剱虎ヨ切リ裂キ断チ切リ力ヲ示セ 伍
「う……かっ……クソッ……予想よりも、大分……早いな」
【ティルグリース】の顔は冷や汗で濡れ、頬を伝い落ちた雫が地面を濡らす。
呼吸を荒げ、胸を抑えながらその場に四つん這いになった【ティルグリース】は何かブツブツと独り言を言っているが、俺には聞き取ることが出来ない。
HPゲージは以前五割を僅かに下回ったまま変わっていない、別段バフが付与された訳でもない。
そうなれば、思い当たる節は一つしかなかった。
「まさか……原初の罪、っていうやつか……?」
俺が自信なくぼそりと呟くと、【ティルグリース】は玉のような汗を頬に浮かべながら、それでも不敵な笑みを見せる。
「ああ、どうやら……くっ……そうみたいだな。GENZI、本当ならもう少しお前に俺の技を見せてやりたかったが……はぁっ……そんな悠長なことも言ってられなくなっちまった……」
敵とはいえ、【ティルグリース】の苦しむ姿をまじまじと見せつけられ、思わず顔を背けてしまいたくなる。だが、同時に心の中では弱り切った今の状態の【ティルグリース】になら、勝てるのではないかと打算的に考える自分も居た。
俺の心情を知ってか知らずか、【ティルグリース】は先程よりもさらに呼吸を早めながら口を開く。
「俺に止めを刺せ……お前なら出来るはずだ。七柱の内二人を殺し、あの五輪之介に認められた男だろ? それなら出来るはずだ……早くしろっ!」
「っく……」
先程まではあれほどまでに勝ちたいと願った相手、その相手に今、勝利しようとしている。
だが、俺の望んだ勝利はこんなものじゃない。
俺が望んだのは死闘の果て、どちらが勝つか分からない接戦の果てに迎えた掴み取るような勝利だ。
もし、【ティルグリース】があのタイミングで攻撃を止めなければ負けていたのは俺の方だった。
それなのに、こんな意味の分からない勝ち方をしたところで、喜びなど微塵も無い。
それでも。
それでも、この剣士が俺に殺せと言うならば――。
「……」
沈黙を保ったまま【餓血】を手に、四つん這いになった【ティルグリース】に近寄る。
地面に視線を向け、顔を下げたままの【ティルグリース】の首元にそっと刃を這わせると、大きく振りかぶり、刀を振り下ろした。
刀は遮られることなく【ティルグリース】の首を断った。
HPは一気に全損し、体を支えていた四肢から力が抜け、【ティルグリース】はその場に倒れた。
血振りすると【餓血】を鞘へと納め、亡骸を視界に入れないまま、俺は踵を返した。何故だか、奴の亡骸を見る資格が自分には無い気がしてならなかったのだ。
一歩、【ティルグリース】の剣の能力で体の自由を奪われていたクロエ達の元へ向けて一歩踏み出した時、背筋を悪寒が電撃の如く走り抜けた。
「……っ!」
勢いよく振り返るとそこには、何も無かった。
そう、何も。
よく考えれば、いつも通りのユニーククエストであればユニークモンスターを討伐したと同時に討伐アナウンスが流れるはずだ。
だが俺はそれを聞いていない。
そればかりかそこにあったはずの【ティルグリース】の亡骸も消えている。
ポリゴンの欠片となって霧散したというなら分かる、だがUEOではポリゴンの欠片となって霧散するとき、蒼いエフェクト光と共に硝子が割れるような音がするのだ。
俺はそれも聞いていない。
全身の体毛が逆立つような錯覚を覚える。
動悸は早く、鼓膜にまで鼓動が響いてくる。
そして、ソレは現れた。
「よォ、また会ったナGENZI」
「……っ!」
突如耳元で囁かれ、俺は咄嗟に大きく飛び退いた。
俺の背後に立っていたソレは、【ティルグリース】の姿をしてはいるが、明らかに【ティルグリース】とは異なる音……というよりも、雑音を撒き散らしていた。
その名前も、変化を遂げている。
