第六話:技術提携 「テレポーター」
※冒険者協会会長の名前を「ガルフォーン」から「ダイナソン」に変更しています。
厳冬である。
温泉旅行から帰還し、通常業務を再開した悪魔の罠商会の面々を待っていたのは、社の創設後初めて経験する大雪に閉ざされた大地だった。
これでは人間たちもウィンタースポーツを楽しむどころではない。
冒険者たちも迷宮探索どころか交通網を寸断されて移動が困難になり、温泉迷宮から出ても拠点へ帰還できない者たちがそのまま迷宮内で冒険者協会に保護されるという事態となり、温泉迷宮は一時迷宮としての営業を中止し、避難所として解放することを余儀なくされていた。
輸送手段を高い寒冷耐性をもつベヒーモスに頼っている悪魔の罠商会ではあるが、「寒さに強い」のと「雪上で素早く動ける」というのはまったく別の問題であり、「出来立て、作りたて」の罠商品を輸送することはできず、こちらも若干の業務縮小を各方面に通達していた。
それでも支払いを待ってはくれないのが銀行である。
しかし、悪魔の罠商会は滞りなく一月分の返済を済ませ、エリス希望の「瞬間輸送装置」の開発のため、とある団体から「技術顧問」を招いていた。
ちなみに、「ケイオスミミック」の開発のため、社運を賭けた投資を行った悪魔の罠商会にそのような資金をもたらしたのは、他でもない冒険者協会である。
遡ること一週間前。温泉で心も身体も温まった社の面々は、旅館の部屋で供される夕食に舌鼓を打ちつつ、滅多に飲まない酒を楽しんでいた。そこへ、「ツルツル回廊」の撤去を求める電話――ついに二百回目――がかかってきて、しかも相手が本来いびり殺すべき冒険者どもの代表を務める男とあっては、ゴランドリエルとエリスの悪魔二体と、不死者どもの王クイーンの嗜虐心に火がついたのも仕方のないことだっただろう。
「ヤッホー! 悪魔の罠商会 受付担当のエリスだょぉ~?」
【…………】
「あれぇ? もしもーし! エリスちゃんだよぉ~?」
【ようやく営業再開か】
ハンズフリーの状態で繋がった携帯電話のスピーカーから流れる音声を聞いて、声の主が酷く疲れ、肉体的にも精神的にもやつれている――要するに疲労困憊の状態であることがわかった。
「えーっとぉ、本日の業務は終了致し――」
【ふざけるでない!】
「やーん。社長ぉ、会長さんが怖いですぅ」
酒の勢いもあるが、やはり憔悴した冒険者の声というのは悪魔にとっては暗い欲望を掻き立てられるものらしかった。酔っぱらったエリスは、ダイナソンの怒声に嬌声でもって応じたのち、とても面白そうに笑ったのだった。
【ゴランドリエル……そこにいるのか】
光沢のある朱塗りのテーブルには船盛や高級魚の蒸し煮、固形燃料の上でくつくつと音を立てている紙鍋などがところ狭しと並んでいる。どうにか隙間を見つけて置かれた携帯から流れる、恨みがましい声がゴランドリエルを呼んだ。
「…………」
右手の親指と人差し指の先で霧子のグラスを器用に摘まんで酒を飲んでいたゴランドリエルは、中身の半透明の液体――僅かに緑がかった不思議な色合いの――を一息に飲み干し、右に控える浴衣姿のクイーンが再びそれを満たすのを待ってから口を開いた。
「何か用か? 冒険者」
【『何か用か』ではない! 用件は分かっているだろう!? あの罠を今すぐ撤去しろ!】
ゴランドリエルの毛の生えていない眉頭のあたりの皮膚が、ピクリと動いた。
「今、すぐ?」
【そうだ!】
「ふーむ」
なみなみと注がれた液体を再び飲み干して、鼻から抜ける磨かれた米の芳醇な香りを味わったゴランドリエルは、左側にパジャマ姿で控えるエリスに命じて通話をテレビ電話に切り替えさせた。
【お……】
画面が切り替わって、青い顔のダイナソンが映し出された。対して左下の内側カメラに映る宴会真最中の悪魔の罠商会の面々は、そろって赤ら顔だった。
霧子のグラスを傾けて笑う、イチョウをあしらった浴衣姿の大悪魔と、同じ柄の浴衣を着て白銀の髪をアップにしてうなじを晒した吸血鬼の女王、負けるもんか、と、ウサギ柄のパジャマの胸元を際どいところまではだけて謎の勝負を挑む淫魔の三名の姿を目の当たりにしたダイナソンは言葉を失った。
