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最終話:クイーンの罠

※最終話の前に第十二話を投下しております。

「はは、おいテンゲンドウ! やったな!」

「く、クドウ……おれ、夢でも見てるんじゃねえか――いてて」

「ほら、お前もつねってみろ! いて! ははは、ほら、夢じゃない!」


 二人の転生者はお互いの頬をつねり合い、目を潤ませていた。


 桃色の花がよほど懐かしいのか、彼らはそれを忘我の表情で眺めていた。


「これでわかっただろう。戻るぞ」


 ゴランドリエルはしかし、彼らの郷愁の念に駆られた行動に付き合う気などさらさらなかった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう少し――」

「いや、十分に楽しめました。戻りましょう」

「クドウ!?」


 転生者協会の代表は渋面を作ったが、代表補佐を名乗ったクドウとかいう人間――長めの黒髪を手で梳くようにしてかき上げて笑った。


「ゴランドリエルさまの言う通り、ダルワイン氏の技術は次元を越えることに成功していたんだ。それが確認できれば今は充分だろ?」

「で、で、でも……」

「聞き分けろ、テンゲンドウ」

「う、う……」


 両拳を握りしめ、俯くテンゲンドウ。


 ただでさえクドウより長い髪が彼の表情を覆い隠してしまっていた。といっても悪魔から見ても不気味だったギョロ目が見えなくなったのは歓迎すべきことだった。


「戻るぞ、手を――」


 ゴランドリエルが左手を差し出したとき、テンゲンドウの姿が消えた。


「馬鹿!」


 クドウが手を伸ばしたが、それはむなしく空を掻いた。


「……奴はどこへ行った?」


 立ち尽くすクドウの背にゴランドリエルが問いかける。クドウはビクリと反応して振り返った。


「恐らく……『トウキョウ』へ」

「トウキョウ?」

「ええ。あいつの生家がある土地の名です。あいつの能力なら、今頃はそこへ到着しているでしょう」


 ギリギリと歯噛みしながらも、クドウはゴランドリエルの問いに答えた。


 できるだけ表情を隠そうとしているのか、彼は悪魔に対して斜めに構えた上で、片手を額に当てて考え込むような仕草を見せていた。


「奴の能力が無ければ、ケイオスは開発できないだろう。連れ戻せ」

「ご、ご存知でしたか」

「ベンジャミンから、その辺りのことは聞いている」

「なるほど……」


 クドウがゴランドリエルに背を向けた。


 心なしかその肩が震えているように見えたのは、突如行方を眩ませたテンゲンドウ、あるいは同じ転生者でありながら袂を分かち、能力の情報を洩らしたベンジャミンへの怒りのためか。


 どちらであっても、ゴランドリエルには関係のないことだ。彼はあくまで目的達成のために優先するべき事項を告げる。


「ともかく、奴を連れ戻せ。貴様の『タグ付け』とやらで、奴をここに呼び戻すのだ」

「いや、今はちょっと……」

「そうか、そういえば人物やモンスターに対しては一度に一人しか使えないのだったな。では、今タグ付けしてあるものを連れて来て解除しろ。そして、テンゲンドウを新たにタグ付けすればよい。一度でもタグ付けしていれば、別の場所に居てもできるのだろう?」


 こいつ、そんなことまで知っていやがるのか。


 クドウはゴランドリエルを振り返って目を剥いた。


「どうした? できないのか?」


 能力的にはできる。だができない。


 ゴランドリエルの言う通り、一度でもタグ付けしたものはどこへ行ってもタグ付けできる。SNSの友達が実際にその場に居なくてもタグ付けされてしまうようなものだ。だが不思議なことに、一度タグを付けた場合はクドウ自身が触れないと解除できない。アイテムならいくらでもタグ付けできるのに、なぜ生き物やモンスターだとそうはいかないのか。


