音ゲーマニアが師匠と決勝で戦うようですよ
静かな暗闇。
安寧の黒に包まれた空間に青い光が灯り始める。
左にちらと視線を向ければ、準決勝の時同様に相手選手の姿が見える。
先程まで肌がひりつく程感じていた緊張感は……今はもう無い。
代わりに俺の体を支配するのは高揚感。どうしたのだろうか、準決勝の時に感じていたものよりも数段強い高揚感が身体の芯からこみ上げてくる。
「ふぅ……」
軽く息を吐き、火照る体を無理矢理沈みこむと全神経を耳へと傾ける。
これまでの楽曲の選曲傾向からすると、間違いなくこの試合に使用されるのが最難関のものになるはずだ。そして、【LIMBO】を越えるほどの難易度の楽曲と言えば一つしかない。
【Annihilation of hope】、あれしかない。
意識を研ぎ澄まし、どんな些細な音さえ聞き逃さないつもりで耳を澄ます。
極度の集中状態に陥った俺の体感速度は引き延ばされ、まるで数分間もこうしている錯覚にさえ襲われる。だが実際に経過した時間はほんの数秒程度だろう。
自分自身の熱すら感じる集中状態の中、ついに始まりの狼煙があがった。
耳に響くのは聞き覚えのある音。
でも、こんな曲を俺は聞いたことが無い。
この音は確か……。
記憶の底から引きずり出されたのは遠い昔の記憶。
あれは確か、俺が小さい頃の夏休み、ばあちゃんの家で……。
そう、ばあちゃんが俺に聞かせてくれた音。
「三味線……?」
俺が気付いた時には既にリズムが溢れ出していた。
祭りを彷彿とさせる活気溢れる和風のリズム。
だが、やはり俺はこんな曲を『BSD』で聞いたことが無い。
それはつまり、この曲が――
「――ここに来て新曲ってことかよ……っ!」
そして遂に、音符が姿を現した。
速度は……かなり速い。それに音符数も、まだ序盤だというのが信じられない程多い。極めつけはこれまでに無い和風のリズム。
「くそっ! 滅茶苦茶難易度高いじゃねえか!!」
「ははっ、それにしては随分と……っ楽しそうな顔をしているよ!!」
左から飛んできたのは師匠の声。
言われるまでもない、自分でも気づいていた。
悪態を零す一方で俺の顔が満面の笑みを浮かべていることを。
心が燃えるように熱くて、高鳴っていることを。
「ははっ!」
相手はあの師匠、一つのミスも、ましてやPERFECT以外の判定をとることは許されない。
初めてプレイする超高難易度楽曲の初見フルコンボ。
一見して絶望的なこの挑戦を俺は嬉々として受け入れていた。
むしろ望んでいたとさえ言える。
己の全力を賭し、一つのミスさえ許されない極限状態での死闘。
俺は今、この瞬間に喜びを感じていた。
ああ、やっぱり俺って心の底から――。
「音ゲーを心底愛しているんだな……!」
これまでに見たこともないパターンの譜面。
それらの音を聞き取り、奇麗に両断していく。
次第に曲のリズムを掴み始めてきた瞬間、それは突然訪れる。
「――っ!?」
辛うじて反応が間に合った。
今……一体何が起こったんだ。
俺は確かに音符を斬った。その筈なのに、次の瞬間には元通りに戻った音符が再びが眼前に現れた。
まさかとは思うがこれが、これこそが……!
「この曲の特殊ギミックかっ……!」
曲のリズムに合わせて音符を斬ると、再び音符がその場に出現する。まるで、そう……逆再生されたかのように。
ようやく身体に染みつき始めたリズムを容易に崩してくるこのギミックはかなり厄介としか言いようが無い。だが、俺の顔に浮かんでいるのは苦悶の表情ではない。
俺の顔に浮かんでいるのは流れる玉のような汗と、はち切れんばかりの笑みだ。
「駄目だ……やっぱり堪らないっ! ははは! 俺はやっぱりこの瞬間が一番好きだ!!」
思い出した。
俺がこれ程までに音ゲーを好きとなるきっかけを。
あの時も確か、今みたいに師匠と二人、音ゲーをプレイしていた。
楽曲は難しくて、俺は全然クリア出来なくて……。それでも、俺は諦めず、結局クリアしたんだ。その時の喜びを忘れたことは無い。
困難が大きければ大きい程、難しければ難しい程に達成されたときの喜びは倍増される。
当たり前のことだろうと思うかもしれない。
それでも俺にとっては初めての経験だったんだ。
「さあ、お前のリズム掴んだぞっ!!」
身体は自然と動く。
音のままに、リズムに乗って。
舞うように、流れるように。己のビートを相手に刻め。
曲もついにサビを迎え、和太鼓と三味線の重奏が襲い来る。
渦を想起させる今までに見たことも無い音符配置。
どうやってこの音符を取ればいいのか分からない。
でも、俺の体は理解している……!
