4-4 親バカじゃない、兄バカだ!
「あ~、腹が痛い。いててて、筋肉痛かよ、マジかよ。笑い過ぎたせいかな。喜んだらいいのやら、悲しんだらいいのやら」
下腹部からこみ上げてくる痛みで目を覚ました俺は、枕元にあるスマートフォンを持ち上げた。
爆笑しすぎたせいで筋肉痛になったらしい。
よっこいしょ、と上体を起こすだけで「あっ」と驚くような痛みが走る。
それもこれもルナとカリンのせいだ。
ルナ単独ならまだしも、カリンがいることで化学反応が起こり、あのハイテンションがフルスロットルに達するのである。
だからといって筋肉痛になるのは完全に想定外であった。
「カリンちゃんも筋肉痛になっていないかな。あんまり体は鍛えていないだろうし。あとで電話してみようか」
〈長時間操作がなかったため自動ログアウトしました。ログインしますか?〉
俺は〈いいえ〉をタップして愛用キャラ《エルフちゃん!》を解放してあげた。
どうやらFKCをプレイしたまま寝落ちしたようだ。
このタイトルをインストールしてからそろそろ一か月は経つが、声とエルフ耳以外は本当にルナそっくりだと思っている。
ログインするたびに多大なる癒しの効果を受けられるのだから、我ながら悪くないキャラクターメイキングだったといえよう。
学校:×
食事:○
体調:☆
自由記述欄:今日は家にこもります! 悪しからず!
毎日チェックしている《伝言ボード》の前で俺は苦笑する。
念のために部屋をのぞくと、ベッドで気持ちよさそうに眠るルナがいた。
ちなみに室内がきれいになっているのは、Gの一件のあと対策会議を開き、すぐに部屋掃除をしたためである。
「なんだよ、体調がホシって。最上位グレードという意味かよ。新しいルールを勝手に作っちゃうんだから。自分がルールを地で行くよな」
今日は休日なので《学校:×》は当り前である。
《KoF》本戦当日なので《食事:○》もわかっていたことだ。
「家にこもります、ね。ルナが集中できるように、お兄ちゃんは外出しておくか……」
朝食のメニューはルナの一番の大好物、フレンチトーストである。
遠足の日、始業式の日、終業式の日、そういうイベントのタイミングで俺は必ずフレンチトーストを焼くようにしている。
この習慣が生まれてから二年は経つだろうか。
兄としてのちょっとした遊び心だし、ルナはいつも大喜びしてくれる。
「お母さん、今日もおはようございます」
ルナの念願が叶いますように、と仏壇の前で手をあわせる。
額縁の中で笑っているのはルナによく似ている女性だ。
丸っこい目元と小さい口なんかは強いDNAのつながりを感じさせる。
「俺もルナも元気でやっていますよ。おじさんも異国の地で頑張っています。あと最近はルナがよく笑うので、うるさかったらごめんなさい」
リビングのテーブルに置かれている冊子を俺は手にとった。
白雪姫、と題されている演劇の台本であり四十ページくらいの厚さがある。
ルナが学園から持って帰ってきて、ニヤニヤしながら読んでいたのだ。
どうしたんだよ、急に台本なんてさ? と俺は訊ねた。
アキラ先生にもらったんだ! とルナは嬉しそうに話していた。
まだ出ると決めたわけじゃないんだけどね! だからアキラ先生からもらったの! とも。
ルナには変声テクニックがあるので演劇はどちらかというと得意分野のはずである。
俺だってステージに立つルナを観てみたい。
小人の役でも木の役でもいいのだが、王子の役だけは勘弁してほしかったりする。
それだと百合っぽくなっちゃうから。
「え~と、お好み焼きのときに買った卵がまだ残っているから……あとは食パンと牛乳と砂糖と……あ、油が切れそうだから忘れずに買っとかないとな……うわ、ケチャップとポン酢も減ってきたな……」
料理をするときは楽しいことを考えなさい、と教えてくれたのはルナのお母さんである。
いまでも忠実に守っているのは我ながら殊勝なことだといえよう。
「ほんのりと焼き目がついたら……よし、完成と! フレンチトーストの腕前はぐんぐん上達している気がするぜ! 好物なんだから、ルナにはフレンチトーストの作り方から覚えさせようかな? でも、そうしたら百枚とか焼きそうだよな? フレンチトースト地獄だよな? 怖いな。やっぱり教えない方がいいか……」
親バカというべきか、兄バカというべきか。
たっぷりとメープルシロップを添えたのは甘々な兄貴という自覚の表れだろう。
ひと通りの家事をこなした俺は《KoF》本戦スケジュールを確認した。
トーナメント一回戦が始まるのは昼下がりであり、順位が確定するのは夕方の予定である。
戦いの様子は専用サイトから動画配信され、FKCプレイヤーであれば誰でも観戦することができる。
俺はさっそく専用サイトへアクセスしてみた。
当たり前のことだが、まだ動画は一本もアップロードされていない。
一回戦、二回戦はおそらく《エロフ商会》が順当に勝つだろう。
準決勝から熱戦となるということをルナも動画の中で予想していた。
そこで待ち受けているのはおそらく《殺戮舞踏会》。
さらに決勝まで進めば《ダークナイツ》または《麻雀クラブ》か。
出回っている情報から察するに《ダークナイツ》のやや有利が下馬評のようである。
