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第十二話 望郷

最終話が一万六千文字を越えたため、分割投稿。

 地上に出たゴランドリエルは、久方ぶりに浴びる日差しに目を細めた。


 裾野を覆う若草や森の木々の若葉の香りが風に乗って運ばれてくる。草食動物たちがそれらを食む音と、彼らを狙う肉食動物の息遣い、鳥や虫どもの鳴き声。全てがずいぶんと懐かしいもののように感じられ、ゴランドリエルは深く息を吸い、肺一杯に春の空気を溜めこんだ。

 

 転生者どもは何をしている。


 荒ぶる牛のごとくそれを吐き出したゴランドリエル。最強最悪、迷宮内で出会ったら万に一つも助からない大悪魔(アークデーモン)が温泉迷宮の入り口に突如現れ、迷宮に潜ろうとしていた冒険者パーティーが蜘蛛の子を散らすように逃げ出してから、もう二時間近くが経過している。


 本来なら彼らが「にげる」と言っても「にげられない!」と返して大笑いするところだが、現在のゴランドリエルは、湯治にやって来た冒険者どもなど相手にして(いびり殺して)いる場合ではない。


 ゴランドリエルは待っているのだ。転生者協会の代表補佐を務めるクドウという男を。







 いったい、あの悪魔は何をしている。


 森に逃げ込んだ冒険者たち――その中でもっとも高レベルな男でパーティーのリーダーを務めるサムライが、迷宮の入り口――地下へ続く階段の周囲に朱塗りの櫓を築き、でかでかと「湯」とプリントされたのれんが風に踊る――の前を行ったり来たりしているゴランドリエルを見て首を傾げた。


 彼らとてもう二時間もそうしているのだ。アミューズメント型保養施設として冒険者協会がオープンした温泉迷宮は、実は内部に凶悪極まりない罠が多数仕掛けられたゾーンがあるなどと一部で報道され、さらに突如この周辺を襲った巨大地震の影響もあって、協会が一時閉鎖を余儀なくされて以来、二か月ぶりの営業再開である。リーダーはもとより、日ごろ頑張っているパーティーメンバーの保養になれば、と、財布の紐を緩めて、盗賊協会と冒険者協会協賛の高額チケットを購入したというのに、これでは温泉どころか迷宮に入ることすらできないではないか。


「ちょ、四之助!」


 やおら立ち上がったサムライ――黒塗りの武者鎧の上に「♨」マークのTシャツを着こんだ背中に追いすがったのは、そんなもの――チケット購入者の証――は恥ずかしくて着られないと断ったヴァルキリーだった。


「止めるな、シオン。某は行かねばならぬ」


 大悪魔(アークデーモン)。彼らの世界では文句なしに最強のモンスターであり、物理攻撃はほとんど当たらず、当たってもかすり傷を負わせられればしめたもの。魔法のほとんどを無効化あるいは反射し、その爪にかかれば各種状態異常のオンパレードに晒された挙句に一撃死は免れない。そんな化け物に向かって行くのは無茶どころか無謀である。


 だがそんなことは、この四之助、百も承知。しかし仲間のため、あれと対峙せねばならぬ。


 ガクガクと震える膝を武者震いと思い込み、再びシオンに背を向けた四之助。その背に他の仲間の声がかかる。


「助さん、何しに行くつもりか知らないけど……行かせないよ」


 四之助を略して「助さん」と称するのは、盗賊協会が面白いチケットを売り出したと情報を持ってきたシーフのシムだった。


「シム。お主が一番此度の湯治を楽しみにしておったのだろう」


 何故止める。

 

 振り返った四之助は茂みから半身を覗かせて右手を差し出すシムに訝しげな視線を送った。その手を取って、自分も連れていけとでもいうのか。戦いともなれば「盗賊の篭手」によって強化された素早さと器用さで敵を翻弄するシムだったが、相手があの悪魔ではそのような小細工は通用しまい。


