音ゲーマニアがヌシを釣り上げるようですよ
【アズール】の街の外周部、迷路のように曲がりくねった小径を歩き続けることで辿り着くことのできる釣り場は釣りマニアの間でも知る人ぞ知る秘所だった。
その釣り場に大きく湾曲した釣り竿を持ったプレイヤーが姿を現す。
「お、先客がい……ひっ……!」
男は先に釣り場に居た四人のプレイヤーに挨拶しようと近づき、大の男だというのにみっともなく悲鳴をあげる。近づいたプレイヤー達は全員が鬼気迫るような表情をしており、その瞳はどこか虚ろで、まるで幽霊のようだった。
すると、男の接近に近づいた四人が首をぐるりと回転させ一瞥する。
「ひっ……うわぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」
さながらホラー映画のようなその状況に恐れをなした男は釣り道具をその場に取り落としたことにも気が付かず、大慌てで来た道を走り去っていった。
幽鬼の如くぬらりと立ち上がると、一人のプレイヤーが男の取り落とした釣り道具に視線を落とし、溜息をついた。
「なあ……何で俺達は顔を見られただけで逃げられるんだ?」
「そりゃあGENZIがそんなに怖い顔してるからだよ」
「お前には言われたくない」
今、釣り人達の間で【アズール】のどこかにある釣り場に四人の亡霊が現れる、などという不名誉な噂が立てられていることをGENZIはつい先程聞き及んだのだ。
そしてその四人の亡霊というのがGENZI達のことを指しているのだと理解するまでに時間は用さなかった。
「食事・仮眠・トイレ、現実世界でやらないといけない必要最低限のことをする以外の時間をこの釣りに費やし始めて早二日……。俺達の前にヌシが一向に姿を現さねぇよぉ~……ぽてと氏本当に情報のソースは信頼できんのぉ?」
「いやあ信頼できる……と思う、よ……? 実際彼はここでLVを上げて帰ってきたし……ね?」
やんややんやと麒麟とぽてとさらーだが喚き散らしている中、終始無言を貫き通していたクロエの隣にGENZIが腰かける。
隣に気配を感じたクロエが振り向き、GENZIと目が合った。
「あ、GENZI君でしたか……。どうかしましたか?」
「ん、いや別に。ただ、クロエがアズールに来てからずっとその調子だからどうしたのかなーって思っただけ」
「気付かれちゃいました……?」
ばつが悪そうにクロエは笑みを浮かべると、GENZIは首を縦に振った。
クロエは「はぁ……」と軽く溜息をつくと、ぽつりぽつりと語り出した。
「私、フランスに住んでいたって言ったじゃないですか? フランスには、私の父方の祖父母もいて、私は祖父母と一緒に暮らしていました。その家のベランダから見える景色が丁度あんな海と青空だったんです。それで、昔の事を少し思い出しまして……」
昔を懐かしむように瞳を閉じると、クロエは穏やかな顔で言った。
それを見たGENZIも感化され、少ししんみりとした空気が流れる。
「そっか……あれ、でもクロエって確か今もフランスに帰省中なんじゃなかったっけ?」
「はい、そうですよ」
「それなら今は昔住んでた家に戻ってるからそんなに懐かしい光景でもないんじゃない?」
GENZIのその言葉に、クロエは表情を暗くさせた。
いつものクロエには見られない様子を感じ取り、GENZIがやってしまったと思った時には既に遅かった。
クロエが消えいってしまうような小さな声でぽつりと話し始める。
「はい、ですけど、一緒にあの光景を見て私に優しく笑いかけてくれるおじい様とおばあ様はもういないんです……。私がフランスへ帰ったのは、帰省の意味もありましたけどそれ以上に……おじい様とおばあ様のお葬式に出席するためというのが、大きかったんです……」
「あ……」
GENZIは悟った。
どうしてクロエが海を見た途端に駆けだし、どうしてあの光景をあんなにも愛おしそうに眺めていたのか。
どうしていつもと様子が違ったのか。
どうして自分は……彼女を泣かせてしまったのか。
話していくうちにクロエは大きな瞳に溜まった涙を溢れさせていた。
自分が悪いのだ、何か声を掛けないと、そうは思ってもGENZIの口は鉛で固められたように動かない。
「ごめっ……んなさい……GENZI君は……悪くない……のに、私……」
「……っ!!」
