第一話:クレーム対応 新作罠「神の左手」の場合
「ゴランドリエル様、ゴランドリエル様!」
ゴランドリエルと呼ばれた存在は、「銅の宝箱」の内部に罠を仕込む手を止めて小間使い兼秘書――少なくともゴランドリエルはそう呼んでいる――の女吸血鬼を睨みつけた。
「何をしに来たクイーン。俺は今、猛烈に忙しいんだが」
今日中にあと百個も作らなければならないというのにもう昼だ。
ゴランドリエルは鋼鉄の鎧をも易々と噛み砕く奥歯でもって歯噛みした。明日の朝一で配送係の悪魔の巨獣――通称ベヒたん――に出さないと納期に間に合わない。納期に遅れると報酬を下げられてしまう。新商品の開発や既存技術の改良を積極的に行うためにも、彼は一定以上の収益を上げなくてはならないのだ。
「しかし、ドロシー様からお電話で……朝からもう五回目です。そろそろお話ししていただけませんでしょうか。それに、ダルワイン様のお部屋に冒険者が迫っておりまして、周辺の罠の強化をと仰せです」
悪魔の一睨み――並の冒険者ならそれだけで魂が石になってしまうほどの鋭い眼光――を受けた女吸血鬼のクイーンだったが、オロオロしながらも「悪魔の工房」を訪れた訳を話した。
「……ドロシー? ダルワイン?」
どこかで聞いたような名だが、はて。いや、そんなことより宝箱を仕上げなければ……
数瞬だけ宙に視線を彷徨わせたゴランドリエルだったが、すぐに達成しなければならない仕事の方に注意を戻した。
「ドロシー様は“盗賊協会”の会長ですよ! 例の新罠“神の左手”の不具合の件でお問い合わせをいただいているのです。願いが叶わずパーティーメンバー、特に宝箱を開けた盗賊が死亡するケースが多数報告されておりまして、ドロシー様は『話が違う』と仰っておいでです」
再びクイーンに背を向け、手元の宝箱に仕掛けを施す作業に没頭するゴランドリエルだったが、商品に関する問い合わせとあっては無視する訳にもいかなかった。善意で罠を提供していた頃と違い、報酬を受け取るようになったことで顧客のクレームにも対応せざるをえなくなった。昔はよかった、俺は自由だった、などと内心項垂れつつ、作業する手は止めずに口だけを開いた。
「アホか。“願いが叶うかどうかは運次第”と取説にも明記してあるだろう。そいつらは単に運がなかった。それだけのこと、だ」
ゴランドリエルが自信をもって送り出した「神の左手」は、世界初の「解除したくない罠登場!」をキャッチコピーにした新作罠商品だ。罠を解除せずに宝箱を開くと、女神を象ったホログラフが出現し、「回復」、「帰還」、「財宝」のうち一つの願いを叶えてくれるのだが、パーティーの運の合計値の1/100パーセントという圧倒的に低い確率でしか願いが叶わない上、解除に失敗すると運の合計値の1/30人のメンバーが死亡するという仕様が厳しすぎる、と、販売開始以来苦情の電話が絶えないのだった。
「ですが、冒険者たちの運の最大値はたかだか20です。パーティーメンバー全員の運を最高値に育て上げても確率わずか1.2パーセントというのは、あまりにも……」
クイーンの発言を補足すれば、限界まで成長した冒険者6人のパーティーが「神の左手」が仕掛けられた宝箱をそのまま開けた場合、98.8パーセントの確立で願いは叶わない上に、過酷な戦闘を生き残った6人のうち4人が死亡するという設定なのだ。まさしくハイリスクハイリターンを具体化したような罠の仕様について申し立てをするクイーンを、罠の考案者であり開発者のゴランドリエルが振り返った。
「続けて罵倒してすまないがこのド阿保。財宝を選んで願いが叶ったら、“ムラマサ”が高確率で手に入るんだぞ? 100の宝箱を開けて1個か2個ムラマサが入っていたら涙ちょちょぎれものだろうが」
人間どもだって、何万人もの応募者の中から3名にハワイ旅行プレゼント! などという懸賞にこぞって応募するだろう。ああいう類のものに当選するより圧倒的に高い確率ではないか。
独語するように言ってから肩を竦めて――その動きに合わせて巨大な蝙蝠のごとき翼が大きく広げられた――ゴランドリエルは、口調こそ冷静さを保っていたが、少し苛立ち始めたようだ。彼は、話は終わりだとでもいうように再びクイーンに背を向けたが、扇情的な肉体にフィットした黒いドレス――魔候虫の糸を紡いだ極上の肌触りと鉄壁の防御を誇る――を纏ったクイーンはなおも食い下がる。
「ゴランドリエル様、50個限定で販売しておいてその言い訳は通りませんわ。だいいち、それとこれとは話が別です。懸賞に外れても人間はなんらリスクを負うことは――」
「つくづく愚かだな。ハガキに住所氏名、年齢に家族構成、趣味や職業に加えて携帯や自宅の電話番号まで記載して第三者宛てに送付することが、どれほど危険なことかわからないのか。そんなことでは今のご時世を乗り切れんぞ? 我々も会社という組織を守るためには個人情報の取り扱いが大事だ。こないだなんて、悪魔の薬売りの奴が――」
