第五話:冬の嵐 新作罠「ツルツル回廊」
豊穣の季節は過ぎ去り、悪魔の罠商会が社屋兼工房を構える迷宮の上にも冬がやって来た。背後にそびえる山々の上に寒気が停滞するため、すそ野の平野部であっても五~六メートルの積雪がある。そのため冬場は迷宮探索目的の冒険者より、冬のレジャーを楽しむ客で地上は溢れかえる。
また、冬は全国的に見ても寒冷属性の魔物が強力化する傾向にあり、迷宮や地上の危険地帯に赴く冒険者の数も限られてくるため、悪魔の罠商会の仕事も少々暇になるのが通例であった。冬の間ゴランドリエルは新作を考案する時間をゆっくりと過ごすこともあれば、クイーンを伴って余暇を過ごすこともあった。現に、「夏にハワイに行ったから、今年の冬は寒いところに行って、オーロラでも観ようか」などと計画していたのだが。
◇
「ふざけるな! わが社は明日から冬季休業に入るのだと言っているだろう!?」
ゴランドリエルが叩きつけるような声で、パソコンの画面に映る人物に向かって怒鳴った。
「わかっておる。明日から休業、じゃろ?」
わかっているならなぜ!
喉まで出かかった言葉を飲み込み、ゴランドリエルは椅子から立ち上がって画面の前を行ったり来たりし始めた。
「そうイラつくこともあるまい? これはビジネスなんじゃ」
画面に映る男性――冒険者協会会長ダイナソンは、しばらく大悪魔の様子を眺めていたが、やがて呆れたように言った。
なにがビジネスだ。
長期休業日の前日に、商品開発の依頼と家賃の引き上げ交渉を同時に申し入れてくるような手合いと良好なビジネスなど行えるはずがない。
「地価が高騰しておるのよ。ワシも辛い立場なんじゃ」
「…………」
ゴランドリエルの聞えよがしなため息など気にも留めないダイナソンは、画面の向こうで両手を合わせて拝むようなポーズを取った。
ダルワインの迷宮は、現在冒険者向け保養型アミューズメント施設「温泉迷宮」として営業している。これが意外にも好評を博しており、真冬でも迷宮にはひっきりなしに冒険者が押し寄せていた。
温泉迷宮の付近では土地の売買が盛んに行われ、来期には三社がリゾートホテルをオープンする計画を建てている。それが現実のものとなれば温泉迷宮を訪れる冒険者はさらに増加することが予測されており、ダイナソンは客を飽きさせないために、またしても新たな罠の開発をゴランドリエルに依頼したのだった。
迷宮管理事業を担う代わりに、温泉迷宮で使用する罠に関しては無償で提供するという契約を結ばされた悪魔の罠商会だが、「タダで新しい罠作ってくんない? やなら家賃上げちゃうかんね」などと言われては黙って従うのは癪というものだろう。
「新しい罠――ましてや設置型の罠ともなれば、開発に必要な期間も費用も宝箱用の罠より多いのだ。それを冬の間に実装可能にしろだの、無償で提供しろだのと言われているのだぞ? 貴様が灰になっていないだけ、俺は冷静さを保っていると思うがな」
パソコンの画面越しにでも、ゴランドリエルの殺気は伝わったらしい。ダイナソンは僅かにではあるが、表情を引きつらせた。
「ふむ……では仕方がないのぅ。一月から家賃を引き上げさせてもらうぞ?」
ダイナソンの顔から笑顔が消えた。ゴランドリエルはそれを目の端に捉えて舌打ちを一つし、画面に向き直った。
「ふん。勝手にし――」
「お待ちください。ダイナソン様」
「クイーン?」
スカイプを使って繰り広げられる両雄の会話に割り込んだのは、吸血鬼の女王だった。目を丸くしたゴランドリエルと興味深げに眼を開いたダイナソンが映る画面との間に出現した彼女は、死に化粧を施された遺体のごとくどこか空恐ろしさを感じさせる白い顔に、妖艶な微笑みを浮かべていた。
「罠の設置階層や、場所に指定はございますか?」
「ふぉふぉふぉ。いや、特に指定はないが」
「クイーン、貴様――」
勝手に話しを進めようとするクイーンの肩にゴランドリエルの手が置かれたが、彼女はそっとそれを外して振り返った。
