毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 拾壱
イラーフ飛泉に向かった時とは打って変わり、空は闇に包まれ、淡い月光が辺りを蒼白く照らしている。その中を俺達はバルバロス洞窟へと向かって歩みを進めていた。
「うぅっ……寒いっ……」
夜の砂漠というのは昼とは対をなしており、ひどく冷え込むと聞いたことがあったがまさかUEOの中でここまで気温を再現しているなど考えてもいなかった。
それに厳しいのはこの温度だけじゃない。
夜ということもあり月光だけでは視界を確保するのに十分といえる程の光量はない。
そうなれば必然的に明かりとなる松明やランプなどを使うだろう。
実際に俺達もそうした。
するとどういうことだろう、辺りからモンスターが光の下へ集まってくるのだ。
しかも夜のモンスターは昼間に比べて格段に強くなっており、非常に苦労することとなった。
結果、俺達は淡い月光を頼りに暗闇の中を寒さに震えながら歩いていた。
「GENZI君……近くにモンスターはいます……か?」
震える声を出したクロエの方を向けば俺と同様に、いや、俺以上に震えていた。
小鹿のように震えるさまを見ているともやっとした気持ちになる。
一度立ち止まり、クロエの元に近づくと、俺はインベントリから自分が着ようと思い取り出した厚手のマントをクロエに羽織らせた。
「えっ?」
「寒いだろ? 体を冷やすとよくないから」
そう言うと突然クロエは黙り込んでしまい、その様子に心配して近づくと、整った小さな顔が雲の切れ目から差し込んだ月光によて照らされた。
シルクのように白いその頬は薄く桃色の染まり、瞳は僅かに熱を帯びている。体調が悪いのかと思ったが、そのある種の芸術品のような姿に息を息を飲み、思わず見惚れてしまう。
「奇麗だ……」
「~~ッ!?」
吸い込まれるようにクロエのことを見てしまったが、音によって現実に引き戻された。
この音は聞き覚えがある。
確か――
「そこか……『疾風』ッ!」
「シュル……ル……」
風の刃が切り裂いたのは【サンド・スネーク】。
これまでに何度も相手をしたワーシィア砂漠に出現する雑魚モンスターだ。
他にこちらへと近づく音もしないので刀を鞘に戻すと、背後から声を掛けられる。
「あ、あの! GENZI君にそう言ってもらえたのは凄く嬉しいのですが、今は、その……大切なクエスト中ですから、その、あとで……」
「――? 俺何か言ってたか?」
「え?」
「え?」
♦
「あのぉ……クロエさん? 俺何か悪いことしました……?」
「ふん……もうGENZI君何て知りません……」
何故かは分からないがクロエは先程から俺と目を合わせようともしてくれない。
それどころか会話すら拒否される始末だ。
俺の前を早足で歩き、ぐんぐんと進んでいくクロエにただ着いていくばかりだった。一体俺が何をしたっていうんだ……
これまで早歩きを続けていたクロエだが、突然をその足を止めた。
俺も立ち止まると、目の前には巨大な洞窟が砂丘の下に隠れるように存在した。
ボーっと洞窟を眺めていると、クロエは先に進んでしまっていた。
その後を追うように、急いで追いかける。
「…………」
「いい加減機嫌治してくださいよクロエさん……」
「……ミルクレープ……」
「え? ミルクレープ?」
「ふんっ……」
それ以上の事は何も話してはくれず、無言を決めこむだけだった。
ミルクレープって確かケーキだったよな?ケーキといえば確か、先週あたりに大規模なショッピングモールができ、その中に評判の良い店があったはずだ。
「クロエさん? それじゃあ今週末に時間が空いているなら一緒に新しく出来たショッピングモールの店に行く? あ、俺のおごりで……」
「……それで手を打ちましょうか」
そう、俺と話すクロエの顔にはこれまでの怒りの表情など微塵無かった。
それどころか満面の笑みを浮かべているほどだ。
まさか、まさかとは思うが最初からこれが狙いだったとか……流石に無いか。
洞窟内は月の光が無いため、砂漠よりも薄暗かったので、俺とクロエは携帯用のランプを腰から下げているが、一向にモンスターが寄ってくる気配無い。
この洞窟だけがまるで防音壁で隔離されたように音が聞こえてこないのだ。
「……早かったな……」
上を向くと、張り巡らされた糸をベッドのように使う【エンシェント・スパイダー】の姿があった。
