2-1 日本一元気な病欠ですが何か?
「あ、お兄ちゃんが帰ってきた! 隣のお姉ちゃんも一緒だ!」
俺たちがそろって帰宅すると《エルフちゃん!》――じゃなくてルナが出迎えてくれた。
今日は髪をサイドアップにしており動きやすそうな花柄のワンピースを着ている。
俺が五秒くらい動揺してしまったのは、丸っこい目元といい小さい口といい、服装と胸のサイズ以外は本当に《エルフちゃん!》と瓜ふたつだからである。
「ああ、ルナ、ただいま。起きていたんだな」
「うん、ちょっとお腹が空いちゃったから。どうかしたの?」
「いいや、別に……気にしないでくれ」
俺の背後からカリンが顔をのぞかせる。
「お邪魔します」
「どうぞ、どうぞ、あまりきれいな家じゃありませんが。すぐにお茶を淹れますので!」
「あのなあ、ルナ、誰が週末に家の掃除をしていると思っているんだ」
「世界一格好いいお兄ちゃんです!」
「こういう時だけは調子いいんだよな」
カリンが小声で話しかけてくる。
「ねえ、キョーヘイくん。ルナちゃんってあんなに元気溌剌としているの?」
「毎日じゃないけどあんな感じだな。病欠している人間の中では日本一元気だよ。まあ、寝不足のときはあそこまで元気じゃないけど」
「へえ、知らない仲じゃなかったけれど、ちょっと想像したのと違うかも」
「学校だともう少し落ち着きがあると思う。今日はカリンちゃんが来てくれたから嬉しいんじゃないかな」
「邪魔じゃなかったかしら。兄妹水入らずの時間の」
さっきからルナは「お客さま! お客さま!」と張りきって湯とコップの準備をしている。
気が気でない俺は「うっかり火傷するなよ」と注意をしておいた。
ルナが「らじゃ!」と元気よく返事をする。
「あれが渋々に見えるか? どう考えても楽しんでいるだろう」
「あんなに楽しそうにお茶を淹れる人間、わたしは初めてみたかも」
「褒め言葉として受け取っておくよ。これから料理をするからカリンちゃんはリビングで本でも読んでいてくれ」
俺は洗濯済みのエプロンを取り出した。
これからつくる夕食のメニューは中華丼とたまごスープである。
「中華丼なんてつくるの久しぶりだな。四か月ぶりくらいか」
さかのぼること二十分前。
ふたりで食品スーパーに入ったとき「わたし、中華丼が食べたい」とカリンが急に言いだしたのである。
「そのくらいの料理でよければ……てっきりカリンちゃんは小洒落たものをオーダーしてくると思ったよ」
「例えば?」
「ローストビーフの握り寿司とか、チーズ五種類のチーズフォンデュとか」
「そんなに高カロリーのものはあまり食べない。それに誰かの家で食べる中華丼ってレアだと思わない?」
「おっしゃる通り」
「キョーヘイくん、もしかして料理人になるのが天職なのじゃないかしら?」
「はあ、この俺が? いま料理しているのだってルナのためっていう理由しかないぜ」
「だからこそ向上心があるのでしょう」
「そうだな。俺の数少ない向上心ともいえる」
「料理人というのは古代から存在する珍しい職業なのよ。人類から味覚が失われない限り、この先も消えてなくなることはない」
「将来食いっぱぐれた時のために腕を磨いておくよ。あと人類から味覚が消えるとかSFチックだな」
いつものごとくカリンの正論に納得させられた俺は丼とスープの材料を買って帰宅したというわけである。
刻んだ野菜を炒めているあいだ、俺はルナとカリンの様子を観察していた。
いまのところ会話はない。
カリンが文庫本を黙読しており、それをルナがニコニコしながら見つめている。
見かねた俺は「こほん」とアクションを促した。
カリンが小脇に本を置く。
どちらかというと秀才肌のカリンは、直感で行動するというよりかは、熟考してから行動するタイプの人間なのである。
「ねえ、ルナちゃん。ちょっと質問してもいい?」
「はい、何でも」
「いま私立ローレライ学園の中等部に在籍しているでしょう。このまま高等部に進学するつもりかしら」
