第三話:因果応報 情けは悪魔のためならず
「おはようございまっす!」
「……」
今日も社長を元気に出迎えたのは、テレアポ兼受付嬢として正規雇用された淫魔のエリスだった。しかし、それを見下ろす大悪魔ゴランドリエルの表情は暗い。
「社長ぉ~、さすがに無視は酷くないですかぁ?」
エリスとゴランドリエルでは悪魔の序列において圧倒的に、それこそ天と地ほどの差がある。ましてや現在ゴランドリエルは彼女の雇主だ。不機嫌そうな社長を前にたじろぐどころか頬を膨らませたエリス。胸元が大きく開いたショッキングピンクのノースリーブのジャケット、オフホワイトのホットパンツから長く伸びた細い生足の足元には白いエナメル素材のピンヒール。ウェーブのかかった黒髪をサイドアップにし、およそ会社の受付として客を迎えるには不適切な恰好をした彼女は席を立ち、ゴランドリエルの腕に絡みついた。
「……クイーンはまだ戻らないのか」
淫魔のボディータッチをまったく意に介した様子もなく、ゴランドリエルは会社経営における右腕の行方を訊ねた。
「そうですねぇ~。メールしときましたけどぉ、返事こないですょ」
さらに無視されたことで諦めたのか、彼女は受付に戻って携帯をいじくり始めた。
「…………」
ゴランドリエルは聞こえないように嘆息してから、工房へ入ってドアを閉めた。
ゴランドリエルと吸血鬼の女王がハワイから戻って三か月。徐々に短くなっていく日照時間に反比例するかのように、悪魔の罠商会の業績はぐんぐん上昇していった。
新罠商品ミミックの好調な売れ行きが悪魔の罠商会にかつてないほどの収益をもたらしたのだ。おかげで足元を見まくった銀行からの借金――なんと27.8パーセントという暴利――を一括返済し、ドワーフ族に新たな罠用の歯車を代金前払いで発注することができた。さらには銀行から強気の融資を獲得し、新技術の開発に意気揚々と取り組み始めた。
クイーンは自身の預金通帳を眺めるのが趣味となり、エリスは就職早々高給取りとなって、クレジットカードで買い物に勤しんだ。悪魔の罠商会始まって以来の好景気に、三人は湧いていた。
だが、悪魔の幸せはそう長く続かなかった。
遡ること二週間前。
殺到するミミックの注文に、エリスが回収したガルヴァンズファングのストックはあっという間に底をついた。さらにその他の罠の注文も増え続け、クイーンとエリスの電話対応だけでは収拾がつかなくなり、顧客からクレームが相次いだ。経費の中で人件費を何より抑えたい悪魔の罠商会は、オンラインシステムの導入に踏み切ったのだった。
しかし、ここでも問題が発生した。迷宮の奥深くに光回線を引く工事を行うためには、管理者の許可が必要だったのだ。ゴランドリエルがオフィスを構える迷宮――家賃などもちろん払っていないが――の管理者はダルワインだった。魔道の深淵を解き明かし、宇宙開闢の混沌を復活させんと目論む邪悪なる探求者であったが、彼はすでに冒険者によって倒されていた。
自身を呼び出した魔導士が死亡していたことにも少なからずショックを受けたゴランドリエルであったが、喪に服す習慣など持ち合わせていない悪魔は、とりあえず自身を「迷宮管理者」に据えて業務の続行を決断した。
決断したからといって、ことはそうスムーズに運んだわけではなかった。まずオンライン化のための設備導入費用にダルワインの資産を当て込んでいた悪魔の罠商会は、想定外の出費を余儀なくされた。ダルワインを討伐した冒険者たちは、彼の私財を根こそぎ奪っていたのだ。
どうにかミミックの収益でそれを賄うことはできたものの、収支のバランスはマイナスへ転じることになる。その原因は、ミミック製造にかかせない「ガルヴァンズファング」の枯渇である。
ダルワインの死によって、魔界と迷宮を繋ぐ魔法陣は機能を停止していた。新たなモンスターが生み出されなくなったダルワインの迷宮を訪れる冒険者は減り、それらをエサにしていたモンスターも迷宮を去った。