「すまんが、当社は見ての通り休業中でな。翌営業日は――」
【お……】
「お?」
「すまん」などとは微塵も思っていないことを、ゴランドリエルの耳まで持ち上がった口角が物語っていた。画面のダイナソンは口を「O」の字に開いた後はパクパクと開閉し、言葉の続きを言い出せない様子であり、それを見たゴランドリエルが首を捻り、
「……様子が変ですわ。いつものことですけれど」
クイーンは眉を潜め、
「なんかぁ、池の鯉……って言うかタコみたいじゃないれすかぁ!?」
三名の中でもっともアルコールが回ったエリスが「きゃはは!」と笑った直後に響き渡ったダイナソンの怒声によって、エリスの携帯のスピーカーは通話時に少々雑音が混ざるようになったのだった。
かくして悪魔の罠商会一行は四泊の予定だった温泉旅行を二泊で切り上げ、ベヒーモスを駆って帰還した。当然冒険者協会からは、「それでももう一泊したのかよ!」という抗議が殺到したわけだが、悪魔の罠商会としては迷宮管理者である彼らに最大の便宜を図ったつもりであった。
さて、帰還した彼らを待ち受けていたのは、茹でダコのようになったダイナソン――ではなく、凍えるような寒さと猛吹雪だった。氷結、炎熱の両方に強い耐性を持つゴランドリエルとクイーン、そして悪魔の巨獣は意に介さなかったが、エリスは道中なんども死にかけるほどの寒さだった。
そもそも、「ツルツル回廊」がそんなに迷惑だったなら、冒険者協会の方で氷結大海蛇を駆除してしまえば話は早かったのだが、それができない理由がこの悪天候であった。彼らは移動にベヒーモスを使うことは当然できないし、土台マイナス二十度にもなる極寒の世界を踏破できる人間などそうはいない。それと同等の環境を迷宮内に創りだすモンスター数百体を駆除できる人間もまた数えるほどしかいないだろう。
温泉迷宮内には瞬間輸送装置も設置されていないため、吹雪が晴れるまでは手が付けられない状態であり、彼らはどうにか回廊へ続く扉を封鎖し、悪魔の罠商会の帰還を、首を長くして待っていたというわけだ。
【……どういうことだ】
工房に戻り、インターネット回線を通じて冒険者協会会長に連絡を付けたのはクイーンだった。ゴランドリエルはその時、氷結大海蛇を捕獲するべく、以前考案したがお蔵入りにしていた「仕掛け網」の罠を、彼らの捕獲用に改造する作業を始めていた。
とにかく、ダイナソンは待ちわびた悪魔の罠商会からの連絡を受けた割には、憮然とした声で応じたのだった。
「メールとFAXにてご連絡差し上げた通りですわ。当社と致しましては、『ツルツル回廊』の撤去作業にあたり、送付させて頂いた通りの額を請求致します」
【迷宮内の罠については無償で提供する約束だろう? 知らないとは言わせんぞ】
「ええ、もちろん存じております。しかし、契約書には無償で提供するサービスは罠の設置並びに修理、調整と明記されておりますので。……ましてや今回は、正常に稼働している罠について、御団体の一方的な都合による撤去を要求なさるということですので……」
【な……な……】
二日前のテレビ電話の時のように、少しずつダイナソンの顔が赤く染まっていくのを嬉しげに見つめて口元をほころばせるクイーンを、後ろからまじまじと見つめて身震いするエリスがいたりしたのだが、ダイナソンはそこに関心を示す余裕は無かった。
「大変恐縮ですがダイナソン様。当社は原則休日に関する業務対応を行っておりませんでしたが、今後のことを考え、この度“休日割増料金”を導入することとなりましたので、送付致しました書類の末尾に添付されてございます。もちろん、事前に通知していなかったこともありますので、今回はと・く・べ・つ・に、“通常料金”にてご奉仕させていただきますわ」
満面の笑みで告げた後、画面に向かって深々と頭を下げたクイーン。すでにダイナソンの顔は前頭部まで赤くなっていた。
【ぐぅ……ぬぬぬぬぬ……】
机に突っ伏し、握りしめた拳を左胸に押し当てて何かを堪えるダイナソン。
