天才であるという言い訳
うだつが上がらない人生を送ってきた。
俺は子供の頃から、自分の疑問を相手に理解してもらうのが苦手だった。4歳くらいの頃、おばあちゃんの信号無視はダメという話をうんうんと聞いたあと直ぐに、信号無視を三度ほどしてお菓子を買いに行っていたらしいがあまり覚えていない。
おばあちゃんの心配は理解できる。しかし、何故車が来ないのに信号が青になるのを待っていないといけないのかという俺の疑問は、おばちゃんには納得できないだろうし、話し合うだけ無駄と思っていたのだろう。
学生時代も、こんな調子で、自分の疑問をわかってくれない人との会話を避けるようにして人生を送っていたところがあり、コミニケーション能力はかなり低い。
バイトだろうが、研究だろうが、相手の言っていることが分からないで作業してしまい単純なミスが絶えず、毎回相手から激怒されるはめになった。信頼もついでに失ってしまい、その度に深く落ち込んだ。それでも研究をしていた頃に限っては、少しだけ成果を出していた。
怒られてしまうのは、相手が自分の疑問を理解してくれないからだと誤魔化した。話がうまく出来ないのだから、ストーリー性の記憶が構築できておらず、そのまま作業していると抜けや漏れがどうしても発生してしまうのはある種仕方がないと割り切った。ミスするたびに過激に怒られたものだが自分は天才だから単純ミスなんてどうでも良いとその度に誤魔化した。そうやって自分を守った。
そうして気持ちを切り替えることで、チャレンジ精神を発揮して、人が考えないようなことに数々の挑戦をし、時にはそれが功を奏していたと信じたい。
ただ、自分の人生についてはかなり悲観していた。なかなか、割り切れなかった。
こんな単純ミスばかりの奴はろくな人間になどなれるわけもないと自分でも誤魔化しきれないでいた。
正直に言えば、社会不適合者なりに目指せる研究者が自分に適した職業だったのではないだろうか?
研究者になれば単純ミスを帳消しにするアイデアが有れば良く、コミニケーションは相手任せでもそれなりに成り立つであろうから。ていうか研究者にコミ力の低い人間は珍しくないのだ。単純ミス自体も自分の感じた疑問点の集積であり、それが多いということはそれだけ発想が豊かであるとも取れる。周囲にかかる負担に対してかなりネジの緩んだ考えではあるが、こと研究者に限っては一縷の望みを残していたと言えるのではないだろうか?
結局ところタイトルにある天才言い訳とは次のようなものである。バカな奴は何をやっても周囲の理解を得られるし直ぐに理解者をつくれる。ところが頭の良い人間ほど、周囲から逸脱してしまい、たとえそれが事実だとしても無理解から相手にされない。
一人で頑張ってはみるものの身勝手にみえる行動は、痛烈な反感をかってしまい低評価につながる。しかし低評価であろうと天才だから相手の評価基準では測れないという考えのことだ。
まぁ、普段から相手のことを考えてどうやって協調していこうと模索する努力を怠っているともいえるが、自分でも「言い訳」と表現しているので許してほしい。ネジの緩んだ発想とのたまいつつも頭に「天才の」とつけたのは周りが理解出来ない事象に挑んだチャレンジ精神を理解して欲しいからだ。
周囲の無理解は辛い。無理解からくる批判はもっと辛い。マニアックな話にはなるが、研究者ボルツマンは、偉大な発見をしたにもかかわらず、マッハの過度な批判(彼にとっては真っ当な批判だったのだろうが)に耐えられず自害している。彼の死後二週間目にアインシュタインが論理的な裏付けを発表したのはなんとも言えない皮肉だ。実験屋であるボルツマンに、アインシュタインのような理論的な証明を求めるのはあまりに酷ではなかろうか?
人の良い従兄弟が自殺したとき思ったのだが、社会では頭のいい人間ほどバカにされる。歴史のうえからも、自身の体験などからも言える。偉人の言葉と言うものは所詮は民衆には理解できないのだ。人々は無価値なものほど賞賛し、価値あるものには批判的になる。直感として自分より優れたものであると理解しつつ、それをしょうもないプライドが直ぐに認めようとしないのだ。善くも悪くも現状維持が最善だと考えているのだろう。ノーベル賞級の発言ほど無理解な激しい批判に会うのもそのためだと思う。流行語大賞なんてなにがいいのだろう。日本には不易流行という言葉があるではないか。
そういった現実と真っ向から向き合いたいと思い、俺はやや適性のあった研究者という道を諦め社会に出る道を選んだ。実は、俺は簡単なバイトもすぐにクビになるような男で、ロクに続けられた仕事はない。学歴から言って就職はできてもまともに働くには厳しいスペックの持ち主だ。いづれ自分の会社を起こしてやろうと思い貯金だけはしてやろうと思っていたが、現実の仕事と向き合えていない弱気な姿勢を先輩に見透かされたときとに貯金することをやめた。最初の現場を切られたときと、会社をクビになったときに、風俗に頻繁に通って借金をした。現在も恥ずかしながら風俗通い中であり、今の俺には借金しかない。
俺はいま社会人5年目だ。とにかく仕事ができない。周りには成果を出したり昇進したりしている人がいるなか、自分は全くうだつが上がらないでいる。コミ二ケーション能力が弱く成果物はノロマな上にガタガタで、自己評価が高いばかりに、直ぐに言い訳してしまうというのが俺の特徴だ。それでも入社したときよりはマシになったつもりだが、職場に適応できたことがなく、同じ現場にいられたのはもって1年だった。それも必要とされているとかではなく他に行くあてもないだろうから可哀想だなどといった会社側の配慮によるものだ。
多少の経験を積んでわかったことは、自分の積極性なさ。ひたすらプライドが高く傷つくことから逃げている自分だ。他人の批判をしょうもないプライドのためと言っておきながらなんとも情け無い事だ。恋愛に関しても絶望的だ。直ぐに臆病な自分に負けてしまい、好きな人ができても声をかけることも出来ず、相手が気づいて話しかけてくれてもその場から逃げてしまう有様だ。恋人ができる気配は一向にない。
俺はひたすら言い訳をして成長出来ない駄目な大人だになってしまっている。
人とロクに会話出来ない奴は成長のキッカケを掴めないらしい。成長の糸口というのは常に自分では誰かからもらうもののようだ。
このままでは、せっかく採用してくれた今の会社もクビになりそうだ。営業が期待してくれているような後輩の指導が出来るひとになどなれそうもない。
偉い人に成るには周りの声をよく聞くことが大事らしいが、俺のような凡人には煩わしくて仕方がない。だいたい、馬鹿だアホだと言われるばかりの俺に周りの声を聞けなんて無茶な話ではないかと思う。周囲は俺以上に馬鹿だというのに。