第八話:起爆剤 転生者協会の罠
春がやってきた。
雪解け水が大河をしぶとく覆っていた氷を押し流し、野山にしがみつくように溶け残った雪の下から、新たな生命の目が顔を出した。それを食む草食動物の足音が軽やかなリズムとなって森に響き、冬眠していた動物たちが巣穴から飛び出してきた。
捕食されるものと捕食するものたちが入り乱れ、そうした喧騒とは無縁のシダや苔たちですら、上昇する気温と湿度の中で新芽を出し、密やかなる春の賛歌を歌う。
地上世界が春を謳歌する動植物たちと、登山やハイキング、スポーツを楽しむ人間たち、そして迷宮探索に乗り出す冒険者たちで大きな賑わいを見せる中、温泉迷宮の奥深くに隠され、専用の鍵を持つものしか開くことを許されない扉の向こうに設置されたエレベーターにて最下層まで下った先に居を構える悪魔の罠商会も、以前とは異なる喧騒に包まれていた。
『煌めく夜空の星よりも~、輝く君の瞳に溺れたい、僕の心臓にDQN!』
ノートパソコンに映る二人の男性が声を合わせ、歌手を生業にしているとは思えない完成度の低いデュオを披露していた。
「ドッキュン♡」
彼らの歌に合わせ、エリスが左手を腰に当て、右手の一指し指を前につき出すポーズを取った。その背後に、灰色の体毛をもつ大悪魔が音もなく忍び寄っていたのだが、彼女は気づかない。もちろん、画面の向こうで歌い踊る二人も。
『日本じゃニートをしていたけれど、異世界じゃチートでモテモテさ~。僕らの魅力に神もメロメロ~♪』
ゴランドリエルの目が細められ、眉のない眉間に深い皺が刻まれていく。伊達に悪魔は地獄耳、などと言われているわけではない。彼は自身の聴力を調節することができればいいのに、と、内心で歯噛みした。
「やーん。悪魔もメロメロですぅ――はうっ!?」
エリスが両拳を頤に当てて身を捩った直後、ゴランドリエルの手刀が彼女の脳天に振り下ろされた。彼が数多の冒険者を屠ってきた爪を用いなかったのは、悪魔の罠商会の代表取締役として社員の命を奪うわけにはいかないと、無意識にブレーキをかけた結果だったのか。ともかく彼の手刀はエリスの頸椎に深刻なダメージを与え、彼女の前頭部がしたたかに打ちつけられたノートパソコンの液晶画面には、およそ回復不可能と思われる破壊が生じた。
「ああ~! いいとこだったのにぃ!」
蜘蛛の巣状のヒビが入り、黒っぽい液体が滲んでしまった画面を見たエリスは、自身の頸部のダメージに顔をしかめるより前に、裏☆転生のコンサートの生中継をしている番組が視聴困難になったことを嘆いた。
「貴様、勤務中に何をやっている?」
「ご、ごめんなさいぃ……でもぉ、今はお昼休みでして……ひっ」
エリスは天井の照明によって創りだされたゴランドリエルの影が、再び右手を振り上げたのを見て、頭頂部を両手で庇い、首を竦ませた。しばらくそのままでいても脳天に手刀が振り下ろされないことを不思議に思ったのか、彼女が「うぃ!? いてて……」と、一撃目で受けた頸部のダメージに小さく悲鳴を上げながら振り返ると、ゴランドリエルは右手の一指し指で、天井を指差していた。
「エリス、急かつ休憩中にすまないが来客がある。隠し扉の前で出迎えてやってくれ」
「はぇ? また、アドバイザーさんが来るんですかぁ?」
首を摩りながら、僅かに頬を膨らませたエリス。よほど裏☆転生の利蔵観賞を中断されたことが気に入らないのだろう。会社を立ち上げる前のゴランドリエルが相手であったならば、寸毫の間もなく彼女は魂すらも消滅させられていただろう。
「そうではないが、重要な客だ」
「はぁ~い。じゃぁ、行ってきまぁす」
よっこいせぇ、と、なんとも気の抜ける掛け声と共に立ち上がったエリスは、どう考えてもサイズが合っていないミニスカートタイプのナース服の裾を引っ張ってからカウンターを回って歩いて行き、両開きのエレベータードアの向こうへと消えた。
悪魔の罠商会では特に社則というものを設けていない。それを若干後悔したゴランドリエル。悪魔の支配階級に生まれた彼は他者を従えるのにいちいち規律を設ける必要などなかったし、気に喰わないことは力で解決してきた。今更ながら、罠を作って売るようになってから自分は変わった。そもそもダルワインに召喚されていなかったら、会社など設立してクイーンやエリスと奮闘することもなかったのか、などと思いつつ、ゴランドリエルは工房へと引き返した。
