銃声と疑惑
Alex第二話「銃声と疑惑」です。
「コンスタンス総合病院」の地下駐車場に車は停めてあり、粗方土地に詳しい俺が運転をすることとなる。
キーを廻し、運転席に座り込むと助手席にニルヴァンが入った。
コートの中に手をいれ、オートマチックの拳銃を取り出すと、じっとそれを眺める。
「なんだ?拳銃が珍しいか?」
俺が軽口を飛ばしてやると、ニルヴァンは憂いある視線を向けてきた。
「アビントンの死に様を考えていた。頭を撃ち抜くのが効果的だが、痕跡が残るのも確かだ。」
「ルーヴィンさんがうまくやるさ。あの人は、そういう悪巧みには慣れてるんだ。」
「そうだろうか。」
ニルヴァンの含む言い方に、俺が首を傾げていると、奴は一言言った。
「トリップ・トラップ。安直な名前だ。ドライブはまだか。」
「…ああ。今エンジン掛けるから、待ってろ。」
ギアチェンジをし、バックで車を回転させながら、俺達は駐車場から出て行った。
“そうだろうか”。
ニルヴァンの言葉が、頭に残る。響き、ゆっくりと消えるかと思えばまた響く。
何だって言うんだ?この違和感は。
いつも通りの仕事だ、いつも通りのやり方だ。何が疑問点を生み出す?
バカバカしいと俺は切り捨て、車を走らせる。
「カジノは朝方から騒がしくやってやがる。準備はいいか?」
「コンスタンスと話していた時から、準備など終わっていたな。」
そりゃ心強いことで、と返すと、裏通りの道へ滑るように入る。
繁華街は死んだように静まっていたが、カジノ「トリップ・トラップ」は人集りが出来ていて今にも手にした大量の札束を、ルーレット台に投げ込みそうだ。
そして、ここにエドウィンも居るのだろうか。
俺は車を駐車場に停めて、懐から取り出したリボルバーに目を遣る。
また、こいつの世話になることになったわけだ。
車を降り、コートに手を突っ込んで歩き出す。後方に、ニルヴァンは続いてきた。
入口フロアの辺りまで来ると
まだ年若い女の子達が格好をつけて色目を使ってくる。
男達は、俺達に興味など無いようだった。ただ大金を詰めこんだバッグを持って、内部へ足を運ぶだけだ。
一流ホテルの様な、笑顔で出迎えてくれるボーイにチケットを二枚投げて、扉を開き、俺と二ルヴァンは中へ入る。
フロアは、一昔前の映画セットみたいな雰囲気に思えた。
言い方を変えるなら、ガキの頃に見た「オペラ座の怪人」を思い出す。
「悪趣味な作りだ。」
二ルヴァンがはっきりと断言したので、俺は振り向く。
「お前さんは、高級なものが大嫌いなのか?」
「そうかもしれないな。」
「だとしたらソイツはワガママだぜ。恵まれてるってことを実感すべきだな。」
「お前は恵まれてないんだな、アレックス。」
強烈な厭味に、俺は息を呑み込んで、ゆっくりと吐く。
後ろを向けば、なに食わぬ涼しい顔でニルヴァンは俺を見ていた。
「…なあ?今日はどうしても組まなきゃいけないんだ。今から口で争いごとするこたねえ。
“どうせ、今回きりの仲なんだから懐を痛め合う理由”もないだろ?」
「思ったことは言っておきたいんだ。“どうせ、いつか殺される理由”を持っているから。」
そいつは俺だって一緒のことだ。殺されるアテなんぞ幾らでもある。
だが、その重みはニルヴァンの方が大きいのだろうと思えば、ただ俺はゆっくりと首を振って歩くだけだった。
「トリップ・トラップ」の廊下は、シアトル風のフロアと一転して、淡水魚の馬鹿でかい水槽で挟まれている。
反射光は青く輝き、俺とニルヴァン、それから何人かの博徒を照らす。
ドロシーが居るVIPルームはもっと奥だ。屈強なボディーガードをあつらえた先にある。
きつい黒紫と金縁のドアの前に立つと、俺は黒服の男に言った。
「アレックスが来たって言ってくれないか。それとも、ドロシーは留守?」
「仮オーナーなら中に居る。後ろのは?」
「友達だ。こっちに来たばかりで、仕事を探してる。ドロシーに世話になろうと思ってね。」
「哀れなもんだ。こんな所にやって来た時点で―――ああ、彼女は中に居るさ。入れよ、アレックス。」
そうさ、こんな街に来た時点でニルヴァンは反吐が出る気分で居るだろうさ。
礼を言ってから、両扉を開けると、そこかしこからバラの香りが漂う。
―――ドロシーのオフィスは、紫と紅でまとめられた上品さの漂う雰囲気で