迷惑千万どころか多数の死者が出たおかげで、冒険者協会の保険事業部は大損害を被っていた。ダイナソンとしては損害賠償を請求したいところだったのだろうが、逆に高額な請求書を送りつけられたとあっては怒り心頭となるのも仕方のないことだったろう。
「ああ、そうでしたわ!」
【?】
私ったら、と、急に明るい調子で言いだしたクイーンの声を聞いたダイナソンが顔を上げた。
クイーンは机の脇に置かれていた旅行鞄を膝の上に移動させ、中から紙袋を取り出した。
「こちら、温泉土産ですの。宜しければ、皆さまで――あら? ダイナソン様?」
【……会長はご気分が優れない……とにかく撤去料でも何でも支払ってやるから、さっさとあの馬鹿げた罠をどこかへ捨てて来い!】
いつの間にか、画面からダイナソンが居なくなり、代わりにカメラに映ったのはまだ若い青年だった。
「これは、副会長どの」
クイーンが青年の身分を口にした後黙礼をしたところへ、巨大な虫取り網にしか見えないものを担いだゴランドリエルが戻ってきた。
「馬鹿げた罠――とは、ずいぶんな言い様ではないか」
【ふん。お前が悪魔の罠商会の悪魔か。今回はずいぶん味な真似をしてくれたな。お前のせいで、親父は心臓を病んでしまったのだぞ? どう責任を取る?】
会長の息子を名乗る青年は、きついパーマがかかった金髪を後方へ撫でつけていた。おかげで露わになった彼の額には、たしかに将来父親とよく似た頭になるだろう兆候がよく表れていた。青い瞳で大悪魔の赤々と燃える瞳を見返す意志の強さも、しっかりと受け継いでいるようだった。
ダイナソンの息子の視線を受けたゴランドリエルは、品定めをするように――あるいは猛獣が獲物を見定めるようにその容姿をじっくりと観察してから口を開いた。
「死んだら得意の魔法で生き返らせればいいだろう? というか、俺はお前たちの要求に従って迷宮内にかつて誰も経験したことがない新罠を造り上げた。それが原因でかかる病があると言うなら、因果関係を証明してもらおうではないか」
【悪魔は二枚舌と言うが、口だけはよく回るようだな】
感心したというよりは呆れた様子の副会長だった。このときクイーンの鼓膜は、「へぇ~、社長って案外、鋭いことを言うんだなぁ」というエリスの呟きを捉えていたが、聞こえなかったフリをしてやることにしていた。
【……とにかく、金は払ってやるから、あの罠とも言えん化け物どもを迷宮から連れ出せ! 分かったな!】
「謹んで、お受けいたしますわ。副会長どの」
【……俺には、アーサーという名前がある。覚えておいてくれ】
なぜか頬を赤らめて自己紹介したのち、アーサーは通信を切り、クイーンは席を立ってエリスと共に旅行の荷物やら土産物やらを整理し始め、ゴランドリエルは網を担いでエレベーターへ向かったのだった。
そして現在。
「えぇ~! エイルマーさんのとこって、あの“裏☆誕生”のスポンサーなんですかぁ!?」
「ええ、まあ一応と言いますか、私どもの代表が、彼らのリーダーさんと懇意にしておりまして」
素っ頓狂な声を上げるエリスに、やや困惑した様子で応えたのは「技術顧問」のエイルマーだった。彼は悪魔の罠商会から瞬間輸送技術に関する指導を依頼された「魔術士協会」の技術者で、魔法陣を用いたテレポート技術に関するスペシャリストだった。
テレポーターの罠は、以前ゴランドリエルも開発したことがある。しかし、かなりの確率で迷宮の上空や壁の中に冒険者が転送されてしまい、苦情が殺到したため自主回収を余儀なくされた危険な罠だったのだ。
しかし、「どこに飛ばされるかわからない」というスリルがマニアにはウケており、エリスが言いだしたことをきっかけに、ゴランドリエルは改良を試みる気になったのだった。
「あの、あの! もしかして、エイルマーさん、チケット取れたりしますぅ?」
「え? ええ、まあ……」
「やったぁ~☆」
テレポート技術の習得そっちのけで歓声を上げるエリスを尻目に、宝箱に冷凍保存しておいた「悪魔の目玉」を仕込むゴランドリエル。彼はまだ、とある特殊な背景をもつポップスユニット「裏☆誕生」が悪魔の罠商会にもたらす恐怖に気がついていなかった。