「社長。これはチャンスですわ」
「?」
訝るゴランドリエルに左目だけを閉じて応じたクイーンは、再び画面に向き直って口を開いた。
「ダイナソン様。当社が責任を持って、エンターテイメントに溢れた御団体が経営する迷宮に相応しい罠を造ってご覧に入れますわ」
「ふぉふぉふぉ。そうか、そうか。期待しておるぞ」
「では、家賃の件は……」
「フム。罠さえ設置してもらえれば、値上げの話はなかったことにしようではないか」
ダイナソンがずいぶん簡単に賃上げを撤回したのを見て、ゴランドリエルは首を傾げた。
「感謝の極みですわ」
予定調和。出来レース。言い方はなんでもいいが、ダイナソンは元々家賃の値上げなどする気はなかったのだろう。秋に「回転床・改」の製作を依頼したばかりであった上、休業期間に入る前日になっての依頼を理由に断られてはたまらないと用意したブラフだったのだ。それでもクイーンは、深々と画面に向かって頭を下げた。
ダイナソンは満足そうにそれを眺めた後、勝ち誇った笑みを残して画面から消えた。
通信が切れた。ゴランドリエルが右手にクイーン、左手にエリスを抱いて、ベヒーモスの巨体を背景に撮った写真がデスクトップにでかでかと映し出された。
「……いったい何を考えているのだ? クイーン」
思ったことをそのまま口に出したゴランドリエルを振り返ったクイーン。彼女にしては珍しく、いたずらっぽい少女のような微笑みを浮かべていた。
「申し上げたでありませんか。これは、チャンスです」
「何を言うのだ。“ケイオス”の開発でわが社の資金は底が見えているのだぞ?」
起死回生をかけた新作「ケイオスミミック」の開発は順調に進んでおり、来春にはある組織から商品化されることが決まっている。悪魔の罠商会は、これまで独占してきた宝箱に罠を仕掛ける技術の一部をその団体に提供した上、開発資金の援助まで行っていた。
「もちろん、現在のわが社には、タダで罠を設置してやる余裕などありませんわ」
「ではいったいどうする気なのだ? あんな啖呵を切っておいて……」
「ご安心ください。ゴランドリエル様。何度も申し上げている通り、これはチャンスなのです」
のぼせ上がった冒険者どもに一泡吹かせてやる、絶好の機会ですわ。そう言って微笑んだクイーンの上下口唇の隙間から覗く、不死者の王吸血鬼の証たる牙の先端がキラリと光ったように見えた。
「さ、“素材”を集めに参りましょう?」
普段以上の妖しさを放ち始めたクイーンが、地獄蝶をモチーフにしたドレスの上に抜群の防寒性能を誇るヒバゴンの毛皮を使ったコートを羽織った。
「素材って……迷宮内の魔物を勝手に狩ることは禁じられている。貴様もそれは知っていよう」
どうやら外出するつもりらしいクイーンに、なにがなにやらわからないといった表情でゴランドリエルが訊ねた。
「もちろんですとも。ですから、迷宮の外へ参るのです」
「は?」
「ほほほ。ちょっとお耳を……」
コートの前をきっちりと閉じて愉快そうに笑ったクイーンが、ゴランドリエルの長い耳元に口を近づけた。
数分後、嫌がるエリスに留守番を言い置いて、二人は迷宮の外へ向かった。
◇◆
【ヤッホー! 悪魔の罠商会 受付担当のエリスだよ!】
「冒険者協会のダイナソンだ! 社長を、ゴランドリエルを出せ!」
【本日の業務は終了いたしました。翌営業日は――】
「がああっ!?」
ダイナソンが受話器を叩きつけた。電話機どころかそれを捧げ持っていた執事ごと床にめり込んで大破したそれに一瞥もくれることなく、彼は床を踏み鳴らして地団太を踏んだ。
「被害状況は!?」
豪奢な執務室の入り口近くに控えていた職員に向かって、ダイナソンが訊ねた。
「はっ。罠が設置された階層ではすでに五十ものパーティーが犠牲に……現在もその数は増え続けているかと!」
