毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 拾
止まぬ震動と、喚き散らす細砂の動きがピタリと止まる。
それまで揺れが嘘のように収まり、嵐が過ぎ去ったかのように思われたが、俺は、俺には聞こえていた。丁度俺達のすぐ真下でその音が止まったということに――
「なっ!? うおぉわっ!!」
突然砂が持ち上がり、俺とクロエはバランスを保てずにその場に尻餅をついて転んだ。
一体何事かと思って目の前に視線を向けると、その光景に思わず目が大きく見開いてしまう。
視線の先には、虫の息というところまで追い詰めた五メートルは下らない大型の蜘蛛。そしてその大蜘蛛が子蜘蛛に見えるほどの巨躯に八本の東京タワーの如き威容を放つ足を生やした超大型蜘蛛、【エンシェント・スパイダー】。
頭を上に向けなければ足しか見えず、そのあまりの大きさに姿全体を捉えることすら出来ない。
一体この超大型蜘蛛は何なんだ?
当然の疑問が頭の中に浮かび、すぐさまその疑問は解消された。超大型蜘蛛は傷ついた大蜘蛛を庇うようにする。その動作が子猫を守る親猫のようだったからだ。
俺が刀を鞘にしまおうとした瞬間に、超大型蜘蛛の腹部から射出された糸が俺とクロエの体を簀巻きにした。一瞬の出来事、気付いていたのに防げなかった。一体どうして……
そう思っていると超大型蜘蛛はその長い脚を折りたたみ、視線を俺達に合わせた。
「……主らが我が子を痛めつけたのか……?」
「ッ……!」
突然の問いかけに思わず息を呑む。
目の前に鎮座する蜘蛛は人語理解し、今俺に対して話しかけてきた。一介のモンスターとは思えない程高度なAIを積んでいるとしか思えない。
超大型蜘蛛、【エンシェント・スパイダー】は再度俺に問うた。
「……主らが我が子を痛めつけたのかと聞いておる……」
荘厳なその雰囲気と指すような眼差しに思わず心が屈してしまいそうになる。
怖い……【エンシェント・スパイダー】のギョロリと剥かれた瞳に睨まれ、思わず逃げ出してしまいたくなる。
だが、そういうわけにはいかない。
チラリと横を見ると、俺と同様にその威容に慄いたクロエの姿が見える。彼女を置いて逃げることなど俺の心が許さない。
恐怖に屈しそうになる自らの心を奮い立たせ、眼前に迫る八つの瞳を睨み返すと、はっきりとした声音で声を出した。
「そうだ。そいつが俺達に襲い掛かってきたから俺達は自分の身を護るために戦った」
「……そうか…………主らに感謝する」
「………はっ?」
返されたのは思いもよらない返答だった。
てっきり俺はうちの子をよくも、とか言ってキルされるものだとばかりに思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。ただ、そうなるといよいよ目的が良く分からないが……
【エンシェント・スパイダー】はその大きな口を震わせる。
「……我が子はまだまだ未熟。それ故に主らに手を出したのだろう……某が姿を現した理由はただ一つ、恥を忍んで頼みたい……どうか我が子を見逃してはくれまいか……?」
これ程の巨体と恐ろしい程の力を持つモンスターには似つかわしくない程に、その願いは至極当然で子を持つ親のそれであった。
【エンシェント・スパイダー】は―頭を下げているつもりなのか体を伏せて―視線を合わせたまま、その巨体を地面に擦りつけるようにした。
俺はクロエの方に視線を送ると、クロエは緊張で強張ったままの顔で頷き返した。
それを肯定ととると、【エンシェント・スパイダー】を真っ直ぐに捉えた。
「分かった、俺達はその【マザー・スパイダー】をもう攻撃しない」
「……感謝する……我が子の命を救ってもらった礼をしなくてはなるまい……どんな望みであろうと叶えて見せよう……」
「ん? 今何でもって――あ、すいません何でもないです」
横から何か冷たい視線を感じ、視線の方向を見るとクロエがジト目で睨んでいたのですぐに言葉を撤回した。ただ、そうなると俺達が今この【エンシェント・スパイダー】に頼むことなんて特にない気がするんだけど……
「あ……それじゃあさ、イラーフ飛泉を取り囲んでるあの砂嵐みたいなのを止められたりしないか?」
「いや、GENZI君。流石に無理があると――」
「……ふむ……可能だ………だが、そのためには少し準備が必要になる……某は一度巣に戻り準備を整える……主らの準備が出来たら『バルバロス洞窟』に来てくれ……」
それだけ言うと、【エンシェント・スパイダー】は【マザー・スパイダー】を糸で自身の背に括りつけ、再び砂の中へと潜っていった。
規格外の大きさと恐ろしい力を持ち、人語を解するモンスター……
今回は戦わずに済んだからどうにかなったがもしも戦うことになっていたら敗北を喫していたのは間違いなく俺達だった。
