毒蠍ヨ侵シ蝕ミ唆セ 陸
昨日とは打って変わって、空には燦燦と輝く太陽が昇り、日光が人々を照り付けている。
ちょうど昨日ログアウトしたベンチに座り呆けていると、首筋に冷気が走り、体を電撃が突き抜けるように悪寒が駆け抜ける。
「っひぅ!?」
思わず跳び上がって後ろを振り向くと、そこにいたのは悪戯っ子のような顔をしてクスクスと笑うクロエだった。
「もう、GENZI君ったら大袈裟ですよ~。はい、どうぞ。身を持って体感したと思いますけど冷たいですよ」
クロエが両手に持っていたのは透明な容器に入れられた氷菓子のようなものだった。
片方を俺の方に差し出し、どうぞ、というので手に取ると掌からその冷たさが伝わってくる。
「仮想のものとはいえ美味しいですよ? これも仮想のものですけど今日は日差しが暑いですから、冷たいものがきっと美味しいはずです」
クロエはスプーンで氷をすくうと口に頬張り、美味しそうに唸っている。
左手に持たれた氷菓子に視線を落とすと、既に溶け始めていたので俺も急いで食べることにした。
鮮やかな紺碧のシロップと、カップの縁に付けられた緋色のオレンジが南国風の鮮やかさを演出している。
スプーンですくって口に入れると氷が程よく溶け、それでいてシャリシャリとした食感がたまらない。
一口つけると止まらなくなり、二口、三口と次々に手が進んでいき、いつの間にか完食してしまっていた。
「ふふ、美味しかったみたいですね?」
「ああ、まあ……」
少し照れ臭そうにすると、それが可笑しかったのかクロエは僅かに笑っていた。
UEOを一緒にプレイしているときのクロエは学校とは少し違った魅力があるように思える。
学校でも確かに笑顔なのだが、何か違う気がするのだ。
思考が脱線していると、クロエが俺に声をかけ、本来の目的を思い出す。
「それじゃあGENZI君、いきましょうか」
ああ、と短く返事を返すと俺はベンチから立ち上がった。
俺達の本来の目的は昨日解いた暗号の答えの場所へと向かうことだ。
あの暗号を解けたのはあの地図のおかげだ。
バルバロス共和国全体を上空から写したこの地図を見ることで暗号の謎を解くことが出来た。
『五つの頂より線を対に結べ。その中心に答えはある』
五つの頂とは五つのオアシスを指していた、ワーヒド、イスナーン、タラータ、アルバア、ハムサ。
そしてこの五つのオアシスは正五角形を描いている。この対角に当たるオアシスを繋いでいくと、奇麗な星型が浮き上がる。
そしてその中心こそが俺達の目的の場所。
「それじゃあ行くぞ。転移!バルバロス」
俺とクロエの体は白い光に包まれ、後にはポリゴンの欠片が残る。
はずだった。
「な、何だ……? これ?」
目の前に表示されたのは見慣れない文字。
【現在バルバロスへの転移は行えません】?
