3.しがらみ
「あなたが誓ってくれさえすれば……」
ヨダカが突然そんな事を口走ったのは、それからさらに数日経った昼下がりのある日のことだった。
昼間、わたしは毎日ヨダカの為に唄を捧げる。
ヨダカの身を守るための唄は、毎日捧げなくては意味がない。子守唄のように、わたしは歌鳥としての力をヨダカに捧げなくてはならなかった。
勿論、こんなことは苦痛でもなんでもない。
むしろ、ヨダカの置かれている状況を目の当たりにすればするほど、もっと強い唄の力を捧げたくなってしまうくらいだ。
そのくらい、わたしはヨダカを心配していた。
わたしが唄を捧げるようになってから、ヨダカの周囲では不審な影もあまり見られなくなったそうだ。誇らしい事だ。歌鳥としてのわたしの力が正常に機能してのことだろう。けれど、それで不安が全て掃われるわけではない。ヨダカの相手となる者の中には、わたしのような歌鳥を囲っている者がいるかもしれないのだから。
そんな者にヨダカが危害を加えられたりしないか、わたしは心配だった。
だが、ヨダカはヨダカで違う心配事があるらしい。
歌い終えたばかりのわたしは、ヨダカの顔をじっと見つめ、ゆっくりと首を横に振った。誓いたいのは山々だという想いはそっと心にしまって、わたしはヨダカに答えた。
「あなたが歌鳥の血を引かない以上、それは出来ない」
きっぱりと断ると、ヨダカは苦笑した。
「そうね。あなたが私を信用出来ないのも仕方ないと思う。言葉で騙し、毒で眠らせ、檻に閉じ込め自由を奪ったような私を、信用出来るはずもないもの」
――違う。
単純に信用出来るか出来ないかの話ではないのだ。全てはヨダカが歌鳥でなかったせい。そして、歌鳥でない者を前にわたしが怖気づいているせいなのだ。
そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、わたしは口を噤んでいた。
「でもね、カナリア」
手を伸ばされて、わたしはそっと彼女に近寄った。触れられると、言葉にし難いほどの幸福感が生まれる。慰めるような、可愛がるような、そんなヨダカの感触が嬉しくて、自分の境遇なども全部どうでもよくなってしまうほどだった。
ヨダカはそんなわたしの耳元にそっと告げた。
「夜な夜な鳥かごで泣くあなたを感じると心が痛む。あなたを失う恐怖よりも、あなたを苦しませている罪悪感の方が勝ってしまいそうなくらい」
もちろん、ヨダカを困らせたいわけではない。
けれど、だからといって、全てを投げ出してヨダカの言う事を聞けるほど、わたしはまだ自分自身の未来を諦めているわけではないのだ。
そんなわたしの内面が分かっているのだろうか。
ヨダカは寂しげな笑みを浮かべ、控えめにわたしを抱きしめた。
「どうしたら、あなたに分かってもらえるのかしら」
返答も出来ぬまま、わたしはただヨダカの声を聞き続けていた。
「たとえ、私が歌鳥の血を引いていなくとも、あなたを見捨てる気なんて更々ないの。そうでなければ、あなたをこうして抱きしめたりしないわ」
その言葉に全てを委ねたいのは山々だ。
けれど、人間を信じて誓いの唄を捧げた結果、どれだけの歌鳥が悲劇的な末路を辿ったのかを考えれば、わたしは何も言えなくなる。
「力は御貸しします――」
弱々しくわたしはそう告げた。告げるしかなかった。
「でも、誓いの唄だけは、駄目なの……」
見つめてくるヨダカの視線を捉えきれず、わたしは俯いた。
あらゆる悪意に付けこまれ、揺るがされかねない地位を守るためだけに歌鳥のわたしを捕えた女主人。その強い眼差しが熱くて、傍に居るだけでも焼け焦げてしまいそうなくらいだった。
ヨダカはわたしを見つめたまま、溜め息を吐く。
「そう……」
短く言うと、あっさりとわたしの身体から離れていった。
視線が外れ、彼女は真っ直ぐ窓の外へと目を向ける。その眼差しが捕えている先は何があるのだろう。目に見えるものではなく、ずっと先の未来なのかもしれない。
そんな事を考えながらヨダカの美しい横顔を見つめていると、彼女はぽつりと言葉をもらした。
「でもいつか、あなたを誓ってみせるわ」
密やかな声ではあったけれど、わたしを怯えさせるには十分過ぎるほどだった。
窓の外を見るヨダカのその目。
宝石のように輝き、遠き未来を捉えて放さないかのようなその目の奥で、ごうごうと燃える炎のようなものが見えた気がした。
わたしに対する優しさも、労わりも、燃やし尽されはしないかと思うと、いますぐ逃げ出してしまいたいくらい怖かった。
でも、ヨダカはそのまま制止して、静かに時を過ごすだけだった。
わたしと視線を合わせる事もなく、黙ったままその頭で思考をまとめているらしい。だが、やがてまとまった思考がその麗しい口から漏れだすと言うこともなさそうだった。
ヨダカが部屋の中を歩きだす。
今すぐにわたしを罰するわけでもない。この屋敷において絶対である女主人に逆らった罪を償わせる気はないらしい。
「カナリア」
こちらを振り返ることもなく、退室際に彼女は呟く。
「来なさい」
結局、その昼間は、何をされるわけでもなく、わたしはヨダカに侍りつづけた。
ヨダカが外出をしない限り、わたしはいつだって傍を離れない。外出しなくてはならないときだって、わたしを連れだせる限りはそうする。けれど、わたしのような一介の歌鳥風情が関わってはならないことは恐ろしく多く、そう言う時は、やっぱり、ヨダカの部屋にある小さな鳥かごに閉じ込められてしまう。
そんな時、やっぱりわたしは寂しかった。
――あなたが誓ってくれさえすれば……。
ヨダカに侍りながら、その言葉が頭の中をかき乱すのに苦しんだ。もちろん、外に出すつもりはなく、わたしは無言で耐えしのんだ。
絶対に歌鳥以外の者に誓ってはいけない。
子供の頃からの価値観がわたしを苦しめているのを自覚した。