「ルナはそれを希望しています! お兄ちゃんやお姉ちゃんと同じところに通いたいです!」
「でもね、高等部にいくと出席日数が厳しくなるのよ。中等部のときは毎年進級させてもらえるけれど、高等部になると出席日数が足りない生徒は進級させてもらえなくなる」
「えっ! そうなのですか! テストの点数が足りてもですか!」
「もちろん点数が一番大切なんだけど、そういう問題じゃない部分もあるの」
「それは困っちゃいます」
「日本の教育システムには《義務教育としての普通教育》と《高度な普通教育》という考え方があってね、中等部と高等部のあいだには明確な差があるの」
「へえ、初めて耳にしました。ああ、確かに高等部は義務教育じゃない……で合ってますっけ?」
そんなことも知らなかったのか。
いや、教えてこなかった兄が悪いのか。
「だったら病欠はもう使えないのですかね?」
「せめて保健室で勉強するとか、そういうアプローチが必要だと思う。担任の先生か生徒指導の先生と話してみないと具体的なことは分からないけれど。なにせうちは私立だから他校とはルールが異なっている部分もあるし」
「ならばアキラ先生と話してみます!」
「アキラ先生?」
「千駄ヶ谷アキラ先生です! 個人的に仲がいいので下の名前で呼んでいます!」
「そうだったのね」
「いつも作文を添削してもらっています。怒られることもありますけど」
「それは作文じゃなくて反省文ね」
ありゃありゃ。
カリンがちょっとだけ呆れてしまった。
「はい、反省文です!」
「ルナちゃんって思っていたよりも逞しいのね。わたしとしても高等部にそういう後輩が入ってくれると嬉しく思う」
「本当ですか?」
「もちろん。こんなところで嘘はいわない。キョーヘイくんから話は聞いているけれど、勉強自体は嫌いじゃないのでしょう?」
「はい、嫌いじゃないです。テストは一度も休んだことがないのですよ。まあ、点数は良かったり悪かったりですけれど、自分なりには頑張っている方です」
それは自慢にならないんだけどな、と考えながら俺はスープを火にかける。
卵を三つ、器のなかに割ってかき混ぜた。
「そういえばもうすぐ学園祭の季節よね」
「いわれてみるとそうですね」
「去年とか一昨年は何をやったの? 中等部でも何か出し物はするのでしょう?」
「去年がフォークダンスで、その前は巨大なペーパークラフトの模型を作ったと思いますよ」
「今年は?」
「それが……」
「ロングホームルームの時間に多数決とかしなかった? 時期が時期だからそろそろ決定していないと」
「寝ていたので……あはは。ルナが知らないだけで何かやると思います」
「ごめんなさいね。変な質問をしちゃって」
「いえ、気にしないでください。褒められた態度じゃないことは理解していますから」
カリンは話しの誘導が上手いな、と俺は思う。
ルナが学園祭のボイコットに後ろめたさを感じているのか探るのが目的なのだろう。
そういう話術を俺は持ち合わせていない。
「ルナちゃんが学園祭に参加する姿を見たいな」
「はいっ?」
「キョーヘイくんならそう思うはずよ」
「ちょっと、お兄ちゃん! お姉ちゃんに何か話したでしょ!」
「いや、俺はなにもいってないよ。ただ、ルナのことでアキラ先生に呼び出されただけだよ」
「ええっ! そういうことは先にいってよ!」
「ほらほら、お腹が空くと人は短気になるから。おまちどうさまです。ご注文いただきました中華丼になります」
俺は料理を提供する瞬間が大好きだ。
「うわぁ」
「おいしそう」
ルナもカリンも満面の笑みを浮かべる。
「食事をするときくらい学校のことは忘れようぜ。さあ、みんなでいただきます、と」
三人そろって手を合わせた。
ルナはカリンのことを「お姉ちゃん」と呼ぶ。
カリンもルナのことを「ルナちゃん」と呼ぶ。
それを目にした学園の人間がふたりを姉妹と勘違いしたことも一度や二度ではない。
「ルナちゃんはゲームが得意なのでしょう。普段はどんなタイトルで遊んでいるの?」
