第九話:Go ahead,Make my day 転生者の罠2
ベンジャミン・バーラムの突然の来訪以来、不機嫌極まりなかったゴランドリエルの怒号によって発生した地震は、春の訪れを賛美する地上の生き物たちの中で、翼を持つものの全てを空へと舞い上がらせ、四足歩行の動物は恐慌状態に陥り、地を這う虫の大部分の身体を硬直させた。
悪魔の罠商会と直結している温泉迷宮にいたっては、調度品のほとんどが倒れ、ガラス製品は砕け散り、一部の天井が崩れて、湯に浸かってくつろいでいた連中の只中に落下した。
死者こそ出なかったものの、甚大な被害を被った冒険者協会が早速苦情の電話を差し入れたのは言うまでもないが、温泉が湧く以上は時折自身が襲ってくることくらい「想定しておかなければならない事象」であり、地震が起きた原因を完全に棚上げにしたゴランドリエルに地震対策の不備を指摘された冒険者協会の副会長は、父親そっくりの赤ら顔になって通信を切ることを余儀なくされた。といっても、彼とてベテランの冒険者だ。今のゴランドリエルに賠償だなんだという話をしても、寿命が縮まるだけだということは、画面に彼の顔が映った瞬間に悟っていただろう。
◇
ゴランドリエルが大地を揺るがす咆哮を上げる数分前。
彼の地獄耳は、エリスがもう一人の招かれざる客を連れて戻ってきたことを捉えていた。
ケイオスミミックにまつわる転生者どもの小賢しい謀略、それを老婆心のつもりか警告しに現れたベンジャミンと、彼の闖入を手伝ったエイルマー。
まるでタイミングを計っていたように、あるいはベンジャミンを監視でもしていたのか、ともかく絶妙なタイミングで人質を取った転生者協会。
悪魔の罠商会にとって、この世界で迷宮を経営する全ての団体は上客となり得るし、実際彼らは客だ。商売を始めた以上それは大事にせねばならない。このところ冒険者協会の傍若無人な振る舞いに頭を悩ませていたゴランドリエルは、次々と矮小な存在によって引き起こされる事態に一時は怒りを覚えていたものの、薄暗い資料室で落ち着きを取り戻していた。
罠を仕掛けるということは、有史以来多くの場面で行われてきた。戦場で、狩りの場で、王城で、政治の中枢で。有象無象を問わず、様々な罠を仕掛けて謀略を張り巡らせるのは生き物の性だと言えよう。幼子ですら、落とし穴を掘ったりたっぷりと粉を含ませた黒板消しを仕込んだりする。本能に従って生きている虫ですら、それと同程度の――黒板消しのことではない――罠を張って生きているのだから。
悪魔の罠商会は、「罠道」の先駆者だ。その代表たる大悪魔を罠に嵌めようなどと考えた時点で、転生者協会の連中は万死に値する。だが死んでしまっては得意客を失ってしまう。俺の罠をもってすれば、死なないまでも存分に後悔させてやることは可能だ。
どいつもこいつも、刃を向ける相手を間違えたな。
ゴランドリエルが耳まで口角を持ち上げてドアを開けた次の瞬間だった。
「ちょりぃ~ッス☆」
敬意のかけらもない、挨拶というか、人間の声帯が振動して発声しているという以外の点では、もはや言語とすら呼べないようなそれが、ようやく平生を取り戻したゴランドリエルの理性の箍を一瞬にして消滅させた。
◇
そして現在。
「マジかよ、ゴランドリエルぅ~! テンションブチ上げじゃ~ん☆ つか、ゴランドリエルって言いづら! ゴラさんでOKっしょ? つか、“さん付け”とか、マジリスペクトしてるから!」
「……光輝、頼むから空気を読みなさい」
未だ足の裏に伝わってくる微振動を感じ、上半身が塩のままであるエイルマーの身体を魔法障壁で守りつつ、ベンジャミンが青い顔で一人の青年を窘めた。
「りょ」