「話を違う方向に誘導しようとしないでください」
その手には乗りませんよと悪魔の誘導を躱した吸血鬼。彼女はいよいよ苛立ちを増したらしく、貧乏ゆすりを始めたゴランドリエルに歩み寄り、盛り上がった筋肉が複雑な起伏を作っている背中に豊満な胸を押し付けた。
「ゴランドリエル様……商品の質を追求するだけでは、多くの顧客を満足させることは難しいのです。もう少し、彼らに夢を見させてあげませんと。宝箱の中身の良し悪しでもめるパーティーも多く、盗賊の腕が悪いからだと非難されることもしばしばあるのだそうですよ?」
耳元に赤いルージュが引かれた唇を近づけて囁くように社長を諭し始めたクイーン。しかしゴランドリエルのいら立ちは増すばかりだった。
「確率ゼロとは言っていないのだからいいだろうが! だいたい、“願いが叶う”とかいって、中身のレアアイテムは誰が用意するんだ? まさか本物の神が――などと抜かすつもりはないだろうな? ん? 俺様が大事なコレクションから商品を提供してやっとるんだろうが! 冒険者なんぞ毎日ごまんと死んでいるんだ! 盗賊の一人や二人死んだくらいでガタガタぬかすなっつーんだよ。ケツの穴の小さい女だとドロシーに言っとけ!」
冒険者どころか一国の王ですら容易く魅了する吸血鬼の女王の吐息をものともせずまくし立てると、ゴランドリエルは彼女を振り払った。
腕の一振りで重装備の戦士をブッ飛ばす腕力をもつ悪魔の一撃をヒラリと受け流したクイーンは、先ほどから携帯していた四角くて薄いものに向かって話しかけた。
「……だそうです。お聞きになりましたかドロシー様。――ええ。かしこまりました。そのように申し伝えます」
「……? 貴様、それはまさか」
突然違う相手と会話を始めたことを訝り、振り返ったゴランドリエルは凍り付いた。
携帯電話機を片手に持った吸血鬼の女王は、不死者のくせに妙に艶のある睫毛に縁どられた目を細めて、白い肌に映える唇を持ち上げてニヤリと笑う。
「き、貴様!? ハンズフリーだったのか!?」
「いいえ、ライブチャットです」
クイーンが高々と持ち上げた右手に握られた携帯型無線電話機の液晶画面には、盗賊協会の代表を務める伝説の盗賊ドロシーの姿が映っていた。
ドロシーが着ているのは選ばれたものしか着用を許されない漆黒の潜入服だった。同じ黒でもクイーンのそれとは違い、まったく光沢を持っておらず、全ての光を吸収する暗黒鋼線で編まれた特別性だ。豪奢なマホガニーの机の向こうでふんぞり返ったドロシーは、流れるような金髪をかき上げて妖艶に微笑みながら右手をヒラヒラと振った。
バ・イ・バ・イ。
敢えて口に出さず、ピンクのルージュが光る唇だけをゆっくりと動かしたドロシー。
「ま、待て! 今のは――」
すでに真っ暗となった画面に向かって手を伸ばすゴランドリエル。そのはずみで仕込み中だった罠が発動し、強力な矢が右方向に向かって放たれた。そこには出荷を待つ宝箱の山――の手前になぜか転がる別の罠用の液体瓶。
可燃性が高く、わずかな振動で爆発するそれに向かって、矢が一直線に進んでいく。
すべてがスローモーションに見えたのも一瞬のこと。人智を大きく越えた力をもつ悪魔は次の瞬間には放たれた矢に追いつき、鏃は彼の掌で止まっていた。
「ドロシー様より、『今後、盗賊協会運営の迷宮における“神の左手”が仕込まれた宝箱の発注をストップする』とご伝言をお預かりしております」
鼻の穴を膨らませてクイーンを見やったゴランドリエルの顔が蒼白になった。気のせいか、雄々しい輝きを放っているようだった牡羊のような巻角までもが垂れ下がって見えた。
「ま、待て。あれの開発にはかなりの資金を投入したのだぞ? ドワーフどもに造らせた特注のレンズの代金をまだ振り込んでいないのだ」
「何か資産を処分なさってはいかがですか? “ムラマサ”など、いい値がつきましょう」
急にオタオタとし始めたゴランドリエルに、クイーンの冷笑が突き刺さる。
「そんな自転車操業がいつまでも続くわけがないだろう!? くそ、ドロシーめ……大口の上客だからとつけ上がりやがって……」
焦燥から一転、憤怒の炎をたぎらせるゴランドリエルに、クイーンは再び携帯の画面を見せた。
「だそうです。ドロシー様」
「ぬをぁにっ!? ままま、待ってくれドロシーちゃん! 今のは――」
「……通話はもう切れています」
「…………」
ゴランドリエルの手から矢が落ちた。それが液体瓶に接触する前に、クイーンの風魔法がそっとその軌道を変えた。不死者を総べる吸血鬼の中でさらにその頂点に君臨するクイーンは、そよそよと風に乗って運ばれてきた矢を手に取り、ゴランドリエルの傍まで歩み寄った。
「さあ、社長? 頑張って仕上げましょう?」
「うん……」
ゴランドリエルは作業机に戻った。「悪魔の罠商会」にはいつもの平和な時間が戻った。どうにか明け方には作業を終えた彼が、自身を召喚した大魔導士ダルワインの死を知るのは、もう少し先の話だ。