「ええと、フェアリーナイツクロニクルといって、何だろう、みんなで大きな敵を倒すようなやつです。巷ではFKCともいいます」
「面白い?」
「とっても面白いですよ! けっこう奥が深いんです! 基本的にキャラクターを育てていくのが醍醐味なのですけど、プレイヤーのスタイルに合わせて長所を伸ばしていけるのです。ガンガン攻めたい人は武器の強化が大切ですし、みんなを支援したい人はとにかく技のレベルを上げておくとか。あと集団戦がメインになりますから、苦手なところはメンバーにフォローしてもらって、逆にメンバーの苦手なところを補ってあげるみたいな助け合いが勝利の鍵になります!」
「誰かの役に立てるということね。持ちつ持たれつと」
「そうです、そうです」
「そのゲームに終わりはあるの?」
「MMORPGなので基本的に終わりはないですよ。私生活が忙しくなったり、別のMMORPGにハマって引退する人はいますが」
「ルナちゃんはしばらく引退するつもりがないということね」
「ええ、いまの仲間たちと目標に向かって頑張っているんです。どうしても達成したいので」
「目標?」
「はい、《KoF》という大会があって……あ、これを話し出すと長くなるのでまたの機会にします! ルナの熱意を語りだすと二時間くらいは終わりませんから!」
「そうね。時間のあるときに教えてもらおうかしら」
ゲームの話をするときのルナの目はキラキラと輝いている。
カリンに礼を言わないといけないな、と考えつつ俺も中華丼を口に運んだ。
「でも、クラスのみんなは誰もやっていないんですよ。FKCは面白いゲームなのに」
「共通の話題があると楽しそうなのにね」
「そうなんですよ~。だからネットの向こうで仲間を募っているわけです」
「でも、携帯ゲーム機とかのソフトもあるでしょう? そういうゲームはプレイしないの?」
「ああいうのはどうも単純で……。すぐに全クリしちゃうし、ラスボスを倒したらやることがないし。中にはやり込み要素が用意されているゲームもありますが、あまり魅力を感じないんです。単純作業になりがちというか……」
「子ども向け?」
「そうです、そうです。大人向けのゲームの方が絶対に奥が深くて楽しいです!」
「なんだか説得力があるのね」
「そういってくれるお姉ちゃんは優しいです。お兄ちゃんはゲームの知識がからっきしなので」
「無知で悪かったな」
「あ、お兄ちゃんがちょっと拗ねちゃった」
「拗ねてないよ。俺はルナが好きでやっているのなら何をしてもいいと思っているんだ。ただし、他人様に迷惑をかけない範囲でな」
「本当にいいお兄ちゃんに恵まれました!」
よっぽどお腹が空いていたのか、ルナは中華丼を勢いよくかきこんだ。
それに引き換えカリンはお上品に一口ずつ味わっている。
まったく対照的なふたりが仲良く話している姿は不思議といえば不思議である。
「ルナにはすごい特技があるんですよ! お姉ちゃんに見てもらってもいいですか!」
「特技?」
「おい、ルナ。いまは食事中だぞ」
「ねえ、お兄ちゃん。ちょっとだけならいいよね」
ルナが甘えるような声でお願いのポーズをしてくる。
こうなると俺は断れない。
「はあ……ちょっとだけだぞ」
「それでは始めます! ルナは七色の声を出せるのです! といっても七色は予定なので、いまは三色くらいですが!」
「ルナちゃんの特技って誰かの声真似のこと?」
「そうです、そうです。一番自信があるのはこれです。ずばり熱血ヒーローの友人ポジションの男の子の声!」
俺は何度も見せてもらったことがある。
ルナが喉にちょんちょんと手を当ててから発声すると、
「ねえ、僕、キョーヘイお兄ちゃんのこと、昔からずっと好きだったんだ。あ、ごめん、迷惑だったよね、急にこんな話をしちゃって……だから忘れて……友達でいられるだけで、僕は幸せだから……」
このように男の子の声を出せるのである。
いや、背景に虹色のオーラがかかっていないか?