「いや、チケット。人数分を置いていってよ。あんたがまとめて持ってるだろ?」


 他の仲間もうんうんと頷く。


 四之助は腰紐に吊るされた巾着型のアイテムボックスに手をやり、笑いを堪えているようなシムの顔を見て口を「へ」の字に結んだ。


「…………」

「あれ、戻ってきた」

「リーダー、ダッセェ」

「リーダー、シムに気ぃ使わせんなよ」


 僧侶、魔法使い、戦士の順に、戻ってきた四之助を温かく迎えた。


「すまぬ、皆の衆」

「ほんとよね。いつまでウダついてるわけ?」

「――誰だ!?」


 背中からかかった仲間のものではない声。四之助の背後にはシーフのシムが居たはずだ。索敵能力の高い彼を素通りして四之助の背後を取るなどと――


「はい。動かないでねー」


 刀の柄に手をかけ、振り返りつつ飛び退る。


 脳内に描いたイメージが具体化する前に、四之助の首筋――兜と鎧のわずかな隙間には恐ろしく鋭利な何かの先端が触れていた。

 






「ドロシー……? 盗賊協会の親玉(ボス)がどうしてこんなところに」


 迷宮の入り口で佇むゴランドリエルと、それを遠巻きに見ている冒険者たち。

望遠鏡を覗き込んでそれらを観察したクドウは首を捻った。


「く、クドウ。お、オレ、ションベン」

「その辺でして来い。……ったく」


 テンゲンドウが作りだした無の空間を通って、ゴランドリエルが姿を現す三十分ほど前に温泉迷宮から南へ一キロの地点に到着した二人の転生者は、観察にちょうどよい高台を見つけてそこに身を潜めていた。


 すでに世界の壁を越える技術が存在していたことに有頂天になったものの、もともと慎重派であるクドウは「罠を作って売る」などという怪しげな商売に手を染めている悪魔がただ待っているなどとは考えなかった。


 迷宮の奥底を待ち合わせ場所に指定しなかったのも、こちらの油断を誘うためだろう。地球に渡る術を教えるとかなんとか言って、中に誘い込まれたらまず断るし、待ち合わせ場所になにがしかの罠が仕掛けられている可能性も十分にあった。とはいえ、悪魔の罠商会の商品ラインナップについては熟知している。捕獲系の罠で一時間以内に設置できるようなものはなかったし、急ごしらえの罠に引っかかってしまうほど、転生者クドウの実力は低くない。


 さすがは盗賊協会。とんでもないお宝を持っているな。

 

 ドロシーが、うっかり刀の柄に手をかけたサムライの喉元に突き付けた武器を認めたクドウはうぅむ、と唸った。彼女が装備していたのは巨獣の角(ベヒーモス・ピック)だった。生体材料では最高高度を誇り、あまりの希少さに加工技術が失われているというベヒーモスの角で造られたそれは、ウォーピックのような無骨な形状ではない。角はコバルトクロム製のメリケンサックの中指の辺りから垂直に伸びる高さ二十五センチの円筒状の突起に使われており、先端径が一ミリにも満たない漆黒のそれは、この世界に存在するいかなる鎧をも突き通すと言われている。


 そんなことより、やつらいったい何を。


 突如現れた女シーフは、すぐにサムライの拘束を解いた。その後はにこやかにパーティーに向かって話しかけ、サムライが恐る恐る取り出したチケットを受け取ると、いよいよその笑顔が慇懃なものに変わっていった。