職員は指の先までしっかりと伸ばして踵を付け、大声で報告した。それを聞いたダイナソンの顔がみるみる赤く染まっていった。つるりと禿げ上がった頭の天辺まで完全に赤くなるのに二秒もかからなかった。鼻の下に蓄えた白髭が、怒りによって震える頬の動きに合わせて揺れていた。
「ええーい! 誰でもいいから、早くあの罠を撤去してこんかぁ!! つーかあんなもの罠と呼べるか! ゴランドリエルはどこへ行きおったぁ!?」
ダイナソンの怒号が執務室に響き渡った。
◇◆
「しかし、今回もクイーンの働きは見事だったな……」
客室に設えた露天風呂に浸かり、雪景色を眺めながらゴランドリエルが独語するように言うと、浴槽に膝から下を浸けていたクイーンがゆっくりと湯船に身を沈めてから口を開いた。
「いくら迷宮管理者だからといって、人間ごときが調子に乗りすぎたのです。彼にはいい薬でしょう」
「でもまさか、クイーン様が氷結蛇王様とお知り合いだったなんてぇ」
エリス、びっくりですぅ! ゴランドリエルの肩を揉んでいたエリスがヒョコッと顔を出して言うと、クイーンは深く頷いた。
「人脈はとても大切です。貴方も他人とのお付き合いを大事になさい」
「はぁ~い」
悪魔の罠商会の三名は、オーロラツアーを取りやめて湯治にやってきた。もちろんそこは、温泉迷宮などではない。冒険者協会が管理するそこでは、悪魔の罠商会が一晩で作成した新作罠「ツルツル回廊」の出現によって、多数の冒険者パーティーが全滅の憂き目に遭っていた。
クイーンとゴランドリエルは、迷宮の北の山脈へ向かい、氷結大海蛇の群れを大量に捕獲した。一体だけでも中級冒険者パーティーを全滅させる可能性があるそれを、温泉迷宮最大の売り物であるウォータースライダーが設置された湯へと続く回廊に放したのだ。
冬場となれば氷結大海蛇は常に吹雪を纏っており、回廊とウォータースライダーを一瞬にして白銀のリンクへと変えた。ウォータースライダー目当てに回廊へと足を踏み入れた冒険者は氷に足を取られ、冬場には絶対に出逢いたくないモンスターがひしめくそこを温泉めがけて一気に下る。もちろん、見知らぬ土地に連れて来られて気が立っている氷結大海蛇は、嬉々として彼らに襲い掛かる。
冬山は上級者向けの迷宮として解放されているが、勝手にモンスターを連れ去っていいものではない。今回の罠を設置するにあたって最大の障害を乗り越えることができたのは、冬山迷宮の管理者氷結蛇王とクイーンが旧知の中であったおかげだった。
「くっく……冒険者どもが七転八倒する姿が目に浮かぶわ……」
「あ、ダイナソンさんからの着信が百回を越えましたよぉ」
「放っておきなさい……」
「はぁ~い」
エリスが、社の留守電通知サービスに加入している携帯の電源を切ったのを横目で見ていたゴランドリエルに、クイーンがほら、社長、と言って何かを促した。それを受けたゴランドリエルが不意に立ち上がって腕を組み、エリスの方へ向き直った。
「エリス、そろそろ罠の一つも考えてみるか」
「ええ! ほんとですかぁ!?」
眼前に一物を晒されるかたちとなったため、キャッ! と顔を覆っていたエリスだったが、ゴランドリエルの発言を聞いたとたんに立ち上がり、目を輝かせた。
「冬の間は暇だからな。クイーンの働きのおかげで余裕もできた」
「やったぁ~☆」
ゴランドリエルに飛びついてはしゃぐエリス。
「エリスはどんな罠がいいのかしら?」
一仕事終えた達成感も手伝ってか、あるいは社の創設からゴランドリエルと共に歩んできた故の自信からか、クイーンもこの日ばかりはエリスのおいたを窘めなかった。
「そぉですねぇ~、あたし、テレポーター関係がいいです!」
「ほう、あれは意外と奥が深いのだ。貴様にできるかな?」
「がんばりまぁす!」
みんなで温泉に浸かって心がほぐれた悪魔の罠商会の面々は、テレポーターが原因でのちのちとんでもないトラブルに巻き込まれるのだが、彼らがそれを知るのは、もう少し後の話だ。