3.攻防
冷たい牢獄の中、壁に寄りかかって毛布にくるまったまま、わたしは怯えていた。
この屋敷の女主人は古ぼけた椅子に座り、檻越しにわたしを見つめたまま人形のように静止している。
美しい見かけだが、その内面が滲みでているのが良く分かる。
そのくらい、わたしを見つめる目に冷たさばかりが宿っている気がするのは、きっとわたしが自由を奪われているからだろう。
長い沈黙の後、女主人がふと口を開いた。
「この屋敷に相応しい守護を約束するわ」
甘い言葉で惑わしたのは、出会った時も同じ。
「私に忠誠を誓うなら、あなたの身分はこの屋敷の僕や妾よりも高くなる。毎日一度だけ私と私の一族の為に唄を歌ってくれればいいの。それだけで、あなたを大切に出来ると私も誓ってあげる」
ああ、そんな誓いが何の役に立つだろう。
わたし達とは違って、人間の誓いなんて簡単に破られてしまうのに。
「誓ってくれれば簡単よ。あの庭園で自由に遊んでもいい。あなたが望むのなら、あなたに相応しいフィアンセも探してあげる。生まれた子の未来だって約束するわ」
「――他人に決められる人生なんていや」
毛布を握りしめてわたしは必死に抗った。
これまで自分の事は自分で決めてきた。生きるか死ぬかも自己責任だったけれど、自由はわたしにとって唄の次くらいに有難いもので、大切なものに違いなかった。
幾ら美しくて、わたしの心を奪ってしまったと言っても、その自由までも残酷に奪ってしまうような人の言う事なんて信じられなかった。
わたしは、わたしを人間として認めてくれる人と契りを結びたい。
それは、子供の頃から当り前に抱いてきた未来であって、最低限の希望でもあった。だから、こんな状況に立たされるなんて思いもしなかった。
――どうしたらいい。どうしたら。
「頑固な子ね。今はまだそう寒くないからいいけれど、冬がきたら大変よ。この牢獄はとても冷えるの。誓いの唄を歌ってくれたら、あなたをすぐにでも温かい暖炉の前に連れて行ってあげられるのに」
まるでわたしの方が間違っているかのように、名乗りさえしない女主人は言った。
温かな部屋。自由な庭園。高い身分。約束された未来。
この権力のある女がわたしに与えられるものを並べたらきりがないだろう。歌鳥を捕える許可を正式に得ているのであるならば、身分と財産の存在が不可欠なのだから。
本格化する冬を考えたら、その誘いは確かに魅力的にも思えた。
それでも――。
「――いらない」
わたしは全力でその誘いを拒否した。
理由は簡単だ。わたしは歌鳥であるけれど、この女主人は歌鳥ではないというだけ。
もしも彼女の気が変わったら、口約束なんてあっさりと無効にされてしまいかねないのだ。わたしだけがこの女に誓って、この女がわたしを見捨てたら、どうなってしまうというのだろう。想像するだけで恐ろしかった。
そんな恐ろしさに永遠に縛られるくらいなら、この場で凍え死んでしまった方がマシだ。
そんな思いがわたしに抵抗の勇気を与えた。
「わたしは……同じ歌鳥にしか誓いたくないの……」
震えた声をどうにか抑えてわたしは女主人に抗った。
そんなわたしを見つめ、女主人は呆れたように溜め息をついた。
「本当に面倒臭い子ね。捕まえたのが私で感謝してもらいたいくらいなのに」
そう言ってゆっくりと立ち上がり、優雅な仕草で檻に近づく。
「いいこと、カナリア。世の中には捕まえた歌鳥に不必要な暴力を振るう者もいるのよ。男であれ、女であれ、そういった奴らはいるの。彼らは捕まえた歌鳥を力で屈服させ、傷と痛みに怯えさせて誓いの唄を歌わせる。そんな人に誓ってしまった歌鳥の未来があなたには想像出来る?」
女主人の問いかけを、わたしは必死に拒絶した。
そんな事、考えたってきりがない。彼女がそういう人間ではなかったからと言って、わたしが安心して誓う事が出来るとでも思っているのだろうか。
薄情かもしれないし、冷たいかもしれないけれど、そんな不幸な歌鳥のことなんて、わたしには無関係だ。わたしが自由と尊厳を諦める理由になんてならない。
それでも、女主人は容赦しない。
「カナリア。あなたはまだ若いから知らないのよね。親元を離れた歌鳥の娘の半数以上は、三年以内に人間の血を引く子を産む羽目になっているの。もちろん、彼女達がその子を宿す事を望んでいたとは限らない」
「止めて――」
掠れた声で押し返そうにも、女主人は語るのを止めたりしなかった。
「あなたも同じ。もし、私が保護してあげなかったら、歌鳥ではない誰かの子を産む羽目になっていたかもしれないのよ」
聞きたくない。
惑わされるだけだ。
「それに、あなたは知らないのよね。人間の中には若い歌鳥を散々弄んだ挙句、鶏かなにかのように殺して食べてしまうような者もいるの。唄を歌わせるよりももっと手っ取り早くその力を自分のものに出来るから、そういう人達は心を捨てて蛮行に走るのよ」
吐き気がしてきた。
本当に此処はわたしが昨日まで見てきた世の中と同じものなのだろうか。
「勿論、私はそんな野蛮人じゃない。歌鳥を正しく愛でて、一生可愛がってあげる。カナリア。あなたの首にかけたそのペンダントは、私からの誓いの品よ」
薄暗い石壁の世界を照らす灯りを受けて、ペンダントがきらりと輝く。
――こんなものいらない。
自由を奪われるくらいなら、今すぐに千切って捨ててしまいたいくらいだ。けれど、わたしはそんな大胆な行動に出る事すら出来なかった。
覇気のある女主人の視線を受けながら、ただ檻の中で震えていることしか出来ない。
そんなわたしをしばし見つめると、女主人はまたしても大きく溜め息を吐いた。
「仕方ないわね。一日、二日じゃ説得できないだろうとは思っているわ」
そう告げて、彼女は背を向けた。
わたしは慌てて這いずり、柵へと身を乗り出した。
「待って、行かないで! わたしの話を聞いて――」
置いて行かれる。この冷たい空間に一人残される。
それはとても恐ろしい事で、耐えがたい寂しさでもあった。
必死なわたしをちらりと振り返り、女主人は小さく呟いた。
「ゆっくり考えなさい」
それっきり彼女は口を噤み、何の名残も惜しまずに去っていってしまった。