「温泉迷宮特別優待チケット……?」


 倍率を上げてドロシーの手元を確認したクドウは思わず独語した。


 ドロシーはまるでクドウがそれを確認するのを待っていたかのように六枚のチケット懐に仕舞い、サムライが率いるパーティーを先導して温泉迷宮へ向かう。


 その先には苛立たしげに入り口の看板周囲をうろつくゴランドリエルがいる。


 罠が仕掛けてあるとすればその辺りのはずだ。


 レンズの倍率を下げてマクロの視点から観察するクドウ。


 しかしドロシーとその後ろをおっかなびっくりついて行くパーティーは、何かの罠に引っかかるようなことはなかった。


「罠はない……少なくとも、踏んで発動する様なものは」


 腹這いになっていたクドウは、用を足して戻ってきたテンゲンドウの足音を確認して立ち上がった。


「テンゲンドウ。そろそろ行くぞ」

「うひっ!? ほほ、ほんとに行くのかよぉ……」

「ビビるな。お前の能力は俺の言う通り使えば無敵だ。今までだって、そうだっただろ?」

「う、うん……」


 テンゲンドウの能力――止まる世界(ストップザワールド)


 何も存在しない、時間の流れすら存在しない完璧な無の空間を創りだし、その中を自由に行き来することもできるし、生み出すことも消滅させることも自由自在だ。空間の実態はこの世界とはまったく別の次元に存在するらしく、どれほど広い空間を生み出してもそれが世界に影響を与えることはない。


 無の空間に放り込まれたものは時の流れから解放され、劣化することもなくそこに存在し続ける。そこは生身の人間がそこに入ると酸欠で死ぬのだが、テンゲンドウと一緒に入れば大丈夫というご都合主義感マックスの異空間だ。


 神を名乗る何者かが与えた能力を駆使させて(・ ・ ・)、クドウは居間の地位を築いた。


 アイテムボックスの開発がその代表だが、表向きにはできない仕事もたくさんこなさせて(・ ・ ・)きた。


 クドウは手の爪を噛んでブツブツ言っているテンゲンドウの肩を掴んで、しっかりと目を見て口を開いた。


「いいか。迷宮の入り口から十メートル離れた位置に出口を開け。俺が出たら、お前は俺の足元に入り口を作って空間の中で待機しているんだ。何か危険があったらすぐに俺を空間に収納しろ」

「わ、わかった」


 いくらかテンゲンドウの目に力が戻ったことを確かめ、クドウが頷いた。その直後、二人は虚空に開いた透明の入り口に飲み込まれた。







「……遅かったな」


 突如目の前に現れた黒髪の青年を一目見て、ゴランドリエルはこいつだ、と判断した。彼の身体には、クイーンの血の匂いが染みついていたのだ。


「申し訳ありません。罠の確認に手間取りまして」


 タグ付け(タッギング)によって、さきほどドロシーと冒険者の一団が通っていった道はクドウの目にはっきりと映し出されている。彼はその印を踏みしめて、遅延の理由をごまかさずに告げた。


 無意味に下手に出る必要はない。会話の主導権はこちらが握る。


「で、早速見せて頂けますか。ダルワイン氏の技術とやらを」

「これだ」


 ゴランドリエルが握っていた右拳を開いて差し出した。

 そこには、小さな黒い小箱があった。


「……なんですか?」


 まるで婚約指輪でも入っていそうな小箱だった。


 うっかり手を出して、罠のスイッチだったりしては堪らない。


 クドウはむしろそこから顔を背けて訊ねた。


「奴の……ダルワインの遺品だ。これで、あちこちへ瞬時に移動できる」

「あちこち、というのはつまり……ハワイや箱根、ということですか?」

「そうだ」

「……やって見せていただけますか?」

「かまわんが、貴様の足の下に隠れている奴はどうするのだ?」


 気付いていたのか。


 草むらに立つクドウの足の下には、テンゲンドウが作りだした無の空間が広がっている。不可視の入り口がその天井すなわち地面に小さく口を開けて――それはクドウが落下しないように細かい格子上になっている――はいるが、ゴランドリエルにはそれを確認することはできないはずだ。


 だが、隠れていると指摘されて焦ったのか、押し殺していた気配がダダ漏れになっていた。カマかけだったとしてもたいしたものだ。頭のネジが飛んでいるとはいえ、テンゲンドウの気配を絶つというスキルレベルは転生者の中でも群を抜いて優れている。それを、気迫だけで丸裸にしてしまうとは。