「答えろ、クドウ。できないのか?」


 悪魔は、中途半端な制約を付けた神を呪うクドウの内心など意に介さない。


 今タグ付けしているものをこの場に呼び出せば、ゴランドリエルが先ほど見せた以上の怒りを買うことになるかもしれない。


「そ、そのうち帰ってくるでしょう。少し待てば――」

「待つつもりはない。貴様が今すぐテンゲンドウをここへ連れてこないならば、貴様を殺して俺が『トウキョウ』とやらに乗り込むまで」


 そんなことをしたらパニックだ。


「し、しかし……地球と僕らが居た世界間で、タグ付けしたものを取り寄せることができる保証がありません。やってみた結果失敗した場合、大変なことに――」

「クドウ! 騙された!」

「は?」


 突如、何もなかったはずの空間からテンゲンドウがまろび出てきた。


 芝生の上を回転したテンゲンドウは、クドウの背後に回り、不自然に大きい目をぎょろりと動かしてゴランドリエルを睨んだ。


「そ、そ、そいつは嘘つきだ! ここは、箱根なんかじゃない!」

「テンゲンドウ、何を言って……」

「お、俺、空間の出口を東京に開けようと思った! でで、でもできなかった。何度やってもできなかった! で、で、山の向こうに何があるか見ようと思って、上に行った! ま、周りは海だ! こ、ここは箱根っぽく作られた島だ!」

「…………ゴランドリエルさま?」


 ゴランドリエルは黙って腕を組み、笑っていた。


 答えこそその口から発せられなかったものの、耳まで裂けた悪魔の微笑みが、何よりも雄弁に物語っていた。「テンゲンドウの言う通りだ」と。


「てめぇ……だましたのか!?」

「まさか。俺はダルワインからここが箱根だと聞かされている。小箱の力でここへ転送されるのだが、ここが俺にとって異世界なのか、世界のどこかに浮かぶ島なのかなど知らん。他にもハワイ、グァム、パリ、ラスベガスなんて名前の場所にも行けるが……何か問題でもあるのか?」


 貴様らも、ここが箱根だと言って喜んでいたではないか。


 ますます口角を吊りあげるゴランドリエル。


 クドウは側頭部の皮下で何かが切れる音を聞いたような気がした。


「ふざけるなぁっ!!」


 クドウが左手をかざす。


 一瞬その周囲に不可思議な模様の魔法陣が出現し、オレンジ色に光った。


 次の瞬間それは消え、代わりに彼の左手にはどす黒い色のボロ布が握られていた。


「く、クドウ……?」

「テンゲンドウ。こいつは異世界の壁を越える力なんて持っちゃいない。こうなったら力づくで、こいつを本部まで連れて行く!」

「わ、わ、わかった」


 テンゲンドウの姿が消えた。


 無の空間とやらから攻撃を仕掛けてくるつもりだろうか。


 ゴランドリエルは僅かに身を沈めて油断なく構えた。


「無駄だ。あいつが空間に入り込んだら気配を察知することはできない。さっきとは違う」


 温泉迷宮では緊急避難用にクドウのすぐ下に入り口を作っていたためにそれは成った。だが、無の空間に消えたテンゲンドウを探すことは不可能に近い。タグ付けを為した自分以外には。


「ゴランドリエル……あんたには騙された礼をしてやらないとな」


 ミシッ


 骨が軋む音が、クドウが掴むボロ布から聞こえた。よく見ればそれはボロ布ではなく、血とその他の体液でどす黒く汚れたドレスを纏うクイーンだった。美しかった白銀の髪すらも血みどろになって固まっており、とても生きているとは思えない有様だった。


「ぐぶっ」

 

 しかしさすがは不死者どもの女王とでも言うべきか。喉を潰されて濁った液体を吐き出すこともできず、クイーンの口元から呻き声だけが漏れた。


「はっは! どうする? お前が大人しく本部まで来て次元破壊装置を動かせば――」

「断る」

「はあ!?」


 ゴランドリエルは相変わらず周囲を油断なく見回しており、クドウの手元を見よウともせずに口を開いた。


「断る、と言ったのだ。貴様らはまともにケイオスを開発する気はないようだし、死にかけの吸血鬼に価値などない」

「……っ!!」


 クドウの目が三角に吊り上がったが、ゴランドリエルは無視して続ける。


「大人しくケイオスの開発をしていればよかったものを、ただの人間が一度死んで異能の力を得て甦っただけでは飽き足らず、我が主ですら成し得なかった偉業を真似ようなどと考えるとは」