その顔を、その言葉を聞いて、GENZIは自らの頬をありったけの力で殴る。
頬に感じる熱と衝撃で僅かに涙を浮かべながら、クロエの方に真っ直ぐと視線を向け、勢いよく頭を下げた。
「ごめん! 辛いことを思い出させた……」
「そん……な、GENZI君は……っ悪くないんです」
「それでも謝らせてくれ、ごめん」
「GENZI君……」
GENZIは釣り竿から片手を離し、クロエも釣りから意識が逸れたこの瞬間だった。
GENZIが片手で支えていた釣り竿に激しく力が加わり、釣り竿を持っていたGENZIの身体が海の方へ引っ張られていく。
「え……え……!?」
「GENZI君!?」
それまで目尻に涙を浮かべていたクロエも、緊急事態に大慌てで俺の背後に回ると釣り竿を両手で握り、ぐっと力を籠める。
「んっ!」
「うひゃぁぁぁ!?」
クロエが両手に力を込めた瞬間、GENZIが素っ頓狂な悲鳴をあげる。
クロエが力を籠め、後ろへ釣り竿を引き付けようとすると必然的にGENZIとの距離が狭まり、その体は密着する。
戦闘時でもないのに長時間防具を着けているのは気が休まらない、とクロエは普段身に着けているドレスアーマーを纏っていない。
つまり――。
―ヤバいヤバいヤバいヤバい……! 密着して背中に二つの柔らかいものがぁぁぁ……! しかも、この魚野郎の動き方が絶妙で離れたり密着したりを繰り返して嫌でも形を意識してしまう……!!
「ひゃっ!? GENZI君! もっと力を込めてください! このままだと逃げられてしまいます!!」
「わ、分かってるってぇ!!」
そうこうして二人が騒いでいると、向こうである意味騒いでいた麒麟とぽてとさらーだが異変に気付き、急いでGENZI達に合流した。
「なに? 何これ? どうなってんの!?」
「とにかくお前らも手伝えっ!」
「分かった!」
クロエの後ろにぽてとさらーだが、その後ろに麒麟が構え、四人がかりで力を籠める。
だが、以前魚の方が力は上。
GENZI達はじりじりと海の方へと引き込まれていく。
そして遂に、GENZIのつま先が宙に浮いた。
「ひっ……! ヤバいぞ! このままだと海に落ちるっ!!」
「こうなったら一か八かっ!!」
何をしだすのかと思えば、ぽてとさらーだは両腕で釣り竿の柄を引きながら、口頭で魔法の詠唱を開始した。
しかも、口頭で二つの魔法の同時詠唱を。
「……『オール・マキシマイズ』っ! 『シャドウ・バインド』」
全員のHPゲージの右下にバフのマークが姿を現し、同時に全員の脚を影から這い出た縄のような何かががっちりと固定する。
バフの効果で筋力値が増加されたGENZI達は次第に魚を陸へ陸へと引き上げていく。
脚は固定されているためにこれ以上海に引き込まれる心配も無い。
「これで……ラストだぁっ!」
一気に釣り竿を振り上げ、水中から姿を現した釣り針に視線を下げるが、そこには何もついていなかった。
それを見た瞬間にやる気は一気に急下降、全員のモチベーションが下がり、リールを巻いて海に背を向けたその時だった。
いち早く異変に気が付いた麒麟が命一杯の大声で叫ぶ。
「後ろだッ!!」
「え……?」
しかし、ここまでに蓄積した疲労、モチベーションの低下によっていつものGENZI達であればすぐに回避行動に移る状況でも、GENZI達はただゆっくりと振り返るだけであった。
振り返った先、視界に広がる光景に息を飲み、回避しようと思ったが遅い。
GENZI達の視線の先には巨大なウナギのようなモンスターが大口を開けて構えており、俊敏な動きで体を伸ばすと、GENZI達四人をあっという間に頬張り、海の中へと姿を消した。
「ん……」
暗く、気持ちの悪い湿気が立ち込める空間。
それまで倒れていたGENZIが目を覚ました。
「ここは……俺はあの馬鹿でかいウナギモドキに食われて死んだんじゃないのか?」
「残念ながら違うんだよね~」
「うおっ!?」
背後から突然現れたぽてとさらーだに驚くと、その様子が可笑しかったのかぽてとさらーだはクスクスと笑みを浮かべた。
「ここが俺達が求めていた場所さ」
「つまりここは……」
「そう、ヌシの体の中だ」
碌に顔も見えない暗闇の中、GENZIは深く溜息を漏らした。
その溜息には、ようやく面倒な作業から解放されたという喜びと、また面倒なことをしなくてはならないのかという諦念が含まれていた。