6.ウグイス
暗闇の中、わたしはヨダカの部屋を感じた。
さほど荒らされてもいないこの部屋は、見た目こそ以前と変わらぬままだろう。けれど、肌を指す様な空気は、とても前のモノと同じとは言えないものだった。
あの壁の向こう、廊下の先。
かつて気品ある平穏を保っていた世界を踏み荒らしている者たちがいる。
ヨダカを捕え、カケスを殺し、革命の名の下に、いつの間にかわたし自身の一部にすらなっていた世界を壊した輩がいる。
そう思うだけで怒りは深まり、どうにかなってしまいそうだった。
歌鳥の唄に人を呪うものなんてない。あるのは誰かを守ったり癒したり奮い立たせたりするためのものばかりだ。
そもそも、わたし達にこういう世界は似合わない。
ウグイスだって同じのはずだ。契っているせいで忘れてしまっているのかもしれないけれど、血を見るのは嫌だし、平穏が崩されるのも嫌なはずなのだ。
そうじゃなければ歌鳥じゃない。
けれど、今だけは。今だけは、わたしの歌鳥としての自覚も大きく揺らいでいた。
憎い。すべてが憎い。わたしから平穏を奪っていった全てが憎い。そして辛い。ヨダカとカケスの関係くらいで思い悩んでいた過去が懐かし過ぎて辛い。
ああ、ヨダカ。あなたは今どうしているのだろう。
松明の者達に酷い事をされていないだろうか。革命の灯に容赦なく身を焼かれたりはしていないだろうか。
彼女の心配をするだけで身が引き裂かれそうになる。
ヨダカは何処かに囚われたまま。
革命家たちは何を話しあっているのだろう。彼女に対してどんな恐ろしい事をするつもりなのだろう。
考えれば考えるほど眠ることが出来ず、鳥かごから出られない鬱憤を溜めこんだまま、わたしは現実を憎んでいた。
翌日の朝、ウグイスが朝食を持って現れるまでに、わたしは一体どのくらい涙を流しただろう。涙なんて情けないだけだ。どんなに流したところで何の役にも立たない。むしろ、流せば流すほど虚しい思いは増長していく。
ウグイスがパンを差し出してきた時も、わたしはその顔を見ることもなく距離を取った。
「――食べなよ」
鳥かごの中にそっと置き、彼はわたしを窺う。
「どんなに泣いたって、現実は変わらないんだよ?」
囁くような、さほど大きくもない声で、躊躇いなくわたしの心を刺してくる。
「ねえ、カナリア」
「放っておいてよ」
――分かっている。
どんなに恨んだところで、どんなに憎んだところで、カケスの命も戻って来なければ、わたし達の日常もまた帰って来ない。
時代の勝者がライチョウである事には変わりないし、彼女がそう決めたのならば、ヨダカはきっと兄の後を追う羽目になるのだろう。そのような未来を予見していたからこそ、ヨダカはわたしの誓いを拒んだのだ。
カケスが死んだ事はそろそろ耳に入っているのだろうか。
どうだとすればヨダカは、きっと後を追う事だけを考えていることだろう。慕っていた兄や、愛していた妾がいるのならば、黄泉の国に送られる事なんて怖くもないのだろう。
わたしはどうだろう。どうしたいのだろう。
「カナリア、僕からの助言を聞いてくれない?」
わたしの態度にも怖気づかずに、ウグイスはそう言った。
頭を振るわたしにも構わず、彼は口を閉じない。
「嫌でも言わせてもらうよ」
図々しい青年だ。こういう人は嫌い。放っておいてと言ったら、放っておいてくれるような男が好きだし、わたしもそうする。
でも彼は違うらしい。
「カナリア、まだ誰とも契っていない君を狙う人は沢山いる」
覗きこんで来る眼差しが嫌だった。
閉じることも出来ない両耳からずかずかと入りこんで来る、まるで無邪気な少年のような声が嫌いだった。
「この世界は歌鳥にとって恐ろしいものだよね。僕も野を生きる両親から生まれてきたから、それを実感してきたんだ。君だってそうでしょう?」
その眼差しに、わたしは答えない。
「歌鳥の血を引かない者たちの多くが、まだ誰とも契っていない僕を狙ってきた。暴力で僕を虐げようとする者も沢山いた」
ヨダカが言っていた事だろう。
彼は男性だけれど、わたしのように女性の歌鳥に生まれた者の中には混血の子を生みだしてしまう者がいるのだとも言っていた。
「僕達は爪も牙も持たない。唄の力で身を守るくらいじゃ危なっかしい。そうじゃなくて、僕達に必要な事は、知恵をつけることなんだよ」
「何が言いたいの……」
鳥かごの柵に身を寄せて、やっとわたしはウグイスの姿をしっかりと見つめた。
彼の方はわたしを真っ直ぐ見つめたままだ。
その姿はここに閉じ込めた時と変わらない。契っているが為に自由にしてもらっているだけのくせに、それを勘違いしている哀れで純粋な歌鳥の青年の姿だ。
ライチョウなどと契っていなければ、同じ歌鳥として仲良くもなれたかもしれないのに。
そんな思いを密かに抱えているわたしの名を、ウグイスは呼んだ。
「カナリア」
とても不思議な事に、そしてとても残酷な事に、その呼び声だけで、彼が何を言おうとしていたか想像が出来てしまった。
「君もライチョウ様と契るんだ、カナリア」
聞きたくもない提案に、不快な気持ちが溢れだしていく。