1-3 トラブルメーカーは幼馴染
俺とカリンが生徒指導室に呼び出されたとき、アキラ先生は保護者アンケートの集計を行っている最中であった。
表計算ソフトに数字を打ち込むパチパチという音がする。
鬼のような形相を浮かべているのは、何もアンケートに辛辣な言葉が並んでいるからではないだろう。
「和泉、新田、座りなさい!」
アキラ先生が怒らざるを得ないのは理解できる。
伝統のある生徒会選挙というイベント、それをカリンの所信表明で混乱させてしまったのだから。
「なんで俺まで怒られるんですかねえ」
「新田、君には期待していると伝えたはずだ」
「ええ、まあ」
「こんな結果になってわたしは悲しいよ」
「なんか……すみません。俺だと鈍感すぎて何も気づきませんでした」
話は十五分ほど前にさかのぼる。
「もしも~し、マイクテスト、マイクテスト、あ、あ、あ、あえいうえおあお~」
私立ローレライ学園の大体育館はバスケットコート五面分、サッカーコート半面分の広さがある県下でも有数の屋内運動施設である。
バレーボールのマイナーリーグや卓球大会の会場として解放されることもあり、学園長ご自慢の施設ともいえる。
このコンサートホールのような空間にすべての高等部の生徒のべ千三百人、および教師九十名ほどが集められた。
先ほどからマイクをつんつんしているのは幼馴染のカリンだ。
不安定な音響システムがハウリングを起こし、すべての生徒の耳をキンとさせる。
びっくりした本人が耳を塞ぐくらいだから嫌がらせ目的ではないだろう。
ステージの背景にはデガデガと「次期生徒会立候補者の所信表明」の文字がしたためられている。
そう、今日は各クラスから選出された生徒会の立候補者がたくさんの生徒に支持を訴えるべく、ひとり三分のスピーチを行うのである。
俺の手にはカリンのスピーチ原稿が握られており、これを手渡せばミッションコンプリート。
あと三十分もすれば下校できるはずであった。
「大変失礼いたしました。二年F組、和泉カリンです。それでは所信表明を始めさせていただきます」
「ちょっと、カリンちゃん」
俺は小声でささやきかける。
「原稿は?」
「いらない」
「いらないって?」
「内容は頭の中に入っているの」
そういって頭を指でツンツンしたのは知性アピールのつもりだったか。
カリンはやや天然なのである。
「わたしが生徒会に立候補した理由はひとつ、生徒会という組織の廃止です。みなさんもご存じの通り、私立ローレライ学園は自由を尊ぶ校風です。生徒手帳の四十七ページに記載されている《自由の精神》こそが創造性のある地域社会を育んでいけるのです。この学園に必要なのは強力なリーダーシップではありません。個々の自主性なのです。そして自主性を損ねかねない、また優秀な学生を拘束する存在でしかない生徒会というシステムは本当に必要なのでしょうか? 否。なくても学園生活は回ります」
カリンが堂々と胸に手を当てる。
「わたしが生徒会長になって一年以内に生徒会を永久廃止させます! これから入学する生徒のため老害のような制度は廃止しましょう!」
この瞬間、すべての生徒、すべての教師の表情は凍りついた。
現生徒会のメンバーにいたっては目から火花を散らしてカリンを睨んでいる。
「おいおい」
「なにあれ」
「ウケるんですけど~」
「でも、新しい発想だよな!」
「えっ、生徒会って廃止できるの?」
「いわれてみると生徒会って必須じゃないよね……」
「しっ! あそこに座っている生徒会長に聴こえちゃうって」
そういう生徒の呟きが聞こえてくるが、笑えないのは二年F組の生徒たちだ。
何という人物を代表として送り出してしまったのか。
担任の先生だって薄くなった頭を抱えている。
黙っておけば清楚系美人。
成績優秀。
品行方正。
何気にリーダーシップもある。
まさにカリスマ性を備えた生徒会長の器。
そういうイメージをジェンガのごとく崩していく。
「おい、和泉!」
アキラ先生の大音声が響き渡ったとき、俺はむしろ救われた気がした。
「すぐにステージから降りろ! あとで生徒指導室へ来るように!」
「まだ時間が一分十五秒残っていますが?」
「お前の立候補は取り消しだ! それは所信表明なんかじゃない! 出来損ないのポエムだ! ここは革命家を気取る場所ではない!」
