7.唄の力
権力を衰えさせぬ唄。
それは、相手を邪なものに囚われぬように守ってやる力でもある。
歌鳥の親はこれと同じもので子の安全をこれで守る。そのおかげか、親の正しい庇護のもとにある歌鳥の子供が、何者かに捕まったり、殺されてしまったりするような事はない。
もしも歌鳥の子が不幸に見舞われるのならば、それは酷い親の下で生まれたか、親が死んでしまっているかのどちらかであることが多い。
そのくらい唄の力は強い。
けれど、歌い終わって、わたしは少しだけ女主人の身の上を按じた。もしも同じ歌鳥がこの女主人の破滅を願う人物に願いの叶う唄を捧げたならばどうなるだろう。もしもその歌鳥が、その人物と契りを交わしていたらどうなるだろう。
わたしの唄の力は決して弱いものではない。
けれど、同じ歌鳥の契りを交わした上での唄の力を前にすれば、どうしても不利になってしまうことは避けられない。
恐らく彼女もそれを分かっているだろう。
窮地に陥れば、今日よりももっとわたしの力を求めるだろう。
だからこそ、わたしを失ってしまわないように、寝静まる夜は鳥かごに閉じ込める等と明言したのだ。
「カナリア。有難う」
女主人はしばしわたしの唄の余韻を楽しんでいたようだが、やがてそう言ってわたしの頭を再び撫でてくれた。
そうして、向かうのは檻の前に置かれた机。
その脇にかけられた鍵へと手を伸ばし、掴み上げ、彼女は溜め息混じりにじっとその鍵を見つめながら告げた。
「本当はあなたをきちんと手に入れてから開けるつもりだったけれど――」
そうして、彼女は約束通り、檻の扉を開けてくれたのだ。
「あんまり虐めるのは可哀そうだもの」
解放された。
その感覚が予想以上に大きくわたしを揺るがしてきた。拘束を解かれた感動はあまりにも大きく、わたしは暫く立ち上がることも出来なかった。
そんなわたしを見て、女主人はわたしの腕を掴んだ。その手に引っ張られて、立ち上がると、檻越しなどではなく、今度は何にも阻まれずにしっかりと抱きしめられた。
柔らかく、温かく、いい香りのする抱擁にわたしはしばし恍惚とした。
「カナリア。約束よ。あなたを守ってあげる」
そう言ってから、女主人はわたしの耳元に口を近づける。
「私の名前はヨダカ。誓わなくとも、あなたにはこの屋敷の歌鳥として傍に居て欲しいの」
「ヨダカ……」
やっと知れたその名前をわたしは反芻する。
呆気なくわたしの心を奪っていった女の名前を抱きながら、その響きに酔いしれた。誓わなくたって、わたしの心はあの時に奪われていた。そもそも、わたしが誓わなかったのだって、ちっぽけな尊厳と、将来に対する不安が邪魔していただけであるのだから。
――ヨダカ。
その名前を何度も心で抱き、身体の方は女主人――ヨダカに抱かれていた。
「ずっと一緒に居てくれる?」
耳元で囁かれ、わたしもまたその背をぎゅっと抱いた。
「――勿論よ、ヨダカ」
切ない気持が込み上げ、またしても泣きたくなってきた。
わたしは一目惚れしたのだけれど、彼女がわたしの自由を奪ってまで求めていたのは、わたしの力だけなのだ。
そんな思いがどうしてもわたしを苦しめる。
けれど、今度ばかりはその涙を堪え、わたしはじっとヨダカの温もりを感じていた。これから先、わたしはカナリアとなり、この屋敷に住まう。
それはヨダカがわたしに飽きるまでの事かもしれないけれど、それでも構わない。誓わせられずに済んだ以上、わたしにとってそれは問題とはならない。
けれど、何故だろう。
ヨダカにいつか見捨てられるかもしれないと想像すると、誓ってもいないのに心がちくりと痛むのだ。
心を奪われてしまっているせいだろうか。
失恋の予感を今から想像して苦しんでいるとでもいうのだろうか。
そうだとしたら、わたしは愚か者だ。歌鳥の血を引かない者を相手に恋をすることなんて、あまり好ましくないことなのだから――。
わたしは愚か者の歌鳥。
ヨダカに手を引かれ、冷たい石壁の部屋を抜けてしまうまで、わたしは自分を罵りつづけた。
「――カナリア」
檻のある部屋の扉を開ける前に、ヨダカがふとわたしを振り返った。
確かな自信を伴っていそうなその目に囚われて、わたしもまた目を離せないまま耳を傾けた。ヨダカはそんなわたしの頭を空いた方の手で撫でながらこう言った。
「世の中にあなたを狙う人はいっぱいいるの。お願いだから、私を心配させるような真似も、絶対にしないでね」
その表情は、まるで大人の歌鳥が危なげな友人に向けるようなもので、わたしは不意をつかれてしまった。
ずっと彼女がわたしを選んだのは歌鳥であるからだとばかり思ってきたけれど、それだけではなくどうやら本当に、彼女はわたしを大切に思ってくれているのかもしれない。
甘いかもしれないけれど、そんな思いがわたしの中にぽつりと生まれた。
それはもしかしたら願望かもしれない。
好みの人がわたしをそこまで心配してくれているという願望。わたしの力だけではなく、わたし自身を心配して守ろうとしてくれているのかもしれないという淡い期待。
ともあれ、わたしは実感していた。
愚かにもわたしは、歌鳥の血を一滴も引いていないようなこのヨダカという女主人に惚れてしまっているのだと。