 身の程を知れ。


 そう呟いて嘆息するゴランドリエル。


 クドウはわなわなと震え、握りしめていた拳を一度胸元に押し当ててから叫んだ。


「黙れぇっ!!」


 クドウが右手をゴランドリエルに向けた。


 瞬間、彼の胸元で何かが爆ぜた。


「な……なんだ?」


 ぶすぶすと黒煙が上がり、ゴランドリエルは胸元を抑えてよろけた。


「はぁっは!! そいつはタグ付けしておいた爆弾だ! 鉄壁の防御を誇るお前でも、内部に聖儀式済みの銀刀の破片が仕込まれたそいつを喰らっては、無傷というわけにはいかなかったようだな!?」

「貴様……」


 苦しげに顔を歪めるゴランドリエル。その身体を立て続けに爆発が襲う。


「……っぐ」


 五発目が腹の辺りで爆ぜた後、ゴランドリエルが膝を突いた。


「ふん。偉そうに説教垂れやがって。何が最強の悪魔だ」

「…………」


 ゴランドリエルは苦々しげに口元を歪め、赤く燃える瞳でクドウを見上げた。


「睨んでも無駄だ……だが殺しはしない。次元破壊装置を動かすのに俺の力は役に立たないからな。それと――」


 クドウが左手に握ったままだったクイーンの身体を地面に叩きつけた。


 一旦バウンドしたそれは草地に沈み込むように倒れ、ピクリとも動かない。そこへクドウは右手を向けた。


「こいつは殺すぜ? 別にいいよな」

「……待て」

「ハッ! 今更おせぇッ!!」


 ヒュボッ!


 クドウの右手が光る。直後クイーンの身体を取り囲むように火の手が上がった。あっという間にそれは彼女の身体を焼き尽くし、地面には黒い燃えカスだけが残された。


「ふふ……抵抗する力もないのか?」

「ぐっ……後悔、する、ぞ」


 さらに二発、三発と爆発をくらうゴランドリエル。


 クドウは愉悦に浸っているのか恍惚とした表情になり、クイーンの残骸を踏みしだいてゴランドリエルに近づいて行った。


「やや、やったな! クドウ!」

「テンゲンドウ……出番を作ってやれなくて悪かったな」


 虚空から顔だけ出したテンゲンドウがひゃっひゃ、と笑い、クドウも残忍な笑みを浮かべていた。


「くくく……」


 いつの間にか傾いていた太陽が、水平線の彼方へ沈んでいく。赤い夕陽に照らされて、ゴランドリエルもまた笑っていた。


「な、なんだ!?」

「どうしたテンゲンドウ――なっ!?」


 転生者たちの目と耳を引きつけたのは、ゴランドリエルの含み笑いをかき消して接近する何かの群れであった。


 箱根山によく似た山の向こう――沈んでゆく太陽とは反対側から、黒い塊が接近していた。近づくにつれ、それは小さな羽をもつ生き物の集合体であることが分かった。軍用ヘリのローターのごとく、空気を震わせて羽音を響かせるほどの大軍だ。まるで山そのものが天を突かんばかりに延長したように見えた。


「な、なんだ……なんだ?」

「どうしてこんなに……」


 戦いの最中であることも忘れ、両者が見上げる夕焼け空には雲霞のごとく集まった蝶の群れがあった。金に近い鱗粉を纏う赤黒い羽、虹色に煌めく複眼――地獄蝶の群れが彼らの上空を旋回していた。


「なな、なんか、ヤバいぞ」


 地獄蝶は、下位のモンスターを従える悪魔かそれに類する階級のモンスターが好んで飼うペットだ。飼い主を失って野生化したものが冒険者を襲うことがあるが、一体一体の力は弱い。所詮は虫だからだ。しかし過去には、ベテラン冒険者が数千匹の群れに囲まれて全滅したとする報告もある。それでも、タグ付けしている兵器がごまんとあるクドウなら駆逐できたかもしれない。だが彼らの上空を、渦を巻いて飛翔するそれの数は一万や二万ではないと思われた。夕日の光を反射して妖しく煌めく蝶の群れを見上げ、テンゲンドウが警告を発したのも無理はない。


