3-4 お兄ちゃんの服を借りるよ!
「ただいま~」
俺とカリンが帰ってきたとき、ルナは自室のベッドでぐっすりと眠り込んでいた。
私立ローレライ学園の制服を床に脱ぎ捨てており、デスクトップPCの画面が明々と光っている。
「起こすと悪いよね」
「そっとしておこう。最近は夜通しゲームをしているようだし」
「もうすぐ《KoF》の本戦があるから?」
「そうなんだと思う。家では何もいわないけれど」
チャットアイコンが忙しそうに点滅している。
〈新着メッセージが99件あります〉
この〈99件〉はカンストしている値なので実数はもっと上かと思われる。
「《ギルドマスター》をやっているから忙しいのかしら」
「そうなんだと思う。大人を相手にするわけだからな。いくらコミカルなキャラを演じていても、指示を出すときとかは神経を使うんじゃないかな」
「動画のアップロードは相変わらずなの?」
「ああ、一日あたり一本のペースで増えているよ。《KoF》の本戦が近いせいか、大会展望について語ることが増えてきた。モチベーションは相変わらず高いようだ」
俺とカリンはキッチンで魚の下処理に取りかかった。
これから実演するのはベーシックな三枚おろしである。
「俺の場合、野菜、肉、魚でそれぞれ包丁を使い分けている。一万円以上する包丁もあるけれど、一本千円とか二千円のがあれば十分だよ。中には包丁一本で頑張る人もいるけれど、難しいというか、手入れが大変になるからお勧めはしない」
俺はさっそくアジに包丁を入れていく。
「最初は俺も失敗したけれど何回か練習すると上手になる。あと人によって得意な魚と苦手な魚があると思う」
まずは尾のつけ根から、続いて頭を落としていく。
内臓を取り出すとき、カリンがちょっとだけ顔をしかめた。
「我が家では小骨を入念に取り除くかな。けっこうルナが嫌がるんだよ。これがすごく面倒といえば面倒。だからルナが食べる方だけ小骨を入念にチェックすることもある」
俺はフライパンに油を注ぎ、強火で一気に熱していく。
「これから作るのはアジフライね。フライパンで作ればサラダ油が少量で済む。なんといっても俺の家は二人暮らしだし、唐揚げとかもフライパンで頑張っている感じかな。味付けをしたアジの切り身をこうやって並べていく」
油の弾けるパチパチという音が広がった。
あとは表面がこんがりしたタイミングで取り出すだけである。
「ほら、おいしそうでしょう。肉の方が手軽なんだけれど、魚は手間がかかるぶん料理のしがいはある。何より体にいいしね」
「やっぱりキョーヘイくんは料理人に向いているのじゃないかしら?」
「それな~。いつか自分の食堂を持ってみるとかロマンがあるよな~」
「新田食堂ね。ぜひ通わせてもらおうかしら」
「なんか看板メニューを考えておくよ」
ルナが相変わらず熟睡しているので、俺とカリンは先に食事を済ませることにした。
「カリンちゃん、ご飯の量はどうする?」
「少なめでお願い。お茶碗の半分くらい」
「りょ~かい。ふりかけとか味のりは必要かな?」
「白米のままでいい」
アジフライの出来栄えはほぼ百点といったところ。
自分の料理だから当然といえば当然か。
「どう、カリンちゃん。フライの味付け。いつもの癖でルナ好みになっているのだけれども」
「とても美味しい」
「そういってもらえると料理をした甲斐があるよ」
「こんなに美味しいアジフライは生まれて初めて食べた。うちの親もたまには料理をするのだけれども、キョーヘイくんの方がはるかに上手よ」
「まいったな。ルナ以外の人から褒められるとどうも照れる」
「なにか秘訣でもあるの?」
カリンはあっという間にアジフライを完食してしまった。
「料理をするときは楽しいことを考えろってさ」
「楽しいこと?」
「ルナのお母さんがいっていたんだ。一緒に暮らしていた時間は二年くらいだったんだけれど」
「……そう、ちょっとまずい質問をしちゃったかしら。ごめんなさい」
「いや、いいよ、いいよ! とにかく明るい人でさ、一般人の十倍くらい笑っていたんじゃないかな。調子いいときのルナはハイテンションだけれど、あれをもっとパワーアップさせた感じかな。昔にさ、おじさんが激ヤセしていた時期があったんだけど、あっという間に太っちゃったんだ。お母さんの料理が美味しすぎて。毎日お米を三合くらい食べていたよ」
「あのおじさんが?」
「お母さんは亡くなっちゃったけれど、おじさんはいまでも肥満体型のままさ。これが料理をさせると下手なんだよな~。ルナが全然食べてくれなくなったから俺が頑張るようにしたんだ」
「そういう時期があったのね」
「俺も根暗な性格を克服することができた。カリンちゃんとは別々だったけれど、小学校のときはかなり暗かったんだぜ。修学旅行の自由行動なんて本当に単独行動していたくらいだから」
「……この家には思い出がいっぱいあるのね」
「ああ、太く短く生きるっていうのは、たぶんルナのお母さんみたいな生き方だ。おっと、ごめん、一人で長々と話しすぎた」
「いえ、なかなか興味深い話だった」
それからは他愛のない話をして時間を潰した。
幼稚園の運動会とか。
カリンのアメリカ暮らしとか。
去年の学園祭とか。
午後の九時が近づいたところで、ダダダダッという階段を駆け下りる音が迫ってくる。
「お兄ちゃん! ルナのお腹が空いちゃった!」
