7.約束の唄
わたし達を包む牢獄の空気はとても冷たく、檻の向こうで揺らいでいる炎の精霊の灯りも虚しいだけだった。
何処からともなくライチョウの鋭い視線が向いているような気がしたけれど、暗くて階段の向こうは良く見えないし、見ようとも思えなかった。
わたしの目に映るのはヨダカだけ。
立ち上がり、座ったままのわたしを見下ろすかつての女主人だけだ。
差し出された手を掴みながら、暗がりでも感じられる夜色の眼差しを堪能した。彼女の目に浮かぶのは、これから先に待っている未来への悲観ではなく、飽く迄も今のわたしへの慈悲と、慈愛のようなもの。
わたしを獣と位置付け、正しく愛せないと言った彼女は何故か、わたしにとっても心地いいような視線を送ってきた。
この選択は間違っているだろうか。
不安がふと頭を過ぎったけれど、すぐに消えていった。
――いつか誓わせてみせる。
あの言葉を口にした時、ヨダカはきっとこんな未来を想像すらしていなかっただろう。
随分と遠回りになってしまったものだ。
世の中が変わらず、昔も今もこれからもずっとヨダカの権力が確かなものであったならば、ヨダカはわたしの想いにも気付かずに、疑うことなくわたしの申し出を受け止め、誓わせていたかもしれない。
いや、そもそもわたしの方が契りを結ぶなんて思わなかったかもしれない。
世の中が変わったからこそ、彼女を守りたい一心でこれまでの価値観は燃えかすとなり、本心だけが残ってしまったのだから。
カケスとヨダカの確かな愛を身近で感じながら、さり気なく平和な苦しみに身悶えしながら、いつまでも自分の境遇を呪いつつ、それでも、ヨダカの傍に居られる状況を喜んでいたかもしれない。
そんな未来と今、どっちがよかっただろう。
――比べたって仕方がない。
想像だけで語られる可能性なんて、どんなに足掻いても手に入らないものなのだから。
「カナリア……」
歌い出す前に、わたしの手からヨダカの手がするりと抜けた。その美しい手が向かうのは、わたしの頬。じっと見つめ、わたしの目から何らかの心を確認している。そんな様子に思えた。
やがて、満足したように微笑むと、ヨダカは再び頬から手を離し、もう一度わたしの手を掴んだ。
「いいのね、カナリア」
声を低めてヨダカは言った。
「これでもうあなたには本当の意味で自由がなくなるのよ。自由に飛びたてる大空はきっとあの女の傍で広がっている。私の傍は何処を見ても鉄の柵で囲まれた鳥かごばかり。それでも、いいのね?」
恐れつつ問いかけてくるヨダカに、わたしはしっかりと頷いた。
微笑みは自然と浮かんだ。夜色の目にこうして見つめられていると、それだけでも嬉しいくらいだった。
迷いを捨てたあの日から、わたしの心の大半はこの人に捧げてしまった。
その心が消えぬうちに、わたしは彼女に言葉で答えた。
「その方がわたしは幸せです」
この先、わたし達を待っているのは茨ばかりだろう。
ともすれば、ヨダカと共に吊るされる未来が待っているかもしれないし、そうでなくとも、今まであった華やかな世界は二度と戻ってはこないだろう。
それでも、わたしが選択するのはこっちだ。
心が満たされるのは、こちらの方だ。
「ヨダカ――」
これで最後だ。
その確認を、わたしはヨダカに向けた。
「あなたも後悔はない? わたしがあなたに付けば、ライチョウはきっとあなたを此処にずっと閉じ込めるかもしれないのだけれど……」
けれど、ヨダカは弱々しく微笑み、わたしの額をそっと撫でた。
「そのくらい、どうってことはないわ。あの女の義妹になって外に出るよりも、この方がずっといい。ずっと一緒に居てくれる?」
それは、もう随分と前に投げかけられた質問そのものだった。
ヨダカの手をしっかりと握り、その顔を見上げていると、これまで起こったあらゆる出来事の記憶が渦を巻いた。
あの時は誓いたくなかったからそう言ったのだ。
契らずとも傍を離れないという口約束として、ヨダカは問い、わたしは答えた。
今回は何もかもが全く違う。事情も違えば、わたしやヨダカの抱いている感情の何もかもが違うだろう。
ヨダカの手の温もりを感じながら、同時にこれが現である事を確認する。
親元で暮らしていた子供の頃からずっと、わたしはずっと自分がこの唄を誰かに捧げる日の事を想像し、夢見てきた。
あの頃の自分は、今のわたしをどう見ているだろう。
物影から強者に睨まれながら、一生この場所に閉じ込められるという選択を自らしようとしているわたしは、きっと驚くほど愚かで惨めな姿に見えることだろう。
幼いわたしは信じていた。
大人になった後、同じ歌鳥を相手に、歌鳥として当り前の家庭を築くことだけが幸せなのだと信じていた。
それ以外は全て偽りであるのだと心の何処かで想っていた。
けれど、違ったのだ。
この先、わたしがもしヨダカと共に死ぬ事になったとしても、今日の日の事は決して後悔しない。この先、誓いの唄の影響で心が歪んでしまったとしても、それだけは契る前からのわたしの本心であったと覚えていたい。
ヨダカは見捨てたりしないだろう。
最期までわたしの傍に居てくれるだろう。
そう信じて疑わず、わたしは高まる鼓動をそっと抑えこんだ。
「勿論よ、ヨダカ」
わたしの答えにヨダカの身体から緊張が抜ける。
今はすっかり力を失ってしまったかつての女主人。生きながらえるとしても、もはや傀儡になるしかない哀れな女。
この先、何があったとしても、決して後悔はしない。
引き離されるようなことがあったとしても、誓いの唄はわたし達を結ぶ鎖となるだろう。
わたしは大丈夫。
たとえこれが相思相愛の真実の愛ではなかったとしても、正しい形ではないのだとしても、この力が大切な人の命を守るのなら、それだけで十分なほど幸せなのだから。
そんな嘘偽りのない気持ちを抱きながら、わたしはその唄を歌った。
一生に一度きりの誓いを込めて。