「なんでこんな、大量に……お前が呼んだのか!?」

「………」


 ゴランドリエルに右手を向けたまま詰問したが、彼は笑って首を横に振るだけだった。


「てめぇっ! まともに答えやがれ――」

「お、おいクドウ! おり、降りてくるぞ!!」

「なっ!?」


 再びクドウの右手が光った瞬間、地獄蝶の群れが旋回を止め、群れの中心がぐぐぐ、と迫ってきた。地獄蝶たちがクドウをめがけて急降下してきたのだ。


「く、クド――ひぐぅっ!?」

「テンゲンドウ!」

 

 慌てて無の空間にクドウを引きずり込もうとして半身を露わにしたテンゲンドウの胴を、一瞬で彼に迫ったゴランドリエルが握りつぶした。


 悲鳴とも断末魔ともつかない声を上げたテンゲンドウは口から大量の血液を吐き出し、無の空間の入り口から引きずり出されてもまったく抵抗しなかった。

 

「くそっ!」


 無の空間に逃げ込むことはできない。


 クドウは大きく後方へ飛んだ。


 一瞬遅れて、地獄蝶の大軍が地面に激突した。それらはクイーンの残骸を巻き込んですぐに地面の一部と化したが、あとからあとから突っ込んでくる蝶の体組織が積もっていき、舞い上がった鱗粉が夕日を反射して虹色に輝く様は、ある種の神々しさをもってクドウの次の動きを封じていた。


「なんだ……いったい」


 てっきり自分に襲い掛かってくるものと思っていたが、その後も上空を埋め尽くす黒い昆虫の大軍は、一糸乱れぬ動きで地面へと死のダイブを続けていた。


 ゴランドリエルもテンゲンドウの身体を右手にぶら下げたままその様子を黙って見ていた。


 クドウはそちらへ油断なく視線を送りながら、対策を考える。


 身体各所から血を流し、立ってはいても荒い呼吸をしているゴランドリエルだが、先ほどのような素早い動きが火事場のくそ力ではなく、それが充分に可能な程度のダメージしか負っていないと考えれば、奴は芝居をし、この地獄蝶の大量出現を待っていたと思われる。


 とすれば、これはもうただの異常事態ではなく奴の攻撃だ。少なくとも、クドウにとって有益なことは起こらない。


 蝶たちの死のダイブが始まっておよそ十秒。それを悪魔の攻撃と判断したクドウはその中心――煌びやかなプリズム様な光の中に沈んでいたチョウたちの残骸に右手を向けようとして、


「……まさか」


 いつの間にかその中心に屹立していた存在に気がついた。そしてクドウが「あり得ない」と呟いた瞬間、虹色の煌めきが爆ぜた。


 馬鹿な、目など覆っている場合か!?


 ゴウ、突然巻き起こった旋風をまともに受けて、クドウは顔面を覆った。地獄蝶の鱗粉から身を守るための反射的な行動であり、彼の意志は全力で警告を発していた。

 

 テンゲンドウの能力による緊急避難が使えない今、敵が二人に増えるのはまずい。一瞬でも隙を作ればそれが命取りになる。風と共に蝶どもの死骸とそれよりも細かい粒子が身体を叩く中、クドウは意志の力で目を開くことに成功した。


「!!」


 クドウの目は、白い人型の何かを捉えてはいた。それが何なのか、脳が情報を処理している間に視界から消え去り、次の瞬間彼は左の首筋に軽い痛みを覚えた。


 吸血鬼は唾液腺を三種類持っている。


 一つは漿液性、もう一つは粘液性。


 そして三つめは、麻痺毒性である。


 彼らは獲物を捕食する際、長く伸びた上顎の両側犬歯窩に存在するそれから、大量の唾液を分泌する。皮膚を切り裂き血管を食い破られる痛み刺激は、すぐさま脳に電気信号を送り、大量の神経伝達物質を放出させるが、彼らがもつ第三の唾液はそれを瞬時にブロックし、逆に脳内麻薬の分泌を促進して獲物を恍惚状態にさせる。


 高位の吸血鬼になるほどその作用は強烈で、餌食となったものは皆快楽の中で死んでいくと言われている。


 そして、そうした吸血鬼の中でも王と呼ばれる力ある怪物どもは、打ち倒された後も消滅することはなく、灰の中から甦るという――


 転生してから学んだモンスターの知識が、クドウの脳裏をよぎった。彼は自分の置かれている状況を把握しようともがく一方、押し寄せる快感に何度も絶頂を迎えていた。


 このままでは、狂ってしまう。

 