『暴食』の【ベルゼブブ】、それが目の前の【ティルグリース】の姿をした何かの名前だった。
「そんなニ警戒するなヨ、俺はベルゼブブ。ティルグリースの中ニ封じ込められてた原初の罪、暴食を司る悪魔サ」
「それは無理な話だ。お前からは今までに聞いたことが無いくらいに五月蠅い雑音がするんでな、思わず斬り殺しちまいそうだ」
「かかかっ! 中々愉快な事を言う奴だナ。お前の戦い、ティルグリースの中から見させて貰っていたが……正直拍子抜けだったゾ」
肩を竦め、溜息をつきながら【ベルゼブブ】は嘲笑を浮かべる。
俺を蔑むような視線を向けながら、続ける。
「ティルグリースの奴、自分では二つ名を抑制と名乗っていたがナ、この時代で有名な奴の二つ名はもう一つの方ダ。仟剱のティルグリース、それこそが奴のもう一つの二つ名ダ」
「仟剱……? それが俺に落胆するのと何の関係があるって言うんだ」
「アイツの二つ名の由来はなァ、仟の強力無比な劔を相手に合わせて使い分ける闘い方から来たものなんだヨ。お前と戦っている時、アイツは何本の剱を使った? たったの五本ダ、しかも内一本は何の効果も持たないボンクラ、他の四本もアイツの貯蔵している劔の中じゃ下位の部類だしナ」
相手は悪魔、ただ口から出まかせを言っているだけかもしれない。
だが、俺にはこの悪魔が話すことは、このことに関しては本当のことだと思えた。
【ティルグリース】は俺に対してまだまだ全力を出していなかった。
奴が本気を出していれば、俺など初めから相手にもならなかったということか……。
「だからよォ」
悪魔は、【ベルゼブブ】は【ティルグリース】とは別種の獰猛な笑みを見せる。
悪意で溢れた瞳を細め、白く鋭い歯を覗かせながら笑みを見せる。
「俺がさっきの戦いの続き、してやるヨ。ティルグリースの本気の力を全て解放した状態でなァ、お前も嬉しいだロ?」
「ああ……そうだな。だが、俺が戦いたいのはあくまでティルグリースだ。お前みたいな紛い物に興味は無いんだよ悪魔」
「かかかっ! そうだなァ、それじゃあ条件をつけよウ。もしもお前が俺に負ければ、俺はお前が守ろうとしていた街の人間を全員喰い殺ス。お前が勝てば俺は何もしなイ。ナ? 簡単だロ?」
先程大きく飛び退いた時に、咄嗟に抜いた刀の柄を握る手に力が籠る。
悪魔は言った、街の人々を全員喰い殺すと。
今の発言を聞いて確信した、やはりコイツはもう、【ティルグリース】ではない。
【ティルグリース】の形をした化け物だ。
「それは聞き捨てならないなぁ」
「ア……?」
背後から聞こえてきたのは少し間延びした何度も聞いてきた声。
だが、その声からは明確な怒りの感情が聞き取れる。
【ベルゼブブ】の視線が俺の背後へと移り、俺も釣られるようにして背後を顧みる。
そこに立っていたのは先程まで確かに倒れていた麒麟だった。
隣にはクロエとぽてさらも武器を構えて【ベルゼブブ】に鋭く視線を送っている。
「お前ら! もう麻痺は解けたのか」
「はい、ぽてが麻痺状態になる直前に状態異常回復の魔法をかけていたんです。それでも、麻痺がかなり高位のもので解けるまで時間がかかりましたが」
苦笑を浮かべるクロエの顔を見て、僅かに安堵する。
視線を【ベルゼブブ】へと戻すと、目が合った。
「まァ別に何人増えた所で変わらねぇヨ。俺がお前らを蹂躙して、全員喰い殺したら今度は街の奴らを全員喰い殺ス。久しぶりの世界ダ、世界を貪りつくしてやるヨ」
「やらさねぇよ、悪魔。ここからはノーミスでクリアしてやる」
金属音を鳴らし、刀を構える。
背後にいる仲間たちも俺に続くように、武器を各々が構えた音が聞こえてくる。
標的は目前の化け物、【ティルグリース】の亡骸を悪戯に弄ぶ悪魔。
余裕の笑みを浮かべ、目を細める悪魔との闘いの火蓋が落とされた。
「第二ラウンド開始だっ!」