2.裁きの時
それから更に数日後、とうとうその時は来た。
ウグイスの表情だけでわたしは覚悟を決めていた。だが、彼は何か言う前に鳥かごの扉に手をかけ、迷いなくわたしを解放した。
急な自由に惚けつつも、だが、ウグイスの優れない表情に再びわたしは不安を抱き直す。
そんなわたしにウグイスは言った。
「ライチョウ様が呼んでる」
手を伸ばし、わたしの手首を戸惑いなく掴む。温かなじわりとした感触は、カケスの死んだ夜に感じたものとあまり変わらない。
「大切な話があるって。僕と一緒に来て」
断るような理由もなかったし、そんな立場ではなかった。
美しい女主人の場所だったこの屋敷を力で支配した革命家。そんな女がわたし等に何の用があると言うのだろう。
嫌な予感しかしなかった。
ウグイスに告げた事は間違いなくライチョウの耳にだって入っているだろう。ウグイスは確かにわたしと同じ血を引く同胞だけれど、そこから生じる親近感とは比べ物にならないくらいの絆が、すでにウグイスとライチョウの間には築かれているのだ。
主人が求めるのならば、わたしの立場なんて深く考えずに得ている情報を提供してしまうことだろう。たとえ世界の殆どの人に恨まれたとしても、たった一人の主人が愛してくれるのならば構わないのが歌鳥というものなのだ。
今はまだその気持ちが理解出来ないけれど、きっとわたしも誰かに誓いを捧げればそうなるのだろう。
――ライチョウはそれをどのくらい分かっているのだろう。
ウグイスに手を引かれ、住み慣れたはずの屋敷の廊下を歩きながら、わたしは様々な思いを巡らせていた。
どうしてウグイスはあの女に誓いを捧げたのか。
知りたいところだけれど、自分の意志を曲げるほどではない。けれど、この先が不安で仕方なかった。ともすれば、その頑なな意志を変えてしまいたくなるほどの事がこの先に待っているのではと思えたからだ。
そして、ウグイスの足は止まった。
その場所は、ヨダカとわたしが度々唄に酔いしれた、思い出の詰まったあの個室だった。
「僕です。ウグイスです」
扉に向かってウグイスが言うと、中から入るように返答があった。
重たい扉を開けるや否や、わたしは心が抉られるような想いを抱く羽目になった。ここに来るのはいつだって、ヨダカを守るべく唄を捧げる為であった。
ヨダカは椅子に座り、わたしは立って唄を歌う。
彼女が座る椅子はいつだって同じ。時が経つにつれてヨダカへの想いが溢れるほどに膨らんでいくと、その椅子すらも愛おしいほどになっていた。
そんな椅子に、彼女は座っていたのだ。
忘れもしないあの松明の夜に、わたしの目の前でカケスの命を奪ったあの女ライチョウが座っていたのだ。
「御苦労だった」
扉を固く締めるウグイスに向かって、ライチョウは言った。
長い髪は束ねず、下ろしたまま。その姿を見るのは本当に久しぶりだ。捕まってからずっと、わたしが目にしてきたのも、会話を交わせたのもの、ウグイスだけだった。
久しぶりに見るライチョウの姿は何処か疲労した様子で、記憶にあるよりも痩せて見えた。けれど、目だけはぎらぎらと輝いており、飢えた狼のように世界の全てを見つめているようにさえ思える。
そんな彼女はわたしの姿をじっと見つめ、そして考え込むように溜め息を吐いた。
「カナリア、というんだったな」
渋みのある声で彼女は言った。
カケスを殺した時よりもだいぶ落ち着いており、冷静にも思える。愛用の刃を杖のように持ち、床を容赦なく突き刺してはいるが、その矛先をわたしに向けるようなことは、少なくとも今は考えていないらしい。
わたしは静かにライチョウに向かって頭を下げて見せた。
そこに敬意なんて含まれていない。
「ウグイスから常々話は聞いている。君はどうやら気高くてあまりにも若い歌鳥であるらしい。だが、もっと自分の為になる道を考えるべきだろう。時代をよく見つめ、賢い生き方を見つけ出すことが出来ないほど歌鳥は愚かではないはずだ」
ぎらぎらとした目で見つめられている感触が怖い。
けれど、その怖さに屈するのは嫌だった。
「あなたに――」
声を絞り出すような思いで、わたしは言った。
「あなたにわたしの何が分かるって言うの?」
ヨダカから全てを奪おうとしている革命家。
この世界を変えたいほどに苦しんでいたという人々が目の前の女を何と評価するのかなんて、わたしにはどうでもいい事だ。
わたしから全てを奪っている不届き者。
それだけがわたしの抱くこの女の評価なのだから。
「分かるか分からないかは、どうだっていい」
ライチョウはその一言でわたしの声を斬りつけた。
「問題は君が確かに歌鳥の血を引いており、まだ誰とも契っていないという事だけだ。カナリア、ひょっとすれば脅威となるかもしれない君を野放しにすることは出来ないのだよ」
どういうことか、わたしにも分かる。
残されている道はどれも暗いものに思えた。
「ウグイスに――」
口籠ったままのわたしに向かって、ライチョウは言った。
「ちょうど、ウグイスに相応しい相手を探していた。歌鳥の血を残すということは人間にとっても有益な事。このまま沈みゆく世界に残るよりも、新しい世界に羽ばたいて多くの人々から称賛される生き方をしろ。それが君の為でもある」
押し付けるような言葉。強い自信と力を伴ってこその言葉なのだろう。
ライチョウの強い眼差しを受け続けていると、狂ってしまいそうだった。それは、ヨダカに捕まった時に抱いたものにも似ていた。
歌鳥というものは弱いのかもしれない。絶対的強さを前にすると、簡単に屈服してしまいたくなるのかもしれない。強い者に従う事こそ、弱い者が殺伐とした世界で生き残る為の大きな手段であるのだから。
でも、わたしは――。
「そんなの嫌」
思っていたよりもしっかりと、その言葉は口から出ていった。
「そんなの、絶対に嫌」
ヨダカを見捨てて生きて行くなんて、どうして出来るのだろう。
様々な感情と予感、怒りと震えに不安と憔悴が混じり合い、身が引き裂かれるように痛く、苦しく、そして凍えてしまいそうなくらい寒かった。
俯くようにして必死に自分の身体を抱え込み、我が物顔で椅子に座っているライチョウの視線を避けた。そんなわたしを見つめ、ライチョウは怒るわけでもなく、ただ深い息を吐いたのみだった。
「カナリア」
ヨダカに貰ったその名前を渋い声で呟くと、ライチョウはこう続けた。
「君の大好きな女主人――ヨダカの話をしようか」
鞭で打ってくるような言葉にわたしは耐えるしかなかった。