「――っ」


 クドウが何かを言いかけた。


 だがそれは言葉にならず、彼の意識は間もなく訪れた夕闇の中へ消えて行った。







「ご苦労だったな」

「いいえ。ゴランドリエル様こそ」


 日の入りの時間になっても、彼女の白銀の髪はうっすらと輝きを放っていた。地獄蝶の鱗粉が大量に浮かび、妖しく煌めく湖面と夜桜を背景に、口元に付着したクドウの血を舐め取って微笑む裸の吸血鬼の女王(ヴァンパイアクイーン)の姿は、悪魔であるゴランドリエルですら空恐ろしさを感じるものだった。


「不在にしていた間、お変わりございませんでしたか?」

「……エリスが退職願を出した」

「あら、それは」


 口元をほころばせたまま、クイーンは困りましたわねえ、と言うと、いつの間にか鱗粉以外は消えてしまった地獄蝶の落下地点――つい先ほどまで倒れ伏していたはずの場所へ歩んでいく。


 クイーンはその場にしゃがみ込むと、灰の中に手を突っ込んだ。何かを念じるように目を伏せ、再び立ち上がった時には、彼女の体は魔候虫の糸で編まれた漆黒のドレスに包まれていた。彼女が動くたびに不思議な輝きを放つ漆黒のドレスからは、一匹の蝶の刺繍が消えていた。


 さして珍しくもないのか、ゴランドリエルはその様子を一瞥すると、文字通り血の気が引いて真っ白になったクドウの躯と肚を潰されてとっくに息絶えたテンゲンドウを一緒に抱えた。


「行くぞ」

「はい」


 ゴランドリエルが空いた左手を軽く振ると、空中に黒い線が走った。それは縦に広がると、真っ黒な空間へと繋がる口を開けた。


 大悪魔(アークデーモン)吸血鬼の女王(ヴァンパイアクイーン)は、文字通り闇の中へ消えた。







 一か月後。


 悪魔の罠商会は転生者協会との企業合併を発表した。


 会見の場には虚ろな表情で脱臭剤を首からぶら下げた転生者協会の会長と、同じく副会長の姿があった。しかし彼らは一言も発することはなく、会見自体ゴランドリエルが一方的に合併を告げただけで一同が退席するという異例の短さで終わったため、世界中で様々な憶測が飛び交った。







 奇妙な会見からさらに一週間後。


「では、これが鍵だ」

「ゴランドリエル……お前、正気か?」

「仕方あるまい。長い物には巻かれろ、と言うではないか」

「しかし……うっ! ゴホッ!」


 病院の特別室に設置された一般患者とはマットレスからして別注のベッドの上には、この半年ほどで十は老け込んでしまった冒険者協会の会長ダイナソンの姿があった。


 むくんで痛むのか、あまり動かせなくなった彼の手に旧悪魔の罠商会へと続く専用エレベーターの鍵を押し込んだゴランドリエルは、ダイナソンの紫色になった唇を見て嘆息した。


 もう、長くはあるまい。


 ロートルが出しゃばって――などと後ろ指を指すような輩を排斥し、世界最大規模の企業団のリーダーシップを取ってきた長であっても、寄る年波と病には勝てぬ。


「じゃあ、な」


 もしかすると直接会って話をするのはこれが最後かもしれなかった。ゴランドリエルは自分の中にほんの少しだけ「感傷」というものが存在していることに驚きながら、テナント契約期間内に移転するために発生する違約金の他に、温泉迷宮の罠を向こう五年間は無償で修理・交換するという条件(プレゼント)を付け加えて病室を後にした。


「……いったい何を企んでいる?」

 

 病室の外で待っていた冒険者協会副会長――ダイナソンの実子で名前は忘れた――が剣呑な視線を送ってくる。


 企んでいるのではなく、企んでいたことが実を結んだだけのことだ。


 倒産の危機を救ってもらったとはいえ、冒険者どもにはさんざ煮え湯を飲まされた。それに対して紳士的とは言えない対応を示してきただけに、ダイナソンの死後協会を担っていく男の視線は少々痛い。ゴランドリエルはさりげなくそれを躱し、「さあな」とだけ答えて病院を出た。







