3-3 笑いすぎてお腹が痛くなっちゃう
「キョーヘイくん、昨日はごめんなさいね。部活動に参加できなくて」
申し訳なさそうに頭を下げるカリンから俺は謝罪の言葉を告げられた。
「いや、別にいいよ。気にするなって」
カリンは赤色のリボンをつけており、夕日を吸いこんだ生地がきらきらと光を反射する。
「大した活動はなにもやっていないし。いや、本当に」
「これでも部長だから」
「朝もそういっていたけれど、何回も謝るようなことじゃないだろう。だいたい、ルナの素行不良からはじまったような活動だし。むしろ俺は感謝をしているくらいだよ」
「……そういえば昨晩は楽しそうな声が聞こえてきた。家でルナちゃんと何かあったの?」
「いいや、普通にカレーを食べていただけなのだが。もし近所迷惑だったなら謝る」
「あれが普通ねえ。ふたりで大盛り上がり?」
「色々あってルナが上機嫌だったんだ。詳しくは後で話す」
さて、どこまで話すべきだろうか、と俺は首をひねった。
恋人気分ごっこのあたりは省略するとして、一緒にカレーを作ったことも伝えるべきだろうか。
「まずアキラ先生への報告からだな。《KoF》という大会があることは耳に入れておいた。その時期が十月の上旬ということも含めて。そして俺たちの見立てでは《KoF》の結果いかんにかかわらずルナのゲーム熱はいったん落ち着く。タイミングを見計らって学園生活に復帰させる。ついでに学園祭にも参加させる」
「そうね。いまのところミッションは順調」
「《KoF》で優勝した場合はいいとして、問題なのはルナが負けた場合だろう? でもこの前にゲーム内で会ったとき、ルナがいったんだ。《闇神》さんはとても強い。あの人はMMORPG界の神みたいなものだ。だから良くて五分五分だって。どう考えても優勝することを確信している人間のセリフとは思えないよな」
「わたしも外野だけど、やっぱり十五歳の女の子があの大会で優勝するのは尋常なことじゃないと思うの。ルナちゃんを応援しないわけではないけれど、どこかで敗れる可能性が大きいはず」
「うん、だから《KoF》で負けてもいいと思うんだ。結果がどうであれゲームを全力で楽しんだことには変わりない」
ここまでが前置きみたいなものである。
「ルナのやつ、昨日は学校にきたんだ。といっても授業は欠席しているから、放課後にやってきた」
「珍しいことがあるのね」
「ほら、いまって学園祭の準備が進んでいるだろう。ルナのクラスは演劇をやるらしい。ストーリーは白雪姫。クラスのみんながどんな様子なのか気になったみたいだ。窓の外からこっそり様子を観察させてもらった」
「ルナちゃんの配役は……当然ブランクよね」
「まあね。クラスメイトは心配してくれていたけどな。当日にルナが来たらどうしようってさ」
「一歩前進というわけか。ルナちゃんに心境の変化でもあったのかしら?」
「アキラ先生から電話をもらったらしい。本当に助かるよな。ルナを動かしてくれたんだから」
「でも、演劇というのは朗報ね。役によって負担が全然違うから、簡単な役であればすぐに仲間に加わることも可能」
「そうそう、例えば背景の木とか。まあ、立っているだけだから寂しい役ではあるのだが」
「キョーヘイくんも昔は木の役だったでしょう」
「どうして知っているの! カリンちゃんはアメリカにいたのに!」
「図星? キョーヘイくんの性格で主役に立候補することは想像できないから」
「あはは、そうなるね。むしろ自分から木に立候補したくらいだよ」
俺が強調したかったのはルナがやる気になってきたという点だ。
カリンは手応えを感じてくれたらしく、
「何もかもが順調ね」
といって満足そうに頷いた。
「俺が調べた限りだと《KoF》の予選がぼちぼち進行しているようだ」
「ルナちゃんの戦績はわかったりする?」
「もちろん全戦全勝だよ。まったく相手を寄せ付けない感じ」
「ならば予選突破は間違いないようね」
「ああ、ルナも《真剣優が教える攻略動画!》の中でそういっていた。間違いなく予選突破しそうだと」
俺はFKCの公式ホームページを開いた。
《第二回キングオブフェアリーナイツ》のランキングページにアクセスする。
ワールド《ネビリム》の項目にあるのは《1位:エロフ商会 12戦12勝0敗》という一行。
「昨日の夜にプレイ動画を観たんだ。そりゃもう圧倒的だった」
「キョーヘイくん、ギルド戦のルールはわかるの?」
「いいや、よくわからない。なんでも《アルカナストーン》というのが戦場に三個配置されていて、そこを巡る攻防なんだとさ。とにかく《堕剣士・真剣優》がバッサバッサと敵を倒していくものだから応援していて楽しかったよ。あれは誰も相手にしたくないだろうな」
「なるほど、ゲームの中のルナちゃんも絶好調ね」
もちろん有名プレイヤーの《闇神》だって順調なことには変わりない。
ワールド《メテオワーム》の首位を独走していることは運営ブログ《黒の騎士団のチラシ裏》でも報告があがっていた。
早ければ明日にも《ダークナイツ》の予選突破が決まるらしい。
「他の対抗ギルド……なんだっけ、《殺戮舞踏会》とか《麻雀クラブ》も圧倒的な強さなんだよな。まさに本戦は有名プレイヤー同士のぶつかり合いというわけだ」