リビングの扉が吹き飛びそうなくらいの勢いで開き、下着姿のルナがやってくる。
カリンの存在に気づくまでに一秒。
赤面するまでにもう一秒。
「うわ! ごめんさない! ごめんさない! ちゃんと服を着て出直してきますから!」
まるで台風のような存在である。
せっかくの和やかな雰囲気が一瞬にして消えてしまった。
「ごめんね、カリンちゃん。なんか見苦しいところばかりで」
「いや、別に……わたしも下着姿で家をうろうろすることはあるし」
「でも来客に気づかないことはないでしょう?」
「そうね、さすがに……」
ルナの足音がドタバタと忙しい。
「ねえ、お兄ちゃんのTシャツとハーフパンツを借りてもいい!」
「別にいいよ!」
しばらくしてやってきたルナは明らかにサイズが大きいシャツを着ている。
「ルナの食事なら電子レンジの中だよ」
「いい匂い! なんだろ~。うわ! お魚だ! アジフライだ!」
「お好みで温めてください」
「うん!」
カリンがすかさず席を立つ。
「いつもルナちゃんに淹れてもらっているから、今日はわたしがお茶を用意する」
「いいのですか!」
「だから席でゆっくりしていて」
「でも、お姉ちゃんに申し訳ないです」
「お~い、ルナ。せっかくだからカリンちゃんにサービスしてもらえ」
「いいのかな~?」
「いいんだ。カリンちゃんに甘えられる機会なんて滅多にないぞ」
「キョーヘイくん、それはどういう意味かしら?」
「普段のカリンちゃんはクールで知的なキャラじゃねえか」
「それと優しさは全然関係ない」
ルナがカリンの背後から抱きついた。
「ルナね、お姉ちゃんのこと大好きになっちゃったよ!」
「ちょっとルナちゃん、いまは危ないから」
「お兄ちゃんの次に好き! 世界で二番目に好きだから!」
「それはかなりヘビーな愛情表現ね」
ルナよ、それ以上言ってはいけない。
おじさんへの愛情はどこへ消えた。
「いただきま~す! アジフライはね、お惣菜だとたまに小骨が入っているんだ! でもお兄ちゃんのアジフライには入っていないよね! あれってどういうカラクリなんだろう?」
「あれは小骨を念入りに抜いているんだよ」
「えっ! そうなの!」
「当たり前じゃねえか。小骨がないアジなんて存在しないよ」
「う~ん、ルナは感動して泣きそうだよ!」
「食べるかしゃべるかどっちか一つにする」
「はいは~い!」
よっぽどお腹が空いていたのか、ルナは五分くらいで完食してしまった。
うっとりとした表情でカリンに淹れてもらったお茶をすすっている。
「ルナちゃん、お茶のおかわりは?」
「ではでは、お言葉に甘えまして~」
身内を持ち上げるのもどうかと思うが、ルナにはたくさん可愛いところがある。
「このお茶は世界一おいしいよ~」
やたら世界一を安売りしてくるノリが俺としては好きだったりする。
「世界一はいい過ぎじゃないかしら?」
「ルナの知っている世界では一番おいしいのです!」
「なるほど、ルナちゃんの世界で一番という意味なのね」
そうなのか!
俺にとっては初耳なのだが。
「わたしの両親が帰ってくるから、そろそろお暇させていただこうかしら」
「ええっ! もう帰っちゃうんですか! ルナが起きたばっかりなのに!」
「ルナ、それは引き止める理由にならないだろう」
俺はすぐに突っ込んだ。
「気持ちはありがたいけれど……。また遊びにくるから。その時にいっぱい話しましょう」
「今度は泊まりにきてくださいよ!」
「えっ? 宿泊ということ?」
「はい! ルナの部屋をきれいに掃除しておきます!」
「外泊の許可が下りるかしら。まあ、すぐ隣なのだけれど」
「ルナが和泉家へ泊まりにいくというパターンでもOKです! いつでもお泊りセットを持っていきます!」
「それなら和泉家としては問題ないかな」
カリンに視線を振られて、俺も黙ってはいられなくなった。
「ルナ、カリンちゃんが困っているだろう。その話はまた明日以降な」
「えっ~」
「俺は隣まで見送ってくるから。先にお風呂でも済ませておいて」
「は~い」
ほとんど真円に近い月がはるか上空に輝いていた。
「きれいね」
「ああ」
そろそろ中秋の名月が気になる時期か。
「ねえ、キョーヘイくん。泊まりにいく話、やぶさかでもない」
「やぶさか? 前向きということかい?」
「いまの生徒指導部の活動が落ち着いたらだけどね。《KoF》が終わったくらいの時期とかでどうかしら?」
「悪いね。きっとルナが歓喜するよ」
「昔から妹が欲しかったのよ。そういう意味ではキョーヘイくんが羨ましいかも」
「ルナはカリンちゃんの妹みたいなもんじゃねえか。俺だって血の一滴も繋がっていないんだぜ。けどよ、あの妹はなかなか手に負えないよ」
「そっちの方が楽しくないかしら?」
「う~ん、そうかな~。カリンちゃんがいうのなら正論なんだろうね」
道の向こうからカリンの親とおぼしき影が歩いてくる。
「おやすみなさい、副部長さん」
「おやすみ、部長さん」
自室に戻った俺は明日の計画について考える。
土曜日なのでネットカフェ《たぬきのしっぽ》へ行こう。
家事を済ませてからでも朝の十時までには入店できるだろう。
夕方までには帰宅してそこから夕食の準備をすればいい。
「なんか《エルフちゃん!》の顔が見たくなってきちゃったな」
俺は充電器からスマートフォンを引っこ抜いた。