中央の黄金色のソファに置いては、艶やかなチョコレート色の肌の女性が、こちらを見ていた。
齢は36だが、もう40を超えているのではないかと思うほど、格好は奇抜で古臭い。
ドロシーは、摘んでいたチョコを飲み込み、言った。
「アレク。ここに来るなんて、いつ以来?確かニコと来たわね。ルーヴィーのお使いで…。」
何でも名を略したがる彼女は、ついとニルヴァンに目を遣って、微笑んだ。
「アレックス・ニルヴァン…これはこれは。有名人が来たものね。お掛けなさい、ふたりとも。シャンパンとチョコで乾杯といきましょうよ。」
どうやら、スジの奴らにゃニルヴァンは有名人らしいな。
ニルヴァンは何も言わず、金縁のソファに座り込んだので、俺はシングルソファに座って対面するふたりを見た。
エスニック模様のターバンに触れて、シャンパングラスを持つドロシーは
妖艶な笑みで俺達を眺めた。そうして、高くグラスを掲げる。
「ふたりのマーダーマンに、乾杯。」
俺はしょうもないような笑みを浮かべて、グラスをカツンと叩いてみせた。
ニルヴァンは黙って、何もせずにドロシーをじっと見つめていた。
シャンパンを飲み終えると、ドロシーはほうっと溜息を吐き、それから俺を見た。
「それで?ニルヴァンを連れてきて、私にどうしてほしかったのかしら、アレク。」
「仕事探しだよ。あれだけデカいドンパチやれば、河岸替えもせにゃならんだろ?」
「それはそうねぇ。でも、金が欲しいのならルーヴィーにでも雇ってもらえばよかったんじゃなあい?」
尤もな話に聞こえるが、ルーヴィンさんに金を集りにいくのは、俺は賛成しかねる。
5セントを出すか出さないがで迷うほどの男に、誰が好き好んでついていく?
俺は二流の為に職を選べるほどでもなかったわけだが。
「ルーヴィンさんの守銭奴ぶりを知らない訳じゃないだろ?ニルヴァンなんてハイリスクを誰が雇う?
それでな、考えてたんだが、探偵の真似事もやってみるかって話になってるのさ。」
ニルヴァンは何も言わず、冷ややかにドロシーを見つめていた。ドロシーもまた、ニルヴァンの目を伺う様に見る。
「…人殺しの探偵、何だか映画みたいね。まあいいわ。それで、その探偵さんが私に何の用?」
すると、ニルヴァンは今までの冷たい態度を一転して、微笑みながら話を始めた。
「シャロンさんから、夫のエドウィンの浮気調査をしてほしいと。あなたは、エドウィンと交流があると聞いて何か情報はないかと。」
意外な対応力に、俺は目を丸めてニルヴァンを見つめる。
尖った視線も声も、優しく丸みを帯びたものとなったニルヴァンはごく一般の男に見えた。
とても、ニューヨークで数多の人間を殺してきた男には見えない。
ダークチョコレートを摘むドロシーの手が、ふと止まり、赤黒い魅惑的な唇を舌が舐める。
「シャロンが、エドウィンを疑っているの?あんなに仲のいい夫妻が、そんなことに?
まあ、まあ、まあ。兄の方が四方八方に手を出しそうな男だっていうのに。」
「あくまで、“疑る”だけですよ、ドロシーさん。真相はたったの二つしかないんだ。おわかりですか?」
イエスかノーか。それだけのこと。ドロシーは素早くチョコを口に放り込み、噛み砕く。
「…エドのことは個人的に仲もいいし、知ってるわ。旦那の友達でもあるからね。
でも、あの子は兄貴に似ずに誠実で、いい子よ。不倫なんてすると思えないわ。」
「そう、兄貴は頭が良いから似てないんだ。」
唐突に、優しさを捨て去った声でニルヴァンが言い、ドロシーの黒く大きな瞳が彼を捉える。
そういうことか。俺は、シャンパンを飲み干してドロシーに言った。
「もうルーヴィンさんは全て知ってるんだ。ドロシー。あの人の手口は知ってるだろう?まだそのチョコとシャンパンを飲む生活を続けたかったら、エドと切れてくれないか。」
最後のひとつであるチョコに手を掛け、ドロシーは結局それを口に放り込めなかった。
「ルーヴィーがそう言ったのね?探偵業も嘘ってワケ。ねえ、アレク?」
「そんなのは今どっちでもいいはずだ。俺はエドウィンと関係をきれいさっぱり切ってくれって言ってるのさ。」
そこまで言うと、ドロシーは、はあっと大きく溜息を吐いてソファに凭れた。
「…いけないことだとはわかってるわよ?そりゃあね。
でも、女ってのは時にそれでも身を投じることがあるのよ。男もそうでしょ?
