二人のアレックス
連載物ですでに書き終えた作品のひとつ、Alexというお話です。
Alex アレックス
その日の町の朝はしん、としていて、まさしく秋頃の寒い風景となってきていた。
俺はベッドの上でまどろんでいたが、空腹という悪魔には勝てず、欠伸をしながら起き上がる。
ふと、サイドボードに放っておいた携帯が鳴る。最近、クラブで知り合ったバーテンダーなら、無視しようと決め込む。
あいつは酒のことしか話さない。あまり酒に拘らない俺としては、はっきり言って興味がなかった。
画面を見ると、「ニコラス・テイラー」の文字に慌てて俺は通話ボタンを押した。
「朝っぱらからなんだ?」
携帯のむこうで、まだ少年の殻を抜けきっていない声が返ってくる。
『世間話したくて貴方に掛けたと思いますか?仕事ですよ、アレックス。』
「仕事ね、ルーヴィンさんは俺に無理な仕事しか渡さない。嫌になるな。」
『貴方ほどの腕前で専属雇用するなら、駒扱いしかしませんよ。まあ、求められてるだけマシと思ってください。』
俺はやれやれと首を振る。
雇用主、「コンスタンス総合病院」の院長ルーヴィンは
出世という大戦争で多くの敵を作っている。裏での抗争も絶えない。
時折、それが物理的なものになることだってあるそうだ。その盾として選ばれたのが、しがない二流の殺し屋アレックスであったのは意外だったが。
「で、いつもどおりのホテルのラウンジでいいのか?」
『ああ、それが、“もう一人”の方がラウンジは嫌だと言うもので
リクエストにのった所、貴方の家の近く、児童公園で話し合い、だそうです。』
児童公園で男達が話し合い。どう見ても、危ない見世物じゃないか!
馬鹿な協力者がきたものだと内心思いながら、俺はニコラスに聞く。
「誰だよ、俺の相棒になるやつ。」
『アレックスですよ。知ってるでしょう?』
俺は首を傾げる。同業はあまり知らないせいか、「アレックス」とだけ言われても思い浮かばない。
「どのアレックスだ?」
『ここ最近、騒ぎになってるニューヨーク事件実行犯のアレックス。』
心臓が飛び出るくらい、ぽかんと俺は口を開けた。
ニョーヨークの会合先で、無謀にも大統領を狙った阿呆などと、俺は組まにゃならんのか。
「待て待て待て!どう考えったってアレックスまで呼ぶ必要ないだろう!?
俺がてきとうにやって、帰ってくる。その方がよくねえ?」
『院長は是非貴方とアレックスを押してますよ。さ、仕事です。アレックス。』
俺は何が何だかわからなくて佇んていたが、こんなことをしている場合じゃない。
慌てて冬頃専用のコートをつけて飛び出した。
児童公園に着くまでそう時間は掛からない。俺は歩いて向かい、先にベンチで座っている男性を見た。
ルーヴィンさんとニコラスだ。ルーヴィンさんは紫煙をくゆらせて、ぼうっとしていたが、ニコラスの方は暇そうだった。
レインブルーのコートを着たルーヴィンさんは、俺を見てニヤっと微笑む。
今日もオレンジ色の髪はよく手入れがされていて、剽軽なその色を完全に優雅な男へ変貌させていた。
ニコラスの話じゃ、自分でキチンとセットしてるって話だ。何時間掛けるのだろう。
「やあやあ、アレックス。イイ朝じゃないか。ニコラスとお前、私の親愛なる仲間がふたりも居る。」
よく言う、と俺は思った。
この前は一般人より、闇商売の患者―――まあ彼にとっては客だが―――を優先させて
全健全家庭の奥様の怒りを買い、記事になるより前に糾弾しそうな奴らは片っ端から俺に殺害を命じたというのに。
報酬の割にルーヴィンさんは、大抵デカイことをやらせてくる。守銭奴どころか、財布のベルトを鋼鉄で作っている男なのだ。
「ルーヴィンさんに、こんな呼ばれ方するのは初めてだな。ニコラスにコーヒー代払わせておいて、ホテルラウンジ使うくせに。」
部下のちょっとの皮肉ぐらい気にしないルーヴィンさんは、声をあげて笑う。
ニコラスからしてみれば、どうやら余計なお世話だったらしく、俺は睨まれたが。
その時、後ろからコツコツと革靴の音が近づいてきて、俺たちは一斉に振り返る。
冴えない鳶色の髪、痩躯、見た目には貧弱そうだが、眼光だけは鋭い男が立っていた。
「ニルヴァン君。よく来てくれた。雇用主の…。」
「ルーヴィン・コンスタンス。名前など知っている。」
低い声がルーヴィンさんの言葉を遮ると、やれやれとニコラスとルーヴィンさんが首を振った。
「君ほどの実力者なら、もっと良い会合場所を用意したのだがね。」
「ニューヨークで腐るほどホテルラウンジは使ったさ。もう懲り懲りだ。」
無表情に語るアレックスを見ながら、俺はニコラスにコソコソ話しかける。
「俺ぁ、あんまり裏には精通してねえんだ。アイツはどれぐらいの腕があるんだ?」
「大統領を殺してそのまま逃げおおせる、想像はつくでしょう?」
レインコートのポケットから煙草を取り出して、ニコラスは口に銜える。
ライターで火をつけると、安物煙草では絶対に嗅げない芳香が漂う。
「アーク・ロイヤル。」
ルーヴィンさんと二言三言交わしていたニルヴァンが、いきなり言った。こちらには視線も向けずに。
「なかなか良い煙草を吸うものだ。その年で良し悪しがわかるのか?」
