5-2 ヒロインの視点 ~六年前~
《ガンナーランブル》といういまはサービス停止してしまったMMORPGがある。
兵士になって敵を撃ち殺していくという、なんとも殺伐としたゲームだった。
そのタイトルを忘れられないのは面白かったからではない。
ゲーム性には問題があったし、アップデートの頻度は低かったし、運営の対応も及第点からはほど遠かった。
何よりFKCと比較するとプレイヤー数が三十倍も五十倍も違った。
しかし《ガンナーランブル》にはひとつだけ良い点が存在した。
ギルドという機能がない。
本来ならば欠点に数えるべきだろうが、一匹狼にとってこれほど過ごしやすい環境もない。
操作キャラクター《真剣優》のHPがみるみる減っていく。
しつこいプレイヤーキラーに追いかけられ、背後からライトマシンガンの雨を浴びせられているのだ。
おそらく次の一発が手足にヒットしたら撃墜数を献上することになるだろう。
せめて相手のプレイヤー名を確認しよう。
《GOD SIN》。
ゴッド、神。
あるいは、ゴッド、罪。
ふざけたネーミングセンスだと思った瞬間、マグマのような怒りが湧いてくる。
ダンッ。
飛来してきたライフル弾が《GOD SIN》の頭から赤い光を散らした。
これはヘッドショットによる効果エフェクトだ。
食らうとHPがいくら残っていても復活ポイント送りは免れない。
ゆっくりとこちらに接近してくるプレイヤーがマップ上に示される。
どういうことだ?
遠距離からライフルで狙ってこないのか?
刺し違えるにしても《真剣優》のHPはもう残り一ミリしかない。
だから《GOD SIN》に献上するはずだった撃墜数をそのプレイヤーに献上する心の用意はある。
「どうして撃ってこない……どうして……」
ふいにチャットアイコンが点滅した。
〈大丈夫ですか~?〉
震える指先でキーボードをタイプする。
〈はい〉
〈危なかったですね~〉
〈どうも〉
もしかして油断したところを殺されるのではないか?
ギルドが存在しない《ガンナーランブル》ではすべてのプレイヤーが敵だ。
〈《真剣優》さん? 日本人ですよね? それとも日本語のわかる外国人でしょうか?〉
〈ええと、日本人です〉
〈よかった! このゲームは外国人が多くて!〉
〈……そうですね〉
〈僕は日本人に会いたかったのですよ〉
相手のプレイヤー名は《神食いにゃん子》。
まさか欧米人ということはないだろう。
〈あの《GOD SIN》に僕も昔はけっこう倒されたんです〉
〈そうですか〉
〈いまでは見かけ次第バトルしていますよ。仇敵ってやつですかね。まあ、勝ったり負けたりですが! 勝率八割ってとこかな~!〉
〈でも、結果として助けられました。ありがとうございます〉
〈そんな、そんな。参ったな〉
〈……すごいです。さっきのヘッドショット。あれができたら無敵です〉
〈どうしてそう思うのですか?〉
〈マップのはるか向こうから撃ったから……。並みのスナイパーなら体にさえ命中させられない距離なので……。とんでもない命中精度です〉
〈いや~、褒められると照れるな~〉
〈ついていってもいいですか?〉
〈僕にですか?〉
〈嫌でなければ……〉
〈もちろん!〉
それを機に《神食いにゃん子》と一緒に行動することが増えてきた。
ショットガンの《真剣優》が前をいく。
それをボルトアクションライフルの《神食いにゃん子》が後ろからバックアップする。
ゲームの中で唯一の仲間ができたのである。
《神食いにゃん子》はとてもスキルの高いプレイヤーであった。
慎重な性格なのか、大胆な性格なのか、相手を見極めたうえで対策を練っていく。
〈とにかくオーストラリア人は突撃してきますね〉
〈アメリカ人は殴り合いのような戦闘が大好きです〉
〈中国人はあまり隠れることがないです〉
〈韓国人は待ち伏せ戦法をしてきますよ〉
〈日本人は同じマップをうろうろしています〉
