音ゲーマニアが情報収集するようですよ クロエ後編
「はぁっ!」
『グウェルゥゥゥゥ……』
クロエは巨大兎を斬り払った刀を鞘へと戻すと再び平原を歩き始める。
街を出てから約十分、クロエが歩いているのは広大な面積を誇る【ディバイン平原】の西端。
星龍ステラに謁見すべく、ステラの住処である【星晶巌窟】へ向かっている。
歩いていると、次第に開けた草原の姿が見えなくなり、針葉樹が立ち並ぶ森の中へと入っていく。
「この道を歩いているとあの時の事を思い出しますね……」
クロエは以前に一度、星龍ステラのもとを訪れたことがあった。
それは以前、この国が危機に瀕するという大規模なクエストを請け負った際のこと。その時のクエスト達成条件は、ディバイン神聖国を滅ぼさんとする邪龍を討伐する、というものだった。
当時のクロエは種族は人族、職業も聖騎士で、邪龍に対抗するには些か力不足言わざるを得なかった。
そこで、教皇からの勧めもあり、この国の守護龍である星龍ステラに謁見し、その加護を授けてもらうこととなりこの巌窟を訪れた。
「……やはり、いつ見てもすごいですね……」
巌窟の入り口は縦幅横幅共に広く、軽くマンションの七階分程はある。
さらに巌窟の中に入っていくと、中は水色の光を発する輝く結晶があちらこちらから顔を出し、巌窟の中を照らし出している。
その光景は幻想的で、見ることが二度目だというのにクロエも思わず簡単の声を漏らした。
結晶に彩られた一本道を進んでいくと、天蓋部から外の日差しが差し込む一際巨大な空間に出た。
その中央には身体を丸めて眠りに付いている巨大な龍の姿がある。
クロエが一歩その広大な空間に足を踏み入れると、中央で眠る龍が瞳を閉じたまま問いかけた。
「汝は何者だ、何用で我が元へやってきた」
地の底から響くような声、それでいて風鈴の音のように澄んでいて美しい声が発せられる。
クロエは少し緊張の面持ちでさらに一歩踏み出た。
「クロエです、ステラ様。ステラ様に教えて頂きたいことがあって参りました」
「む……クロエか。久しいな」
「はい、お久しぶりです」
横にしていた巨体を起き上がらせると、ステラは前脚を地面に着き、体を起き上がらせる。
薄く青味がかった白い鱗に巨躯を覆われた星龍は真っ直ぐにクロエの事を見据えた。
「して、何用か我が愛子よ」
「はい、実は私にティルグリースというモンスターに関する情報を教えて欲しいんです」
ステラはその眼を寂しそうに伏せ、感慨に耽る。
「む、ティルグリースがモンスター……そうか、この時代ではそう見なされているのか……」
「あの……ステラ様?」
「すまなかったな、ティルグリースに関する情報か。何故クロエはティルグリースの情報を欲する」
龍の暖かく穏和な眼差しがクロエを見つめる。
その瞳は優しさに満ちていたが、同時にその奥底にはクロエの背筋をひやりとさせる光があった。
クロエはその瞬間、初めて星龍に対する恐れを僅かに抱き、額から冷や汗を流しながら恐る恐る口を開いた。
「……ティルグリースとの約束のためです」
「ほう、約束か。どのような約束なのだ?」
クロエはありのままを話した。
【ティルグリース】が既に正気を保つのにやっとであるということ、そしてそんな【ティルグリース】が自らの死を望んだこと。
「ティルグリースとの約束を果たすため、村の人々を救うためには何としてもティルグリースに勝利し、ティルグリースを……殺す必要があるのです。そのためには今の私達では力が及ばない、だから、ステラ様お願いです。ティルグリースのことを、教えてください」
ステラは自身の瞳を真っ直ぐに見つめる愛子の姿をジッと見つめ返すと、その澄んだ翠色の円らな瞳が真摯に訴えかけていることを悟った。
そこに、自身に対して僅かとはいえ存在した恐れが垣間見えなかったこともあり、ステラはその長い首を縦に振った。
「いいだろう、クロエよ。汝の望み、聞き入れよう」
「ステラ様……!」
「クロエが知りたいのはティルグリースの何だ、弱点か、戦い方か、それともその性格か?」
畳みかけるように早口で募ったステラの言葉は頭の中で反復すると、クロエは「う~ん……」と悩んだ末結論を出した。
「全て知りたいです、少しでも勝率を上げることが出来るのなら私はそれを知りたい」
「……うむ、そうか分かった。では、単刀直入だが奴の弱点を教えてやろう。ティルグリース、奴の弱点は……今の奴には無いだろう」
「そんな……」
クロエが消沈し、思わずその場に崩れ落ちる。
星龍の言葉は続いた。
