6.女主人
女主人の手がわたしを再び撫でつける。
獣を懐かせるような仕草だけれど、それでもわたしは確かに心地よさを感じていた。それがたとえ歌鳥の能力狙いであったとしても、心地よいことには変わりなかった。
「私の一族はね、人間の世界で権力を約束されてはいるけれど、それは決して絶対的なものではないの」
沁み渡るような声と共に女主人はわたしを撫で続けた。
「特に遠き地を治めている兄様の事が心配で堪らない。あの場所は前々から波乱が起こりやすくて、度々、兄様は危険な目に遭ってこられたわ」
母親が幼子に話を聞かせるように、女主人は私に語る。
「兄様は私よりもとても立派な人。きっと彼なら上手くやっていけるでしょう。けれど、兄様でさえ、権力を保つのはとても難しい事だもの。私にはもっと難しいわ。いつ失脚して刃に血を吸われるかわからない。それが怖いから、歌鳥が欲しかったのよ」
確かな権力の為。保身の為。
それはきっと歌鳥を求める多くの者が求めていることだろう。
ああ、分かっていた。この女性が求めているのがわたしではなくて、わたしの能力なのだということはよく分かっていた。だからこそわたしは、こんな状況下にあっても誓うことを拒否して、まずは理由を訊ねたのだ。
でも、実際に言われてみれば、心が痛んだ。
彼女の目的がわたしの能力に過ぎないという事実が、何故だか辛かった。
「――そう」
わたしはどうにか相槌を打ち、女主人の顔を見つめた。
誓わなくとも叶えられるかもしれない。
その効力はずっと弱いものだ。もしかしたら歌鳥の力は、誓った相手でないと、真の力は発揮されないのかもしれない。それでも、わたしが歌うのと歌わないのとでは、随分と変わってくるはずだった。
女主人に見つめられながら、わたしは告げた。
「あなたの権力が衰えぬことを願う唄を歌ってあげると約束する。その代わり、ここから出して。逃げたりなんかしないから、せめて檻から出してほしいの」
切実な願いだった。この状況で嘘なんて絶対に吐かない。
誓う事は出来ずとも、この場に留まる事は約束できる。この女主人が約束を守ってくれるというのならば、わたしだって口約束を守るつもりだ。
そんなわたしの目を見つめながら、女主人は口を開いた。
「そうね。いつまでも此処に閉じ込めるつもりはないわ」
優しげにそう言って、彼女は檻越しにわたしの額へと口づけをした。
「あなたが逃げないと言ってくれるのなら、別に誓わなくたっていい。私の傍にいてくれる? 私の傍で、私の為に歌ってくれると約束するなら、ここから出してあげる」
「ここから出してくれるなら、あなたに力を貸すわ」
そう言うと、女主人の目が怪しげに光った。
その表情の変化にわたしは怖気づいてしまった。
「――勿論、あなたが私の為に歌ってくれるのが先よ」
女主人はぴしゃりと言い放つ。
わたしが女主人を信用出来ずに誓えなかったのと同様、彼女だってわたしの心を何の根拠もなく信用するつもりはないだろう。もしもそうでなかったならば、わたしをこんな檻の中に閉じ込めたりしなかったはずだ。
見つめてくる表情だけは鋭く、その手は今も優しげにわたしを包みこんでいる。
激しい波のような感触を全身で味わいながら、わたしはただ彼女の強い覇気に中てられてしまっていた。
「あなたがいつ逃げ出して、私と敵対するような人達に捕まるか分かったものじゃないもの。乱暴な人に強制的に誓わされたりでもしたら、あなたは嫌でも私の敵にまわり、私の破滅に加担する事になるでしょうね」
「そんな事にはならないように気をつけるわ。だから――」
必死に訴えるわたしの唇に、女主人はそっと人差し指を当てた。
「カナリア。あなたが本当に私のものになってくれるのなら、まずは歌いなさい。誓いの唄じゃなくてもいい。あなたの言った私の権力を衰えさせぬ唄をくれたら、ここから出してあげるわ」
指が離れ、唇が解放される。
わたしは切実な思いで女主人に縋った。
「本当に? あなたの権力を守れば、本当に、ここから出してくれるの? わたしの自由を約束してくれるの?」
「本当よ。幾ら歌鳥相手でも私は約束を破ったりはしない。唄をくれたら、すぐにでも僕妾に命じてあなたを持て成してあげる。その代わり――」
女主人が一息吐いて、わたしの胸元をそっと押した。
「その時は、昨日言ったような個室を与える事は出来ないわ。誓ってくれるわけじゃないのなら、あなたは夜の間、私の部屋にある小さな鳥かごに入れられる事になる。昼間もずっと私と一緒に居る事になる。それでもいいのなら、誓わなくてもいい」
確かにそれは自由ではないかもしれない。
それでも、今よりはずっとマシだ。こんな冷たい石壁に囲まれ、冷たい檻に閉じ込められ、一人ぼっちにされるよりもずっといい。
「いいわ。それで十分よ」
ここから出して貰えるかもしれない。
その思いがまた涙へと変わる。けれど、さっきまで流していたような絶望的な涙ではない。少しだけマシになるという状況が、本当に有難かった。
そして、冷えたわたしの身体を温めるように、女主人は微笑んだ。
「そう。じゃあ、私の為に歌って」
その言葉に抗う理由なんてどこにもなかった。