紫煙を吹きながら、ニコラスはアーモンド型の大きな目を細めた。その質問を、あまり快く思ってない証拠だ。
「働き出してからはずっとこれですよ。別に、煙草にうるさい訳じゃない。」
「言動、仕種、嗜好。全てがありがちな量産型の高学歴だ。そういう奴に限って、対応力がない。」
おいおい、マジかよ。俺は内心呟いた。
キレるとどこまでも噛み付いてくるニコラス・テイラーに、真っ向から喧嘩売りやがった。
案の定、ニコラスが芳香なコーヒーの香りがする煙草を携帯灰皿に押し込み、鳶色の瞳に冷めた光を灯す。
「過失があったなら、謝りますよ。金の為なら泥に顔を突っ込む貴方とは、若干思考回路が違うんでね。
もしかしたら、気に食わないことをしたのかもしれない。」
「こんな雇用主の下で働きながら、まだ自分が高潔だと思っているんだな。」
「犯罪にはこれっぽっちも関わっていない。それにひきかえ、貴方はなんだ?歩く犯罪歴だ。
そんな輩にハイマインデッドなんて言葉を使って欲しくないものだ。」
やはりといったところか、ニコラスの言葉はキツく、二ルヴァンも鼻で笑って返す他なかった。
ニコラスは今年で18歳だが、大学院を既に修了している秀才だ。
ただその分、余分人に揉まれて汚い所も見てきている為か、どうにも齢に似つかわしくない冷たさがある。
ルーヴィンさんにすら敬意が見えない時もあるものだ。
ルーヴィンさんが目先で合図をすると、ニコラスが舌打ちしながら、ライターを取り出す。
懐からジョーカーを取り出したルーヴィンさんは、それに火を点け、甘い煙を吹く。
「―――それで、口喧嘩が終わりなら本題に入ろうか。」
今まで寛大で陽気なルーヴィンさんの声には、冷たいものが混じる。仕事の話をする時の声だ。
長い煙草を灰へと変えながら、彼はひとりの男の名を出した。
「この場に居る全員が知っているだろう、エドウィン・アルフォードが今回の主軸となる。」
エドウィン・アルフォード。最近、一世一代の博打で人生を過ごせる金を手に入れた男の名は、裏通りならず、表でも有名だ。
この区画は売春も賭け事もまっさらなもので、違法ではない。
抑制されるからこそ犯罪が起きるからだ。適度になら、発散すべき所はする。
そして、エドウィンの名は俺とニコラスの間では深い意味があった。旧姓、「エドウィン・コンスタンス」のその弟には。
「エドがなあ、面倒事に首を突っ込んだ。まあ、自堕落なヤツだったから、そのうち馬鹿なことをするとは踏んでたんだが。」
それを隠す気もないように、ルーヴィンさんは続ける。
「一面の記事に載ったように、エドウィンは今、押しも押されぬ一億長者だ。
自分の努力で成り上がったような男じゃないが、一応な。
だが、あいつの中じゃ、まだ足りないのが実情らしい。稼いだカジノに未だ潜り込んでいる。」
「私は面倒な話は省きたい。何が問題なのかだけ、教えてくれ。」
二ルヴァンがじっとルーヴィンさんを見つめる。その瞳は、まるで永遠に溶けぬ氷のようだった。
その答えが気に入ったかのように、ルーヴィンさんは形のいい唇を歪める。
「カジノのバックボーンである、ドロシー・アビントンの殺害。それが今回の依頼だ、アレックス、ニルヴァン。」
ドロシー・アビントンは、この辺りじゃ知名度は中々に高い良家の産まれであり
エドウィンが入り浸っているカジノ経営者の妻だ。
家庭に愛を注ぐドロシーが、夫の仕事となれば必然的に助けを入れるのは火を見ずとも明らかで
彼女の資産から、カジノは大きくなっていった。事実上は、ドロシーの持ち物と言ってもいいだろう。
「エドは今の妻を捨てて、ドロシーと結婚したいらしい。ああ、そうさ。つまり不倫関係なんだよ。どっちもその気になっている。
だが、エドの目的はドロシーの愛じゃない。金だ。これ以上、あいつが金の亡者になる前に目を覚まさせてやりたい。」
「なぜエドウィンの方を殺さない?」
ニルヴァンの問いにルーヴィンさんは簡素に答える。
「巨万の富を持った弟、これは私にとっての後ろ盾になると考えているからだ。
事実、エドウィンと私はこれでもうまくやっている。ビジネスでも、家庭面でもな。」
「家族という細い絆でうまくやりこなせる連中のひとり。お前をそう見れないが、暇つぶしにはなりそうだ。」
ふうん、知ったような口調だ。咄嗟に俺は思った。
孤児院育ちで、どんなものでもいいから家庭に憧れていた俺からしてみれば、ニルヴァンのそれはワガママとも受け取れる。
ルーヴィンさんはようやく、つかみどころのないあの笑顔を取り戻し、俺達にチケットを二枚投げた。
「トリップ・トラップ。エドが通っているカジノだ。VIPになった気分で行ってきてくれ。」
ひらりと流れてくるチケットは、目に痛い白と青で彩られた、悪趣味なもんだった。
まるで、スクリーンから出てきたSF世界のようだ。
「足はニコラスの車を使うといい。もう彼からも許可は得ている。」
「派手に使ってもいいですよ。修理代は、院長から請求しますので。」
ちくりと痛いことを言うニコラスから車のキーを受け取ると、俺はニルヴァンの方へ振り向いた。
「…じゃ、行こうぜ。俺ぁ、あんまりペアの仕事は得意じゃねえ。」
「奇遇だな。私もだ。」
肩を竦め合い、俺達は車が停められてあるという駐車場まで向かった。