に困る……
【ウェネーウム】の上半身は人間の女性のもので、艶やかな肌が月明かりに照らされ、神秘的とさえ思える。浅紫の長髪が絶妙に仕事をしており、惨事にはなっていない。
俺の視線に気が付いてか、【ウェネーウム】の視線が俺へと向けられた。
その眼差しは一見優しそうな印象を受けるが、よく見ればその目はどこか虚ろで生気を宿していない。
悪寒のようなものが体を走り抜け、思わず鳥肌が立つ。
一体何なんだ、あの不気味さは一体どこから……
どういう訳か【ウェネーウム】は円形に広がる台座―広さ的には広場に近い―から離れ、こちらへ近寄ろうとする気配を見せない。
今日は元々様子見のつもりで来たのだ、ここで震えていても仕方がない。
意を決すると、鞘から刀を抜き、大きく息を吐いた。
体を硬くする緊張感を取り除き、適度に筋肉をリラックスさせる。
よし……
「………ッ!!」
声にもならぬ叫び声をあげ、俺は滝壺へと飛び降り、着地と共に地面を蹴って【ウェネーウム】へと肉薄する。それに対応しようと【ウェネーウム】が動いたのを僅かな音で判断すると、振りかぶった刀を途中で止め、即座にその場を離れる。
すると目の前を【ウェネーウム】の俺から見て右の尾が眼前を通過した。
予想はしていたが、やはり速い……!
次は左かッ!
鼓膜に伝わる震動をキャッチ、次に起こるであろう動作を先読みして回避する。
そして俺の予想をなぞるように左から毒針を突き立てた尾が迫りくる。
その場で片手を地面に着き、体勢を低くすることで回避すると、チラリと視界に入った【ウェネーウム】が口頭で何かを詠唱していることに気が付いた。
「『風神の息吹』」
次の瞬間、【ウェネーウム】の姿が目の前から消えた。
突然視界から敵が消える、その事象に俺の頭が混乱しそうになるのを理性で抑えつけ、無理矢理息を大きく吐いて呼吸を整える。
冷静になれ、何時如何なる時も冷静に、視界を広く持つ。それが如何に大切なことか俺は学んだはずだろう。
目の前から姿が消えたとしても、必ずどこかに存在する。
そうなれば音を立てるはずだ、俺はその一瞬を絶対に逃さないッ!
今必要のない視界を閉ざし、聴覚を研ぎ澄ます。
風の音、砂の音、俺の呼吸の音……
「……ッ! そこか!!」
いつの間にか俺の背後へと移動し、毒針を突き立てていた【ウェネーウム】から背後へと跳ぶことで距離を取った。
その瞬間、俺の体はよろめき、地面へと倒れ伏した。
「いっ……たい、何……が……!?」
思うように口が動かない。
まさか――
視線を右上に表示されるHPゲージへと移動させると、HPゲージの下に状態異常のマークがついていることに気が付いた。
間違いない。これは麻痺状態、それも最上位のものだ。
だが、何故……俺は確かに突き立てられていた毒針を回避したはずだ。
そこへ、八本の足を動かし、ゆっくりと【ウェネーウム】が歩み寄ってくる。
不味い……
体を無理矢理動かそうとしてもピクリとも動かない。状態異常のマークを囲う白いラインは、未だに半分すら回っておらず、状態異常が回復するまでにはまだ時間がかかることを明確に知らせてくる。
俺のすぐ傍まで近寄ると、【ウェネーウム】は俺の体へとその手を伸ばしてきた。
白い手が俺の背中と腰の二か所へ回され、優しく抱きかかえられる。
【ウェネーウム】は抱きかかえた俺の顔を覗き込むと、顔を近づけてきた。
ゆっくりと近付くその整った顔立ちに妖美な表情を浮かべ、何をされるのかと警戒していると、突然唇に何か柔らかいものが触れた。
「――ッ!?」
何事かと思い、視線を下ろすと俺の口を塞ぐようにして【ウェネーウム】の唇が追いかぶさっていた。麻痺状態が未だに回復していないため、体を引き剥がそうとしても体が言うことを聞かない。
それだけでは足りないというのか、貪るように【ウェネーウム】の舌が俺の口内を掻きまわす。鼻孔を擽る香りと、口内にじんわりと広がる熱と甘さ。
その衝撃と、とろけるような快楽で頭がくらくらする。
一体何だこれは。頭がくらくらして思考が纏まらない。
考えようとしてもそれを塗りつぶすように甘い快楽が脳を支配する。
もう駄目だ……
そう思った瞬間に【ウェネーウム】は唇を俺から離した。
「……ぷぁ……あ………」
妖艶な笑みを浮かべた【ウェネーウム】は濡れた唇を震わせた。
「おあずけ……さようなら、私のために死んで頂戴?」
妖艶な笑みを浮かべ、口元に指を添えた彼女の言葉を体は受け入れた。
俺の意志とは反して、俺は右手に『狂い桜』を握ると、大きく振りかぶり、自ら腹を裂いた。俺のHPは全損し、体がポリゴンの欠片となっていくのを最後に確認し、俺の視界は暗転した。