毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 玖
「……あーー……暑ちぃぃ」
ハムサを出発する頃にはまばらに点在していた雲はいつの間にか無くなり、雲一つない晴天が広がっている。
燦燦と照り付ける太陽が肌を焼き、日光を反射し、煌めく細砂を踏みしめる足は疲労と熱で限界を迎えていた。仮想であるはずのこの体は現実のものと何ら変わらない熱さと疲れを感じていて、その事実が改めて俺を驚かせる。
目的のイラーフ飛泉の場所が分からない以上あとどれだけ歩けば着くのかも分からない。
終わりが見えないというのはそれだけで俺のモチベーションを下げていた。
その時、地中から音が聞こえてきた。
音の感じからしてこれは――
モンスター。だが、【サンド・ワーム】よりも聞こえてくる震動が小さい。
「クロエ、前方の地中からモンスターが出てくると思う」
「了解です。……あっ、私のスキルにも引っかかりました。敵の数は大体十匹前後でしょうか?」
クロエのその報告に俺はうへぇ、と顔を歪ませる。
「それじゃあ、左半分を俺、右半分をクロエが担当ってことで」
俺の提案にコクリと頷いたクロエは俺から少し離れた位置で剣を抜き放った。俺もそれに倣うように刀を二本共鞘から抜き、脱力したまま中段の位置に構える。
俺の耳が捉えた音は段々と近づき、砂の中を這い上がってきているのが分かる。
三……二……一………
「キシャァァァ!!」
地中から姿を現したのは俺やクロエと大きさが何ら変わらない巨大な蜘蛛。
名前は【リトル・スパイダー】。黒と橙の体毛に包まれた体はタランチュラを想起させ、縦に八つ並んだ赤い目がこちらを凝視している。
ゲームとはいえ、あんまり虫型のモンスターって好きになれないなぁ……
そうは思いつつも斬らないと話にすらならない。地中から這い上がった刹那、俺の刀は既に振り切られていた。
「『四光』」
その一刀で斬られたかのように放った四連撃で四匹の蜘蛛たちを両断する。
それらの蜘蛛は自分たちに何が起こったのか分からずに絶命した。その様子を見ていた残りの一匹だけが状況を理解し、俺から距離を取ろうとしていた。
「キシャァ!」
後方に跳び退りながら蜘蛛は吠え、白い糸を放出する。
その糸は俺の体に巻き付こうと伸びてくる。が、あまりにも遅すぎる。
俺の目に映るのはスローモーション映像のような速度で飛来する白い網のような糸。それを左手に持った『不知火』で横に一閃。
切り口から糸は燃え上がり、跡形もなく消失した。
後ろへと跳ぶ蜘蛛との距離を一歩で縮め、肉薄する。
「――ふっ!」
刀を返し、下から真上に斬り上げる。
刀身は蜘蛛を捉え、直線に一本の線が入る。刀についた血を払うように斬り払った後に鞘へと納刀する。
俺が納刀するのと時を同じくして蜘蛛の体が縦にズレ、赤いポリゴンを撒き散らしながら砂上へと落下し、ポリゴンの欠片となって露散した。
「ふぅ……クロエの方は――」
視線の先、蜘蛛たちと対峙するクロエは蜘蛛たちの糸を躱し、剣を中段に構え、スキルを吠える。
「『ブレイドサークル』」
クロエを中心とし、円を描くように回転しながら周りにたかる蜘蛛たちを一刀のもとに伏した。その鮮やかな手並みに思わず舌を巻く。
残りはクロエの葬った蜘蛛たちだけだったようで、それが終わるやいなやリザルト画面が現れた。前回のことで学習した俺達はパーティーを組んでいる為、経験値、GOLD、素材、それらが均等に分配される。
「お疲れ様。何かさっきから蜘蛛のモンスターが多くないか?」
「あ、言われてみれば確かにそうですね……」
「もしかしてこの蜘蛛たちの親みたいなのが出てきたりしてな」
「もう……やめてくださいよ。私あんまり蜘蛛って好きじゃないんですからね?」
戦闘が終わるとまた、長い長い冒険が始まった。
♦
「ん……?」
何の変わり映えもしない砂漠を淡々と歩き始めて早一時間。何度目か分からない【リトル・スパイダー】との戦闘を終えると前方に何かが見えてきた。
枯れはてた死の大地の中でそこだけに天高く砂嵐が渦巻いている。
一体何だろうか?一先ず近寄ってみることにした俺達は少し駆け足で寄っていく。
「クロエ?」
「はい、これは一体どういうことなんでしょうか?」
俺達が疑問を持ったのも無理は無いと思う。
ある程度近づいた辺りで、目の前に【イラーフ飛泉】と大きな白い文字が表示されたからだ。
ハリルの話ではイラーフ飛泉は砂漠なのに水が枯れない不思議な場所で滝が流れている、とのことだったが目の前に広がるのは何かを囲うようにぐるりと砂嵐が渦巻いているだけだ。
おもむろにアイテムボックスの中から必要のないモンスターの素材を取り出すと、砂嵐の中に投げ込んでみる。
すると――
「うわぁ……」
投げ入れたモンスターの素材は木っ端微塵、という表現がしっくりくるほどにバラバラになっていた。
この様子じゃどう考えても強行突破は不可能だろうなぁ……
一途の望みは絶たれ、諦めの色が顔に色濃く浮かび上がった。それはクロエも同じようでがっくりと肩を落としている。
「……一旦帰るか………」
「……そうですね………」
俺達のモチベーションは最低とも呼べるラインまで下がり、バルバロスに向けて転移を試みた瞬間、そいつは突然現れた。
「ッ!? クロエ、横に跳べ!」
俺の声に覆いかぶさるようにして爆発音が鳴り響く。
それは唐突に現れた。
地面から現れたのはこれまで戦ってきたものが馬鹿らしくなるほど巨大な蜘蛛。五、六メートルは優に超える巨体。剥きだしの牙から溢れる緑色の液体が地面に落ちると、その箇所の砂が溶けている。
頭にはこれまでに無かった二つの角が生え、砂を背中から滴り落としている。
「ギィィシャァァァ!!」
どこか興奮した様子の大蜘蛛は思わず耳を抑えるほどの爆音で吠えた。
大蜘蛛の名前は【マザー・スパイダー】。まさかとは思うが……
「さっきまでの蜘蛛の親なんじゃあ……?」
大蜘蛛は俺の問いに答えることなく、砂を強く蹴ると、空高く跳び上がる。すぐさまその姿を目で追い、【マザー・スパイダー】の襲来に構えようとするが、致命的な事に気が付いた。
太陽の光が眩しすぎて大蜘蛛の姿が見えない……!