『三頂』をクリアし、実力がついたと浮かれていた傍からこれだ。やはり上には上がいる、ではないがすぐに慢心する癖を俺は治した方がいいかもな……
俺達を縛り付けていた荒縄のように太く、強靭な粘糸は【エンシェント・スパイダー】が消えるとともに自然消滅した。
動けるようになり、未だに砂上に腰を下ろしたままのクロエの元に向かうと、狐につままれたような顔で呆然と虚空を見つめていた。
俺はクロエの肩を軽く叩いた。
「お~い、大丈夫?」
「……えっ? あ、大丈夫です。ちょっとボーっとしちゃって」
肩を叩かれようやく現実―仮想現実の中だが―へと戻ってきたクロエは自嘲気味の笑みを浮かべ微笑んだ。
「とりあえずバルバロスに戻ってハリルに報告すべきだろうな」
「そうですね、イラーフ飛泉を取り囲んでいる砂嵐についても、今しがた現れた【エンシェント・スパイダー】についても報告しないといけませんし」
「じゃあ――」
慣れた手つきで淀みなく人差し指を動かし、『転移のスクロール』を出現させる。
「転移!バルバロス!」
♦
場所は宮殿内部、あの長い廊下をひたすらに俺達は歩いていた。
窓ガラスから差し込む陽光は僅かに色味を帯びており、UEO内での時間では既に夕刻になろうとしているようだ。
靴音を響かせながら廊下を歩き、ハリルの部屋の前に到着すると、二回ノックをした。
内部から「どうぞ」、という声が返ってきたので入室すると、せわしなく書類に目を通すハリルの姿が奥の机に見えた。
「……ん? ああ、GENZI様とクロエ様ですか。どうかされましたか?」
「実は――」
俺達はありのままに起こったことをハリルへ話した。
途中からはクロエが殆どを説明してくれたが、話を聞いている内にハリルの顔は険しくなっていき、しまいには厳しい表情で何かをブツブツと呟いていた。
「――と、いった具合です」
「……なるほど……恐らくですがその【エンシェント・スパイダー】はこの地に伝わる伝説の守り神、二柱の内の一体、『蜘蛛神』様だと思われます」
「『蜘蛛神』……ですか?」
「はい、バルバロスが共和国として名をあげるよりも昔、その時代からこのバルバロスを守護しているモンスターのことです。『蜘蛛神』と『蛇神』、その二体がこの地を守ってくれている、と伝承が伝わっています。もう一つのイラーフ飛泉を取り囲むような砂嵐についてですが、実はこれもバルバロスの伝承の中に非常に酷似したものがあるんです。これを見てください」
そう、ハリルが取り出したのは分厚く、紙の端が切れていたり文字が掠れていたりと年季を感じる一冊の本だった。ハリルは本を開くと、ページを開き一点を指差した。
ハリルの指が差していた先にはオアシスを取り囲むように砂嵐が舞っている絵と、その砂嵐の周りに巨大な蜘蛛と蛇、そして一人の人間の姿が描かれている。
「ここにはこう綴られています。“命源、砂塵に覆われし時、二柱の神と共に活路を開け。命源に潜むは唆毒に塗れた毒蠍。これを滅さずしてバルバロスに明日なし。導き手の力を借り、これを退けよ”」
導き手……またその単語が出てくるのか……
いつの間にか俺の称号に追加されていたこの『導き手』。ユニークに関連するものだろうとは思っていたが未だにどういったものなのかは全貌が見えてこない。
「それはつまり、【エンシェント・スパイダー】ともう一体の蛇型モンスターの協力無いとあの砂嵐は晴らせないということですか?」
「はい。恐らく国家魔術師達を総動員している今の状況でもオアシスの汚染を防げるのは限界まで粘ってあと三日といったところでしょうか……お二方にはそれまでにイラーフ飛泉へとたどり着き、伝承の魔物を倒していただきたい」
ハリルは深く頭を下げた。その背には多くの民草の命と思いを背負っているように俺には見えた。
♦
「クロエ、今日まだ時間大丈夫?」
「はい、大丈夫ですけど……」
「それなら今から【エンシェント・スパイダー】の住処、バルバロス洞窟に向かおう。今回のユニーククエストは今までのユニーククエストに無かった時間制限が付いてる。もしも時間制限に間に合わなかったときに何が起こるか分からない以上急いだほうが良い」
これは本当に思っていることだ。
このゲームで流石にないとは思うが、もしかしたらこのクエストを失敗することによって国一つが消える可能性すらある。
そうなればここにいる人々は……
そんなことには絶対にさせてはいけない。
「………やっぱり健仁君は優しいですね………分かりました、それじゃあ行きましょうか?」
悪戯っぽく笑うクロエの仕草に思わずドキリとさせられる。
「ああ」
俺は少し遅れて曖昧な返事を返した。
クロエが小声で何と言っていたのかは声がくぐもっていて聞き取れなかったが気にせず、バルバロス洞窟を目指してワーシィア砂漠へと一歩を踏み出した。