〈ヨーロッパの人はけっこう消極的だったりします〉
どうすれば強くなれるのか《神食いにゃん子》は惜しげなく教えてくれた。
その姿勢がのちに《真剣優が教える攻略動画!》をはじめるきっかけとなる。
〈僕は日本人なんですが、親の事情でアメリカに住んでいるのです〉
〈わたしは日本の学生ですが、半分引きこもりです〉
〈ははは……ならば似たようなものですね〉
〈ですかね?〉
〈アメリカって銃社会じゃないですか。だから親が遊びにいかせてくれないので……〉
〈ああ〉
〈だからって理由でゲームの銃をぶっ放しているわけじゃないですが!笑〉
〈《神食いにゃん子》さんはずっとアメリカに?〉
〈いや、そのうち日本に帰ると思いますけど!〉
〈本当ですか?〉
〈僕も昔は日本の小学校に通っていたのですよ! ちょっとだけ!〉
〈ほうほう〉
〈勉強についていけるかな~。それだけが心配で、心配で!笑〉
ある日《神食いにゃん子》はひとつの提案をしてくれた。
〈もっと強そうなプレイヤー名にしたらどうですか~?〉
〈強そうな?〉
〈例えば……《堕剣士・真剣優》とか! メチャ強でしょ!〉
〈いいですね!〉
〈僕はどうしようかな~。もう《神食いにゃん子》は長いこと使っているから……。実は他のタイトルでちょっとした有名人になっちゃったし……《GOD SIN》じゃないけれど因縁のプレイヤーもまあまあいるし……〉
〈あの~〉
〈はい?〉
〈ずっと《神食いにゃん子》のままでいてくれませんか?〉
〈そんなにいい名前ですかね?〉
〈はい、メチャ強だと思います!〉
〈あっはっは、参ったな~〉
〈いつか《堕剣士・真剣優》の名を有名にしてみせます! せっかく考えてもらった名前ですから! もっと強くなって、もっと有名になって、いつか追いついてみせます! そのために頑張ります! だから《神食いにゃん子》のままでいてください!〉
約束をずっと守ってくれているとは思わなかった。
《真剣優》のことなど忘れていると決め込んでいた。
だからFKCの世界で《神食いにゃん子》の名を知ったときは驚いた。
まさかの名前被りか?
その可能性はプレイを一目見ただけで吹き飛んだ。
あの人の上には日本一しかない。
メチャ強という言葉じゃ足りないくらいメチャ強なのだから。
「どのくらい近づけたのか知りたいんです! だから教えてください!」
兄が焼いてくれたフレンチトースト、その最後のひとかけらを口へ運んだ。
※ ※
「生まれてから一度も夢を見たことがない」
再会した幼馴染にそう漏らすと「そういえば俺も夢を見たことがねえなぁ~」と真顔で返されたことがある。
「キョーヘイくんもなの?」
「それはこっちのセリフだぜ。カリンちゃんもかよ」
「これって人間の体質として問題があるのかしら?」
「いいや、そういう人が一定数はいるらしい。しかし実際に会ったのは初めてだ」
「なるほど、ね」
キョーヘイくんはこちらの素性を何も知らない。
MMORPGに熱中していることも、《神食いにゃん子》というプレイヤー名で活動していることも、文芸部員としての活動実績がないことも。
「カリンちゃんってアメリカでしっかり勉強していたんだな。模擬テストの順位が学年で三番目だったからびっくりしたぜ」
「そうかしら」
「俺なんてさ~、ちゃんと授業は聞いているのにあの成績だからな~。真面目なバカほど救いようがねえよな~」
「う~ん、何が悪いのかしらね」
「コツっていうのかな。効率の悪い勉強をしているのかな~」
キョーヘイくんは色々なことを教えてくれた。
八年のあいだで成長した街並み。
私立ローレライ学園のルール。
手作りの料理の味。
代わりにわたしは勉強を教えてあげることにした。
「ダメだな~。カリンちゃんに教えてもらったのに、少ししか成績が伸びねえや」
「でも、少しは伸びたじゃない」
「期待に応えられず申し訳ないよ」