カリンはまゆ毛を八の字に曲げてからしぶしぶといった様子でステージから降りる。
そこに一部の生徒が拍手を送る。
「よくいった!」
「自由万歳!」
しかし
「静粛にしなさい!」
というアキラ先生の怒号にかき消される。
「和泉! いますぐ生徒指導室だ! あと新田! お前もだ!」
「何で俺まで巻き込まれるんですかねえ。ただの原稿持ちなのですがねえ」
俺が先導するような形でカリンを大体育館から退場させた。
「ねえ、カリンちゃん。あの所信表明は本気なの? おふざけ?」
「わたしがふざけるわけないでしょう」
「だよねえ。でも、そっちの方が救いようがあるんだよねえ」
「どういうことかしら?」
「和を以て貴しとなすというね、聖徳太子サマの偉い言葉が日本にはあるんだよ」
レッドカードを突き付けられ一発退場となった俺とカリンは生徒指導室へやってきたわけである。
まさに空前絶後、どの候補者よりも鮮烈なインパクトを残してしまった。
「和泉は反省文を四枚、新田は反省文を二枚だ」
まっ白い原稿用紙を突き付けられた俺は驚きのあまり「えっ」と声を漏らした。
「わかりました」
カリンがあっさりと承服する。
「たったの二枚でいいんですか?」
遅刻で三枚、生徒同士の喧嘩で十枚というのが相場であり、あれだけの騒ぎを起こしたにしてはペナルティが軽すぎる。
「なんだ、不満か?」
「いえ、逆です。てっきり三十枚くらいの苦行を課されるものと身構えていました」
「本当のことをいうと反省文というシステムはわたしも好きじゃない。前近代的というか、いまの教育現場には相応しくないと考えている。それでも学園の方針だから従っている」
「珍しいですね、アキラ先生がそういう持論を語るのは」
「まあ、そうだな」
にっこりと笑ったアキラ先生はカリンの頭を撫でた。
「内容はともかく、はっきりと主張するのは良いことだ。みんなの手前、和泉にああいう怒り方をして悪かったな」
「いえ……わたしもやりすぎました」
「そんなに生徒会に入りたくないのか?」
「そうです」
「理由は?」
「自分の時間を削られますから。いまの部活だってわたし一人の活動ですし」
「それで暴論のような所信表明を行ったわけか。ならば立候補を辞退するという選択もあったんじゃないか?」
「クラスの皆はわたしを立候補者に選びました。システム上、嫌でも立候補するしかなかったのです。こればかりは先生に相談しても変わらないのではないでしょうか」
「そうだな。教師というのは生徒が思っているほど力を持っているわけじゃない。それでも相談してくれたら和泉のために動けた。何も変わらなかったら先生を恨めばいい。ただし、学園を恨んでほしくはない」
「恨みは……しません」
カリンの言っていることは正しい。
アキラ先生の言っていることも正しい。
それでも衝突するときはある。
「そして新田」
「俺は連座なんですか?」
「連座といえば連座だが問題なのは和泉の件ではない」
俺に突き付けられたのはまっ白の紙であった。
「進路希望調査票?」
プリントされた七文字以外が白紙、と表現した方がより正確か。
「もしかしてルナが提出したやつですか?」
「ロングホームルームの時間に寝ていたときの用紙だ。はっきりいって白紙で提出するなど言語道断、前代未聞。せめて進学希望とだけでも書いておけば良かったのだが」
「もしかして問題になりましたか?」
「運の悪いことに学園長の目にとまってしまった。かなりご立腹の様子だし、定例会議の場でもやり玉にあげていたよ。本来なら本校にいるべきではない生徒が在籍している、といってな」
「穏やかじゃないですね」
「中等部から高等部への進学率が何パーセントなのか、新田は知っているか?」
「さあ、ほぼ百パーセントだと思いますが」
「九十六パーセントくらいだ。親の転勤、公立校への進学といった理由で一部の生徒は私立ローレライ学園から去っていく」
「……なるほど」
「このままだと新田ルナは高等部に入れてもらえない。そこら辺の采配を握っているのも学園長だ」
「ええっ!」
寝耳に水の発言を受けて、俺は素っ頓狂な声をあげた。
「他校の入試を受験しろということですか? ルナは中等部三年なので半年も時間がないですよ? いくら何でも非情すぎやしませんか?」