「今の、な。元々の奴なら奴の甘さが弱点となったのだが、今は原初の罪に心を蝕まれているようだからな、その弱点は無いだろう。だが、逆に今よりもさらに心を蝕まれたのならば新たに弱点が生まれる」
「……? どういうことでしょうか……」
「うむ、ティルグリース、奴が自身に封印した原初の罪は暴食。それは目についたものすべてを喰らおうとするものだ、文字通りな。故に、その性質を逆手に取る」
どういう意味かとクロエが小首を傾げると、ステラは前脚を上げ、指を一つ立てた。
すると、近くに在った結晶が人の形を成し、もう一つの結晶も人の形を作る。
「例えばだ、あの人形をティルグリース、あの人形を村人としよう。原初の罪に完全に飲まれたティルグリースは正気を失い、自身の意志とは関係なしに人を襲う。そして目についたものを片っ端から食いつくすのだ」
そう言いながら星龍が指差した先では、ティルグリースとした人形がもう一方の人形を喰っていた。
その光景は人形とはいえ悪趣味で気味が悪く、クロエは思わず顔を逸らした。
「すまんな、もう少し我慢していてくれ」、そうステラは言うと、喰われていた人形を消し、代わりに一つの林檎を作り出す。
「逆に言えばティルグリースはどんなものでも喰らって自身の糧にしようとする。その性質を利用するのだ、あの林檎には毒が仕込まれている、だが――」
言葉を区切ると、人形が再び動き出した。
人形は一目散に毒の含まれた林檎に飛びつき、その林檎を瞬く間に喰らいつくす。
そして数秒と経たずにその場で倒れ伏した。
「このようにな。だが、まあこの方法は宛てにならないだろう」
「何故……ですか?」
「恐らくだが暴食を宿した者に毒などの状態異常は効かない。これは確証を得ているわけでは無いが、恐らく間違いない事だと考えて良い。故に――」
話している最中、唐突にステラが言葉を切る。
その様子を不思議に感じたクロエがステラのことを見上げると、ステラはその顔を僅かに綻ばせながらクロエに視線を向ける。
「すまないなクロエ、少々用事が出来てしまった。後の知識は我の魔法で汝の頭に直接記憶として刻む故、心配せずとも良い。……………………よし、もうよいぞ」
ステラが何かを念じると、クロエの頭の中に膨大な量の知識が流れ込んできた。
不思議とその知識は前からクロエが持っていたのではないかと錯覚するほどに自然と馴染み、手に取るようにティルグリースに関する情報が出てきた。
その様子にクロエが目を見開いていると、ステラは翼を羽ばたかせ、巌窟の天蓋部に空いた穴から飛び去っていく。
「それではな、クロエ。また会う機会が来ることを望んでいるぞ」
「はい! ステラ様、ありがとうございました」
クロエが勢いよくお辞儀するのを見ると、ステラは上空の遥か彼方へと跳び退っていく。
その様子を見送ったクロエ自身も、【転移のスクロール】を使用して聖都【ディバイン】へと転移した。
♦
星龍はクロエが巌窟から消えたことを確認すると、ぐるっと一周周るようにして再び巌窟へと戻ってきた。
先程までクロエが立っていた位置には、若い男が立っている。
「久しいではないか、汝がここを訪れるなど」
「ええ、そうですね。私が貴方と話すのなど、何年振りでしょうか」
「それで、汝は我に何用か。我が愛子との時間を潰したのだ、それなりの要件でなければ如何な汝と言えど相応の罰を受けてもらうぞ」
何が可笑しかったのか、男は「ふふっ」と柔らかに笑みを浮かべる。
「私の前でその言葉を口にするのですか? ステラ様は中々冗談も言えるようだ」
「……ふむ、それでどのような要件なのだ」
「ええ、実は私もそろそろ危なくなってきていまして」
言葉を聞いたステラは目を細める。
その視線には悲しみと哀れみ、悔しさの念が込められていた。
「そうか……どれ程持つのだ」
「そうですね、持ってあと数か月というところでしょうか」
男の顔は満ち足りた表情を浮かべていた。
そこにはステラが向ける悲しみや哀れみの念など一切感じられない。
「彼が間に合ってくれれば、私としては喜ばしい事なのですがね」
「それは汝だけでなく、世界からしてもそうであろう」
「そうですね、それでは失礼します。あまり長い間ここにいることも出来ないので」
「ではな……」
「ええ」
男は最後まで笑顔を貫き、最後は魔法を唱えどこかに消えてしまった。
残されたステラは一人、男の名前を噛み締めるように呟いた。
「ではな……英雄の長、メタノイアよ」
その呟きは誰に聞きとられるわけでもなく、静かにその場で掻き消えた。
星龍は眠る、またその時が来るまで。