「もうちょっとだけ頑張ってみない。少しを積み重ねていけばいいのよ」
「カリンちゃんはいつだって前向きだよな。本当にクールで知的なキャラが似合っているよ」
「そんなことはない」
急に弟ができたみたいで嬉しかった。
「そうそう、俺に義妹ができたんだよ」
「あら、そうなの」
「学園で見かけたことがあるかな~」
「どんな子なのかしら?」
「一言でいうと銀髪。いまは中等部の二年にいる。それがね~、ちょっと問題児なところもあって、よく先生に叱られているんだ。そういう欠点も含めて可愛いんだよな」
「会うことはできるかしら? ご近所さんなのだから」
「きっと今日は家で寝ているぜ。夜行性なんだよ。家でゲームばかりやっている」
「不良? ヤンキー?」
「う~ん、カリンちゃんの想像する不良とはイメージが違うはずだよ」
「悪くない不良?」
「そう、そんな感じ!」
「おかしなの」
不覚だった。
もっと早く
《新田ルナ》 = 《堕剣士・真剣優》
であると気づけるチャンスは存在した。
その真実にたどり着いたのは帰国から一年半後のことである。
「いつか紹介するから。それが人付き合いが苦手なやつでさ~。ええと、内気という意味じゃなくて、まったくの逆。心を許した相手にぐいぐい近づいていくタイプなんだ」
「いまどき珍しい性格ね」
「そうなんだよ。きっとカリンちゃんのことも好きになってくれるよ」
わたしが新田ルナのことを「ルナちゃん」と呼ぶ。
新田ルナがわたしのことを「お姉ちゃん」と呼ぶ。
わたしたちはすぐに意気投合したのだ。
《神食いにゃん子》と《堕剣士・真剣優》は一時期にペアを組んでいた。
だから和泉カリンと新田ルナが仲良くなるのも当然の帰結であった。
今だからこそ言えることだ。
しかし、リアルの世界にエラーはつきものである。
まず生徒会選挙に立候補するよう求められてしまった。
勘弁してほしい。
生徒会に入ろうものならFKCのプレイ時間をごっそりと奪われてしまう。
隠れ蓑として使っている文芸部だって存続問題が起こりかねない。
気分転換するために長く伸ばしてきた髪をバッサリと切った。
《KoF》に集中しようという願掛けのつもりが、アキラ先生の疑心を買ってしまったのは想定外である。
あれは人間としてのレベルMAXだ。
理想の大人像でもある。
だからアキラ先生のことは尊敬するようにしている。
あと《セヴェルス》が誹謗中傷という子どもじみた規約違反をしてくれた。
このままでは《殺戮舞踏会》の大会参加資格を問われる恐れもあったので、結果として《ギルドマスター》を売るような形となった。
でも、これでいい。
動画投稿サイトに肉声をさらしたのは痛かったが、あれは必要経費みたいなものだと割り切っている。
わたしにも新田ルナのような変声テクニックがあったらいいのに。
「キョーヘイくん、わたしが見た夢というのは、この日、この瞬間にルナちゃんと戦えるということなの。だって、ネットゲームで知り合った二人がリアルの世界で出会えるなんて、そしてFKCの大舞台で戦えるなんて、本当に夢みたいな話でしょう。だから、騙しちゃってごめんなさいね。そしてもう少しだけ夢を見させてちょうだい。必ずすべてを話すから。キョーヘイくんにも、ルナちゃんにも。そうしたらまた三人で笑い合いましょう」
ゲームパッドを触る指先にそっと力を込める。
「あら? キョーヘイくんから着信があったのね。また後で折り返すか……。いまは《神食いにゃん子》のままでいさせてちょうだい。最高にコンディションがいいのよ。だってあんなに弱かった《真剣優》がこんなに強くなったのよ。先輩として本気で相手をしないわけにはいかないでしょう。妹ができたみたいで嬉しかったのだから」
《神食いにゃん子》と《堕剣士・真剣優》が出会ったのは六年前だ。
「なんてタイトルだったかしら……そうそう、《ガンナーランブル》」
わたしの意識はゲームの中に潜っていく。