「ならばキョーヘイくん、いや《エルフちゃん!》がしっかりと応援してあげないとね」
「わかっている。いまのところ毎日FKCをプレイするようにしているよ」
「少しは強くなったの?」
「もちろん《エルフちゃん!》は強くなったよ。俺の腕前の方は相変わらずなんだけどね。どうやらゲームの才能がないらしい」
ふいにカリンが笑った。
「なんだか楽しくなってきちゃったね。わたしたちもFKCのファンになっちゃったみたい」
「ああ、違いない。いまでは《真剣優が教える攻略動画!》をチェックするのが生活の楽しみの一つだよ。ルナのことをゲーム中毒といって責められない」
「まるで以前のキョーヘイくんとは別人?」
「そういうカリンちゃんも別人だよ。さあ、生徒指導部の活動を開始しようぜ」
俺はFKCのアプリを起動し、カリンは文庫本を取り出す。
ゲームをするのが部活というのも変なのだが、事実なのだから仕方がないだろう。
優等生のカリンだって《よくわかる麻薬の歴史》という何だか危なそうなタイトルの本を読んでいる。
「……ふむふむ、ゲームやギャンブルに熱中する人は、アセチルコリン、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンといった脳内麻薬の分泌が……」
「何だって?」
「ちょっと調べ物をしているのよ」
「カリンちゃんはどこまでも熱心だよね。ルナのためにそういうアプローチをしているのだろう?」
「人間を観察していると面白いのよ。ルナちゃんほど興味深い観察対象もなかなか存在しない。キョーヘイくんが一番わかっているでしょう」
「なんだかマッドサイエンティストみたいな発言だ」
「キョーヘイくんのことを観察するのも面白いのよ。自分では気づいていないでしょうけれど。独り言をよくいっているし」
「そういうことは鏡を見ながらいった方がいい。カリンちゃんの方がよっぽどユニークな性格をしている。平凡という評価をもらったことが今までの人生で一度でもあるかい?」
「……キョーヘイくんに一本取られたかも。ちょっとだけショック」
「落ち込むところなの!」
くすくすと笑い始めたカリンが、いきなり堰をきったように爆笑した。
「笑いすぎてお腹が痛くなっちゃう」
どうやら相当にツボったらしい。
「キョーヘイくんと一緒にいると本当に飽きがこないのね。ルナちゃんに好かれる理由がよくわかる」
「そうかな。俺なんて料理くらいしか取柄がないと思うのだが。勉強の成績だってけっこう悪いし。クラスではどちらかというと日陰者だし。そもそも生徒指導部しか部活動やっていないし」
「そういうのは外見のオプションでしょう。わたしが主張したいのは中身の問題。キョーヘイくんは人間として素晴らしい」
「そういわれてもなあ。理解できるような、理解できないような」
少なくとも褒められたことだけは確かのようだ。
「ねえ、キョーヘイくん。たまにはわたしに料理を教えてくれないかしら」
「別にいいけどさ、俺って自己流なんだよね」
「一緒にキッチンに立たせてくれるだけでいい」
「わかったよ。どんなメニューがいい?」
「何なら教えてくれるの?」
「奇抜なメニュー以外ならなんでも。漠然としたリクエストでもいいよ」
「それならば和食がいいかな」
「野菜と魚を中心に考えてみるか。じゃあ、帰りに食品スーパーへ寄っていこう。そうそう、魚のおろし方とか知っている? 三枚おろしとか聞いたことがあるんじゃないかな」
「魚は元からおろして販売しているのではなくて?」
「ちっちっち。下処理から入るのが俺流なんだよね。サバとかアジでよければ実演してみようか? ちょっと臭うけれど、もし苦手でなければ」
「魚はわたしの好物よ。お願いしようかしら、キョーヘイ先生」
「りょ~かい。ひさびさに腕が鳴るな」
「ルナちゃんは料理に興味がないのかしら?」
「……ないね。この前なんかゆで卵さえ満足に……いや、やっぱりやめておこう」
「ゆで卵?」
「そこら辺の小学生以下の料理スキルしかないってことだよ。いまのルナにはね」
お互いにキリがいいタイミングで部活動を切り上げることにした。
沈みかけている夕日が路上に長い影をつくる。
「そういえば最近の調子はどう? 何か夢を見れた?」
「いいや、全然。さっぱりだよ。カリンちゃんは?」
「いろいろ試行錯誤してみたけれど無理ね」
「一度でいいから見たいんだよな。夢ってやつをよ。どんな気分なのか気になって仕方がない」
「同感ね」
「楽しい夢と怖い夢があるんだろ。怖い方でもいいから見てみたいな。ひたすら落下する夢とかアトラクションじゃねえか」
「その発想は悪くないかも」
食品スーパーを歩いているとキャラクターの刺繍が入ったハンカチを拾った。
「誰だろう? 子どもが落としたハンカチだよな?」
「あの親子連れじゃないかしら?」
カートを押すお母さんとお菓子に夢中の幼稚園児がいる。
「すみません、このハンカチ、落としましたか?」
「あら」
お母さんの方から何度も何度も感謝されて、かえって恐縮してしまう。
すると子どもの方が、
「ねえねえ、ママ。あの人たちもパパとママみたいになるの?」
と指差してきたので、俺もカリンも大赤面してしまった。