「今、エリスを迎えに出した」
「恐縮です」
工房に戻ってきたゴランドリエルに対して頭を下げたのは、黒髪の青年だった。ゴランドリエルが暮らす世界には、多彩な髪の色と瞳の色、それに肌の色のバリエーション豊かな人間が暮らしているが、黒髪黒目というのは稀有な形質だった。そしてそのような特徴を持つもののほとんどは――
「……ベンジャミン、貴様も転生者だったとはな」
「まあ、公開プロフィールには載せていませんでしたね」
異世界から時空を越えてやって来た転生者であり、彼は鼻から空気を吐いたゴランドリエルに苦笑いを返した。
「ふん…………で? 何故貴様は、ケイオスミミックの開発を中止しろなどとほざくのだ?」
ゴランドリエルは憮然とした表情で肘掛椅子に座ると、エイルマーと並んで彼の挙動を観察するベンジャミン――魔術士協会の代表を務めるという割には若く、魔術士と呼ぶには小奇麗に過ぎるグレーのスーツにオフホワイトのワイシャツ、ライトブルーのタイを合わせた青年の方を顎でしゃくった。
「一言で申し上げれば、“危険だから”です」
「危険?」
「そうです」
「…………」
当然でしょう? とでも言いだしそうなくらい表情を動かさずに話すベンジャミンの漆黒の瞳を、ゴランドリエルの目が射抜いた。続きを語れ。ただし一切の欺罔は許さぬ、そう赤々と燃える目が語っていた。
「ゴランドリエル社長……混沌という名は、あなたが?」
「そうだ」
ゴランドリエルの無言の問いに、質問を返したベンジャミン。彼らが迷宮内でモンスターと冒険者として出会っていたならば、絶対にそのようなマネはできなかっただろう。しかし、悪魔の罠商会の社長と魔術士協会の代表との面会という公的な場面であったとしても、そんな人間臭い前提など最強の悪魔である彼の怒りの前には砂上の楼閣でしかない。
「残念ながら社長。ケイオスミミックは、貴方が思い描いているような夢の詰まった宝箱にはなり得ません。それどころか……」
ベンジャミンは一旦言葉を切った。彼が話し始めた直後からゴランドリエルの表情は険しさを増す一方だったからではないのだろう。その程度のことで彼が臆するような人物であれば、迷宮の奥深くに社屋を構え、招かれざる客の侵入を頑なに拒んできた悪魔の罠商会に設置された手書きの魔法陣を利用して、事前連絡もなしに訪問することはなかったはずだ。
「ゴランドリエルさん、ベンジャミン代表はですね!」
ベンジャミンの隣に控えていたエイルマーは、彼が所属する組織の代表ほど肝が据わっていなかったようだ。彼もまた、技術協力をしつつゴランドリエルにはわからないように、ベンジャミンを悪魔の罠商会へと瞬間輸送させる魔法陣をホワイトボードに描いたのだ。怒りの矛先が自分に向いては堪らないとでも考えたのか、彼が上司の言葉の続きを話し出そうと一歩踏み出したその時である。
「……黙れ」
静かな、押し殺した怒りだった。地獄の底よりも暗い魔界の深淵から召喚された大悪魔の憤怒は、エイルマーが防御を考えるよりも早く、彼を塩の柱へと変えていた。
「これは……参りましたね」
「貴様がこうならないのは、まだ話すことが残っているからだ」
どうせ魔法で修復するなり、生き返らせるなりするのだろう。ゴランドリエルは鷹揚に構え直し、足を組んで話の続きを促した。
「まあ、私もこうはなりたくありませんからね。喜んでお話しします」
ベンジャミンが語ったのは、以下の様な内容だった。
転生者協会およびR’sがもつアイテムボックスに使われている技術は、この世界とはまったく異なる「無」の空間を創りだすという能力を応用したものだ。
そこには重力も無ければ時間の流れも存在しない。故にアイテムを半永久的に保存することが可能であり、いかなる質量、体積をもつもの――液体や細かい粒子状のものは密封された容器にでも入れればいい――であっても収容可能なのだ。アイテムボックスの内部とその空間を繋ぐ小さなトンネルの入り口には、別の転生者の能力で「タグ付け」というものが仕込まれている。これは、トンネルを通過する物体に魔力で印を付け、それがどこに行こうと瞬時に位置を特定し、手元に引き寄せることができるというものだった。