ルナが《KoF》の頂点に立てなくてもいい。
例の人物と対戦することができればミッションは完了に向けて動くのである。
それは有名プレイヤー《闇神》かもしれないし、別の誰かなのかもしれない。
「しかし、あのルナよりも強い人がいるのかな~。チーム戦ならまだしも、一対一の戦闘はびっくりするくらい強いからな~。《闇神》さんは軍師タイプという話だし、そこだけが気になるな~。じゃあ、例の人は豪傑タイプってことになるのか?」
俺はニュースリリースの中に気になる文言を見つけてしまった。
〈《重要》規約違反の確認されたプレイヤーのアカウントをロックしました〉
どの世界にだってルールを破る人間のひとりやふたりは存在するものだ。
それはFKCの世界でも同じらしい。
だから規約違反があったこと自体は驚くようなことではない。
「俺の知っているプレイヤーじゃないだろうな……それだけが心配だ」
絶対にありえないだろうが、ここで《堕剣士・真剣優》や《闇神》の名が出てくると色々なものが台無しになるのである。
もちろん《エルフちゃん!》の名も出てほしくない。
「よかった、よかった、セーフ」
〈ワールド:オメガ〉
〈プレイヤー名:セヴェルス〉
〈利用規約 第17条 禁止事項に抵触したため〉
〈一切のログイン操作の禁止〉
〈および次回メンテナンスでのアカウント情報消去〉
俗にいう垢BANというやつだろう。
ワールドは《オメガ》、つまりルナとは無関係のプレイヤーである。
俺が胸を撫でおろしたとき、ふいにスマートフォンが振動した。
「もしもし、キョーヘイくん」
「おう、カリンちゃんか」
俺がリビングの窓辺に立つと、二階の窓からこちらを見下ろしているカリンがいた。
向こうが手を振ってきたので、俺も手を振ってあげる。
「おはよう」
「うん、おはよう。どうしたんだよ。電話なんてさ。珍しいじゃねえか」
「別にたいした用件があるわけじゃなくて……」
「あ、もしかして筋肉痛?」
「筋肉痛?」
「笑い過ぎちゃってさ、俺は筋肉痛になったんだよ。もしかしてカリンちゃんも筋肉痛になっちゃった?」
「……それが事実だとしても、そんなことで電話はしない」
あっはっは。
俺は通話口に聴こえないよう苦笑する。
「単なる様子確認よ」
「だったらちょうどいいや。俺も電話しようと思っていたところだから」
「本当はそっちに顔を出したいのだけれど、ルナちゃんの邪魔になると思ってね」
「気にしてくれてありがとう。ルナは気持ちよさそうに眠っている」
「そう。たしか午後から《KoF》が始まるのよね。結果の発表が夕方かしら」
「その通り」
「キョーヘイくんはどこにいるつもり?」
「ルナが《KoF》に集中できるようネットカフェにでも入っておく。いつも利用している店があるんだ。《たぬきのしっぽ》という店」
「存在だけは知っている」
「カリンちゃんも一緒にくるかい?」
今日のカリンは黄色のリボンをつけており、ポップな雰囲気を帯びている。
「お誘いはありがたい。でも、わたしは自室にパソコンがあるから。宿題をこなす片手間になるけれど、時間になったらチェックしておく。それに……」
「それに何だよ?」
「ネットカフェって未知の場所だから。別の機会に案内してほしいかも」
「何だよ。一度もいったことがないのか?」
「だって、物騒じゃない。知らない人たちが同じ空間で黙々と過ごすのでしょう。しかも壁一枚を隔てた場所で。なんだか男性の場所というイメージ。ひとりで行く気にはなれないかも」
「それは先入観だよ。けっこうきれいな場所なんだぜ。基本料金でもコンテンツが充実しているし、人によっては夢の国だよ。漫画も読み放題で、ジュースも飲み放題。女性のために空調が弱いエリアも用意されている。しかし、昼寝をするのには向いていない。超過料金をがんがんチャージされるから」
「ふ~ん。キョーヘイくんがそういうのなら楽しいのでしょうね」
「あれは人生で一度は経験しておくべき」
「わかった。ルナちゃんと三人で行こうかしら」
「ルナがなあ~、ああいう空間で大爆笑するとマズいんだよな~。俺はそれを恐れている。店の利用規約によると、迷惑な客は退場を命じられるらしい!」
「あはは、ルナちゃんなら退場しかねないかも!」
「だろ~。だから俺とカリンちゃんだけで一度遊びにいってみよう。後悔はしないよ」
「ええ、約束よ、副部長さん」
「りょ~かい、部長さん」
「……」
「…………」
「ねえ、キョーヘイくん。最近は夢を見ることができた?」
「いいや、見てないよ。カリンちゃんは?」
「もしかしたら、夢を見ちゃったかも」
「ウソ! すげえ! 本当に!」
「うん、自分でも信じられないくらい」
「うわぁ、いいな~。どんな感じだったのか教えてよ」
「それはまた今度ね。長くなりそうだから」
「そうだね。期待しておくよ」
「うん、それじゃ、また」
カリンが窓辺から立ち去り、電話口からツーツー音が聞こえてくる。
「最近のカリンちゃん、楽しそうだよな。生徒会選挙でやらかしたのに、すごいメンタルだぜ。俺なら登校するのでさえ恥ずかしくなっちゃうね。やっぱり君は生まれながらの優等生だよ」
俺はネットカフェ《たぬきのしっぽ》へと向かった。