「ちょっと待て、ルナ。なんでBL風になっているんだよ。それだと女装が似合いそうな男子じゃねえか」
「あれあれ~、ちょっと間違えちゃったかな。ではリトライします!」
おそらく意図的に失敗したのであろう。
「カリンお姉ちゃん、今日はルナの家に来てくれてありがとう。また遊びに来てくれると嬉しいな。今度は一緒にゲームをしよっ!」
今度はちゃんとした男の子の声である。
「あら、すごく上手なのね」
「いや~、お褒めいただきありがとうございます! でも、まだまだ練習中ですから」
「声優さんを目指せるクオリティじゃないかしら。あまりそっちの業界に詳しくないけれど、アマチュアの域を超えているような気がする」
「本当ですか? ねえ、お兄ちゃん、聞いた! 聞いた! こんなに褒められてルナは嬉しいよ!」
「いいから落ち着け。それと話すか食べるかどっちか一つにしろ」
「はいは~い!」
ここまでルナを持ち上げられるのはカリンの話術の賜物であろう。
嘘でもプロ級といってもらえると人は嬉しいものだ。
やっぱり俺にはできない芸当である。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
遅くまで付き合ってくれたカリンを俺は和泉家の軒先まで見送る。
「カリンちゃん、今日はありがとう」
「いえ、こちらこそ。生徒会選挙ではキョーヘイくんにも恥をかかせてしまったし、悪いことをしたとは思っている」
「ああ、その件ね。クラス中で話題になったりしないかな?」
「すぐにほとぼりが冷めるでしょう。思春期の青少年というのはひっきりなしに次の刺激を求める生き物なのだから」
「カリンちゃんはそういうところがクールだよね」
「冷血という意味かしら?」
「強いって意味だよ」
「そう。それでもアキラ先生と比べると全然」
「あの人は別格じゃないかな。仕事の鬼だし」
「ねえ、キョーヘイくん、明日アキラ先生と話しに行きましょう。途中経過という形でこれからの方針を伝えておくの。放課後なら生徒指導室にいると思うから」
「了解、部長さん」
「おやすみなさい、副部長さん」
カリンの姿が見えなくなってから、ルナの待つ我が家へともどった。
「カリンちゃんがいて助かったな、本当に。神さま、仏さま、和泉さまだよ」
《堕剣士・真剣優》とのフレンド登録をどうするのか? という課題は残っているが、収穫のあった一日といえよう。
何よりルナとの会話が弾んだことに俺は満足している。
すべてはカリンとアキラ先生のお陰だ。
「高等部へ進学できない」と告げられたときはびっくりしたが、あれは過保護にしてきた俺にも責任がある。
「俺が想像していたよりゲームって楽しいんだな」
独り言のつもりだったが、リビングでくつろいでいるルナに聴こえてしまったらしい。
「何が楽しいの?」
「いや、別に。俺も学園祭の準備があると思ってな」
「お兄ちゃんのクラスは何をやるの?」
「喫茶スペースの運営だよ。来園者がくつろげるようにな」
「もしかしてお姉ちゃんがメイドさんの格好をしたりする? お兄ちゃんも見たかったりする?」
「カリンちゃんがそんなことをするわけないよ。いたって普通のエプロン姿だよ」
「やだ~、すごく家庭的じゃん!」
「エプロンくらい家庭科の時間でもつけるだろ」
「ルナは授業を欠席しているので、そこら辺の事情には疎いのです!」
「こいつ……」
ルナがすりすりと体を寄せてくる。
「ねえねえ、お兄ちゃんとお姉ちゃんってすごく仲がいいの?」
「何だよ急に。猫みたいに寄ってきちゃってさ」
「いや~、ルナもたまにはお兄ちゃんの役に立ちたいと思いまして」
「そのままのルナでも十分だよ」
「えっ、そうなの?」
「けっこう面白い性格しているし。兄としては飽きがこない」
その発言をネガティブな意味に受け取ったルナは「このっ!」といってポコポコしてきたが、全然痛くなかった。
これが《エルフちゃん!》ならワンパンチで倒されていたところである。