いったい何の目的でそんな能力を授けられたのかは知る由もないが、この世界に転生した彼らなりに自分たちの能力を応用し、利便性と汎用性の両方を兼ね備えた上に、能力を保有していないものには干渉不可能な商品を開発したことは驚嘆に値する。
では、それを宝箱に応用することのなにが危険なのか。ベンジャミンの説明が始まっても、ゴランドリエルの表情は険しいものだったが、それは話が進めば進むほど酷いものに変わっていった。
ベンジャミンが言うには、一口に転生者の中にはR’sを創設したもののようにこの世界の生活に深く関わり、彼らと共に歩もうとするものたちと、そうではないものたちがいる。
前者は奇抜とも思える発想でもって、世界の暮らしを豊かにしたり、この世界の常識からは考えもつかないような娯楽を提供しているものさえいる。彼らは得てして前世で不遇な生を送っており、第二の生を謳歌しようと前向きに生きているのだ。
しかし後者に属するものたちは、そういった連中とは思想を異にする危険な集団なのだとベンジャミンは語った。
「転生者たちが本気になれば、世界の国々を武力で従え、支配することも可能でしょう。彼らは、まるで幼子が見るような幼稚な夢を、本気で実現させようとしているのです」
貴様も転生者だろうが、と言いたげなゴランドリエルの視線を躱し、ベンジャミンは言葉を続けた。
「彼らはこの世界に、宇宙開闢の混沌を生み出そうとしています。そうすれば、彼らがもと居た世界とこちらの世界、そして魔界や地獄、天界といった全てが同一空間に存在することになり、彼らはそれらの王として君臨しようと目論んでいるのです」
「……馬鹿らしい」
そのようなことが、できるはずがない。
ゴランドリエルの脳裏には、エイルマーがこしらえた魔法陣よりもはるかに複雑で難解な上、大悪魔をして「怪しい」と言わしめる儀を行う大魔導士ダルワインの姿が浮かんでいた。人間としての限界を大きく越えて生きた男が――予定外に早い終幕だったとはいえ――生涯をかけて挑んでもその謎を解き明かすことはできなかったのだ。
ダルワインですら、二つの世界を魔法陣で繋ぐところまでだった。複数の世界の垣根を壊し、一つの次元にそれを混在させることなど不可能だ。仮に叶ったとして、果たしてそれが安定した地盤というか、もとの姿を保ったまま同時存在できる保証もない。それこそが混沌だと言われてしまえばそれまでだが、リスクが大きすぎる上に得られるものが何もない。
第一、神だか天使だか他の悪魔だか知らないが、力を与えられた転生者がそれを越えることはできないだろう。
「鍵は貴方です。ゴランドリエル社長」
ゴランドリエルの主張に対し、無表情から一転、険しい表情を浮かべたベンジャミンは、訝る悪魔を指差して言った。
「……どういうことだ?」
「彼らは、ケイオスミミックの開発の最終段階で、貴方との面会を求めてくるでしょう」
「……」
それはすでに、クイーンを通じて転生者協会から通達されていた。無言で頷いたゴランドリエルの意をくみ取ったのだろう。ベンジャミンもまた、深く頷いてから口を開いた。
「やはり、そうなのですね……彼らは、貴方のその、強大に過ぎる力に目を付けたのです」
ゴランドリエルは魔界において最強の悪魔だった。それは、彼が悪魔として生まれた瞬間から決まっていたことであり、それ自体に大きな疑問を持ったことはない。ゴランドリエルは、黙ってベンジャミンの言葉に耳を傾けた。
「彼らはケイオスミミックの開発など行っていません。今、転生者協会の研究所で完成しつつあるのは、次元破壊装置とでも呼ぶべき危険な存在なのです。彼らがもつ力だけでは、それはせいぜい魔界か天界に通じるトンネルを開く程度の威力しか発揮できないでしょう。しかし、発生以来何者にも力を分け与えることなく、最強の存在として君臨する貴方を起爆剤にすれば――」
彼らの目的は、成るかもしれません。
ベンジャミンがそう締めくくったときだった。
ゴランドリエルの巨大な作業机の一角に、少し前から鎮座しているパソコンの画面に、新着メッセージを受信したことを示すアイコンが出現した。
ベンジャミンはどうぞ、と目で促したが、ゴランドリエルはそれを確認する前にメッセージを開封していた。
『クイーンは預かっている。
転生者協会』
ギシリ。
ゴランドリエルの上下の臼歯が擦り合わさる音が、工房に響いた。