ちゃっかりその障壁の庇護にあやかっている青年が、ベンジャミンの言葉に応じたのかどうかもよくわからない言葉を返した。
「…………ゴランドリエル社長、彼はけして悪気があってやっているわけでは――」
ベンジャミンがとりなすようなことをいいかけて、口をつぐんだのは、ゴランドリエルの顔を見てしまったからだろう。
何をしても無邪気で通るのは幼児まで。そんな人間的な概念などゴランドリエルはもちろん持ち合わせていない。彼は改めて、ベンジャミンがこの場に呼び寄せた人間を観察し、再び叫び出しそうになるのをぐっと堪えた。
長く伸びた金髪を鼻が曲がりそうな整髪料を使って逆立て、さながらモンスター化した海栗のような頭をし、不自然に日焼けした小麦というよりは茶系の麦酒のような肌、無駄に大きく強調された黒目を縁どる空が嫌いになりそうなスカイブルーのアイライン、明らかに不自然な形に整えられた鼻筋、白く塗られた細い唇、わざと残してあるのか成長しきっていないのか、まばらに生えた顎髭の少し下には輝く銀のネックレス。
その男の容姿が、漂ってくる臭気が、同じスーツでも魔術士協会の二人とはまったく趣の異なる、「軽薄」が服を着ているような、いや服を着てはいるのだが、むしろ裸で堂々と歩いているような、それでいて「ありのままの自分ですけど、なにか?」とでも言いだしそうなニヤニヤ笑いが、とにかく目に映る全てが気に喰わない。
話題のポップスター「裏☆転生」の片割れ、星崎光輝はそういう男だった。
「あれぇ? ゴラさん、なーんか、“おこ”って感じっすかぁ?」
ギリギリと臼歯を噛みしめて、その隙間から紅蓮の焔が漏れ出ているゴランドリエルを見て、ベンジャミンの背後に隠れて肩越しに顔だけ出したコーキ。
再び口を開けば悪魔の咆哮と共に放たれる地獄の業火が、再び心の平和を取り戻してくれるだろうとゴランドリエルが本気で考えた時、作用机の下から一体の悪魔が飛び出してきた。
「社長ぉ! コーキ様は悪くないんですぅ! やるなら……やるならあたしを!」
両手を広げてゴランドリエルの前に立ちふさがるエリス。
「マジかよ、ハニー! つか、お前ばっか目立ってずるくね?」
さすがに大悪魔の燃え盛る瞳を直視する勇気はなかったか、はたまた今度こそ手加減抜きの攻撃に晒されると思ったのか、ギュッと閉じられていたエリスの目が開かれた。彼女はそのまま振り返ってゴランドリエルに背を向け、怪物海栗頭をベンジャミンの影から引っ張り出した。
エリスの行動に素早く反応したベンジャミンが魔法障壁を消していたからよかったものの、間に合わなければ彼女の右肘から先は消滅していただろう。
「わあっ! ちょ、ちょちょ、ハニー!?」
白い光沢のある生地で作られたスーツの襟を掴み上げられたコーキが、情けない声を上げた。
「あたし、目立とうと思ったわけじゃなんですけどぉ!?」
「…………」
ゴランドリエルは新たに始まった喧騒を捨て置いて、いつもの肘掛椅子を引き寄せて座ると作業机の上に鎮座するパソコンに向かった。
画面のスクリーンセーバーはトラバサミに引っかかって悶える人間の様子を描いた2Dアニメーションだった。ゴランドリエルは原始的な罠の映像にしばらく見入っていたが、やがてゆるゆると首を横に振ってからマウスに手を伸ばした。彼がそれを操作すると、先ほどから開いたままになっていたメールの文面が、再び画面に表示された。
『クイーンは預かった
転生者協会』
ゴランドリエルは二度、三度とそのメッセージを読み返し、ため息をついた。肘掛椅子に背を預けて頭の後ろで手を組み、膝を組んで浮いた方の右足をぶらぶらとさせている姿は、社の右腕であるクイーンをさらわれて悲嘆にくれている――ようには見えなかった。
「ゴランドリエル社長……?」