視界に捉えられないというなら、音に集中するだけだッ!
自ら瞼を下ろし、目を塞ぐとその分集中力が触覚や聴覚へと注ぎこまれるのを感じる。照り付けられる光線により皮膚に感じる熱、そして風を切る鈍い音。
間違いない、この鈍い音こそが空中から飛来してくる【マザー・スパイダー】だ。
音が聞こえてくるのは……真上じゃない、こっちか。
「――せぁッ!」
ここにいると確信し、天を裂くように上段に向けて斬り払う。
間違いない、手応えがあった。視界は閉じているがそこに【マザー・スパイダー】がいることがありありと伝わってくる。
だが、手応えがあるにはあったのだが、どこか妙だ。
恐る恐る瞼を持ち上げるとそこには酸の唾液に濡れた牙をチラつかせる大口が目の前に開かれていた。
「……ッ!!」
不味い、俺の頭の中を危険信号が駆け抜ける。
【マザー・スパイダー】は酸性の緑色の唾液を朝濡れの葉を滴る雫のように、垂らしている。その口を大きく開き、俺の事を飲み込もうとする【マザー・スパイダー】が逃れようとしたが、いつの間にか張られていた粘着力のある粘糸が足に絡みついて思うように身動きをとれない。
「『セイバープロテクト』!」
大きく開かれた【マザー・スパイダー】に牙を突き立てられるよりも先に動いたのはクロエだった。
俺と【マザー・スパイダー】の間に体を滑り込ませるように差し込み、背後に俺の事を庇いながら大きな光の盾で阻んでいる。
「助かった、クロエ!」
「GENZI君!まだ安心するには早いです!」
足を絡めとる粘糸に『不知火』を突き立て、燃やすとその場を即座に離れる。それと同時に光の盾が消えると、限界まで開かれていた【マザースパイダー】の口が勢いよく閉ざされ、牙と牙の噛み合う音が辺りに木霊する。
「ジギギギギ……ギシャァァァッ!!」
【マザー・スパイダー】は吠えると同時に小さな跳躍を繰り返しながら驚くべき速度で近寄ってくる。だが、それでも『光速』に比べれば、BPM1000に比べればそのような動きは止まってすら見える。
難なく回避すると、俺は【マザー・スパイダー】が予め小刻みな跳躍を繰り返している間に張り巡らせていた粘糸のトラップにかかる。
ことはなかった。空中で体を捻り、着地位置を僅かにズラし、粘糸のトラップを回避する。どんな時であろうと視野を広く持ち、相手の動向を観察し続けていた俺はそのトラップに気が付いていた。
やはり、『三頂』で培った能力は無駄などではなかった、それが今この瞬間発揮されていることが感じ取れる。
「さあ、もう終わりにしようか、お前の動きはもう掴んだッ! クロエ!!」
「はい!」
ただ合図だけを送ると、それで理解したクロエは即座に移動を開始する。
俺とクロエは【マザー・スパイダー】を左右から回り込むように二手に分かれて肉薄していき、クロエは翼を展開すると地面擦れ擦れを一気に加速しながら大蜘蛛の腹下へと潜り込み、剣を突き上げ深々と突き刺した。
「ギギギシャァァ!?」
その痛みと驚きから暴れまわろうとする【マザー・スパイダー】の動きにも負けず、その場でクロエは口を大きく開き息を吸い込むと、吠えた。
「『星光』ッ!!」
刀身が青白く、眩く、急速に周囲の光をかき集めるようにして刀身が溢れんばかりに発光した。瞬間、ため込まれた光がダムの放水のように溢れ出し、光は【マザー・スパイダー】を貫き、燐光を撒き散らしながら天高く昇る。
それだけのダメージを受けて尚残るHPゲージを確認すると、これまで気配を消していた俺が【マザー・スパイダー】の上へと飛び乗り、『狂い桜』を突き立てた瞬間――
「……ッ!?」
辺りを、世界を揺らすような巨大な揺れが俺とクロエを襲った。
砂漠はその揺れに共鳴するように浮きだっており、その揺れは次第に強さを増していった。
ぞくり、と背筋が凍る程の悪寒が走る。それは地中深く、今現在進行形で近づくこの音の正体からによるものだと本能的に感じ取る。
不味い、この音の、恐怖の正体に出会ってはいけないと直感が叫んでいる。
一体何が起ころうとしているんだ!?