「こっちも急がないといけないんでね。それで準備っていうのはもう出来てるのか?」
「……問題ない……その場でジッとしていろ……」
【エンシェント・スパイダー】は俺達に粘糸つけると、引っ張り上げ、自身の背中へと乗せた。【エンシェント・スパイダー】の背には体毛が生えているのだが、この毛が思いのほか柔らかく、触り心地が良かった。
「……行くぞ……」
「一体どこへ?」
「……蛇のもとだ……」
思いもよらない展開に俺とクロエは顔を見合わせた。
恐らく【エンシェント・スパイダー】の言う蛇とは『蛇神』のことだろう。
だとすれば俺達にとっては願ったりかなったりだ。
ハリルの話では『蛇神』の協力もないと、イラーフ飛泉を取り囲む砂嵐は止められないらしいしな。
俺は【エンシェント・スパイダー】の背で寝ころび、空を見上げた。
小さい頃にプラネタリウムで見た星空よりも、何倍も美しい。
蒼く光る巨大な月も、満天に輝く星の煌めきも、何もかもが。
「……着いたぞ……」
【エンシェント・スパイダー】の声で現実へと引き戻された俺は、跳ね起き、辺りを見渡したが、それらしいものは一切見えない。
【エンシェント・スパイダー】のように洞窟に住んでいるものだとばかり思っていたが、辺りには洞窟はおろかモンスター一匹すら見当たらない。
「ん? それっておかしくないか……」
この【エンシェント・スパイダー】を恐れて逃げ出したという可能性も考えられるがそれにしてもおかしい。何故モンスターが一匹も見当たらないんだ?
その疑問は時間を待たずして分かった。
「何の用だ、蜘蛛よ」
その声はどこからともなく響いてきた。
鋭く、相手を突き刺すような響きを持つ独特な声。
【エンシェント・スパイダー】の重く、低く、相手にプレッシャーを与えるものとはまた違った声音。
「……導き手を連れてきた……」
「ほう……? その背中に乗っている人間か?」
「……ああ、その通りだ……それにこの人間には恩がある……できれば話を聞いてやって欲しい……」
「まあ、蜘蛛がそこまで言うのだ。いいだろう。して、人の子よ、儂に何の用だ?」
「イラーフ飛泉を取り囲む砂嵐を晴らしてほしい」
「なるほど……それだけか?」
俺は無言で頷く。
「ならば力を見せよ。儂は例え導き手だとしても力無き者の手助けはせん」
目の前の砂丘が動いた。
いや、正確には砂丘だと思っていたものが動いた。
その光景には流石に俺とクロエも目を丸くする。
【エンシェント・スパイダー】の大きさを見たため二柱とされる守り神の内、もう一体の蛇もそのくらいだろうと高を括っていたがどうやら間違いだったようだ。
目の前の砂丘が丸ごとうねり、体を持ち上げる。
頭部に二本の角を生やした巨大な大蛇。
口元から伸びる細い舌を巻き、鋭い蛇眼はこちらを見つめている。
「儂の体内のどこかにある、宝玉を持ち帰れたら人の子らの力を認め、協力を約束しよう。だが、もし持ち帰れなかったら儂は二度と人の子らの前に姿を見せず、力も貸さぬ」
「……蛇よ、それは厳しいすぎるのではないか……」
「蜘蛛よ、人の子らに試練を課すのも我らの役目。むしろお前が甘すぎるのだよ、蜘蛛」
「……すまない、主らの願いを蛇は素直に聞き入れてくれないようだ……ここからは某は手助けすることは出来ない……」
どこか人間味を帯びた蛇と蜘蛛のやり取りを見ていた俺は、蜘蛛に気にしないでくれ、と言うと蛇の方へ向き直った。
「それで? 体内っていうけどどうすればいいんだ?」
「なに、簡単な事よ。儂が口を開けておるから人の子らは儂の口の中に入るだけだ。そうだな……半刻以内に戻って来なければ儂は口を閉ざし、何処かへ消えるとしよう」
「半刻って確か一時間だよな? じゃあそれまでにお前の体の中のどこかにある宝玉とやら持ってくればいいんだろ」
それなら簡単な筈だ。
宝玉とはいえ、物は必ず何かと擦れる音を発するはず、それならばその音を頼りに探索すればいいだけだ。
「行くぞ! クロエ!」
時間が惜しい、少しでも早く行かなくては間に合わなくなるかもしれない。
クロエの腕を引くと、俺は【エンシェント・スパイダー】の背を駆ける。
「GENZI君!?ま、待ってくださいよ!」
口を大きく開いて待ち構える『蛇神』、【サンド・スネーク・エルダー】の口の中へとAGIをフル活用して跳躍すると、底の見えない暗闇の中へと跳び込んだ。