後に残されたのは少し近代化した設備と巨額の融資――今後五年間ミミックの安定供給を見込んだ上で貸し付けられた――と、死にかけの迷宮であった。
迷宮の運営を引き継ぐのは非常に困難だ。その主が倒され、「完全攻略」されてしまった場合は特に、というか引き継ぐ意味がない。
ダルワインの迷宮のように、彼の魔力によって魔物を召喚していたようなオーソドックスな迷宮は、主の死後はたいてい討ち捨てられるか別の事業主――例えば裏カジノ経営者やアジトを求める盗賊――に譲渡される。
悪魔の罠商会は、考えなしに「迷宮管理者」となってしまったことと、巨費を投じてオンラインシステムを導入してしまったおかげで迷宮を捨ててどこかに社屋を建てるという選択肢を失った。だが彼らに迷宮そのものを管理する資金とノウハウはないし、そんなことをする気もない。
現在クイーンは、迷宮の譲渡先を探して外回りの旅に出かけており、成果がないまま二週間が経過していたのだった。
「社長ぉ~。このまま迷宮管理者が見つからなかったらぁ、倒産ですかぁ?」
お茶を淹れてやって来たエリスが、作業机で項垂れているゴランドリエルの顔を覗き込んだ。
「縁起でもないことを言うな……」
「でもぉ」
「やかましい! 倒産のことなど考えたくもないわ!」
「ふぇっ!? 社長ぉ~、あたしはただ、会社が大好きでぇ、心配でぇ……えーん」
「…………すまん」
ゴランドリエルはエリスにティッシュを取ってやろうと手を伸ばし、その箱に銀行のロゴがプリントされているのを認めて舌打ちした。彼はそのままパソコンの画面に映る自身の顔を見た。そこには目の下に青紫のくまができた、もう三日も寝ていない悪魔が映っていた。
クイーンを信じて待て。
普段のゴランドリエルなら、そのぐらいのことを言って新入社員を落ち着かせるくらいの度量は持ち合わせているのだが、いかんせん手にした成功が大きかった分、それを失いかけているという事実から目を背けたい気持ちの方が大きすぎた。今の彼に、懐の広さを要求することは酷な事だろう。
「エリス、すまなかった。クイーンなら必ず譲渡先を見つけてくれる。それと、もうすぐ午後の出荷分の罠が出来上がるのでな、ベヒーモスの様子を見てきてくれないか」
「ぐすん……はいですぅ」
ズビビッ! と、鼻をかんでから立ち上がり、エリスがエロティックなヒップを振って出て行った。
体よくエリスを追っ払うことに成功したゴランドリエルは、肘掛椅子にもたれて大きくため息をついた。もともとは召還主を守るために始めた罠づくりだったが、いつの間にか彼はその魅力にはまり、のめり込んでいった。新たな罠を開発し、それにハマった冒険者たちの姿を想像する毎日は、ただただ彼らの命を奪うだけだった頃とは比べ物にならないほどに充実したものになっていった。
趣味が高じて始めた罠販売の会社は、従業員こそ少ないものの世界中に取引先があり、もっとも古くから付き合いのある「冒険者協会」代表は、彼の著書「冒険者論」の中で、「迷宮に潜る冒険者たちは、最奥に至る過程でたくさんの奇想天外な罠たちに出逢う。一見するとそれらは、彼らを惑わせ、道を閉ざし、命を奪うことだけを目的にしているように見える。
だが、罠がない迷宮をただ進むだけが冒険であろうか。
何の危険もなく開くことのできる宝箱の中身にどれほどの価値があろうか。
私は、この『罠』というスパイスなくして冒険は語れないと信じている。これを開発したとある悪魔に、私は惜しみない賛辞を送りたい」と、称賛の言葉を綴っていた。
「……くそ」
数か月前ダルワインの窮地を救ってやらなかったことを悔やんだのか、罠を作り続ける道が閉ざされそうな未来を想像して絶望したのか、ゴランドリエルの目頭が熱くなったその時である。
「社長ぉ~。二番にお電話でぇす!」
