音ゲーマニアがスカウトされるようですよ
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カーテンから朝日が差し込む。
時刻は午前五時五十分。
早朝と呼ばれるこの時間帯に珍しく、健仁は既に起床していた。いや……起床していた、というよりも寝ていなかった。
「……激難は本当に激ムズだった……。だが、遂に……遂に俺はやり遂げたっ!」
朝早い時間帯だというのに、一人自分の部屋で喜びを噛み締め、叫ぶ健仁のことを注意する声は無い。
何故ならこの家にいるのは健仁だけだからだ。
時は昨日まで遡る。
健仁がBSD世界大会から帰宅すると、玄関先で大きめのキャリーケースを持った母とばったりと出会った。余所行きの格好をした母を不思議そうな顔で健仁が見ると、母が事情を説明した。
何でも友達が旅行のチケットを偶然にも手に入れたのだが、その友達の夫が仕事で一緒に行けないとのことだったので、次に白羽の矢が立ったのが母だったらしい。
折角の誘いを無下にするのもどうかと考えた結果、一緒に旅行に行くことになったそうだ。
「分かったー、行ってらっしゃい母さん」
「行ってくるわね~。エナジードリンクばかり飲んでないでちゃんとご飯食べなさいよ?」
「はーい」
丁度入れ替わるような形で帰ってきた健仁が、部屋に戻ろうとすると階段で妹の亜三と鉢合わせる。亜三の両手には中身が飽和する程詰め込まれた巨大なバッグが持たれていた。
「ただいまー……ってその荷物どうしたんだ?」
「あ、お帰りお兄ちゃん。実はさ――」
そのまま階段で話している訳にもいかないと考えた健仁は、亜三の荷物を持ってやると玄関先まで運んだ。
そこで健仁が聞いた話は、亜三が部活の合宿で明日の早朝から出発するというものだった。
今は丁度合宿に向けての準備を終わらせて、荷物を玄関先に持っていくところだったとのこと。
「そうか……合宿頑張ってな、亜三」
「うん! お兄ちゃんこそお疲れ様ー。大会生中継で見てたけどやっぱりお兄ちゃん凄かったよ」
「そう言われると照れるなぁ……。って、こうしてる時間無いんだった。悪い亜三それじゃあ俺は自分の部屋でゲームやらないといけないから!」
「あっ……。もぅ……お兄ちゃんは妹の私よりもそんなにゲームが大事なの……?」
亜三の呟きが階段を駆け上がる健仁に聞こえるはずもなく、心の嘆きは掻き消される。
「さて、と」
持って行っていた荷物を部屋に着くなり放り投げ、予めバッグの中から出していたVRマシンを頭に装着する。忘れないようにと胸ポケットにしまっていたUSBメモリをVRマシンのスロットに差し込む。
これで準備は完了したと健仁はベッドに横になる。
目を瞑り、起動したVRマシンによって思考が吸い込まれていった。
健仁が目を開くと、そこに広がっていたのは何も無い空間。
ただただ暗闇だけが広がる空間に健仁の意識が降り立った瞬間、突然健仁の視線の先に青い燐光が漂い始め、一つの塊になる。
「師匠!?」
「初めに言っておくけどこれは僕の思念体……というか僕そっくりのAIだからね、そこをちゃんと理解したうえでこれからのレッスンを受けてくれ」
健仁が本物かと誤認する程度には作り込まれたそのグラフィックと、本物と同じような喋り方、声、どれをとっても一級品。
それが分からない程健仁も無知ではない。
このUSBメモリ一本にどれだけの金額が投入されているのか考えるだけで恐ろしくなるほどには使われていること間違いなしだ。
その後は簡単、ひたすらにECLOD―のAI―の指導のもとひたすらに練習を重ね、現在に至るという訳だ。
寝る間も惜しんで、ECLOD作のレッスンという名の苦行を突破した健仁は、何と僅か八時間という時間でECLODのレッスンをクリアした。
レッスン開始前に健仁は、最低でも一週間は掛かると言われたものを、だ。
健仁が、ようやくレッスンをクリアしたという達成感に溺れていると、家の中にインターホンの音が響く。誰かが出てくれるからいい……とはならない。
今、この家にいるのが健仁だけだからだ。
亜三も午前四時ごろに家を出ると言っていたので本当に一人きりというわけで。