私たちは確信してるわ、愛し合ってるって。」
どこか冷淡な口調で言う彼女の親指と中指が、円形を描いた瞬間、俺は拳銃を引き抜いた。
言葉は要らない。引き金を引くと、鈍い音と共に、ドロシーはソファへと倒れ込んだ。
VIPルームに大きく音をたてて、入ってきた二人の黒服が拳銃を抜くより先に、ニルヴァンが二発弾丸を撃ち込む。
見事な手並みだった。どちらも頭を打ち抜かれ、かつての人だった肉塊がその場に身を投げ出す。
それからの動きも、まるで豹のように素早かった。
コートからハンカチを取り出し、俺が触れたシャンパングラスを念入りに拭き取ると、顎で合図をしてみせる。
俺は銃をショルダーホルスターにしまいこみ、何事もなかったかのようにVIPルームを出て、きびきびと歩き出すニルヴァンに続いた。
「忙しくなるぞ、アレックス。」
当たり前だ、何を問う必要がある?
俺は訝しんで眉を顰めたが、結局は何の返答もかえさなかった。
表に停めてあった車に乗ると、ちょうど携帯が鳴る。懐から出して液晶画面を見ると、「ニコラス・テイラー」の名があった。
何かトラブルか?すぐに、通話ボタンを押して耳元にあてがう。
「なんだ?」
『アレックス、そちらの状況を調べておきたくて。ドロシー・アビントンはどうなりましたか?』
「殺した。そっちの要求通りだ。まだ気づかれちゃいねえだろうし、いつものホテルでルーヴィンさんに会えないか?」
『わかりました。私が応対します。』
「おいおい、ドロシー殺しはそんなに甘かねえ仕事だろうに。ルーヴィンさん直々にでなくていいのか?」
『でしたら、横に居るエドウィンに代わりましょうか?』
口内が一気に渇き、脳内が凍りつく。
エドウィンが居る?ドロシーのこともわかっていて?
ルーヴィンさんが何を考えているのか、俺には全くわからなくなってしまう。
ようやく出た言葉は、ほぼ怒声に近いものだった。
「ふざけるなよ、ニコラス!どうなってやがんだ?」
『熱くならないでください。きちんとお話しますから。』
「こっちはニルヴァンと組んで気も揉んで、かつての知り合いも殺してきたあとだぜ?そりゃ熱くもならぁ。」
『雇われ身分で、かつ殺し屋の割に大きく出るんですね。』
まるで冷水を頭からぶっ掛けるような声色は、俺を幾らか落ち着かせた。
冷静になれ、今、俺が生きる為の命綱はニコラスしかいないんだ。
そして、そのニコラスは幸運なことに、雇用身分にも主人にも常に中立的に構えている。
俺は、かつて二ルヴァンが言った「細い絆」を頼りに答えた。
「わかった。どこに行けばいい?」
『スターウッドホテルのカフェバーで会いましょう。出来るだけ急いでください。』
スターウッドホテル。いつもの集い場ではない。ビジネスホテルのひとつだ。
電話を切り、俺はステアリングを思い切りに叩く。
「クソッ、なにがどうなってやがる!?」
「言ったはずだ。そうだろうかと。」
「…お前さん、何を知ってやがる?本当の目的はなん…。」
全ては言い切れなかった。額に突きつけられたベレッタが、俺を生ぬるく押し返す。
「テイラーが言った場所まで急げ。」
「そいつは、命令か?それとも頼みか?」
「どう思う。」
鳶色の瞳は未だ凍っているが、決して、人を殺める罪悪の光すらも奪った訳ではない。
なにが起きているのか、誰が被害者で加害者なのか…知る必要がある。咄嗟にそう思った。
「…スターウッドホテルにニコラスとエドウィンが居る。行くぜ。」
「ああ。」
また、俺の瞳を見て、ニルヴァンも銃を仕舞い込みシートベルトを締めた。
一応、こちらの思いは汲んだというところか。
車を発進させると、道がヤケに混んでいるのに舌打ちする。
冬場の昼間から、今のやつらは何をやってやがる?