無遠慮に開かれた扉の隙間から先ほどとは打って変わって、明るい笑顔でエリスが飛び出してきた。
「うおぉっ!? なんだ、誰だ!?」
「クイーン様です! 早く、早くぅ!」
泣き顔など見られる訳にはいかない。
慌ててエリスに背を向けたゴランドリエル。そんなことにはお構いなしに、ゴランドリエルの隣へと走り寄って固定電話の受話器を取ると、出るとも言っていないのに切り替えボタンを押してから耳に当てた。
「……俺だ」
【ゴランドリエル様……】
エリスに顔を見られまいとそっぽを向きながら名乗ったゴランドリエルの耳に、沈んだ調子のクイーンの声が届けられた。
ダメだったのか。
臓腑に彼女の声が浸み込んで、引っ掻き回しているかのような不快感を覚えた。それは、ゴランドリエルが生まれて初めて体験した「吐き気」だった。
【譲渡先が、見つかりました】
「なん、だと!?」
「きゃん!?」
ゴランドリエルが椅子を蹴って立ち上がった。エリスがその勢いで後方にふっ飛ばされて尻餅をついたが、そんなことに構っている場合ではなかった。
「いったい、誰が!?」
【……冒険者協会です】
「そうか、あの会長が……」
「譲渡先、決まったんですかぁ!?」
背後で声を上げたエリスを振り返り、ゴランドリエルは親指を立てた。
「きゃ~☆ やったぁ!!」
背中に飛びついたエリスの温もりとともに、暴れ回っているのに氷塊でも突っ込まれたようだった臓腑にじんわりと温かみがもどってきた。
「ご苦労だった……クイーン」
ゴランドリエルは安堵の溜息をつき、どうにか声を震わせることなく労いの言葉を発することができた。
◇
「社長ぉ~、よかったですねぇ」
クイーンとの通話を終えたゴランドリエルは、へなへなと崩れ落ちてその場に膝を突いていた。有史以来、星の数ほどの猛者たちを相手にしてきた彼だったが、敗北したことはおろか、その膝が地についたことすら一度たりとてない。
「……誰にも言うなよ」
そんな彼は今、床に手を突いて泣いていた。
「わかってますってぇ……これは、あたしにも脈ありかな!?」
「お取込み中失礼いたします」
「「わああああっ!?」」
ゴランドリエルの頭を撫でるエリスが良からぬ思惑を口にした瞬間、つむじ風と共に吸血鬼の女王が出現したのだった。
◇
「ったく! なんであんな妖怪ジジイのところに話を持って行ったんだ!?」
「『冒険者協会が最後の砦だ』と、社長も仰っていたではありませんか」
「だが! これでは! あまりにも!」
「お二人ともぉ、喧嘩はやめてくださいよぅ! 頑張って作らないと間に合いませんよぉ~」
クイーンの帰還から五時間後。悪魔の罠商会の三人は仲良く? 作業机に向かっていた。
冒険者協会は、旧ダルワインの迷宮の経営権を「買い取る」こととなったが、その内部に居を構える悪魔の罠商会についてはテナントとして存続を許可する代わりに、旧ダルワイン迷宮に配備する宝箱及び床や壁等設置型の罠を「無償で」提供するよう要求してきたのだった。
「ダルワインが生きておった頃から、彼奴の迷宮に関してはそうしていたのだろう? 何も変わりはしまい?」
というのが協会側の、いや会長ガルフォーンの言い分だった。迷宮の改装と新規オープンに向けて、怒涛の罠製作を余儀なくされた悪魔の罠商会は、他の取引先の注文そっちのけで作業を行っている。
「くそ! なんでこの迷宮で使う罠の納品先が『本部』なんだ! あいつら絶対に他へ流す気だぞ!?」
「つべこべ言っても状況は変わりませんわ。辛くなったらエリスによしよししてもらえばいのです」
「んなっ!? あれはだな……」
「もぉ~! お二人ともぉ、手が止まってますぅ!」
「貴様の手は動いているが、間違ってんだよ! よせ! そこに秘薬を入れたら――」
爆発の直後、悲鳴と怒号と製品の残骸が飛び交う工房の中で、ゴランドリエルはダルワインの高笑いをたしかに聞いた。