俺の様子と『転移のスクロール』を使用したのに転移されない状況にクロエも異変を感じ俺のことを見つめ上げた。
「これは一体どうなってるんでしょうか?」
「俺にも分からない……ただ、目の前に【現在バルバロスへの転移は行えません】っていう文字が表示された」
「そんなことが……転移が使えないのなら定期便を使ってバルバロスに向かいましょう」
「そうだな、それが一番か」
♦
「え、定期便の運航を一時停止中……?」
「悪いな嬢ちゃん、ここはそうでもないんだがワーシィア砂漠を砂嵐が舞っててな。それで定期便を一時運航停止にしてるんだ」
「よりによって今か……」
まるで狙ったかのようなタイミングで重なる移動手段の制限に思わず愚痴が零れる。
今はだいたい午後九時くらいだ、そしてクエストに表示されているタイムリミットは残り三時間。
あの怪しげな店主が言ってた通りクエスト開始から丁度一週間で毒を防いでいた魔法が解けるというわけだろう。
「ありがとうございました、また今度乗らせてもらいますね」
「おう! 彼氏と二人で来いよ!」
「か、かか、彼氏じゃありません!!」
そんなに強く否定する必要ないんじゃないか……
俺が内心傷ついていると顔を赤くしたクロエがずかずかとこちらに歩み寄ってきた。
「お待たせしました、どうやら定期便も砂嵐の関係で使えないようです」
「そうしたら、やっぱり……」
「はい、歩いてワーシィア砂漠を踏破します」
♦
歩き始めてから約一時間。
この体は仮想のものだから実際は疲れていないのだが、脳は仮想のその疲労を感じ取っていた。
燦燦とギラつく太陽はHPにデバフを、足元の砂はAGIにマイナス補正を与えている。
そんな状況の中、俺達は店で購入した『風の外套』というアクセサリーを頭から被り、襲い来るモンスターを狩りながらバルバロスを目指していた。
「それにしても襲ってくるモンスターの数が多いですね……前に通った時はこの三分の一程だったと思いますが……」
「あー……ごめん、それ多分俺のせいだ」
「え?」
俺は砂を踏みしめながらクロエに『修羅の呪い』の効果を説明した。
「なるほど、確かにデメリットともメリットともなるパッシブスキルですね。ただ、今回の場合はデメリットとしての側面が多かったみたいですけど……」
「非常に申し訳ない……」
「いいですよ、そんなに謝らなくて。私だってGENZI君に迷惑をかけてしまうことがあるんですから、GENZI君だって私に迷惑をかけていいんです」
何てええ子なんや……
思わず眦から零れそうになった涙を、目にゴミが入ったかのように擦った。
その時、俺は音を察知した。
この音は……地中から聞こえてくる。恐らく、敵!
「クロエ!」
「地中ですよね!」
バックステップすることでその場を離れると、俺達が立っていた場所の下から何かが砂を巻き上げながら姿を現した。
【サンド・ワーム】
ワーシィア砂漠をここまで歩いてくる最中に何度も遭遇した地中に潜むモンスター。
LVはそれなりに高いのか薄い赤。ということは恐らくLV80前後と見て良い。
地中から伸びた長い身体をうねらせると、再び砂に潜る。
サンドワームはこうして砂に潜り、相手の下から現れて攻撃を仕掛けてくる厄介のモンスターだ。
「クロエ!右後ろだ!」
「はい!」
この間の『三頂』クリアで俺の聴覚はさらに磨きがかかっていた。
音を聞いておおよその相手の位置を把握するなど朝飯前だ。
「ヒュギャァァア!!」
目の無い大きな口だけの顔をした怪物は奇怪な声を張り上げながら飛び出てきた。
その瞬間こそが最大の好機。
「せぁぁああッ!!
クロエが右手に握り締めた片手剣が唸り、サンドワームの身体に突き刺さる。
サンドワームは飛び出る勢いを殺しきれず、剣が突き刺されたまま、上へ上へと昇っていく。
「ヒュギギギギギィィィ……!」
結果、その体は魚がさばかれるように下ろされ、断末魔の叫び声をあげながらポリゴンの欠片となって露散した。
剣を収め、戦闘態勢を解いたクロエの元へと駆け寄ると、自身の後ろに庇うようにクロエの前に立ち、目の前から飛び掛かってくる見えない敵を切り裂いた。
「キュルルルゥァ……」
小さな悲鳴をあげてこと切れたモンスターを一瞥し、今度こそ戦闘は終わりだとばかりに俺も剣を収めた。
「ありがとうございます、GENZI君。まさか【サンド・カモフラージュ・スネーク】が近くに居るとは気が付きませんでした……」
「仕方ないよ、アイツ姿が見えなければ、索敵スキルにも引っかからないから」