「ふぅぅぅッ!!」
俺は踊る。
巫女舞のように華麗に、祭囃子で鳴り響く和太鼓のように力強く。
その両手に握り締めた二振りの光の刀を振るって。
サビを舞っていると、音に僅かな変化が生じたことに気が付いた。
突然曲調が変わる。
同時に譜面にも異常が現れた。
「嘘だろっ!?」
サビ後半と思しき部分に来ての突然のソフラン。
しかもこれは1.3倍や1.5倍何てレベルじゃない。
間違いなく2.0倍以上まで譜面速度が跳ね上がっている。
「こん……っっのおぉぉぉぉ!!」
気合とテンションと運で何とかミスを出すことなく乗り切ったが、間違いなく今のところでAPは不可能になった。
―あそこでソフランとか……。
この曲の製作者は間違いなく性格が捻じ曲がっている。
ソフランによる譜面速度の超加速と、特殊ギミックによる音符復活という鬼畜構成を乗り切った先に待ち受けていたのは一時の安寧。
これまでの苛烈を極めた譜面が嘘のように感じられるほど、穏やかなリズム。
この休憩時間ともとれる隙間時間に再び左から声を掛けられる。
「GENZI君凄く楽しそうだね」
「ええ、お陰様で。これも師匠が俺の事をこの大会に誘ってくれたおかげですよ」
「はは、そっか、それは良かったよ。でも、楽しい時間もそろそろ終わりみたいだ」
ここで話は終わりだと言わんばかりに、師匠は視線を譜面にだけ集中させた。
俺もそれに習い、譜面を凝視する。
穏やかだったリズムに様々な音が重なり出してきた。
次第に強く、曲の終わりへと向けて。
少しずつ増えていく音符数と、加速していく譜面速度。
あまりの縦連とトリルの応酬が続き、次第に音符が八方へ散らばり、どんどん取り難くなっていく。
曲の最後の最後、楽曲のラストがやってくる。
「……ッ!!?」
マジで言ってるのかよっ!?
俺は声にもならない叫び声をあげていた。
それは目前に迫った音符に原因がある。
右斜め下、左中央、左下、真左、そして中央。この五か所同時に音符が流れてきている。これに対処する方法、俺には一つしか持ち合わせが無い。
今こそ使うときだッ!
「【オーバークロック】ッ!!」
カチっと音が鳴ったかと思うと、時間の流れが急激に緩やかになる。
灰色の空間の中、前方から流れてくるのは五つの音符。
一つ、二つ……三つ、四つ……そして五つ!
曲のフィナーレを飾る同時五か所捌きの最後の一刀を振るうとともに楽曲は終了、俺の意識は速やかに刈り取られた。
「っ……」
リアルへと戻り、初めに覚えたのは酷い頭痛と、頭痛と相反するように浮き立つ心だった。
全てを出し切ったという達成感と、【オーバークロック】による反動が同時にやってくる。
ゆっくりと【アーク】から出ると、既に壇上に立った師匠が俺に手を差し出した。
「さあ、主役の登場だ」
「え……?」
言われた言葉の意味も理解していないまま、立った檀上。
期待の眼差しを観客席から感じながら、その期待に応えるようにTさんがマイクを持った。
「お待たせいたしました。それでは決勝での両選手の判定を見ていきましょう」
ステージの上に投影されたホログラムには俺の結果画面が映し出される。
PERFECT1687
GREAT14
GOOD0
BAD0
MISS0
SCORE991770
「素晴らしいです! 初見であれだけの難易度の楽曲をフルコンボしてしまいました!」
フルコンボ、か。
メチャクチャ嬉しい。
それにプレイしていて凄い楽しかった。
でも、それでも師匠にはやっぱり届かなかったのか……?
「続いてECLOD選手の判定です」
PERFECT1688
その数字を見た瞬間に悟った。
俺はやはり師匠には勝てないということなのか……。
諦念に打ちひしがれ、呆然と目を瞑ったままその場に佇んでいると、観客席の方から何やらざわめいている声が聞こえてきた。
負けてしまって、本当にALIEN本社の方々にも申し訳が立たない。
「な、何ということでしょうか!? GENZI選手とECLOD選手のこの接戦のスコアは……!? 結果を見れば一目瞭然です! 勝者GENZI選手ぅぅぅ!!」
「はぇ……?」
―今、俺の勝ちって……言ったのか……?
恐る恐る直情のホログラムに映し出された師匠の結果画面の続きを見た。
PERFECT1688
GREAT12
GOOD1
BAD0
MISS0
SCORE991700
スコア差にして僅か七十。
本当に僅かに俺が師匠のスコアを上回っている。
「よっしゃぁぁぁ…………?」
思わずガッツポーズを取り、嬉しさを体で体現する。
でもどうしてだろうか?
足下が何だか覚束ない。
それに視界もぼやけている……し……。
視界が暗転した。
何か声が聞こえてきたが、どこか遠くに聞こえた。
訳も分からないまま、俺の意識は深層へと引きずり込まれて行った。