「ふぅ。だいぶ片付いたな」


 急ピッチで行われた引っ越し作業の後、悪魔の罠商会は新社屋を転生者協会の本部へと移して通常業務を再開していた。業界の事情はさて置き迷宮運営に罠は必須の世の中だ。悪魔の罠商会には連日注文が殺到し、ゴランドリエルは作業に追われていた。


「社長。新規採用希望者の面接の時間です」


 R’sから定期的に送られてくる新商品の中から「エルメスの靴」を発見したクイーンが、上機嫌でそれを履き、十一センチのヒールで大理石の床を踏み鳴らして歩いてきた。


 迷宮の奥底で背中を丸めていた頃とは打って変わって、背もたれと座の部分にスプリングが入り、長時間座っていても疲れないビジネスチェアにもたれて設計図を見ていたゴランドリエルは、彼女の持ってきた書類束を受け取ってぱらぱらとめくった。


「希望者の名前と出身地のリストです。詳しい履歴書をご覧になりますか」

「いや、必要ない。こいつを最初に呼べ。あとは全員帰らせろ」

「かしこまりました」


 軽く会釈した後、クイーンは踵を返した。


 数分後、転生者協会本部五階の大会議場を借りた面接会場は騒然となったのだが、クイーンが「裏☆転生」のコンサートチケットをばら撒くとそれを求めて荒野に散っていった。







 翌日。


 一転して豪奢なオフィスを構えることになった悪魔の罠商会の新人受付嬢は、出社するやいなや、社長であるゴランドリエルに詰め寄っていた。


「社長ぉ~! 酷いじゃないですかぁ! あたしにだけ秘密でぇ! 全部仕組んでたんですね!?」

「テキ、を欺くにはまずミ、カタから、と言うではあ、りませんか」


 ぽかぽかと背中を叩く淫魔(サキュバス)を五月蠅そうに追い払うゴランドリエルに代わって応えたのは、首から脱臭剤を下げた転生者協会の副会長――クドウだった。


「わっ! 社長ぉ~、この人間なんなんですかぁ? 臭いんです! ものすごく!」

屍食鬼(グール)になってしまったからな……エリス、脱臭剤を換えてやれ」

「はぁ~い……じゃなくてぇ! 本当に心配したんですよぉ!? クビをかけて抗議したのに無視されちゃうし……あたしだけ除け者にしてぇ、えーん」


 スカートの中身が映るほどに磨きこまれた大理石にへたり込み、泣き出すエリス。彼女に近づいて頭を撫でようとしたクドウだったが、「触んな! ……てか、くさぁい。なによもぉ~」と言われ、脱臭剤を持ち上げて呆然と立ち尽くす姿は哀れを誘うものであった。


「仕方なかろう。俺とて、ギリギリまで聞かされていなかったのだ」

「そう。社長は本気で私を見捨てたんですよ」

「いや、見捨てたわけでは……」


 ゴランドリエルは当然、彼女がどのような形で死のうと絶対不滅の存在であることを知っていた。故に、転生者協会の脅しに屈することなく世界崩壊の危機を回避することに専念できたのだ。


「私が蝶を使って意志を伝えていなければ、今頃どうなっていたでしょうね?」

「いや、俺は俺で、考えがあってだな」


 ポリポリと頬を掻くゴランドリエルに近づいて行き、膝の上に腰かけて見上げるクイーン。


 転生者協会に囚われの身となった彼女は、ゴランドリエルは自分が不滅の王であることを知っているし、人質を取られたくらいで転生者の言うことを聞くようなタマではないと考えた。


 クイーンは転生者とゴランドリエルの交渉は早期に決裂すると予測し、それは的中した。転生者どもは腹いせに彼女の身体を壊し、一部をゴランドリエルに送り付けて挑発すると言いだした。彼女はこれを聞いて一計を案じた。拙い技で造られた鎖に囚われたフリをし、油断した彼らに気づかれないようにドレスに仕込まれていた緊急連絡用の蝶を飛ばし、計画を伝えた。