俺は苦笑してクロエにそう言った。
【サンド・カモフラージュ・スネーク】
【サンド・スネーク】の隠密能力をさらに高めたという上位種らしい。
クロエも索敵スキルを取得しているらしいが、それでも【サンド・カモフラージュ・スネーク】の接近に気付くことは出来ない程だ。
俺がそれに気が付けたのはクロエとサンドワームの戦闘中も僅かな音ですら逃さないようにと集中していたからだ。
それに『三頂』クリアで培ったのは聴覚だけじゃない。
視野を広く持つことの大切さ、これはオウガさんに言われたという影響もあるが、それでも間違いなく師匠の言葉は俺の中でさらに根付いていた。
「そういえば……ドロップアイテムのことを見ていて思い出したけど、俺とクロエってパーティー組んでなかったんだな」
パーティーを組んでいる場合、ドロップアイテムとGOLDはその人物の活躍度に応じて分配されるのだ。
だが、今の戦闘で手に入れたのは【サンド・カモフラージュ・スネーク】の素材だけだった。
「あ、言われてみればそうですね」
「パーティー組んでたら転移の時にいちいち体の一部に接触する必要なかったのに、気付かなくてごめん。クロエだって好き好んで俺の手を握ってたわけじゃないだろ?」
「……私はそれが嫌だから敢えてパーティー申請してなかったんですよ……」
「え? ごめん、もう一回言ってくれる? 聞こえなかったんだけど……」
「何でもありません!」
ふん、と鼻を鳴らすとクロエは速足で歩いて行ってしまった。
慌てて後を追いながら、何か地雷を踏むようなことを言ったか考えるのだった。
♦
それからもう一時間程かけて何とか砂嵐の中、ワーシィア砂漠を踏破し、バルバロスに辿り着いた。
午後十一時半を過ぎていた。
クエストのタイムリミットまで既に残り三十分を切っている。
「急ぎましょう!GENZI君!」
「ああ!でも、もう目星は付いてる、あとはそこに向かうだけだ!」
俺は迷いなく駆け出すと、人混みの中を掻き分けるようにして大通りを走る。
暗号に書かれていた中心とは本当に中心のことを指している。
だとすれば、星の中心であるバルバロス、そのバルバロスの中心はどこか?
答えは簡単だ。
「着いた……!」
そう、バルバロス発展の始まり、中心に構えるオアシス、ビダーヤだ。
鎧が濡れることなど気にしている余裕はない。
オアシスの中へと踏み込むと、水を掻き分け、オアシスの中心地へと歩いていく。中心へと進めば進むほど水深が深くなっていき、ついに辿り着いた中心地では腹辺りまで水が昇ってきていた。
オアシスの水は透き通っているため水面から探しているが目ぼしいものが見つからない。
早く見つけなければならないという焦りが俺の思考を鈍らせる。
それでも早くしなければならないのだ。
早く……早く……早く……早く……!!
「落ち着いてください」
後ろを振り返るとそこにはクロエの姿があった。
クロエは俺の手を握り、ゆっくりと、子供を諭すように、包み込むように話しかける。
「私も一緒に探します。大丈夫です、きっと見つかりますよ。GENZI君はユニークに愛された男ですよ?そんなGENZI君ならきっと大丈夫」
その言葉はスポンジが水を吸収するように自然と俺の心の中に浸透していった。
自分の情けない所を見られたという恥ずかしさと、照れくささを隠し、俺はクロエを見据えた。
「クロエ、手伝ってくれないか……?」
「ええ、喜んで」
俺達はオアシスの中を隈なく捜索した。
怪しいもの、変わったもの……
だが、それらが見つかることは無かった。
時間は刻一刻と迫ってきている。
これだけ探して見つからないということは、俺は何か見落としているんじゃないか?
そう思い始めた時だった。
「GENZI君! コレ……!!」
クロエが見つけたもの、それはオアシスの底に突き刺さった何かだった。
間違いない、あれがこのクエストの要!
底に突き刺さった何かに手を伸ばし、手にそれを握り締めると、両手で思い切りそれを引き抜いた。
「うおっ!?」
力を込めて踏ん張ると想像より遥かに容易く抜け、俺は体勢を崩し、背中から着水した。
「GENZI君!?」
「……っぷはぁ…!」
勢いよく水面から顔を出すと、すぐにクエストログを確認する。
クエストの右側に表示されていたタイムリミットは止まり、残り三十秒の所で止まっており、クエストは次の段階に進行していた。
目標が切り替わり、現在は店主に会いに行け、に変わっている。
「何とか……終わったみたいだな……」
ふぅ、と短く溜息をつくと呆然とその場に立ち尽くした。