毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 捌
これは一体どういう状況なんだろう。
目の前にはクロエと、その左右に武装した二人の男性NPC。二人のNPCはアラビア風の格好に長槍を持っており、鋭い眼光をこちらに向けてくる。
「えっと……これってどういう状況?」
「私もあんまり分かってないです……」
クロエがそう言うと、話を遮るように俺から見て右手側に立つNPCが一歩前に出た。
ブーツの子気味良い足音を反響させ、長槍を左手に抱くと音が鳴りそうな勢いでビシッと敬礼し、硬い表情のまま口を開いた。
「GENZI様、バルバロス共和国首相がお呼びしております。至急、宮殿まで付いてきていただきたく」
「あ、はい」
という、俺の返事を聞かず、既に俺とクロエを間に挟むようにして二人の兵士らしきNPCは歩き始めた。
自分の意志とは関係なく、勝手に進んでいく状況に頭を混乱させながらも、俺達は兵士達に連れられるまま目の前に広がる巨大な宮殿へと歩き始めた。
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宮殿内部は華美ではないが一目で高級だと分かる装飾の数々が飾られていた。
静まり返った空間には俺達の足音が反響している。
「こちらです」
NPC達が立ち止まったのはこれまでのものより一回り大きく、一際目につく扉の前だった。
一人が扉をノックすると中から「どうぞ」という声が中から響く。
NPC達が左右に分かれた扉を押し開くと、中には広い部屋が広がっていた。部屋の中は二つのソファーとその間にテーブルが一つ。左右にはぎっしりと本が詰まった本棚が並んでいる。
そして一番奥には書類が整理され、無駄なものが一切ない木製の大きな机と椅子。
その椅子に腰かけた宵闇のように暗いアラビア風の服に身を包んだ男が書類から視線を上げ、こちらへ目を向けた。
「よく来てくださいました、私の名前はハリル・ジダン。この前あなた方に依頼を出させて頂いた者です」
「この前……?」
少なくとも俺の記憶の中ではハリル・ジダンなどという人物からクエストを受けた覚えはない。
クロエに視線を送ると、クロエも身に覚えがないのか首を横に振った。
「ああ、この格好だと分かり難いでしょうか。 あなた方にオアシス汚染の原因を探ってほしいと頼んだのですが……忘れてしまいましたか?」
オアシス汚染の原因を探ってほしいってまさか……
俺が口を開くよりも先に、クロエが目の前の椅子に腰かける男に問うた。
「店主さんですか?」
「はい、そうです」
微笑みを浮かべるその顔には店主から感じた胡散臭さは感じられない。だが、これで納得もいった。何故、しがない店主が国家機密とも思えるような情報を握っているのか疑問には思っていたけどまさか国家首相だとは思ってもいなかった。
怪しい店主改め、ハリルは俺達の方へ向き直ると琥珀色の眼差しをこちらへ向ける。
「GENZI様とクロエ様をお呼び立てしたのは他でもない、あのオアシスの汚染物に理由があるのです。事態は急を要すると考えこうして集まって頂いた訳です」
ハリルは出そうになった言葉を止め、口を一度噤んだあと、再び口を開いた。
「単刀直入に言わせていただきますと、オアシスの汚染は止まりませんでした……」
「な……!?」
その言葉に息を飲んだ。それは最悪と言っても良い結末だったからだ。
驚愕に目を見開いたが、同時に一つの考えが頭をよぎる。
俺達は確かに、ユニーククエスト『迫れ、唆毒の正体』をクリアしたというアナウンスを確認し、実際に報酬として大量の経験値とGOLDも獲得した。
それはつまり、クエストを失敗したというわけではないはずだ。しかし、クエストは最悪の結末の延長線として続いている。
まさか……
ユニーククエストは終わっていない?