部屋の隅まで追い詰められ、険悪なムードで話し合いを始めたエリスとコーキの存在は無視することにしたらしいベンジャミンが、ようやく生身の身体を取り戻したエイルマーを丁寧に横たえてから、事態をまったく重く見ていない様子のゴランドリエルの背中に声をかけた。
「ベンジャミン……だったな」
「え? ええ、はい」
今更の問いに面喰いながらも頷いた魔術士協会の代表は、そのままゴランドリエルの言葉を待つことにした。自分が現れてからこの瞬間まで、体中の毛が逆立つような――断じてコーキのいがぐり頭のような意味ではない――殺気を放っていた大悪魔の異様な落ち着き様は、常に冷静で静かな湖面のようだったベンジャミンの心を逆に波立たせていた。
「エリス、こっちへ来い」
「――はいぃっ! 何なりと!」
部屋の隅で、「だからさ、俺ってアイドルじゃん?」「は? だからってエレベーターであたしを口説いたのは事実でしょ?」「いや、ほら、ファンの子には優しくって、スポンサーも言ってたし」「はあぁ!?」などとやりあっていたエリスだったが、鼓膜に届いたただならぬ雰囲気の上司の声に慄き、瞬時にゴランドリエルの側へ跪いた。
てっきり自分に話が振られると思っていたベンジャミンは、わずかに頬を引きつらせたが、それでも成り行きを見守る冷静さは保っていた。
「転生者協会に連絡を取れ。回線が繋がったら回せ」
「はいっ! ただいま!!」
エリスは間延びした話し方すら忘れてしまったのか――それほどに、ゴランドリエルの声には感情がこもっていなかった――、すぐさま工房の出口へ向かって走り、受付へ向かった。
「社長! 三番です!」
ほんの十秒ほどで、エリスが戻ってきた。
ゴランドリエルは固定電話の受話器を取ってボタンを操作し、ハンズフリーの状態にした。
【ゴランドリエルさん、かい?】
不気味なほど静まり返った工房に、少し鼻にかかった声が反響した。
「…………」
ゴランドリエルは応えなかった。
【だんまりか……まあ、大事な女を人質に取られて言葉も出ないってことで、その非礼はゆるそうじゃないか。俺は転生者協会の代表、天元堂幸正だ。どうせそこに、魔術士協会の会長さん、それにコーキもいるんだろ?】
「…………」
ゴランドリエルに倣ったのか、ベンジャミンは応えなかった。さすがのコーキも、この時ばかりは、
「いるぜ~。……つか、なんで皆黙ってんの? そういうの失礼だって、親から教わってないわけ?」
空気を読めないという能力を全開にしていた。
【ははは。ありがとうよコーキ。お揃いならば話は早い。ベンジャミン、俺たちの計画を邪魔しようとしても無駄だぞ】
「お前たちがやろうとしていることは、世界の崩壊を招く危険性が高い、というかほぼ間違いなくそうなる。どうしてわからないのですか」
【ははは。お前こそ、そんなことにはならないと何度言えばわかる】
ベンジャミンが険しい表情で会話に応じると、ユキマサと名乗った声は嬉しそうに笑った。
【どのみち、お前らじゃそこの大悪魔を止めることなんてできやしないんだ。いいか、ゴランドリエル。明日の朝までに協会本部まで一人で来い。来なければ、大事なクイーンは――】
「好きにしろ」
【は?】
「え?」
「社長ぉ、うそでしょぉ?」
「ゴラさん、マジスか!?」
ゴランドリエルが言い放つと、ユキマサに続いて会話に耳をそばだてていた面々が、ベンジャミン、エリス、コーキの順に口をポカンと開けた。
「…………!?」
最後に、何もリアクションしなかった自分に周囲の目が注がれていることに気がついた、衣服についた塩の結晶を払っていたエイルマーが目を剥いた。その時にはもう、ゴランドリエルは受話器を固定電話の上に戻していた。