「さすがにそれは嫌だろう」
「ルナが嫌がります。私立ローレライ学園だからこそぎりぎり頑張っているんですから」
「わかっている。だからこそ頭が痛い問題なんだよ」
「なんとかなりませんか? もうアウトなんですか?」
「いや、いくらでも手の打ちようはある。新田ルナの態度が問題なのだから、それさえ改めればいいだけの話だ。それに学園長だって聞く耳は持っているし、新田ルナの態度が改善されたという物的証拠さえ出せば許してくれる」
「俺にできることがあれば何でもします」
「ふむ、何でもか」
アキラ先生がにやりと野性的な笑みを浮かべた。
その視線の向け先はカリンだ。
「どうだ、和泉。新田に協力してみるつもりはないか。その気さえあるのなら、所信表明の問題はわたしが全力で火消してやろう。これは交換条件だ」
「具体的には何をすればよろしいのでしょうか?」
「実のところ新田ルナの更生についてはノープランだ。例えば学内行事に参加させてみるのはどうだ。体育祭も学園祭も合唱祭もすべてボイコットしているだろう。遠足と修学旅行だけはちゃっかり参加しているようだが」
「それは本当なの、キョーヘイくん?」
「まあ、そうだな。ルナは連帯責任とか苦手だから」
「それは人として問題があるかもしれない。キョーヘイくんは注意しないの?」
「いや、いつかは注意しようと思うよ。でも、ルナが毎日を楽しく生きていたらいいかなって、ついつい先延ばしに」
「それは見過ごせない問題ね。キョーヘイくんも含めて。いくら何でも肉親として過保護すぎる」
カリンがため息を漏らし、ぱちん、とアキラ先生が手を打つ。
「なら決まりと思っていいか。和泉にその気さえあれば交渉成立だ」
「わかりました。成果はいつまでに出せばいいのでしょうか?」
「なるべく早い方がいいが、十一月中だと助かる。遅くとも年末まで」
いまは九月の上旬なので約二か月半の猶予は与えられたことになる。
「ねえ、カリンちゃん、本気なの?」
「学園祭が十月の下旬にあるでしょう。そこに焦点を当ててみるのはどうかしら?」
「あのルナが学園祭に参加するとは思えないんだけどなあ。中等部に入ってから二年連続でボイコットしているんだよ」
「そんなにハードルが高いかしら」
「何というか……俺の心理的ハードルが高い」
「それはキョーヘイくんの問題であって、ルナちゃんの問題じゃない」
「おっしゃる通り」
「キョーヘイくんだって学園祭でクラスメイトと仲良くしているルナちゃんを見たいでしょう? そうは思わないのかしら?」
「うん、カリンちゃんのいうことはいつだって正しいよ」
もっともな正論を突きつけられた俺は首肯するしかない。
「ちょっと待っていろ」
アキラ先生はパソコンにカタカタと何かを打ち込み、印刷機から排紙されたプリントをカリンへ手渡した。
「部活動という形をとった方がポイントが高いだろう。これを学園長に提出しようと思う」
「部活動の新設願いですか?」
「顧問はわたしが務めよう。部長は和泉。副部長は新田。名づけて生徒指導部だ。問題を抱えている生徒の更生がミッション、というのはどうだ?」
「アクションを開始していることを学園長に示すためですね」
「そうなる。和泉は理解が早くて助かるよ」
「ですが五人の部員が集まらないと新設できないルールなのでは?」
カリンが率直な疑問を口にしたが、アキラ先生は唇に笑みを浮かべた。
「原則五人がルールだ。特殊な事情がある場合や、学園長が許可した場合は例外として扱われる」
「なるほど。でしたら生徒指導部は発足できますね」
さっそくカリンが書類に氏名を書きこむ。
「キョーヘイくんはどうする?」
「むしろカリンちゃんこそOKなのかい? ひとりだけの部活、文芸部はどうするんだよ」
「あそこはわたし専用の書斎みたいなものだから、生徒指導部の部室として併用しましょう。そうすれば生徒指導部の活動スペースが生まれるし、文芸部の活動も継続させられる。もちろん、キョーヘイくんがOKを出してくれる前提なのだけれど」
「ここで拒否権を発動するという選択肢はなさそうだね。わかったよ。俺も生徒指導部としてルナを学園祭に参加させてみる」
俺はしぶしぶペンを取り出し生徒指導部の新設願いにサインをした。