だとすればこのことに説明がつく。やはり俺の予感は当たっていたようだ。
思っていたよりもかなり早かったが、ただいまバルバロス。
長い、場が凍り付いたような沈黙。
それを破ったのは他でもない、俯き、無念に濡れた顔をしたハリルだった。
「――GENZI様方が回収したあの物体を解析してみた結果、あれは巨大な蠍の尾節だということが判明しました。そして、その先端からは猛毒が溢れ出していることも……私共もこれでオアシスの汚染が止まると思い、安堵しました。しかし、それは甘かった……」
心底悔しそうに語るハリルは続けた。
「汚染は止まりませんでした。気が付いたのは被害が出てから、ハムサのオアシスを飲んだ青年の異変によって発覚しました。ハムサのオアシスに赴いた魔法師団によって即座に浄化し、今は総動員で汚染の進行を止めています。ですがいつまで持つことか……そこで、GENZI様とクロエ様には再びお力をお借りしたいのです」
目の前にはメッセージが表示される。
【ユニーククエスト『毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ』を開始しますか?】
「これって……」
ようやく言葉を発したクロエは疑問の声をあげる。
それもそうだろう、ユニーククエストをクリアしたと思っていたら再び始まったのだから。
「ユニーククエストだな」
「でも、昨日クリアしたばかりじゃ……」
「ユニーククエストは基本的にユニークモンスター絡みのクエストなんだ。でも、昨日クリアしたクエストにユニークモンスターは出てこなかっただろ? 」
「まさか……これからが本当のユニーククエスト、ということですか?」
俺は頷く。それを見てか、クロエの反応は渋いものだった。
目の前に表示され続けている承諾ボタンに俺はまだ手を伸ばしていなかった。
今回のユニーククエストの話は元々クロエが持ってきてくれたものだ、このユニーククエストをクロエが受けないというならば俺も辞退しよう。
胸にそう刻むとクロエの決断を静かに、ただジッと待った。
そしてついに、その小振りな唇が僅かに震える。
「受けます」
たった一言、だが、その言葉には色々な思いが込められている気がしてならなかった。
力強く伸ばされた細腕は、クエストの承諾ボタンをしっかりとタップしている。
それに倣い、俺も承諾ボタンへと手を伸ばした。
「おぉ……おぉ……!! 本当にありがとうございます!!」
「ハリルさん、既に原因の目星などはついているんですか?」
「はい! ビダーヤ経由で五大湖に広まったのではないとすれば、考えられるのはただ一つ。ビダーヤの源流である、『イラーフ飛泉』に原因があると考えられます」
「イラーフ飛泉?」
「はい、イラーフ飛泉というのはハムサの方向にさらに進んでいった先にある場所のことです。そこは砂漠だというのに水が枯れることなく、滝が流れ続けています。それ故に古来から神聖な場所として知られてきました」
イラーフ飛泉……どうやら今回のユニーククエストでは、まずそこに向かわなければならないみたいだ。
そうと分かれば善は急げ、だ。
「それじゃあ俺達はもう行きます」
「分かりました。あっ……いえ……ご無事を祈っております」
何かを言いかけて口を噤んだハリルに違和感を覚えながらも俺とクロエは部屋を後にした。
静まり返った廊下に足音を響かせながら歩き、宮殿を抜けた。宮殿から出ると、力が抜け、膝が笑う。別段緊張なんてしていないと思っていたが体はそうではなかったらしい。
「大丈夫ですか!?」
その様子を見てか少し慌てた様子で駆け寄ってくれたクロエを手で制止し、言外に大丈夫だと伝える。
そうすると渋々といった様子で引き下がったクロエに、声を掛ける。
「クロエはイラーフ飛泉? に行ったことあるのか?」
「いえ、私も行ったことありませんよ。というか、イラーフ飛泉というエリア自体初めて聞きました。多分ですけどユニーククエスト用の専用マップなんじゃないでしょうか?」
確かにそれは大いにあり得るな。
五輪之介にはあの森が、ナインテールには洞窟があった。つまり、今回戦うことになるであろうユニークモンスターにも専用のマップがあっておかしくないということ。
「とりあえずクロエも行ったことが無いんだったら歩いていくしかないもんな……一先ず行ってみる?」
「そうですね……私とGENZI君のLVならワーシィア砂漠に出るモンスター相手に苦戦することは無いと思いますし、マップを開拓するためにも行ってみるべきだと思います」
「そうと決まれば出発しますか、それじゃあ先ずはハムサに行かないとな」
慣れた手つきで淀みなく手を動かし、『転移のスクロール』を手に持つとハムサの名前を口にする。
「転移!ハムサ」
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とりあえずハムサに転移し終えた。ハリルの情報通りならこのまま東北東に向けて進み続ければイラーフ飛泉が見えてくるとのことだ。
街を出ると、足を奪われ歩きにくい砂漠の上へと身を躍らせた。今日の天気は昨日程太陽が出ているわけではなく、所々に雲は点在しているが、気温が高いことに変わりはない。
恐らくイラーフ飛泉に着くまでの間に大量のモンスターに襲われることになるんだろう。
先の出来事を考えると憂鬱な気分になってくる。僅かにこめかみを抑え、先の事を考えても仕方がないと自分に言い聞かせると、どれだけ歩き続ければ着くかも分からないゴールに向かって歩みを進めた。