「手が込みすぎてると思わないか。」
目を細めて、ニルヴァンが言う。手が込んでる。ああ、そうさ、そうだな。
「ルーヴィンさんは俺達をどうしたいんだ?お払い箱ってやつか?ああ?」
「では、私は恨まれている事になる。知らない内にだが、致し方あるまい。仕事が仕事だ。」
「どういうこった?お前さん、ルーヴィンさんに雇われの身じゃあねえのか?」
「さっきは銃を向けないと、お前が動きそうになかっただけだ。
ルーヴィンに依頼が来たのは確かだが、裏でこういった画策をしていた訳じゃない。
私の場合、巻き込まれているか、意図的に巻き込んだか、どちらかだな。
そもそも、アレックス・ニルヴァンと名乗ったのも最近だ。」
それもそうだろうとも。お前は殺したヤマがでかすぎた。
心の中で言い返してやりながら、前の車が動き出したのでアクセルを踏む。
スターウッドホテルまでの道が、延々と続くように思える。
それまでに、俺はいろいろな事を考えた。
銃を持って俺の死を今にも待っているニコラスや、嗤っているルーヴィンさんの姿。
そして、謝罪と共に俺を撃つニルヴァンの予想も。
全てはイメージだ。確固たる根拠など、どこにもないと言い聞かせる自分と、“そうだろうか”と問うてくるニルヴァンが胸に在る。
「―――私は生まれは田舎だったが、親が転勤になってニューヨークまで越した。
二人共、今も元気だ。会いには行かないが、新聞の記事で度々見かける。」
いきなりニルヴァンが語りだしたので、俺は面食らいつつも、ふうんと唸る。
「いきなりどうした…って話だが。親御さんはお偉いさんか?」
「小さな会社だが、経営者である事には変わりない。小さな頃から習い事を幾らか掛け持って、親の金で大学院まで行かせてもらった。
私はかなり恵まれていたものだと思う。」
少しも当てこすった印象はなく、寧ろ自嘲にすら聞こえる声色で言う二ルヴァン。俺は、少し間を置いて頷いた。
「どうりで高い物に慣れてる訳だ。ニルヴァンは本名じゃないよな?」
「無論だ。お前は、アレックス?」
そこで、ようやく気がついた。多分、こいつは俺が疑ってかかっているのに気がついて、敢えて心を赦してみせたのだ。
そうする事で、たった5分程度でも信頼関係は生まれる。
俺は慎重に、だが別に隠す事もなく、打ち明けた。
「孤児院暮らしでな、親の顔は知らないし、先生に聞こうともしなかった。」
「なぜ?」
「恋しくなかった訳じゃないし、恨んでない訳でもないが、一番は怖かった。
どんなふうに俺を捨てたのかとか、俺をどう思っていたのかとか、知りたかなかった。
高校を出たら独り立ちして、仕事を転々と廻った。今はここで落ち着いたがな。」
浅くも深くもなく。ちょうどよいバランスで話してみせると、ただニルヴァンは傾聴する。
アレックスなんて名前も、偶々孤児院の先生から付けてもらった名。出生届すら出されず、俺は親に見放された訳だ。
だから家庭に憧れた時は多々あったが、結局不器用な俺はどんなことも上手くこなせないと
若気の至りで、こんな職に就いてしまった。引き返そうにもやり過ぎちまった程に。
「私はもっと殺した。」
そんな気持ちも見通した様に、ニルヴァンは言う。
「名も顔も変えなければならないほど。当然の応酬だ。」
「よく空港でパス出来たな。」
「言っただろう、顔を変えている。定期的にな。ニューヨークに古い付き合いの整形外科医が居る。
ソイツもやくざな真似は働いているから、お互い様という話で、安く顔を変えてもらう。恐らく、親でももう子とはわかるまい。」
そうだ。俺たちの仕事はそれぐらいでなくちゃ、話にならない。
親族や友達に迷惑を掛ける度胸があるか、自信がないなら完全に元の自分を捨て去ったほうがいい。
俺の場合は、もう孤児院の連中がどこに居るか知らないし、先生達も高齢だったから、生きてるかどうか怪しいのだ。