1.すれ違い
わたしの心は固いものだった。
カケスとヨダカの仲を羨んでいる場合ではない。このまま悪い空気が流れ続けるのならば、事が起きる前に行動を移さなければ。
けれど、どういうわけか、ヨダカは以前のように堂々とわたしに接してくれなくなってしまった。それだけ、兄の死が圧し掛かっているのだろうか。それとも、喪に服していた為だろうか。
やっとヨダカと話せたのは、ヨダカの兄の訃報が出回って五日後の事だった。
わたしはずっとヨダカの部屋の片隅に閉じ込められていたというのに、ヨダカの姿をまじまじと見るのは本当に久しぶりに思えた。
「カナリア。ちゃんと考えた?」
優しく問いかけてくるヨダカの姿はまるで幽霊のように掴みにくい印象を宿していた。とても危なっかしい。それは、ヨダカに囚われてやっと檻を出して貰った時に抱いたのと同じものだ。
わたしの気持ちなんて決まっていた。
もう迷いもないのだ。これまでの虚しいプライドが守られてきたのだって、ヨダカの地位が絶対のもので、平穏な歌鳥には想像出来ないほどの血生臭い空気のほぼ全てが社会の影に引っ込んでしまっていたからだ。
でも、今は違う。
わたしは知ってしまった。
じっと女主人の目を見つめ、わたしは頷いた。
「わたしは――」
夜色の目に見つめられながら言い淀む。仄かに生まれる緊張を噛みしめ、わたしは勇気を振り絞って、眼差しと手招きだけで心を奪ってしまった人間の女を見上げる。
美しい彼女の未来を想像するだけで泣きそうだった。
「わたしはあなたの傍を離れたくない」
手を伸ばし、懇願の想いを込めて告げたのだ。
「だから、あなたに誓いの唄を捧げます。どうか、わたしの手を取って、唄を受け止めてください……」
純粋な屈服。
これまでずっとヨダカが欲しがっていたものだ。誓ったならば、ヨダカはこれまでよりもずっと確かな力に守られる。そして、わたしを失うという心配も亡くし、心から安心して過ごす事が出来るだろう。
落ちぶれかけた彼女を守る決心はついている。
歌鳥としての幸せはそこにはもう無いかもしれない。叶わぬも衰えぬ永遠の片思いと共に甘いような苦いような夢心地の一生を過ごす事になるだろう。
でも、それでもよかった。
ヨダカを好きなのは変わらない。たとえ彼女がわたしを獣としてしか見られないのだとしても、傍を離れてヨダカを見捨てるくらいならば、共にいて平穏な歌鳥の世界へと導く方がずっと幸せだ。
だから、無理なんかしていないし、偽りでもない。
しかし、現実はわたしが思っていたよりも複雑なものだった。ヨダカはわたしの手を取ってくれず、ただゆっくりと、力なく、首を横に振ったのだ。
――どうして。
「ありがとう、カナリア」
俯きつつ、ヨダカはそれ以上、わたしには近づいてくれない。
「でも、もういいの」
青ざめた顔は疲れのせいだろう。前よりも少し痩せた気がするのは、気のせいでもないだろう。そのくらいの心労に悩まされつつも、なお、ヨダカの美しさは衰えない。
一歩、二歩とわたしの鳥かごから距離を置き、彼女は呟くように言う。
「あなたは強者の下で過ごすべき子。力を失ってきている私に易々と誓ったりして、その貴重な血を絶やす様な真似をしてはいけないわ」
「――でも」
思わず喰い下がってしまった。
何を言っているのだろう。そんな場合じゃないのだ。いち早く唄の力で守らなければ、本当に取り返しのつかない事になってしまうかもしれないのに。
なのに、彼女は全てを諦めたような顔で言うのだ。
「私よりもずっと優秀な兄様が駄目だったのよ。私に生き残れるわけがない。そんな私は歌鳥を持つ資格なんてないの。私の傍に居たいのなら、この先もぎりぎりまで居てもいい。でも、いざとなったら逃げなさい」
そんなこと、出来るわけがない。
もはや自分がどんな表情をしているかなんて分からない。ただ、ヨダカは真っ直ぐわたしを見てくれなかった。そんなの、辛すぎる。もっと早く誓っていればよかったという事だろうか。そんな事言われても、酷過ぎる。
「いや。あなたに誓うって決めたの。お願い、ヨダカ……」
これ以上、失恋を味わわされるのは嫌だ。
そんな言葉が喉元まで込み上げた後、ゆっくりと腹の底へ戻っていった。
相手に受け入れる気が無いのならば、誓いの唄は歌えない。彼女がその気でないのならば、契りを結ぶ事なんて出来ない。
悲しいほど薄い女主人と主従という関係以上のものに、私達はなれない。
歌鳥の血を引かぬ者に初めて身を捧げてもいいとさえ思った。それまではそう思えなくて苦しかったのに、今では踏み込めなかった過去の自分さえ憎い。
「カナリア……」
弱々しい声でヨダカがわたしの名を呟く。
気付けばわたしの視界は大きく歪み、涙が全てを滲ませていた。伸ばす手はそのまま。でも、ヨダカはその手を握ってはくれない。
ただ済まなそうにわたしを見つめているだけ。
「私にはあなたを守れない。ごめんなさい、カナリア」
涙が流れていき、胸元のペンダントを銀色に輝かせている。
それまで数多に転がっていた未来への分岐の全てが、いつの間にか手が届かないくらい遠い昔へと消えてしまった事を実感させられたわたしは、ただただ後悔に慄くことしか出来なかった。
――それでも、それでも。
わたしの決意は揺らいだりしない。
誓わずとも、拒絶されようとも、この人を見捨てたりはしたくない。