玄関先まで行くことすら忌避されるが仕方なく小走りで玄関まで向かった。
「は~い……」
生気の無い声をあげながら、健仁が扉を開けると、段ボールを両手で抱いた宅配便の職員が朝っぱらだというのに眠気を感じさせない笑顔を浮かべていた。
印鑑とサインを書き入れると、速やかにトラックへと戻っていく宅配員の背中を見送ると健仁も言えの中へと入り、玄関を占める。
見た目は極々普通の段ボール。
重さもそれほど重いわけではない。
かと言って片手で持てるほど軽いわけでもない。
「一体何が入ってるんだ?」
健仁は眠たい目を擦り上げながらも、僅かに抱いた期待を膨らませながら、蓋を留めるガムテープを乱雑に剥がすと中を覗く。
「……また箱か」
段ボールの中から姿を現したのはまたしても箱。
だが今度は土気色をした段ボールではなく、手紙と段ボールの重さの大半を占めていたと思われる謎の黒い箱。
ひとまず、と健仁は黒い箱に手を伸ばす。
「……」
改めて重さを確かめながら、蓋に手を掛けるとバッと勢いよく開けた。
「……これって、もしかしてナーハフォルガー?」
中から出てきたのは銀色のシャープなフォルムが特徴的なヘッドマウントタイプのVRマシン、【ナーハフォルガー】。
今年の、しかも一・二ヶ月前に発売されたばかりの最新VRハードウェアだ。
何故こんなものが入っているのかという疑問の答えを求めて手紙を急いで開ける。
GENZI様へ
先日のBSDAでは本社のALIENの宣伝を行っていただきありがとうございました
そのお礼として、当社の試作型商品をお渡ししました
ですが、あれだけではGENZI様の宣伝効果に見合わないと考えたため、追加でお礼をご用意しました
当社の子会社が作った最新型のVRマシンを同封致しました
是非、GENZI様のプレイにお役立てください――
その後も長々とつづられる文章を読み飛ばしていきながら、さっと目を通していく中で最後の一文が健仁の目を繋ぎ止めた。
――是非、GENZI様には当社との専属契約を結んで頂きたいと思っております
良い返事を期待しております
株式会社ALIEN管理本部
その前後の文章も含めて、何度も読み返すが結果は変わらない。
間違いなくそれは健仁の音ゲーの腕を見込んでのスカウトだった。
「なん……だと……?」
驚きのあまり手を震わせる健仁は、次の瞬間には思考を停止させていた。
今考えてもどうしようもないことだってある、そう割り切って今度プロゲーマーである友人の麟に話を聞こうと心のメモに書き込んだ。
宅配便も受け取り、一段落した健仁は自室へ向かうなりベッドに体を埋める。
それも仕方がない事だろう。
健仁はBSD世界大会の後すぐに家へと帰宅、帰宅後は夜通しECLODの地獄のレッスンを行っていたため、睡眠はおろかまともに休息すらとっていない。
これでようやく休める。
そう、健仁が身体から力を抜いた瞬間だった。
頭の中にメールの着信音が鳴り、微睡みかけていた意識は一気に覚醒させられる。
「……っ」
自身の安眠を妨害されたことによる苛立ちを隠さぬまま、ポップアップを開く。
メールの送り主は友人である麟。
内容は極々短く、速く『UEO』にログインしろ、とのことだった。
そのメールに対して、眠いから無理、と変身を送ると着信音を切って枕を手繰り寄せると抱きしめるようにベッドの柔らかさを貪る。
再び意識が遠のいてこうとしていると、またしても眠りを妨げるように脳内に直接音が響く。しかも今度はメールに既読がつかないからと電話をかけてきた。
流石に堪忍袋の緒が切れた健仁は電話を繋げると怒鳴り声をあげる。
「いい加減にしろよてめえッ!」
「悪かったって! いいからマジで速くログインしてみろ、今すぐに! そうすれば俺の言わんとしていることが分かるから」
「……つっ……」
健仁は舌打ちをすると、麟と繋がったままの通話を切り、『UEO』を起動させる。
もしもこれで大した用事でなければ殴り倒してやろうと胸の中で誓いながら。
妙に長いロード画面に疑心を抱きながら健仁は久々に『UEO』の世界へと足を踏み入れた。