1.戦火
それから数日間。
ウグイスはわたしをそっとしておいてくれるようになった。わたしからの問いかけのみを受け取る姿勢を取り、答えられる事ならば何でも答えてくれた。
ヨダカについてはどうしているかという具体的な答えはくれなかったけれど、生死だけは毎日教えてくれる。
わたしの方は訊ねる度に緊張に身を縮ませていた。
そして、ヨダカが生きている事を知る度に、ほっと胸をなでおろした。けれど、すぐに違う不安が浮かび上がる。彼女はどんな目に遭っているのだろう。酷い事をされているのではないだろうかと。
けれど、ウグイスはそこまで教えてくれない。
わたしを不安にさせるためというわけではない。ウグイスだってライチョウに仕えているわけで、彼女の意に沿わない事をするなんて不可能なのだ。
それが主人を持った歌鳥というもの。
「――外ではもう殆どの屋敷が革命家たちに占拠されているよ」
ある昼下がり――青空の中にじわりと寒気を含んだ灰色が滲んでいる光景が窓より確認出来る時刻に、ウグイスは再びわたしの質問に答えた。
屋敷の外はどうなっているのか、という問いかけだった。その質問に関しては、ウグイスを縛る約束なんて何もないらしい。
「新しい時代は進んでいる。もう後戻りは出来ないほどだ。逃げ出した権力者達がどう動くかは分からないけれど、革命家の多くも僕達のような歌鳥を抱えているものだから、簡単には勝敗もつかないだろうね」
「これ以上の戦火が生まれるっていうの?」
不安げに問いかけるわたしを見て、ウグイスはやや暗い表情を浮かべた。
彼だって本当は嫌なのだ。血を好み、暴力を肯定するような歌鳥はいないと言われている。唄の力が暴力を生むとしたら、それは力を利用した人間のせいだ。けれど、その暴力に曝された者は、力の源である歌鳥もまた深く憎むだろう。
ウグイスだってそうかもしれない。
これまで散々、不本意な憎しみに耐えてきたかもしれない。
すべてライチョウがやったことだけれど、わたしだってカケスが死に、ヨダカが囚われたあの夜、彼女に力を与え、暴力を生みだしたウグイスを酷く恨んだ。
「どうして――」
わたしは嘆いた。
「どうして、歌鳥の力を悪用するの。どうして、度を超えてしまうの。こんな事、歌鳥なら誰も望んでいないはずなのに……」
「それが人間だから、さ」
軽蔑するわけでもなく、ただの事実としてウグイスはそう言った。
「未だに抵抗して、革命家ともめている屋敷もあるけれど、そこだって歌鳥を抱えている場所だ。更には歌鳥の犠牲者も出ている。相手を陥れるにはその方がいいからね。革命家の一部が唄の力を与えている源を攫い、食べているという噂もある」
ぞっとする話だ。
人間と同じ外見であるわたし達なのに、どうしてそんな恐ろしい事が出来るのだろう。
そういえばヨダカが以前言っていた。歌鳥を騙して心を捕えた後、鶏か何かのように絞めて捌いて食べてしまう野蛮人がいるのだと。
吐き気が込み上げ、わたしは必死に口元を押さえた。そんなわたしを見て、ウグイスは慌てたようにわたしの表情を窺った。
「御免、カナリア。怖い話を聞かせちゃったね」
無邪気なその断りに、わたしは頭を左右に振った。
「いいの。わたしが聞いた事だから……」
そうして、じっとウグイスを見た。
革命家同士で揉め事がないわけでもないらしい。この先の時代、崩れる事の無かった均衡は消え去り、新しくそれが生まれるまでには多くの血が流れるかもしれないらしい。
ライチョウの事を陥れようとする者は当然いるわけで、そのライチョウに力を与えているウグイスは、きっとこれまでも、これからも、命を狙われ続けるのだろう。
そんなウグイスの姿を見ていると、悲しくなってきた。
何故なら彼――ウグイスは、至って普通の、むしろ、子供っぽい外見をした可愛らしい青年に過ぎないのだから。
「ウグイス、あなたは怖くないの?」
正直に訊ねてみると、ウグイスは苦く笑う。
「怖くない、ってわけはないよ。僕だって歌鳥だもの。平穏な方が好きだし、血を見るのも悲鳴を聞くのも大嫌いだ。けれど、僕はライチョウ様を信じている。彼女は他の革命家と違うんだ。それに、歌鳥の僕を傷つけたりしないし、守ってくれる」
心から信頼しているのか、それとも誓いの唄に縛られているだけなのか、わたしには判断もつかなかった。
これが誰かに誓うと言う事なのだ。わたしにはまだその気持ちが正しく理解出来ていないけれど、恐らくわたしもヨダカに誓えば、このように盲目的にヨダカを信じる事になるのだろう。
それは恐ろしい事かもしれない。
ライチョウを信じるウグイスの姿は危なっかしくて見ていられない。
けれど、そうあっても、わたしはヨダカに今すぐ会いたかった。説得して、服従させてもらいたかった。
「――カナリア」
名を呼ばれ、今一度ウグイスを見つめると、その寂しげな眼差しにまともにぶつかった。
「君はどうしても僕の仲間にはなれないの?」
責めるわけでもなく、まるで遊び相手が残念がっているだけのようなその姿を見ていると、妙に心が痛んだ。
まるでわたしの方が彼を傷つけているみたいだ。
わたしは両耳を手で覆い、重たい頭を支えた。そうしていないと、わたしの信じる決意の何もかもが崩されてしまいそうだった。
「――カケスを殺した人なんて嫌」
あの夜からずっと変わらない想いを言葉にして、わたしはウグイスに言った。
「ヨダカを捕えた人なんて嫌」
それは自分への暗示でもあった。