 あとは彼女の計画通り。


 交渉決裂後に連絡を取り、彼らの目的が世界の垣根を越えることだと今知ったかのようなフリをして、ダルワインの遺した技術でそれが可能だと知らせてやり、必要であればダルワインが作った保養島へ連れて行く。


 転生者は技術が存在すると信じれば、必ずそれを奪おうと画策するだろう。そうなれば十中八九戦いは避けられず、ゴランドリエルが敗北することなどあり得ない。クイーンの予測はほぼ図に当たった。計算外だったのは、てっきり転生者協会に乗り込んできて作戦を決行するだろうと思っていたゴランドリエルが、春ごろから病床に臥せっているダイナソンのために、ドロシーを使って迷宮の集客をするという行為に出たことと、クドウの能力が真剣にゴランドリエルの命を脅かしかねないものだったことだ。


 結果的には、ドロシーがばら撒いたチケット――製作、宣伝費用は悪魔の罠商会持ち――に引かれて集まってきた冒険者たちのおかげで、うたぐり深いクドウを迷宮前に誘導できたのだが、クイーンはおろかゴランドリエルでさえ、思わぬ副産物の存在を知らない。


「では、聞かせていただけます? その『お考え』とやらを」

「いや、まあ、いいじゃないか。丸く収まったんだからな」

「よくありませぇん! あたし、全然何があったかわからないですぅ!」

「…………」


 こうしてエリスも帰って来たし、と言って笑うゴランドリエルだったが、頬を膨らませるエリスと冷笑を浮かべたクイーンに挟まれてその笑みは引きつったものに変わっていた。何か話題を変えなくては、そう考えたゴランドリエルの脳裏に忘れかけていた大問題が浮上するのに時間はかからなかった。


「そ、そうだ! クイーン!」

「?」


 慌てた様子で立ち上がったゴランドリエル。期せずしてお姫様抱っこの形になったクイーンが僅かに頬を赤らめたのも意に介さず口を開く。


「銀行から決算書類一式の提出を求められていてな! 追加融資を勝ち取るのに急ぎで必要なのだ」

「…………」

「頼む! 俺は罠を作るので手一杯なのだ。なんとか二日で作ってくれ――クイーン?」


 フヒュッ。


 そんな音を残して、クイーンの姿が消えた。


「ま、待ってくれクイーン! 融資を受けられないとまずい! 転生者協会もなんだかんだで、資金的な余裕はないのだ! このままでは――」

「社長ぉ……そう言えば、あたしの退職金」

「やかましいっ!!」


 南の方から少しずつ、梅雨前線が近づいてくる。


 うららかな春は終わりをつげ、夏が始まる前のひと時、世界は一様に雨に包まれる。


 新社屋を構えた悪魔の罠商会は屍食鬼(グール)と化したかつての経営者を操って転生者協会を手中に収めることに成功したものの、ゴランドリエルを利用して世界を囲む垣根――次元の壁の破壊を目論んでいた組織の収支は、一部の所有団体を除いて赤字ギリギリだったのだ。


 奇妙な会見を目にして、悪魔の罠商会が強引な手腕を用いたと考えない団体はおらず、転生者協会と関係の深かったドワーフやエルフなどの幻想生物との関係が悪化したことが影響し、複雑な機構をもつ部品の製造などを請け負ってくれていた工房のいくつかは、契約更新を拒否してきた。


 転生者の目論見を叩き潰し、危険な団体を手中に収め、実は世界を崩壊の危機から救った悪魔の罠商会の戦いは、まだ始まったばかりだ。




WANA 罠 ー俺は悪魔だが、趣味で罠を作って売る会社を経営しているー


第一部 完

以上で、WANA~ 第一部完結とさせていただきます。最後の方罠関係ないじゃん! というツッコミが聞こえてきそうで震えております……第二部では、もっと「罠道」と「商売」を絡めて書きたいな~、なんて思いながら。

何はともあれここまでお読みいただき、ありがとうございました。


今後とも、悪魔の罠商会をよろしくお願い申し上げます……けぷっ、おっと失礼。

クイーン


第二部では、あたしももう少し活躍するよ!?

エリス


貴様のホストクラブ通いに金を出す気はない。

ゴランドリエル


またね☆

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