「保険ですよ。世界でもっとも危険な悪魔を相手にするんですからね」

「貴様が何を不安に思っているのか知らんが、俺の言うことが信じられんのなら仕方がない」


 おっと、ここでそのカードを切るのか。


 だが下手に出る気もない。連れが居てはダメだと言うのなら、こちらが降りるまでだ。あの小箱が鍵なら、奪うチャンスはいくらでも作れる。


「人間なんて、矮小な生き物なのですよ、ゴランドリエルさま」

「ふん。で、デモンストレーションを見るのか見ないのか、どっちなんだ」


 駆け引きをする気がないのか、そんなことは元より考えていないのか。ゴランドリエルの真意を測りかねたクドウは、曖昧な笑みを浮かべて口を開いた。


「もちろん、拝見いたします。足元のものも一緒に」

「では、俺の手をとれ」

「……」


 大丈夫だ。仮に左手をもぎ取られても、命さえあれば。


「出て来い。テンゲンドウ」

「……くく、クドウ。大丈夫なのかよ」


 一瞬、クドウの足元の空間が揺らいだように見え、直後に別の人間がクドウの後ろに出現した。クドウの背中に隠れるようにして立つ男――まだ少年の様にも見える男が、転生者協会の代表とは思えなかった。


「貴様が、転生者の長か?」

「――ひっ!?」


 にわかに膨れ上がったゴランドリエルの殺気に怯え、テンゲンドウはいよいよクドウの背中に身を隠した。


 クドウは大悪魔(アークデーモン)の気迫を叩きつけられてたじろぎそうになりながらも、どうにか耐えて足を踏ん張った。しかし内心では、強大な悪魔を嘲っていた。

 

 やはり、冷静を装っていただけだったのだ。転生者協会の行動はあくまで代表であるテンゲンドウの責任。クドウがクイーンの話をしても素っ気ないふりをできたのはそのような概念があったからなのだろう。全ての元凶を前にして、ついにタガが外れたか。


「ゴランドリエルさま――?」


 ふいに、圧倒的な殺気の矛先が変わった。ゴランドリエルの燃える瞳は今、クドウをまっすぐに射抜いていた。


「クドウ……だったな。貴様、嘘をついたな」

「え?」

「貴様らを見ていれば誰でもわかる。転生者協会を牛耳っていたのはそこで伸びている男ではあるまい」


 ご明察。


 まあ「出て来い、テンゲンドウ」などと言ってしまったし、当然だ。それがバレたからといってどうということもないのだが、殺気を向けられるのは気分のいいものではない。


「裏で糸を引いているなんて、人聞きの悪い。僕とテンゲンドウは、深いパートナーシップで結ばれているだけです」


 我ながら、今の言い方はキモいな。


 不敵に笑いながら、クドウはゴランドリエルの挙動を注意深く観察する。

わずかでも攻撃してくるそぶりを見せれば、タグ付けと止まる世界を利用して最強の盾をこの場に呼び出すだけだ。


「……まあ、いい。デモンストレーションが見たければ、共に手を取れ」


 クドウはいつでも来い、と構えてみせたが、ゴランドリエルは鼻を鳴らして殺気の放出を止め、小箱を持っていない左手を差し出した。


 まず拍子抜けはしたものの、切り札を使わずに済んで安堵したクドウが、そして恐る恐るテンゲンドウが、ゴランドリエルの爪に触れないように指の関節辺りを握った。


「では、行くぞ」


 一瞬視界が暗転した。


「おいおい……マジかよ」

「すす、すげえ」


 直後、クドウとテンゲンドウの目の前には、静かに揺らめく芦ノ湖の湖面に映る満開の桜が目にも鮮やかな、恩寵箱根公園の景色が広がっていた。




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